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第19話 クローデッドの慟哭

 兄としては、妹の扱いが気になるところだろう。

 クローデッドは妹の境遇に心を痛めているのか、可哀想なものを見る表情を浮かべて、クローシェを見つめている。


 いや、こいつ相当旨い空気吸ってますよ? と言ってやりたくなった。

 先日も大金をカジノで溶かしたばっかりなんですけど?

 エアと一緒に鍛錬したり、焼肉屋でホルモンとか上カルビとか良いお肉ばっかり食べたりしてるんですけど?


 クローシェはクローシェで、悲劇のヒロインのように哀れみを誘う姿を取るものだから、尻尾を握って引っ張ってやりたくなってしまった。


「お兄様、安心なさって。主様にはとても良くしていただいておりますわ。けっして酷いことはされておりません。ええ……」

「俺は正当な権利を行使して、クローシェの主人になりました。労働力としてはもちろん、一個人として、クローシェを好ましく思っています。時期が来れば彼女を解放して、交際のご挨拶にも伺おうと思っていました」

「ここ、交際だと……? クローシェ、お前まさか、戦士としての権利だけでなく、肉体関係までもチップに載せたのかっ!? 団でも賭け事には弱いから、絶対に手を出すなとキツく言っておいただろう」

「エアお姉様の解放の交換条件として仕方なかったんですの……!」


 クローデッドに睨まれたクローシェが、必死に弁解した。


 繰り返すことになるが、奴隷と言っても主人が自由にできる範囲は様々だ。

 一番多く、程度が軽いのは、労働力としての奴隷だ。


 彼らは居住地の制限や自分で稼いだりはできないが、肉体関係を迫られることはないし、労働時間外のある程度の自由が許されている。


 そこから性的な権利。

 そして一番厳しいものでは、薬の人体実験に使われたり、あるいは危険地帯の調査や過酷な鉱山開発に送り込まれるなど、生命の保証すら権利として売り払われるが、これは罪人だけに適応されるものだ。


 エアは労働力だけではなく、性奴隷としても権利を販売されていた。

 そのため、賭けの帳尻として、クローシェも同じ権利をベットし、そして敗北した。


 普通に考えると、よくそんな賭けをできるよな。

 リターンも大きいが、リスクがあまりにも大きすぎる。

 普通の人間なら躊躇するのに、クローシェはベットしてしまう。


「とはいえ、強要はしていませんし、俺的には良好な関係を築けていると思っていますよ」

「……それは良かった。理不尽な要求を強要されているようなら、手段を選べないところだ」

「目つきが怖すぎますって……」


 このお兄さん、シスコンか?

 まあ、目が離せないところのあるクローシェは、だからこそ可愛かったことだろう。

 兄妹関係は良好だし、エアに接するようにお兄様お兄様と懐いていたら、心配になってもおかしくはない。


「ちなみに、オレを交換条件とした、戦うとしたらどういう条件になるんだ? 先に断っておくが、オレは尻を狙われるのはゴメンだぞ」

「俺だってゴメンですよ!」


 どれだけ要望を受けたって、アー!? な展開になることはない。

 俺はストレートなのだ。


「……受けるつもりはないですが、あくまでも仮定としてお答えするなら、エアと対戦してもらうことになりますね」

「エアのお嬢ちゃんとか……まあ、当然そうなるよな」

「幸いなことに、鍛錬も欠かしていませんし、全力でお相手できる状態じゃないですか?」

「オレは止めておくよ。盛大にぶっ倒れた前車の轍を踏む訳にはいかないしね」

「ギャフン!」


 あ、またギャフンって言った。

 よよよよ、と力なく崩れ落ちたクローシェが、情けない声でクローデッドに話しかける。


「お、お兄様……もうちょっとこう、手心というものを……」

「できの悪い妹を持った兄の気持ちを、もうちょっとこう、理解してもらいたいものだな」

「ううう……申し訳ございません」


 本当にクローシェは弱った姿が様になるなあ。

 普通に優秀でキリッとした姿とか活躍してる姿も見ているはずなのだが、不思議と印象に残らない。


(なあエア。クローデッドさんは、エアと戦ったらどっちのほうが強いんだ?)

