以前、渡は週刊誌の記者に尾行されたことがあった。
一体どこまで情報を得ていたのか、自分たちの秘密に気づいていたのかは、渡には分からない。
ただ、その結末はお地蔵さんの破壊という、とても嫌な形で終わった。
幸いなことにお地蔵さんの修繕は上手くいき、新しい発見にも繋がったが、一歩間違えれば、渡たちは二度と異世界へと行き来できなかったかも知れない。
エアとクローシェは警戒を厳にしなかったことを悔やんでいた。
それ以来、エアとクローシェは尾行についてはとても気を配っていたわけだが、この日は自宅を出てすぐに、何者かの尾行に気づいた。
「主、今日はまっすぐに向かうのは止めよ。誰かが
「複数人ですわね。今のところ敵意はなさそうですわ」
「分かった。撒いてから移動しよう。どうすれば良い?」
素人である渡には、一体どこから視ているのかまるで分からない。
それでもエアとクローシェの進言に、渡は迷わず決断した。
「ご主人様、まずは天王寺のビルに入りましょう」
「分かった。エアたちは警戒を頼む」
「うん、任せて」
「汚名返上ですわ。今回のわたくしは油断しません」
「クローシェさんはぁ、いつもそうだと良いんですけどねぇ」
ステラがゆったりと、しかしかなり辛辣なことを言った。
キャイン、と鳴いてみせるクローシェの態度は少しわざとらしいが、ギスギスとせず、笑いが起きる。
尾行がつくなど、本来はもっと緊張してもおかしくないはずだが、クローシェがうまく空気を柔らかなものにしてくれた。
大阪の都市の一つ、天王寺。
梅田、難波、天王寺の順におそらくは栄えているだろう繁華街には、午前中にもかかわらず、多くの人出で賑わっている。
渡たちは地下通路で繋がっている中心地のビルの一つに入ると、すぐにエレベーターに入り込んだ。
「どこに行く気だ?」
「エレベーターを使って、一度尾行を撒きます」
「へえ。どうやって?」
「このビルは地上階、地下階、そして二階、さらに五階にも連絡通路があって、別のビルと繋がってます。一度エレベーターで尾行を分断してしまえば、どこに向かうのか特定するのはかなり難しいはずです」
「ははあ、なるほどな」
マリエルの考えを聞いて感心した。
たしかに尾行する人間がエレベーターに同乗するならともかく、そうでなければ何階で降りたか分からない。
おまけにマリエルは、エレベーターの停止ボタンを複数押して、どこで降りたのか分かりづらくしていた。
「一度降りますよ」
「分かった」
「じゃあ次は別のエレベーターに乗ります」
「同じのに乗らないのか?」
「後から慌てて移動した尾行者が、どの階で止まったか確認してるはずですから、箱を変えたほうが撒けるはずです」
同じビルで、違うエレベーターに乗って上がったり下がったり。
エスカレーターも使って、万が一の尾行者がいないか、エアとクローシェにチェックしてもらう。
そして、完全に撒けただろうと思ったころ、マリエルがビルの六階で降りた。
「では、ひとまずここで降りましょうか。もう移動は必要ないと思います」
「んん? ここは六階。レストランフロアだぞ?」
「はい。すみませんが、ご主人様は一度休憩用のスペースで座ってお待ちくださいね。私たちは、
「準備……? まあ、分かった……」
マリエルが綺麗なウインクをしてきたので、一体何の準備が必要なの、と疑問に思わないでもなかったが、ひとまず頷いた。
まだ食事の時間には早く、レストランフロアには人の気配が全然ない。
店舗もまだ開店しておらず準備中だったので、それも当然だろう。
人気のない静かなスペースで、休憩用の椅子に座りながら、マリエルたちが帰って来るのをスマホを見ながら待った。
「お待たせしました」
「おまたせ~」
「しましたわ~!」
「うふふ、あなた様、驚いていますねえ」
「え、あれ? 皆着替えたの?」
戻ってきたマリエルたちは、ドレス姿に変わっていた。
肩や谷間、太ももなどがあらわになった、少し扇情的な、しかし格好良さも感じられるビシッと決まった姿に、渡は驚きに目を見張った。
「ふふふ、『変化』の力ですよ」
「ああ、なるほどなあ。化粧室に向かったのは万が一の変化の瞬間を見られたり、撮られたりしないためか」
「ご主人様、私のドレス姿、どうですか?」
「う……とても綺麗です。あと透けてるスカートがすごいエッチ」
「ありがとうございます。ご主人様をどんどん誘惑しちゃうので、覚悟していてくださいね」
「五百億あっても溶かしちゃいそう……」
できる女、という感じのマリエルだが、こうして少し肌の面積が増えると、夜のお酒の店で働けば、すぐに人気嬢になるのだろうなあ。
エッチィけれど、清楚さも漂っていて、ただのスケベな女性という感じがしない。
「主さっきからオッパイと太ももばっかり見てんじゃん。チラッ」
「おい誘惑するな。ホイホイ乗っちまうだろうが」
「ニシシ」
エアが片手で乳房を持ってブルンブルンと震わせた。
ヒールの高い靴を履くと、渡よりも身長が高いうえ、スタイル抜群のエアは、ドレス姿も似合っている。
下品すぎないのは本人の気質によるところが大きいのだろう。
「本当に主様は、獣人種よりもよっぽどケダモノですわ! ……わ、わたくしのも見ます?」
「いや、いいわ」
「な、なんでですの!? ちょ、本当にまったく見ないですわ!?」
「変化の付与はステラの技術のおかげだな。しかしステラ……一人だけ極端に露出が多くないか?」
「あなた様に見ていただくなら、どんな服でも構いませんものぉ」
「そうか……。でも俺は他人にステラの肌をあんまり見せたくないから、もうちょっと控えめにしてほしいかな」
「すぐに修正しますぅ」
うっとりとした表情を浮かべるステラは、自分の価値をいまだにどうしても低く見積もってしまいがちだ。
おまけに心酔している渡に見てもらうためならば、羞恥心もまったく遠慮しないためか、とても切り込みが深かった。
尾行がついて緊張しても良いはずなのに、ドレスのお披露目会みたいになっているな。
渡は肩の力が抜けて、くくっと笑いが漏れた。
反省しないのはいけないが、気にし過ぎもいけないのだろう。
「これだけ印象が変われば、たしかにすぐには気付かないか。でも、ただでさえ人目を引くのに、めちゃくちゃ目立つぞ」
「レンタカーを手配しましたので、今日は車で移動しましょう」
「分かった。また尾行に気付かれないかな?」
「エアとクローシェにこちらから気配探知して、接触しないようにしてもらいます」
「これだけ人が多いと、気配を探しにくいよねえ」
「臭いもいっぱい混ざってキツいですわ。まあ、わたくしの鼻をもってすれば余裕ですが!」
「アタシも把握できてるよ」
自信満々な二人に任せておけば、大丈夫だろう。
渡はマリエルに案内されて、レンタカーショップに向かうと、すぐに車に乗り込んだ。
しかし尾行か。
いったい何処の誰が後を追おうとしているのだろうか。
相手の正体が分からないことが不気味だった。