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第39話 高校生の購入者 高尾流夜④

 高尾は東京から新幹線に乗って、大阪駅までたどり着いた。

 大阪には以前に大会の関係で一度だけ訪れたことがある。


 その時は観光するような時間の余裕はなかった。

 そして今は、時間はあっても気持ちの上で余裕がない。


 何より松葉杖を突いての移動は大変で、観光を楽しむことは難しいだろう。


 大阪駅は非常に多くの人で混雑していた。

 あらためて見てみると、歩く人の速度が非常に早い。


 大阪人の歩く速さは秒速一.六メートルで、世界最速だと言われている。

 ギプス固定を施し、松葉杖で改札に向かう高尾には、少し厳しい慌ただしさだった。


 人混みに苦労しながら移動していると、二人組の気の良い中年男性が話しかけてきた。


「兄ちゃん足痛そうやなあ! 大丈夫か?」

「え、あ、はい」

「荷物持ったろか?」

「止めとけ止めとけ、こいつに預けたら中身すっからかんなって返ってくるで」

「んなわけあるか! ちゃーんと紙切れ一枚残しといたる。『荷物はいただきました』って」


 咄嗟に身構え、慌ててしまうが、相手は気にした様子もない。

 そして、何が何やらわからない内に、駅の改札まで案内し、人でごった返すなか、歩きやすいように道を拓いてくれた。


「ここが改札や。後は何処に行くつもりなん?」

「あ、ありがとうございました! ここまで来たら、迎えの人が来ると思います。助かりました」

「ほな、兄ちゃんあんじょうな」

「また会ったら美味いたこ焼き屋紹介したるわ」

「こいつ家連れ込む気や! きーつけや」

「アホか、ちゃんと『わなか』連れてったるわ」

「そこは『タコ八』ちゃうんか?」


 高尾が唖然としている中、男たちは気にした様子もなく軽く手を振って、離れてしまった。

 なんなのだ。


 一体何がなにかわからない。


 呆然としながらも、スマートフォンにメッセージの通知が来たため我に返って、確認する。

 紹介してくれた飯田が、駅から送ってくれる予定になっていた。


 返信をして待つこと三分ほど。

 移動や遠征の多い高尾だが、足の不自由な今は、気を張ってしまっていたのだろう。


 以前に会った飯田の姿を見て、高尾の体からホッと緊張がほどけた。


「ちゅーっす!」

「飯田さん!」

「高尾くん、お久しぶりっすね。うわっ、マジで足痛そう」

「今日はお世話になります。今は固定してるんで、それほど痛くないですよ。ただ、本当に治るのかは不安です……」

「まあ安心してくれて良いっすよ。俺の腰も腰椎分離症っていうけっこう重症だったんすけど、完全に治って、今じゃ全力で動けてるっすからね」


 飯田が荷物を持ってくれて、案内してくれる。

 車のドアを開け、荷物とともに高尾を乗せると、飯田は軽快に車を走らせた。


 少し音量を抑えてヒップホップが流される。


 飯田は車に乗っている間、膝の話はしなかった。

 むしろ積極的に、未来の話題を選んだ。


 ワールドカップやスペインリーグについて、注目している日本のライバルはだれか。

 プロになったら契約金の使い方はどうするのか。

 そんなことを話していたら、あっという間にたどり着いたのは、裏通りの小さな喫茶店だった。


「住所は……たしかにここっすね。ゆっくり降りるっすよ」

「はい」


 痛めた足を使わないように、慎重に体を動かす。

 杖を出して、手すりに体重を預けて、車の外に出た。


 どこからどう見ても、普通の喫茶店に見えた。

 ここに、足が治る治療法が、五百万円もの大金を支払う薬が、本当にあるのだろうか。


 ドアを開けてもらい、軽く頭を下げて扉をくぐると、コーヒーの焙煎した香ばしい香りが漂ってきた。


「いらっしゃい。はじめまして堺です」

「はじめまして、よろしくお願いします」


 テーブル席に座っていた男が、微笑をたたえながら、高尾を迎えた。

 周りにはとんでもない美女が四人もいて、ドギマギしながら、向かいの席に座った。


 用意が良いことに、すでに書類と大切そうな箱が置かれている。


「飯田さんも、わざわざ案内ありがとうございます」

「紹介したのは俺っすからね。ぜんぜん良いっすよ。それより、この子が高尾くんっす。日本サッカー界の至宝っすよ」

「それは大変だ。責任重大だね」

「いや、そんな僕は……」


 堺という男は、まだ二十代前半に見えた。

 大人・・としてはとても若いのに、高尾にはずいぶんと大きく見えた。


 まるで世界でも一流のプロアスリートと対峙したときと同じような威圧感に、ゴクリ、と唾を飲む。