(いい勝負だと思う。アタシのほうがまず優勢だけど……お兄さんも奥の手は隠しているだろうし)


 ひそひそ話をしていたが、クローデッドが難しい顔をしだしたので、話をすぐに打ち切った。

 そうか。

 クローシェの時は鍛錬不足でエアは苦戦していたが、そもそも金虎族も黒狼族も、傭兵として強いことで勇名なのだ。

 そこまで大きな、明らかな差はないのだろう。


「うちの一族が敗けて奴隷に堕ちた、という風聞は看過できない。強さを売りにする傭兵家業にとっては、致命的な噂になりかねないからね」

「口外するつもりはありませんよ?」

「主様はそういう方ではありません。それに、とてもわたくし達を大切にされる方ですのよ」

「そういう問題ではない。クローシェが貴方を主として敬っている時点で、すでに奴隷であることは明白なのだ。ただ姿を見せているだけで、察する者も出てこよう」

「そういうものですか……。しかし困りましたね。俺は彼女を手放すつもりはないです。今の関係も気に入っていますし、ひとりの女性としても、護衛としてもとても優れています」

「金銭や多少の稀少品であれば、なんとか融通しようと思うのだが、そのつもりはあるだろうか?」

「申し訳ないですが、ありません。どちらも特に困っていませんので」

「そうか……」


 残念そうにクローデッドが頷いた。

 俺もできるなら早く解放してあげたい、という気持ちはあるが、今解放したら、それこそ家族間の権力で実家に引き戻されかねない。


 黒狼族は金虎族よりも、集団を大切にする種族なのだそうだ。

 群れのアルファが命じれば、その下のものたちはまず逆らえない。


 奴隷という身分は、クローシェにとっては自由な身を制限する枷かもしれないが、同時に異世界人である渡とをつなぐ縁でもあるのだ。

 やはり早々に解放する訳にはいかない。


 どうしたものか、と悩んでいたところ、横に立って警戒していたエアが、非常に厳しい声をあげた。


「主を害そうとするのは止めておいた方がいい。クローシェを誘拐しようとするのも勧めない」

「エア……?」


 ふと見れば、エアがこれまで見たことのないほど、不機嫌そうな表情を浮かべていた。

 目が据わって、明らかに殺気立っている。

 え、俺もしかして殺されそうになっていた?


「落ち着いてくれ、エアちゃん。オレは何もする気はないよ」

「嘘。いま覚悟を決めてた。心臓の音がわずかに早くなって、体臭でバレないように調整してたね」


 え、マジで?

 いや、俺はエアとクローデッドの発言のどちらを信じると言われたら、絶対にエアを信用するが。


「はあ……。やれやれ。臭い対策は完璧に叩き込まれたものだが、心音は難しいな」

「クローデッドさん? 俺たちは話し合いをしていたはずですが……交渉を蹴るんですね」

「あなた様、マリエル様、わたしの後ろにぃ。クローデッドさんが襲いかかってきたら、クローシェさんが相対してください。それが一番、この方が嫌がることでしょうから」

「むっ……」


 ステラが前に立って、杖を構える。

 魔法使い専門の販売店でさえまず手に入らない素材で作られた最高峰の魔法杖と、その術者を前に、クローデッドが強い警戒を示した。


 何よりもクローシェを前面に出させる指示がエグい。

 自分が襲いかかった結果、救けたかった者に邪魔をされては、本末転倒も甚だしい。


「多勢に無勢だな。この場は一度引き下がろう。オレも大事にしたいわけではない」

「一族を引き連れて恐喝されても、こっちは折れませんよ。奴隷の所有は正当な権利です。出るところに出ても構いません」

「お兄様、わたくし、お兄様とは一緒に帰りません……。それに、わたくしと主様を無理やり引き離そうとするお兄様なんて……嫌いです!」

「く、くろーしぇっ!? どどどど、どうしてそんなことを言うんだ!? オレはお前のことを思って……」

「知りません! 自分で考えてください! 行きましょう、主様。わたくし、今夜は離れたくありませんの……」

「ぐわあああああああああああああああっ!?」

「主様、どうかわたくしを可愛がってくださいね❤」

「えー、主、アタシのほうが役に立ってない? ね、ね。クローシェはお預けでいいじゃん」

「よくありませんわ!」

「くろーしぇ、くろーしぇええええ!!」


 機嫌を悪くしたクローシェがこれみよがしに渡の腕を取ると、その腕を絡めて引っつく。

 クローデッドが絶望の底を見たような顔をして、クローシェへとブルブルと震える手を伸ばしたが、振り返りもしてもらえずに姿を消すと、パタっとその手が地に落ちた。

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