「ご主人様、どうかされましたか?」
「……あ、いや。なんでもない。ちょっと考え事をしていてな。大したことじゃないんだ」
「長く引き止めちまってスミマセンね。久々の里帰りなんです。ゆっくりしてくれよな、マリエルさん」
「ありがとうございます。皆さん、私のためにお待たせしました。そろそろ行きましょうか」
「うん、まずは宿を取りたいな。普段乗馬なんてしないから、足がガクガクだよ」
普段通りの態度を心がけながらも、心臓がドッドッドッと音を立てていた。
なにか核心的なことに触れようとしているのは間違いない。
だが、それが一体何なのか、渡には分からなかった。
状況を整理して俯瞰的に眺めるには、まだ情報のピースが足らない。
だが、何かしらのよくない兆候が見られることだけが分かって、ただただ不安だった。
「主、アタシたちがいるから、何があっても大丈夫だよ」
「そうですわ。わたくしとお姉様、そしてステラさんまでいるのです。チャチな盗賊団などコテンパンに蹴散らしてみせますわ。シッシッ!」
突如シャドーをはじめたクローシェの姿に、肩の力が抜けた。
人の多い室内でやることではないだろう、と思ったが、おかげで脈が落ち着く。
それに渡たちの本当の敵は盗賊団ではないかもしれないが、その疑惑は胸にしまった。
衛兵たちに礼をして部屋を辞すと、町の中に入った。
それまでそっと空気に徹していたステラが、チョンチョンっと渡の服の裾を引っ張る。
長い耳を真っ赤に染めて、ぽそっと自己主張を始めた。
「貴方様、わたしも戦いになれば、きっと力になりますからぁ。これでもとっても強いんですよぉ、むんむんっ」
「ははは、ステラは強そうに見えないんだけど、実際は凄腕なんだよな?」
「はいっ、これでも王国に捕らえられるまで、いっぱいいっぱい大将首をとってましたからねぇ」
「頼りにしてる」
「っ~~~~~んお゛っ❤」
突如としてブルブルブルブル! と体を震わせたステラが、内股に立ち尽くす。
白目をむいて恍惚と舌を出す姿は明らかにおかしかった。
おい、本当に頼りにしていいんだよな?
渡が肩を触ろうとしたときに、ふと長いエルフ耳に手が触れた。
耳たぶをパシっと弾いた瞬間、ステラは感電したように全身をピンと伸ばすと、往来で天に昇った。
「ひぎぃっ❤ ら、らめぇ……❤」
だめそうですね、これは……。
◯
ステラが相変わらずの頼られアヘェを披露している横で、マリエルは久しぶりの故郷の光景に感動しているようだった。
ゆっくりと足を進め、かつて慣れ親しんだ街の風景を確かめるように、一つ一つの建物を見て眺めていく。
ステラの痴態についてはもはや一切意識を向けていない。
渡からすると、なんということのない町並みではあった。
むしろ王都、南船町などの諸都市と比べると、人の数も、建物の数も少なく、長閑な感じがする。
補給物資が届いたとはいえ、長らく苦しい経済状況だったためか、町並みも少し古びて見えた。
それでも、マリエルにとっては大切な故郷の長めなことは違いない。
奴隷の身となって、二度と帰れないと覚悟したマリエルにしてみたら、本当に懐かしく大切な光景だっただろう。
「懐かしいなあ……。ここのお店はシチューが美味しいんです。ここのパン屋さんは、毎朝フカフカのパンを焼いて、町の人気店でした。まさか、もう一度、うっ、見れると、思ってなかったから……ううっ……ごめ゛、ごめんなざい」
「謝らなくていいだろうが。落ち着くまでゆっくりしよう」
「ひぐっ、うっ、ううっ……。私、帰って、帰ってきたんですね……っ」
「ああ。そうだ。今日だけじゃないぞ。これから何度も帰ってこれるんだ。ここに立派なコーヒー農園を作って、故郷を経済的に盛り上げて、マリエルも頻繁に里帰りできるようにするんだ」
ぐすっ、ぐすっ、と鼻を鳴らして、目を真っ赤にしたマリエルが、ハンカチで涙を拭った。
泣き顔ですら様になる。
マリエルは今の立場こそ奴隷だが、将来の妻になる女性だ。
自分の余裕があるなら、いつでも里帰りが出来るようにしてあげたい。
