簡単な
ハノーヴァーの領都には、どうも手つかずの古代遺跡があるらしい。
その遺跡のロックを解除し、警備についているガーディアンを町中に誘導し混乱を招く。
貴重な遺物は遺跡丸ごとそっくりといただいてしまおう、という計画だった。
一体全体どうやって、遺跡の内容や領内の警備状況などを詳細に把握できたのか、男には分からない。
だが、たった五人という少数でも十分以上に見込みがあることは分かった。
莫大な報酬も約束されて、やる気は十分。
領内に潜伏し、時宜を待つ。
ランブル領で大暴れしている別働隊が、ハノーヴァーの領内にやってきて、治安維持に当たる騎士たちを引き寄せたときが決起の合図だ。
自分がガーディアンを誘導し、別働隊が火を付けて領内をとことんまで燃やしてしまう手はずになっていた。
すでに複雑極まりない遺跡のロックを四苦八苦しながら解除して、あとはタイミングを待つばかり。
男は仲間と離れ、遺跡の監視役として防風林に潜んでいた。
高望みをするなら管理された防風林よりも、自然そのものの森のほうが良かった。
木の上に身を隠し、蜘蛛糸でしっかりと巣穴を作ってしまえば、安全で誰にも気付かれない結界が出来上がりだ。
のんびりと寛いでいた男だったが、林の中に張り巡らせた糸が振動を拾ったことに気づいた。
(誰だ……? 一直線に向かってきている。闇雲に走ってるわけじゃない)
(バカな、俺の隠密がバレてるだと!?)
アラクネの男は慌てて振動元を注視し、飛び上がらんばかりに驚愕した。
(き、金虎族のエア!? うそだろっ!? なんでこんな奴がこんな辺鄙な町に来てるんだよ! 聞いてないぞ!)
事前計画は相当綿密に作り上げられていた。
周辺の寄りつきそうな危険人物は、すべて確認されていたはずだ。
男は間違いなく実力者だ。
自分の実力に自信はある。
が、それはあくまでも暗殺や奇襲といった兇手の業前だ。
真正面からの戦いでは絶対に相手にしたくない猛者だった。
(俺の糸がほとんど反応しない。なにかの錬金術……いや、ちがう。歩法と身体操作だけだ。バケモノめ……っ)
男の張り巡らせた蜘蛛糸は、その一本一本がセンサーとして働いている。
周囲の風や振動を拾って、相手の動きはもちろん、おおよその体重や重心運びなど、非常に高精度な情報を取得することができる――はずだった。
だというのに、エアは高速で接近しているというのに、振動はほとんどゼロ。
わずかに体が動くことによって生じた風が伝わるばかりだった。
(だが、不用意に接近してくるなら、それこそ俺の思う壺だッ!)
男は短弓を即座に構えた。
自慢の糸を紡いだ超高度のアラクネの弦を六本腕を用いて引き絞る。
超短距離からの速射。
その速度は瞬時にして音速に達しうる。
(バカめ。弓使いと思って近づけば攻撃手段がないと思ったか? 不用意に近づいてきた奴をこいつで確殺してきた! 死ね!)
構えから発射までの一連を、瞬きよりも素早く終えたアラクネの男は、矢を放った一瞬後、目を見開いて驚いた。
「ぬ、ぬあにぃいいいいいっ!?」
あまりの驚きに、声を抑えることを忘れてしまう。
襲撃者は反応すらできないはずの必殺の一撃を、容易く最小限の動きで切り払っていた。
特製のボルトがあらぬ方向に飛んでいく。
(馬鹿なっ!?)
ギン、と瞳孔を丸く開いたエアが男を睨みつける。
鋭い牙をあらわにして、エアが吠えた。
「グオアアアアアッ!! お前かぁっ! マリエルとクローシェを殺ったのは!」
「ぐおっ!?」
男はショートソードを引き抜いて構えたが、エアが抜き放った宝剣の勢いは凄まじく鋭い。
受け止めた手が弾かれて、致命的な隙を晒してしまう。
(マズイ……!?)
「これはお前に殺されたマリエルの分っ! これも、これもマリエルの分だッ!」
「ぐううううううっ!?」
男の節のある蜘蛛腕が一つ、二つと断ち切られて、男は苦悶に呻いた。
さらに都合の悪いことに、切られた断面からビキビキと体が凍りつき始めている。
(事前情報通り、こいつ神剣遣いだっ……!)
(普通の剣じゃ歯が立たない。どうする、どうする!? くそっ、体が冷えて動きが鈍い)
この低温はアラクネにとって甚だ都合が悪い。
抵抗を続けるにしろ、勘違いを正すにしろ、このままではあまりにも一方的過ぎる。
ならば言葉による和解を試みてもいいだろう。
男は引きつった顔を浮かべながら、顎をカチカチと鳴らしながら必死に話す。
「お、おい、勘違いしてないか!? 俺はマリエルとかいうやつは知らねえ」
「うるさい! お前が殺ったネタは上がってるんだ!」
「チッ、問答無用かよ……!」
(とことんまでやるって言うなら仕方がない)
力量の差は思い知らされた。
だからって、やられっぱなしは性に合わない。
男は残る四本腕を犠牲にしてでも一矢報いるつもりだった。
腹から糸を吐き出し、飛ばされた腕を引き寄せてショートソードを背後から狙う。
蜘蛛糸を使った
(これなら意表を突けるはず……!)
が……ダメ……!
エアは後ろに目がついているのかと思うほど、背後の攻撃にも即座に反応した。
神剣の力を使って糸を凍結させると、エアに到達する前に勢いを失ってしまう。
(|広範囲知覚《それ》は|俺《クモ》の専売特許だろうが……!)
毒づいても結果は変わらない。
「後ついでにこれは、クローシェのぶんだあああああああああああ!!」
「ぐわあああああああああああああっ!?」
(ついでが一番痛えええええっ!)
残る四本腕をすべて斬り払われた男は、激痛に意識を手放した。