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第38話 高校生の購入者 高尾流夜③

 白っぽい雲に覆われた空の下、青森駅の新幹線の乗り場で、高尾流夜が家族との別れを惜しんでいた。

 すでに宿舎には荷物を送っていたが、それでも沢山の荷物を鞄に詰め込んで、パンパンに膨らませている。


 高尾はこの時一五歳。

 中学生の時には、クラブサッカーで全国に出場した。

 中学を卒業して、強豪高校サッカー部に入るか、ユースに入るかを悩んだ末に高尾が選んだのが、ユースに入ることだった。


 プロとして活躍するには、都会にいたほうがきっと良いはずだ。

 いくつかのオファーが来て、今後のプロを見据えて、高尾は東京のチームを選んだ。


 見送りに来てくれた両親を前に、高尾は言葉を交わす。

 東京に行けば、もう二度と今ほど顔を合わせることはないだろう。


「いいか、金の心配はするな。俺がいくらでも大物を釣って稼いでやるからな。その代わり、悔いのないように全力でやれ、分かったな」

「うん、ありがとう。父ちゃん」

「まだまだ小さい子どもみたいに思ってたけど、東京に一人暮らしするなんてねえ。おやつばっかり食べて食事をおろそかにしないようにね。それからちゃんと早寝早起きして、朝起きたらちゃんと歯磨き――」

「母ちゃん、大丈夫だって。寮暮らしだし、生活習慣も気をつける」

「そっか、そうだね。お前はサッカーに関係してるって分かったら、なんでも真剣だったから。でも私は心配だよ。監督やコーチの人はいい人っぽかったけど」

「母ちゃんも店があるでしょ。俺は俺で頑張るから、安心してて」


 高尾の父は漁師だった。遠洋漁業で長く海に出る。

 母は漁港近くで居酒屋をやっていて、小ぢんまりした店ながら、かなり忙しかった。


 父が高尾の頭をワシワシと撫でた。

 網を引っ張ったり、海風にやられてゴツゴツした大きな手は頼りがいがあった。


 母は苦労性なのか、目尻に小じわができていることをしきりに気にするが、優しい目をしていて、そんな母が高尾は好きだった。

 ふたりとも忙しくてなかなか家にはいなかったが、充分に愛されていたと思う。


 高尾がサッカーを本気でしたいと希望した時には、真剣に考えてくれて、応援してくれた。

 地元の強豪校ではなく東京に出ることも、しっかりと話し合って、最後には認めてくれた。


 だが、そんな両親と離れると思うと、途端に寂しく感じた。

 日に焼けて、シワだらけで、でもとても体が大きな父が、その背中が少し小さく見えた。


 見送る母は笑みを浮かべていたが、話しかける声が少し涙ぐんで聞こえるのは気のせいだろうか。


「気をつけていってこいよ!」

「気をつけてね。何かあったらすぐに言うんだよ。すぐに駆けつけるからね」

「うん、行ってくる。おれぇ、絶対に、絶対にぃ、プロになっから!」


 扉が閉まって新幹線が動き出しても、高尾は両親を見ていた。

 父も母も、自分を見つめているのが分かった。


 どんどんと二人の姿が小さくなっていく。

 母が寂しさに堪えるように背中を丸めて、父が慰める姿を見て、思わず高尾も涙が溢れた。


 頑張る。俺ぜったいに頑張るよ。

 きっとプロになって活躍して、夢を叶えてみせる。


 応援してくれてる父ちゃんと母ちゃんに、頑張ってる姿を見せるから。

 涙が視界をぼやかせながら、高尾は自分の席に座った。




 クラブユースでもトップの成績を誇った高尾は、J2のクラブチームに度々招聘されるようになっていた。

 幼い頃から憧れていたJリーグ、プロの舞台であったが、それですら高尾が凄いと思わせられる選手は多くなかった。


 それこそワールドカップに招集されるような、日本を代表するプレイヤー、そのクラスで鎬を削るトッププロでなければ、高尾の相手にならない。

 高校生クラスのフィジカルでも通用する、超高度のスキルと抜群のセンスを武器に、プロの舞台で暴れまわった。


 油断しているつもりは一切なかった。

 練習も無理はせずとも着実に積み重ねた。


 だが、J2の試合の途中、危険なスライディングを食らった時、高尾の足は予想もしない衝撃に粉砕された。


「なんだ……なんなんだ?」


 バツン、というゴムの千切れる大きな音。

 ぐしゃっと何かが潰れる音が、体の中から響いた。


 そして激痛と恐ろしいほどの膝の熱さを感じたあとは、まったく動くことができなかった。

 すぐさま笛が鳴らされ、担架で運ばれる。


「嘘だ……嘘ですよね?」


 高尾の言葉に、医者は首を横に振る。

 彼らは責任感から、甘い予想は言わない。

 厳しい現実を突きつけた。


「残念ながら、サッカーを続けるのは難しいでしょう。手術をしたとしても、リハビリに数年はかかります。元のように動ける保証はありません」


 検査の結果、靭帯の完全断裂と半月板の重度複合損傷と診断された。


 思い描いていた夢。

 積み重ねてきた努力と時間。

 両親の気持ち、応援してくれていたファンの気持ち。


 終わった、と高尾は思った。

 目の前が真っ暗になる、とはこのことかと思った。


 比喩ではなく、ショックを受けた高尾は、血圧が下がり視界が暗くなって、耳元ではざああああ、と耳鳴りに襲われた。


 夢は絶たれた





 ――――はずだった。


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