クローシェにとって、兄のクローデッドはいつも優秀で、非の打ち所のない人だった。
冷静沈着だし、武芸の腕も優れているしで、いつも尊敬していた。
クローデッドはいつも優しく、クローシェの鍛錬に付き合ってくれ、失敗した時には両親に叱られないように上手くフォローしてくれたりと、常に愛情を注がれてきた。
家族として、とても好きな人だった。
だが、今クローシェはそんな大切な兄から離れるために、戦いを挑もうとしている。
兄は強い。
強敵を前にして、手足が冷たくなるのを感じる。
口の中が乾き、心臓がバクバクと暴れるのを、深呼吸して落ち着かせる。
「クローシェ、参る!」
「来い!」
道場の板張りを軋ませるほどの踏み込みとともに、クローシェは剣を振るった。
体重の乗った一撃が、クローデッドの長剣に防がれて、大きな音を立てた。
「勢いの乗った一撃なのは認めるが、あまりにも剣筋が素直にすぎるぞ!」
「問題ありませんわ。お兄様の手を止めるのが目的でしたの!」
「むっ!?」
クローデッドが唸った。
クローシェは防がれたと見るや、片手を柄から外し、すぐさま腰に差していた、もう一方の剣を抜き放った。
右に長剣、左に短剣。
天地二刀、左右両刀の構えである。
クローデッドが慌てて剣を弾くと、後ろに引き距離を取る。
みすみす距離を開けたくないクローシェは、距離を詰めながら追撃を放った。
昔から人一倍器用だったクローシェは、剣も弓も魔法も、人よりも優れて扱うことができた。
器用貧乏ではなくオールラウンダー。
人よりも優秀な技量を積むため、鍛錬は欠かさなかった。
相手の弱いところに合わせて、自分の強みをぶつける。
兄のクローデッドは優秀で強いが、わずかに左右や上下の揺さぶりに弱いことを、長い付き合いでクローシェは把握していた。
クローシェの猛攻撃は、確実にクローデッドを追い詰めた。
手数の差で防戦一方となったクローデッドに、反撃の糸口を掴ませない。
このまま押し切ってみせる!
クローシェがそう考えて気合を入れる直前、クローデッドから感じた怪しげな臭い。
雰囲気が変わったことを察したクローシェは、咄嗟に転がって、自分から距離を離した。
寸前まで自分がいた場所を、光の軌跡となった剣閃が薙ぎ払っていた。
恐るべき速さ。
あのまま調子に乗って攻撃を続けていたら、真っ二つになっていたかもしれない。
ぞうっと背筋が粟立ち、冷や汗が滲む。
やはり、一方的に倒せるような相手ではありませんね。
もとより分かっていたことだ。
クローシェは犬歯をむき出しにして、獰猛に笑ってみせた。
「なるほど。オレが見ぬ間にあれからまた成長したようだな。こうして成長できたお前の姿を見れて安心したよ」
「まだまだ……ですわっ!」
「甘い!」
「くっ!!」
一撃が重い。
マトモに受ければ弾かれて防ぎきれない。
短剣を防御に使い、長剣を攻撃に。
同じ種族であれば、筋力はどうしても男に軍配が上がる。
であるからこそ、クローシェは手数で攻める。
「がんばれ、クローシェ!」
「むしゃむしゃ……煮干しうめえニャ……がんばえー、くろーしぇー」
「頑張ってください!」
「勝ってぇ、自由を掴み取ってくださいぃ!」
渡たちの声援を背に受けて、クローシェは必死に手数を増やす。
黒狼族が金虎族と違い、継戦能力が非常に高い。
半日でも一日でも戦場で走り続けることができる、他種族からすれば無尽蔵とも言えるスタミナを持っている。
それをこの一瞬で使い切るつもりで、クローシェは攻めて攻めて攻めた。
だが――それら全てを、クローデッドは防いでみせた。
呼吸が苦しい。
心臓が限界だと暴れている。
汗みずくになって、肩で荒い息を続けるクローシェの前に立つクローデッドは、息切れこそしているものの、まだ余裕がある。
「……諦めろ。お前ではオレには勝てん」
「いいえ、勝ちますわ」
「目を覚ませ。オレたちは群れで生活するのがもっとも優れた環境だと、なぜ理解しない」
「いいえ、お兄様。わたくしもその点には異論はありません」
「ならなぜ」
「ですが、その群れの長に誰を迎えるかは自分が決めます」
クローシェは息を整えて、毅然と言い切った。
「わたくしが仕える
「ヒューヒュー! いいぞクローシェ、よく言った!」
「やめろクローシェ。メスの顔をするんじゃない!」
囃し立てるエアの楽しそうな声。
そうですわよね、お姉様。
わたくしたちは、自分で相手を選ぶ自由が、権利があるはずですもの。
動揺したクローデッドの剣筋がわずかに鈍る。
とはいえ、その間隙は致命的なものではない。
「隙ありですわ!」
「隙などない……なに!?」
クローデッドが確信を持って剣を立て、防ごうとしたクローシェの剣先が――すり抜ける。
これまで一度として使っていなかった、ステラによって
本当に僅かに時を加速させる、『時と空間の女神の言葉の力』のわずか、たった一語の能力。
ゼロコンマ数秒が生死を分ける戦場において、恐るべき効果をもたらす付与術の効果を前に、クローデッドの防御は無効化された。
渡の学んだ知識と、ステラの技術、そしてクローシェの覚悟。
ビタリ、と首筋に止められた剣先を前に、クローデッドが息を呑んだ。
「わたくしと渡様の――――愛の勝利ですわ!!」
クローシェが勝鬨を上げた。