幸いにと言うべきか。
門を潜る人の数はそれほど多くはなかったから、門衛たちが集まってきても、さほど業務に支障は起きていなかった。
というか、門を潜る者の多くも地元の農民であるからか、マリエルを見かけるとぐいぐいと近寄ってますます門下に人が溜まる始末だった。
マリエルの事前の不安とは裏腹に、門衛たちの表情は明るく、マリエルを歓迎しているようだった。
頭上には晴天で、青空が広がる。
初夏といえども、異世界はもともと地球の大阪に比べれば気温は少し涼しい。
渡たちは陰に佇むと、マリエルの様子を見守っていたのだが、あまりにも渋滞ができるということで、詰所の中に案内してもらった。
幸いにも身元を確かめたり、怪しい人間を捕縛しておく部屋などがあるため、椅子に座って茶が提供される。
広い一室だったが、渡たちと衛兵たちが入るとかなり手狭になった。
「皆さんは、このしばらくはいかがでしたか? 元気でしたか? 無事でしたか?」
マリエルの不安の篭もった質問に、衛兵たちは顔を見合わせた。
最初にマリエルに気づいた門衛が、勢いよく話しかける。
「領主様たちが離れちまってしばらくは代官様が治めてて、どうなっちまうんだろって不安だったんだけど、ある日王国のお偉いさんがやってきて、復興予算と計画が下りたからつって、多量の物資を運んでくれたんだ。ねえ隊長!」
「ああ。ありゃ驚いたなあ。俺達衛士も駆り出されて運搬したが、そりゃもうすごい量の物資だった。荷馬車が見えないくらいに並んで、木箱が山と積まれてな。詳しく話を聞くと、前のハノーヴァー子爵様が嘆願していた要求が、ようやく承認されたって聞いてねえ。俺たちゃそりゃあ感動したもんでしたよ」
「んだんだ! おんれたちゃ見捨てられてなかったんだって、目が覚めた思いだった!」
「それと同時に、そんな領主様が土地を手放さざるを得なかった気持ちを思うと、申し訳なくってなあ。マリエルさんにもキツいことを以前言ったかもしれないが、すまなかった」
衛士長が鎧をガシャッと音を立てながら、敬礼した。
合わせて、他の衛士たちもビシッと敬礼を決める。
マリエルは頭を下げると、しばらくして顔を上げた。
もともと笑顔を絶やさない女だったが、今は一層輝かしく見えるほどに、純真な笑みを浮かべている。
頬が興奮に上気していて、いつもよりもさらに魅力が増して見えた。
やっぱり、マリエルには笑顔が似合う。
渡は隣に座っていたマリエルの背中をなでた。
「良かったなあ。せっかく地元に帰ってきたんだ。みんなが暖かく迎えて本当に良かった」
「はい……はいっ。もしかしたら恨まれてるんじゃないかって、みんな私たちの統治に不満ばっかりだったんじゃないかって、ずっと怖くて。でも、こうして皆さんに迎えられて、安心しました。ご主人様、ありがとうございます」
「俺は何にもしてないよ」
本当に何もしていない。
マリエルの故郷を選んだのは、気候的にコーヒーの栽培に良さそうだと思っただけだ。
支援物資が届いたのも、両親が必死に嘆願を繰り返していたからだろう。
時期が遅くなったのは、予算が下りるには時間がかかるものだ、と渡は思った。
実際には
そして、そもそもその交代劇に、万華鏡が大いに影響したことも。
謙遜ではなく本心で言う渡に、それでもマリエルはここまで連れてきてくれたのだ、と心から感謝を述べて、渡に抱きついた。
むにっとした肉感的な感触に包まれると、途端に渡は笑み崩れた。
いけない、人の前なんだから、もっと毅然としておかないと。
「ヒューヒュー、熱々だなあ」
「こうして戻ってきたってことは、けっきょく身売りしなくて済んだんだろ?」
「いえ……。私はもう奴隷になりました。支援が迅速に下りなかったため、返済が間に合わなかったのです」
「そ、そんな……。俺ったら早合点して、すまねえ……。余計なこと聞いちまった」
「良いんです。最初はとても悲しかったですけど、今はご覧のように素敵な方と巡り会えて、楽しく過ごせていますから。こうしてご主人様がわざわざ私の故郷に連れてきてくれたのが、その証拠です」
余計なことを言った衛士は、周りの同僚から小突かれていた。
マリエルは渡の腕を抱きかかえたまま離れようとしない。
地元に帰ったことで、気が昂っているのだろう。
だが、これから多くの人に出会うだろうに、こんな姿を見せびらかして大丈夫なのかな、と少しだけ渡は心配になった。
まあ、奴隷ではあるが、恋人でもあるマリエルとの仲が良好なことは、なんら恥じるべきことではない。
少なくともこの世界においては、法に則ったやましいところのない行いだ。
一人の衛士が、心から心配した顔で言う。
「マリエル様たちが無事で良かった。最近、この辺りは凶悪な盗賊団がいるんだ」
「私たちは、こちらのクローシェとエアのおかげで、上手く遭遇を避けられました。皆さんたちは大丈夫なんですか?」
「ああ。今のところうちには大きな被害は出てないです。あくまでも狙われてるのは行商人みたいなんで。しっかし支援物資が届いてくれて本当に助かりましたよ。物も金も足りなくて、衛士の解雇も考えてたんです。そんな時に盗賊たちに襲われてたら、下手したら領都が陥落する恐れすらあったからなあ」
「そんなにひどい状態だったんですね」
「ああ……。おっと、文句を言いたいわけじゃないんですよ。俺たちはツイてる。救援物資が届いて、その中にはモンスターや賊への対抗手段になるような装備もたっぷり詰まってたんですから。それもこれも、以前から要請してた領主様のおかげです。ありがとうございます」
衛士長の感謝の言葉を聞きながら、渡は猛烈な違和感に襲われていた。
たまたまハノーヴァーの救援要請が遅れていただけなのだろうか。
ウェルカム商会が襲われたのが、あるいはこの辺りに盗賊団が出没し始めたのは、ただの偶然なのだろうか。
王都からの支援物資に、わざわざ防衛用の装備まで用意されていたのは?
――すべては一本の線で繋がっていたのではないか。
もし、もし連綿と繋がる一つの策謀の結果だとすれば。
――これらの計画はいったい何時なされたのだろう?