クローシェとエアは顔を見合わせた。
音は拠点の中から鳴り響いている。
もしや自分たちが見つかったのでしょうか。
クローシェはエアとともに、頭を低くして、息を殺して周りを見渡した。
だが、自分たちに迫っている気配はない。
それどころか拠点に向かってどんどんと近寄る者と、中から飛び出てきた者たちが、玄関近くの広場で向かい合い出した。
「アタシたち以外に、拠点を襲ってるやつがいる」
「あら、すごいタイミングですわね。襲撃者は二十人。中から出てきたのが八、十、十二人。……結構いますわね」
「アタシたちを尾行してたのは、ほんの一部だけだったみたいだね」
渡を尾行していた存在もかなりのやり手だったが、奥から出てきた者たちは、さらに戦闘向きの体つきをしていた。
そして、襲撃者たちもかなり遣う。
一地方都市にいるのがおかしいぐらいの手練れが集結していた。
襲撃者と撃退者はゾロゾロと集まったかと思えば、すぐに死闘が始まった。
奇襲を仕掛けた側が、相手の体勢を整える隙を与えなかったのだ。
あたりに人がいない。
いつの間にか人除けの結界が張られていますわ……。
人気が不自然に少ないことにも気付いた。
襲撃者たちはそれなりに準備をしている。
数の多い襲撃者たちは、装備もしっかりと整えていた。
しっかりと防具を着込み、室内戦を想定していたであろう近接役が、短剣をチラつかせながら相手のヘイトを取る。
その背後から短弓を用いた矢の攻撃が次々に打ち込まれる。
援護射撃と言うよりは、その矢で相手を仕留めるつもりだ。
だが、迎撃側も自分たちの拠点である。
男が身を隠した立板に矢が幾つも突き刺さった。
襲撃を知らせる警報を用意していたところを見るに、備えはしているのだろう。
突入しようとしていた一人の襲撃者の足元で爆発が起き、吹き飛ばされたのが見えた。
「ううう、痛そうですわ……」
「そもそも警報に引っかかったのが拙い。……あれ? あいつらって、もしかしてアタシたちが前に撃退したやつじゃない?」
「誰ですの?」
「ほら、仕立て服を作るって、裏路地を通ってたときの」
「言われてみれば……。でも確信は持てませんわね。それにどうして彼らを襲っているのでしょう」
「さあ……。なんかモイモイが関係してそうだけど……」
エアが耳をピクピクと動かしながら、真剣な瞳で戦場を見ていた。
普段の軽い態度とは違い、ゾッとするほどにその横顔は真剣だった。
「それよりお姉様、これチャンスじゃありません?」
「なにが」
「中にいる人員が全員外に出てて戦闘中。いまは警備してる者もいなさそうですわ。わたくしたちが情報を得るのは、今しかないのでは?」
「危険だよ。アタシたちがそこまでリスクを冒す必要はないんじゃない?」
「でも、このままだと襲撃した人たちに全部持ち帰られてしまうか、情報をかっさらわれてしまいますわよ。それだと、主様に尾行したけど何の成果も報告できませんの」
「む……。でもアタシたちが、襲撃者たちと鉢合わせて戦闘になる可能性もある」
「だからこそ、やるなら迅速に、すぐに退去すれば良いんですのよ」
「一理ある……。そうと決まったらすぐに動こう」
エアの決断は早かったが、行動はもっと速かった。
猫科特有の靭やかで、かつ驚くほど静かな動きでスルスルと拠点へと侵入していく。
これが隠密の手本だと、襲撃者たちを嘲笑うかのような、見事な侵入の手際だった。
戦闘に意識を奪われている集団の探知範囲を綺麗に抜き、エアの目が地面に、左右に目まぐるしく動いて、トラップの存在を見抜いていく。
時には壁を、梁を走りながら、どんどんと中に入っていく姿は見事に尽きたが、クローシェにはエアの真似はできない。
身のこなしには自信はあるが、あまりにも種族としての特性が違いすぎた。
エアが呆れた顔で振り返りながら、トラップの場所を指さして教えてくれる。
そんな顔しないでくださいまし。仕方ないじゃありませんの!
言葉もなく目だけで会話しながら、必死に後に続いた。
そして、見事に侵入に成功する。
ベッドなどのある生活拠点ではなく、情報を集めているであろう仕事場に入った。
「……ウフフのフ、ですわ。みんな外に出ていて、誰もわたくしたちの侵入に気付いていませんの」
「こんなに上手くいくとは、意外」
襲撃の規模が大きかったためだろう。
応援に駆り出され、拠点の中はもぬけの殻だった。
侵入者撃退の罠にしろ、証拠隠滅のトラップにしろ、絶対に気をつけなければならない。
そう注意しながらクローシェは棚から書類を取り出そうとして――
「はら? なにか魔力反応が……うえっ!? 嘘っ!? 注意してたのに……!」
即行でやらかした。
トラップ、と気付いた瞬間にクローシェの顔が引きつった。
おそらくは可燃式の油に火が着いた。
ごうっ、と音を立てて大切な書類が燃えていく。
注意はしていたのに……!!
何が悪いといって、とにかく運が悪い。
たまたま最初に手をかけたのが、最高難度のトラップつき書類だった。
一つとして奪われるつもりがない、と言わんばかりの延焼具合で、一気に火が広がる。
炎に照らされてクローシェの顔が明るくなったが、顔色は真っ青になった。
「ぎょええええええええええ、た、大切な証拠が燃えてしまいますわああああ!」
「まったく世話の焼ける! 『大虎氷』よ、凍らせろ!」
ムンクの叫びのように、頬に手を当てて慌てるクローシェ。
その横で舌打ちをしたエアが、すぐさま佩刀していた宝剣を抜いた。
ジャラン、と音を立てた宝剣は、部屋の明かりを照らしている。
滅多に抜くことのない、神から下賜された神剣の一振り。
柄に埋められた蒼色をした宝玉がまばゆく輝くと、切っ先から途端に凄まじい冷気が放出される。
空気がビキビキと音を立てて凍りつき、瞬く間に鎮火していった。
ついでにクローシェの顔も凍りついていた。
「お、おね、え、しゃ、ま……ど、う、して……」
「ちょっとは頭を冷やす。本当にそそっかしい。これは後で主に報告するから」
「しょんな……」
びっしりと霜の吹いた睫毛が慌ただしく動き、瞬きする。
ポロポロと小さな氷が床に落ちた。
書類の半分ほどは燃えてしまったが、残りは無事に残っている。
エアが落ち着いた様子で書類を手にすると、適当にいくつかを抱え、ポケットに放り込んだ。
呆然とするクローシェに、エアが呆れた声で言った。
「ほら、もう逃げるよ。戦闘音が小さくなってきてる。決着が近い」
「わ、わかりました、わ……」
大声を出すわけには行かない。
クローシェは内心で叫んだ。
こんなっ!
こんなはずじゃありませんでしたのおおおおおおお!!
退却は成功。
誰にも気付かれることなく情報を奪取し、本来ならば提案したクローシェの貢献は一番大きかったはずだというのに。
その背中は、不思議と煤けていたという。