 サッカーの競技場では臆したことのない高尾でも、戦う舞台が違えばどうしても緊張してしまう。


「先に条件を再確認しておきましょうか。当方からの条件は二つ。販売価格は五百万円。振込を確認してからのお渡し。もう一つが、今回の治療について一切の情報の制限です」

「はい。事前に聞いていました」

「これから、高尾さんには色んな人から質問されると思います。大半の人からは純粋な気遣いからでしょうが、中には真剣に、あるいは利益を求めて来る人も多いでしょう。マスコミだけでなく、監督やコーチ、親戚、あるいはチームの有名選手など、断りづらい人から聞かれることも多いと思います。ですが、決して話してはいけません。この契約を破ると、まずあなたは賠償金額で破滅します」


 かなり念をおして、秘密を守るように強く要請された。

 高尾はしっかりと話を聞いて、危険性も納得する。


 たしかに赤の他人ならともかく、世話になっている監督やコーチ、先輩から聞かれて断るのは大変だろう。

 それでも治るなら――。


「約束します。監督とかコーチとか、お世話になってる誰に聞かれても、教えません。約束は守れって、父ちゃんと母ちゃんに言われて育ちました」

「そうですか。立派な両親に育てられたんだねえ……」


 渡が嘆息した。

 その姿が一瞬だけ羨ましそうに、高尾には映った。


 高尾はスマートフォンの銀行アプリを操作する。

 登録されている自分の口座には、ちょうど五百万円が用意されていた。


 小さい頃から少しずつ少しずつ両親が貯えてくれていた、大切なお金だ。

 いざという時のために、必要になったら使えと。


 膝を治してサッカーを続けるためなら、それはいざという時・・・・・・だと認めてくれた。


 父も母も、このお金を稼ぐのにどれだけ苦労したのだろうか。

 父も母も、手はボロボロだった。


 全部自分を育て、夢を叶えるためだ。

 いつもいつも頑張って働いてくれていたのを、高尾は知っている。


 父は若い頃大好きだったというタバコを辞めて、たまに家で飲むお酒もビールから発泡酒に変えていた。

 母が新しい服を買わなくなって、いつも同じ服を着回すようになって、どれだけ経っただろうか。


 お金の重みに、高尾の手が震えた。

 何度も呼吸を繰り返す。

 アプリで送金する、たった一度のタップができない。


「ここで治らなかったら、お父さんとお母さんの頑張りも無駄になるっすよ」

「そう、ですよね」


 そうだ。夢を叶えるために、父も母も自分を犠牲にして働いてくれていたのだ。

 なら、俺がすることは体を治してプロになって、契約金と給料で報いることだ。


 夢を叶えて、親孝行するんだ……!


 震えた手が止まる。

 支払いを終えた。


「入金を確認しました。ありがとうございます。早速商品をお渡しします。どうぞ。こちらが治療薬です」

「これが……」


 小さな薬瓶に入った液体に、こんな少しのものが、そんなに高いのか、と不思議にも、少し不満にも思う。


「効果はすぐに現れます。心配だったらギプスは後で外しますか?」

「いえ、治るんなら、すぐに歩けるようになりたいです」

「分かりました。マリエル、ギプスカッターを」


 渡がギプスを切断していく。

 回転ノコギリのようなものが高速のモーター音を鳴らしながら、ギプスが切れた。


 重しを外された足は軽かったが、同時に支えを失って、まったく安定感を感じない。


「さあ、飲んでください」

「分かりました……んぐ……」


 ゴクゴクと一気に飲んだ。

 さあ、これで何が――!?


 体が、膝が光ってる!?


「あつっ!?」


 急な熱を感じたと思ったら、光が収まった。

 それと同時に、関節が外れていたのでは、と思うような不安感がなくなり、自分の膝がしっくりと来た・・・・・・・


 治ったんだ、と本能的に直感した。

 恐る恐る椅子から立ち、体重をかける。


 高尾はゆっくりと、確かめるように膝を動かした。

 何度も執拗に、色々な動きを試し、その度に治ったことを実感する。


「おれ、またサッカーができるんですね……」


 高尾が顔を手で押さえた。

 声が嗚咽で震え、押さえた手の隙間から、たくさんの涙が溢れて、床を濡らす。


「おれ……がんばります……」


 ぐすっ、ぐすっと鼻を鳴らし、うっ、うっと嗚咽をあげ続ける。

 胸の内に湧き上がったのは、堺への感謝と、そして何よりも両親への深い感謝だった。


「いやー、治ってほんとうに良かったっすねえ!!」


 飯田の明るい声が、喫茶店に鳴り響いた。


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