「ここが、町の数少ない宿です。外から来た人は、だいたいこの宿に泊まります」
「へえ、かなり立派だな」
明らかに大きさが違う。
四階建てで一階が受付と食堂、従業員スペース。
二階から上がすべて客室になっているようだ。
扉を開くとカウベルが澄んだ高い音を鳴らした。
「いらっしゃい。あら、マリエルちゃんじゃないかい!」
「マリエル姉ちゃん……!? 売られたって聞いてたけど、帰ってこれたの?」
「おばさん、スウェル君、久しぶりです。元気にしてた?」
「あ、ああ……。俺は元気だよ。マリエル姉ちゃんは?」
宿屋でもマリエルはすぐに気づかれ、歓迎された。
マリエルは領主の娘ではあるが、本当に領民とは距離が近かったようだ。
モイーのときのような、平民から畏れ敬う、という雰囲気はあまり感じられない。
渡たちがチェックインの話をしている間に、スウェルはおずおずとマリエルに近寄った。
スウェルと呼ばれた少年と、マリエルは仲が良かったようだ。
というか、スウェルがマリエルにものすごく懐いている。
今も期待と興奮の篭もった目でマリエルをじっと凝視していて、エアやクローシェといった他の美人には目もくれないし、そもそも気付いた様子もない。
マリエルも渡たちに比べれば少しだけくだけた表現で話しているところを見るに、年齢差はありながらも地元の仲の良い知り合い、といったところだろうか。
「元気にやってますよ。そっか、大きくなったね。ねえ、訓練は続けてる? 将来は町を守る立派な騎士になるんだって言ってくれてたよな」
「うん。続けてる。ねえ……もしかして、町に戻れんの?」
「……ごめんなさい。それは無理なの。今はこちらのご主人様のお仕事で、一時的にこっちに来てるだけ。でも元気そうで良かった。夢も諦めずに頑張ってたんだね」
「そうかい。残念だねえ。それでもあたしは、マリエルちゃんとまた会えて嬉しいよ」
宿の女将は心底から嬉しそうに言った。
対して、スウェルは不安そうな表情を浮かべた。
「……へっ、結局は全部間に合わなかったんじゃねえか! 体を売って無駄なことして、結局は奴隷になっただけか。嘘つき!」
スウェルと呼ばれた少年が吐き捨てると、チラッとマリエルの表情を伺い、すぐに顔を背けた。
宿の女将がキッと睨みつけるが、スウェルは気にした様子もない。
「こら、何を言うんだいこの子は!」
「ふん、どうせ今日ここに来たのだって、一時的なもんだろ。すぐに帰るんだ。知ったこっちゃねえよ!」
「あっ、待って」
スウェルは荒々しく言葉を吐くと、それ以上この場にいたくないとでも言うかのように、扉を開けて走り去っていく。
マリエルが悲しそうに手を一瞬伸ばしたが、その手がゆるゆると落ちた。
「ほっといたら良いんだよ。まったく手伝いもしないで失礼なことだけするんだから。ごめんなさいね。部屋に案内するんで、付いてきてもらって良いですかい?」
「あ、ああ。お願いします」
女将さんに案内され、宿の階段を上る。
スウェル少年は、マリエルに相当に好意を寄せていたに違いない。
話の断片を想像するに、将来はマリエルを護ることを夢見ていたのだろうか?
そんな女性が故郷を救うために自分の身を売っているのに、何の力にもなれない己の不甲斐なさを感じて挫折を覚える。
あるいはいつか自分の手で救うことを夢見て、奮起したかもしれない。
だと言うのに、後日再会した憧れの女性が、ご主人様とイチャイチャしていたら。
「マリエル、追いたかったら、追ってきて良いぞ。クローシェ、俺はここで休んでるから、マリエルの護衛を頼む」
「……良いんですか?」
「せっかく会ったのに、こんな終わり方は悲しいだろ。クローシェならすぐに追いつけるだろ」
「当然ですわ!」
「ありがとうございます!」
マリエルが深く頭を下げた。
銀の髪がふわっと揺れる。
そして慌てて階段を下りて、少年の後を追い始めた。
「ニシシ、良いの主。マリエルに行かせちゃって」
「当たり前だろう。もうマリエルは俺の恋人だよ」
エアがからかうように言ってきたが、渡には微塵も不安はなかった。