偶然出会ったオバちゃんは、ほとほと困り果てた様子だった。
とはいえ、町の景気を悪くするような情報をペラペラと話すわけにもいかないんだろう。
「ま、まあそういうわけで、気をつけな。じゃあね」
「あっ、待ってください」
「ごめんよ、これ以上話すことはないんだよ」
ハッと気づいた様子で、それから口を開こうとはしなかった。
逃げ去るように小走りで背を向けて去ってしまうオバちゃんをこれ以上引き止めるのも難しい。
狭い小路を進んですぐ、人に紛れて見えなくなった。
行く手を目で追っていた最後尾のクローシェが軽く肩を竦める。
クローシェであれば、臭いでどこまでも追跡できそうだったが、別にオバちゃんに執着する必要はどこにもない。
町の他の人も、同程度の情報ならば持っているはずだ。
渡は辺りの人々に目を向けた。
職人をはじめとした地元民。
商品を買い集めている外部から来た商人とその護衛たち。
多くの種族、様々な服装の人々で溢れている。
特に地元民の服は色も服飾も非常に豊かだった。
「どこで話を聞くのが良いかな?」
「門の衛兵に話を聞くか、あるいは貸馬屋で馬を借りる時に聞くのが確実です。どちらの職も、街道の安全に関わっているから、正確な情報が得られるでしょう」
「おおっ、さすがはマリエルだな。どっちにしろ馬は必要なんだよな? そっちでまずは話を聞こう」
「ん、アタシが案内する」
「エアに分かるのか?」
「貸馬屋はどの町でも門の近くに店を構えてるし、後は音で分かる」
「ははあ、なるほどな。さすがはエアだな」
「ニシシ、任せて」
馬が必要になるのは門外に出るときと、入るときまでだ。
下馬した後はすぐに預けられたほうが便利でいい。
おまけに適度な広さが必要になるから、自然と店は密集した市街地より、門近くに構えられるようになる。
言われてみればなるほどと納得する話だが、渡は言われるまで気づかなかった。
護衛兼案内を受けながら、渡は町を見る。
ランブル領東妻布町と正式に言うらしいこの町は、田舎らしく道幅は狭かった。
建物も古いものが多く、一見は見窄らしい町並みに見える。
しかし、頭上を見れば違う光景が目に入る。
並ぶ家々の二階や三階同士で大きな布がピンと張られ、雨よけや日差しよけになっていた。
おまけにこの布は美しく様々な色で彩られていて、極彩色といっても過言ではないほどに彩度が高く、鮮やかで美しい。
それが町の端から端まで続いているのだ。
織物の町、という評価をこれでもかと打ち出された光景は、きっと布に溢れたこの町でしか見れないものだろう。
異世界の町の景色に魅了されながら、渡はエアの案内に従って貸馬屋にたどり着いた。
以前に見かけたヒューポスと呼ばれる多脚馬が並んでいる。
驚いたことに店主は馬の獣人だった。
「へいらっしゃい。うちの馬はよく走るよ。なんといっても馬獣人のおいらが世話してるからね。おっと、それとおいらは売りもんじゃねえからな、ブフルルルル!」
多量の息の漏れる笑い声を上げる、めちゃくちゃ陽気そうな男だった。
渾身のギャグなのだろうが、これは人種差別として笑って良いのか悪いのか判断がつかず困ってしまう。
「これから俺達、ハノーヴァーに用事があるんですよ。この娘の実家でして」
「はあっ! こいつぁ、可愛らしいお嬢ちゃんだね! 里帰り、楽しみなよ、ブフルル!」
「ありがとうございます」
「それで何頭かヒューポスを借りようと思ってるんですけどね、なんか少し気になる噂を聞きまして。実際のところどうなんですか? 俺達が向かっても安全なんでしょうか」
「ああ、聞いてるかい」
途端の店主の表情が苦々しく変化した。
貸馬屋としては借りて貰わなければ儲からない。
だが、貸したヒューポスに何かあれば、それはそれで大損害になる。
街道の治安は死活問題だろう。
「人も積荷も手当たり次第さ。おかげで客が減ってたまったもんじゃないよ。見てみなようちの馬房。見事な毛並みのヒューポスが埋まっちまってるだろう。本当はいつも半分以下なんだぜ」
「領主の子爵様が鎮圧されないんですか?」
「……さあねえ」
店主は店の入口から少し奥に入ると、そっと手招きした。
なんだろうか、と思って近寄ると、店主が声を潜める。
ぶふるる、と鼻息が漏れた後、小さな声でひそひそと話し始めた。
「ここだけの話、領主様は討伐軍を出したんだ」
「え、そうなんですか?」
「ああ。だが盗賊団におっそろしい戦士がいるらしくって、蹴散らされたんじゃないかって話だ。おいらは門前に店を構えてるから、討伐に出たはずの軍が帰ってくる姿を見たけど、統率こそされてたけど、みんな落ち込んでた。士気ががた崩れしてて、あれは負けたんだと思う」
「ええ……。じゃ、じゃあ。ハノーヴァーに行くのは今はかなり危険ですか?」
「そうだねえ……とは言っても、ハノーヴァーに続く道はいくつかある。盗賊も全部を見張ってるわけじゃないみたいだから、運さえ良ければ遭遇せずに抜けられると思うよ! あとは運次第だね」
「運か……」
渡は頷いた。
自分で言うのも何だが、運の強さだけは自信がある。
筆力も頭の回転も身体能力も人並みを越えるものはなかったが、運だけは人より強い。
そうでなければ異世界に来たり、マリエルたちに出会えていなかっただろう。
問題は……と渡は背後を見た。
「な、なんですの?」
「いや、なんでもない。気にするな。ちょっと急に顔が見たくなっただけだ」
「ええぇ……」
目を逸らすクローシェを見て、渡は悩んだ。
自分一人ならば、おそらく都合よく盗賊団とは遭遇せず、ハノーヴァーに行けるだろう。
だが、
領主の軍で倒せなくとも、いずれ領内から勢力を集結させて討伐されることはまず間違いない。
それまで待つのも手だが、先延ばしを続けていたら、いったいいつの日になるか分かったものではない。
渡は悩んだ末に、自分の運の強さに賭けることにした。
「それじゃあ、一人一頭ずつで借ります」
「おっ、こいつぁお大尽だ! うちの方も特別に安くさせてもらうよ。ちゃんと帰ってきてくれよな!」
「もちろんです」
だいじょうぶ、だいじょうぶなはずだ。
クローシェの悪運を上回るツキが、自分にきっとあるはず。
神様に異世界を行き来できるように便宜を図ってもらった自分が、こんな所で不運に直撃するなんてありえないはずだ。
渡は強気に振る舞ったが、自分のツキを信じ切ることもできず不安だった。