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第63話 ハノーヴァー騒動2

 スウェルは走った。

 周りを見る余裕もなく、衝動に任せるままに、息を切らして全力で足を運ぶ。


 すぐに息が切れて足が重くなったが、それでも逃げ出すことを止められなかった。

 どうして、どうしてあんな顔してるんだよ、マリエル姉ちゃん……!


 もしかしたら二度と見れないかと思っていた初恋の女性は、奴隷となってもなお美しく、いや、さらに磨きがかかっているように見えた。

 会えて嬉しいはずなのに、本当は再会を喜びたいはずなのに、マリエルの笑顔を見るとなぜか胸がズキズキと痛んだ。


「スウェル君、待ってっ……!」

「ついて、くんなよっ! 放っておいてくれっ!」


 マリエルが自分を追いかけてきたことを知って、喜びと、それを上回るみぞおちの痛くなるような苦しみを感じる。

 疲れを押し殺して、、、さらに距離を離そうとがむしゃらに走った。


 行くあてがあるわけではない。

 もつれる足を叱咤して、路地裏を縫うように走り、姿を隠そうとする。


「スウェル君、話をしましょう」

「なんでっ、引き離せないんだ」


 何度も右左折を繰り返して姿を隠そうとしているのに、マリエルが引き離せない。

 スウェルは騎士を目指して真面目に訓練を重ねてきた。


 持久力も瞬発力もマリエルよりも上のはずだ。

 わけが分からなかった。


 そうしてさほど広くもないハノーヴァーの領都を走って走って、もう足が少しも動かない、と疲労困憊になるほどまでに駆けた時、スウェルは自然とその場所にいた。

 裏通りの先、小高い丘のふもとにある、子どもたちが集まって遊んでいる秘密基地だ。


 苔むした金属質な壁に包まれた小さな広場だった。

 危険だからという理由で、マリエルには秘密にされていた場所だったのだが、いい大人になったマリエルが知っても問題ないだろう、とスウェルは自分に言い訳した。


「はあっ、はあっ、いったいどこまで着いてくるんだよっ。その女誰だよ……はぁっ」

「なんでしょう、ここ……。うちの領地にこんな場所が……?」

「これは多分、古代遺跡ですわね……。前の魔力災害の場所と同じぐらい古そうですわ」

「お父様もお祖父様もそんな話をしていたことはありませんでした。知らなかった? それとも失伝していったのでしょうか」


 息も絶え絶えなスウェルに比べて、最短距離で追いかけてきたマリエルたちのほうが余裕がある。

 質問に答えることもなく、辺りを見渡して観察していた。


 スウェルにとっては、ガキの頃から遊び尽くした場所だ。

 天井があるおかげで雨の日にも濡れずに遊ぶことが出来る。


 建物の中には変な装置のようなものもあったが、子どもたちがイタズラで触れても、何一つ反応しなかった。

 本当にただの隠れ場であり、遊び場だった。


「スウェル君、話はできますか?」

「……ああ。もう逃げない。悪かった……です」


 もはや逃げる先もなく、諦めてしまえば、悪態をつくこともできず、冷静になるしかなかった。

 そうなると、かつての身分差を思い出した。


 マリエルは領地の貴族の娘さん。

 町の大人は親しく接していたが、本来は許されない立場だ。


 改めて見れば、以前よりもより美しく成長し、またとても綺麗な服に身を包んでいる。

 胸元や耳に飾られた装飾品は輝き、マリエルという素材をより際立たせていた。


 またマリエルも走ったために肌が上気して、かるく汗ばんだ肌がますますしっとりとなっていて、美しく魅力的だった。

 ゴクリ、と唾を飲み込む。


「それで、なんで逃げたんですの?」

「あんた誰だよ……ですか」

「わたくしはマリエルの同僚で、黒狼族のクローシェですわ」

「スウェル、です……。俺が逃げたのは……わかんねえよ。久々にマリエル姉ちゃんに会えたと思って嬉しくて、でも奴隷になったって分かって悲しくて、自分でもなんで逃げたか、わからねえ」


 自分の感情の動きをしっかりと把握し、言語化するにはまだスウェルは難しかった。

 まだ若く、それに自分の気持ちをしっかりと言語化できる、十分な高等教育も受けていない。


 それでも一つだけ分かっていることがある。


 マリエルに会えて嬉しい。


 それがどんな形であったとしても、かつて恋心を寄せ、守ると奮起した想い人の無事を知って、スウェルは嬉しかった。

 それだけは間違いのない気持ちだ。


「とりあえず、こんな場所ではなんですから、宿に戻りましょう。お母さんには叱られないように、私からも頼みますから。ねっ?」

「……分かった」

「一件落着ですわね。おーっほっほ! ……ほ?」


 高笑いを挙げたクローシェが、ポン、と装置に手を置いた時、不自然なまでに大きく、カチっと音が鳴った。


 それと同時。

 これまで子どもたちがどれだけ触れても動くことのなかった装置が、にわかに動きだした。


 ゴゴゴゴゴゴ、と激しい音を立てたかと思うと、ただの壁だと思ったいた場所がゆっくりと上に迫り上がっていくではないか。

 壁ではなく扉だったのだ。


 激しい振動に襲われながら、クローシェが目を見開いて叫んだ。


「ほ、ほげえええええええええええええっ!? な、なんですの!? わたくし何もしておりませんわよ!?」

「クローシェが触ったからでしょう!?」

「知りませんわっ!? わたくし本当に触れただけですのよ!?」

「大変だわ! まさか遺跡が動くなんて。どんなものが出てくるか分かったものではありません。クローシェ、警戒をお願いします」

「わ、分かりましたわ! どんと来いですの!」

「マ、マリエル姉ちゃんは俺が守るっ!」


 スウェルは犬娘っぽいクローシェは頼りにならないと判断して、マリエルの前に立った。

 自分は装備を何一つ帯びていないが、それでもマリエルや役に立たなさそうな犬娘よりは強いはずだ。


 恐怖と不安を抱えながら、壁の向こう側を警戒する。


 はたして奥にあったものは――。


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