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第75話 コーヒーノキ

 コーヒーノキは、一年を通して安定した気温が求められる。

 日本のように、一年を通して寒暖の差が非常に大きな国では、栽培が難しいとされている。


 また、日当たりも非常に重要になり、水はけの良い土地が求められた。

 そのため、コーヒー農園は平地よりも山や丘といった斜面に作られることが多い。


 奇しくも、古代遺跡のあった丘は、これらの条件を見事に満たしていた。

 遺跡の上で栽培する、というのも不思議な感じがするが、もはや遺物は一切なく、巨大な空間が広がるばかりだ。


 今後はその異様なまでに頑丈な構造を利用して、再び倉庫などにして使う日が来るかもしれない。

 渡たちは、代官にモイーからの許可証を見せると、問題なく農園の開設の許可が降りた。


 その時に信じられない物を見るような目で見つめられた。

 財務卿の威光は大きい。


 どこからかモイモイー! 芋美味いー! という声が聞こえた気がしたが気のせいだろう。

 おそらく、いや絶対。


 以前にマリエルはただの男爵であるモイーですら、家の格の違いから気軽に接することができなかった、というような話をしていた。

 それよりもはるかに高みに上ったいま、代官ではなおさらいと高き存在に思えるのかもしれない。


 が、これはたまたまの御縁であって、別に自分が辣腕家なわけではないのだ、とかえって遠慮してしまう。

 モイーが蒐集家でなければ、こうも厚遇を得られることはなかっただろう。


 借りているヒューポスの背に乗って、高い丘を登った。

 以前は主に自転車か電車を利用した移動ばかりだったから、乗馬している今は相当な運動量のはずだ。


 ヒューポスから下りたときに、思わず声が漏れた。


「ふぅ……疲れたなあ……」

「……主、ちょっと運動不足じゃない?」

「そうかな。以前と比べると相当動くようになったんだけど……」


 身体能力抜群のエアやクローシェと比較してもらっても困る。

 鞍の上に座るのだが、これでヒューポスの脚が動くたびに、お尻の接地面がグネグネと動いて結構忙しい。


 とはいえ、渡たちに同行しているハノーヴァーの民たちも、平気な顔をして丘を登っているのだから、基礎体力がまだまだ不足しているのはたしかだ。


 今度ジムでも行ってみようか。


 たどり着いた丘の上は風通しが良く、吹き付ける風がひんやりとしていて、火照った体には心地よかった。

 木々はしっかりと管理されていて、今すぐに切り倒したとしても、材木として使えそうだ。


 町の展望を眺めることができるが、まだまだ多くの発展の余地を残している土地だった。

 日本という世界でも類を見ない都市集中型の町並みに慣れた渡からすれば、スカスカしている、という印象を受ける。


 モンスターによる災害の後に建てられたという防壁だけが立派だった。


 マリエルがたどり着いた場所をぐるっと見渡した。


「このあたりが、良いのではないでしょうか? 土も黒ぐろとしていますし、陽当り良好、条件には合っていると思います」

「そうだな。エア、クローシェ」

「ほいほい」

「ですわですわ」


 だから、なんだよですわですわって! そんなん聞いたことないわ。

 真面目にヒューポスから種と苗を下ろしてくれているクローシェには悪いが、つい心のなかでビシッとツッコミを入れてしまう。


 以前も同じようなことを言っていて、思わずツッコんでしまったが、いまだ慣れない。


 なお、エアは掃除とか洗濯物とかの用事は嫌がるが、荷物運びはかなり率先してやってくれる。

 今も鼻歌交じりに機嫌よく、たっぷりと積んだそれらをドスドスと下ろしていた。


「ご主人様、コーヒーノキの苗と種の苗化については、私の方から説明しますね」

「お、頼めるか?」

「はい、そのために勉強してきましたから」


 渡もコーヒーノキについては、調べたりしたが、農作業自体は全然したことのない都会っ子だ。

 ときに領民と混じって畑仕事をしていたというマリエルのほうが適任だろう。


 コーヒーと一口にいっても、その品種は様々だ。

 非常に高度な栽培技術を要するが、代わりに非常に薫り高い品種もあれば、病害や温度管理には比較的丈夫だが、雑味が多い品種もある。


 適した温度や土の具合によっても、どの品種が最も適しているかは変わってくる。


 そのため、今回は色々な品種を持ち込んでいた。

 どれが上手く育つかは……神のみぞ知る、というやつだ。


 やってみなはれの精神でとりあえず試してみるしかない。

 マリエルの説明を、領民たちは食い入るように聞いている。


 非常に前のめりでやる気に満ちた態度は、この農園の給金が比較すると高いから。


「ご主人様、とても大切な事業に、ハノーヴァーを選んでいただいてありがとうございます。これといった特産もなく、外貨を稼げなかったハノーヴァーに待望の特産物になりえる事業ということで、みんなとてもやる気に満ちてます」

「俺の方こそ助かるよ。安心して任せられるところが欲しかったから」


 貴族社会という制度の中で、どのように農園を経営していくのか、と考えるのはそれなりに大変だ。

 儲かる事業なら口を挟む者も出てくるかもしれない。


 その点は許可を押さえて、信頼関係が構築できている人々に任せられるマリエルの伝手は非常に助かった。


「でも、ハノーヴァーは物資が届いて、今は余裕があるんじゃないのか?」

「外部からの支援は本当に助かるのは事実ですが、支援頼みでは、それが途絶えた時に困窮するしかなくなります。自分たちの力で稼げる仕組みを作るのは本当に大切なんですよ。……それができるだけの余裕もなかったんですけど」

「それもそうか。まあ力になれるなら、それに越したことはない」


 明日の食事にも不安が残る状況で、十年後二十年後に向けて計画を立てることは難しい。

 ハノーヴァーは被害からの復興に全力を上げていたわけだから、今回急に支援が決定されるまでは、手の打ちようもなかっただろう。


 だが、今ならば。

 未来に向けて、発展に向けて、新しい事業を始めることができる。


 渡がこれまでゲートを利用して、うまく関税を回避していたが、この農園では税金をしっかりと収める必要があるし、農夫たちにはきっちりと給金を出す。

 ある意味では、渡ははじめて異世界に根付いた事業を行おうとしているのだ。


 渡は、よく日焼けした農夫たちが、楽しそうに笑って苗を植えていく姿を眺めた。

 目を輝かせ、明るい声を上げている彼らは、目の前の仕事に希望を持っている。


 ハノーヴァーでコーヒーが栽培できれば、渡の異世界の事業はより持続的で大きなものになるだろうし、ハノーヴァーの発展にも大きく寄与できる。

 襲撃を未然に防げてよかったな、と改めて思った。


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