事の始まりは、亮太からの一本の電話だった。
ポーションを売ること六本。
金額にして三千万を稼いだ渡は、そろそろこちらで拠点を作りはじめても良いと考え始めていた。
できれば人と会いやすい都心部の駅近くに、事務所を構えたい。
特別に広い事務所が必要なわけではない。
人と落ち着いて会えて、スポーツ選手を相手にするなら、多少体を動かせるスペースがあれば望ましい。
事務所を探すなら、住居も同時に引っ越したい。
元は多少のゆとりを持たせた間取りだったが、マリエルとエアという同居人が増えたことで、一気に狭く感じてしまっている。
二人の私物を増やしたり、収納スペースを設けるためにも、より広い間取りが必要だった。
物件探しをネットでするにしても、およそどの辺りにするかは事前に決めておきたい。
そんな目的で外出していた渡だったが、帰宅後にふとスマートフォンの通知を見て驚いた。
時間を少しだけ空けて、亮太から七回も着信記録が残っていたのだ。
「ご主人様、どうされましたか?」
「亮ちゃんから電話がかかってきてる。急ぎの用みたいだな」
「んにゃーー! また負けたー! こいつズッコイ! チート! チートにゃ!」
帰りを出迎えてくれたマリエルに渡は飲み物を頼んで、自室へと入った。
エアコンが効いていて真夏の熱された体が冷えて気持ちがいい。
エアはこちらに来て以来初めてプレイしたゲームに夢中になっている。
今も対戦ゲームにかぶりついて大声を上げていた。
いくつもの悪いシナリオが頭に駆け巡る。
これはただ事ではない。
なにか問題が起きたのか?
もしかしたら治ったと思った体が再負傷した?
チャットアプリの通知を慌てて確認すると、亮太からメッセージが届いていた。
『悪い。気づいたらすぐ連絡がほしい』
『突然で悪いけど、どうしても会いたいって言う人がいて、頼みを断れないんだ』
『どこで話が漏れたのかまるで分からない』
『また出張か? 気づいたらいつでも良いから、とにかく一度連絡が欲しい』
亮太のメッセージからは強い焦燥を感じさせた。
よほどの人物から頼まれたのだろうか。
渡がコールをかけると、間を置かずに通話が開始した。
「おお、渡か。急で悪かったな」
「それより、どうしたんですか?」
「メッセージは見てくれたよな。そのままだよ。いったい誰から聞いたか知らないけど、急に自分にも使わせてほしいって言われてさ。本当に悪いけど、売ってもらえないか?」
「そもそも誰なんです?」
「プロゴルファーのグレート山崎って言ったら分かるか? あの人だよ」
「知ってるけど、プロゴルファーが?」
意外な名を聞いて、渡は困惑した。
グレート山崎。
元プロ野球選手からゴルフ選手に転向し、日本のツアー最多勝利数を誇るプロゴルファーだ。
賞金王にも度々なっていて、テレビや新聞でもよく取り上げられている。
シニアツアーに参加してもいいほどには年齢も重ねているが、いまだに一線でプレイを続けていた。
ゴルフを全くしたことがない渡でも、その名は十分に知っていた。
ゴルフ選手で軍団とも呼ばれる派閥を作っている。
過去には暴力団との付き合いが報道されたこともあるなど、良くも悪くも話題には事欠かない人物だった。
「プロ野球選手はゴルフ好きも多いんだ。レッスンとかで世話になってる選手も多いし、合同トレに参加する人もいる。悪い噂も多いけど、人としての魅力もすごい人らしい」
「亮ちゃん自身は面識は?」
「俺は挨拶したことがあるぐらいかな。ただ、球団の世話になった先輩は仲がいいんだ」
「それで断れなかったと」
「ああ。俺だけじゃなくて世話になってる人の顔を潰すことになっちまう」
渡はしばらく押し黙った。
その間にマリエルが部屋に入ってきて、淹れたばかりのアイスコーヒーを置いてくれる。
氷でキンキンに冷えた濃い目のアイスコーヒーにシロップとクリームを入れて一息つく。
少しだけ考えを落ち着かせて、できるだけ冷静に言葉を紡いだ。
「亮ちゃんの頼みでも、ちょっと考えさせてほしい。たとえどれだけ偉い人や有名な人が相手でも、こうやって無理に入ってこられて、なし崩しでどうにかなると思われるのも困るんだ。次も同じ手が通じると思われる可能性がある」
「そりゃそうなんだけどさ……」
「立場があるのは分かってるよ。でも、亮ちゃんが紹介してくれた選手だって、一日も早く治したい人ばかりじゃないの?」
「うっ……悪い。俺が無理を言ってるよな。お前に全部任せるよ」
「うん。分かってくれて嬉しいよ。できるだけ希望に沿うようにはしたいけど、今すぐは約束できない。一度追加の在庫が確保できるか確認して、すぐ連絡するようにするよ」
「頼んだ。面倒ごとを頼んで悪いな」
亮太の謝罪を聞いて、渡は通話を切った。
ふう、と溜息が自然と漏れた。
いつかこういうことが起きるだろうとは、予想していたのだ。
影響力のある人がどこからか話を聞きつけ、なんとしても手に入れようと動き出す。
なんだったら融通を利かせるのに、より大きなお金を積む人も出てくるかもしれない。
それでも、可能ならばそういった横車を押す行為は避けたかった。
「ウェルカム商会は怪しい俺に対しても誠実に対応してくれて、凄かったんだなあ」
青いと言われればそれまでだが、入手手段が限られているからこそ、販売は誠実に行いたい。
そして相手にも誠実性を求めたい。
長年相手の立場によらず商売を続けてきたウィリアムの凄味が、渡にも分かりかけてきた。
渡は自室から出て、帰ったばかりだというのに、再度出発の準備を始める。
「マリエル、エア。これからゲートをくぐって薬師ギルドに行くぞ。準備してくれ」
「かしこまりました」
「んあー!? ま、待って! あと一分! すぐに準備するから」
「まったくもう、早くしなさい!」
「ははは。俺もよくやったし、大目に見るよ」
対戦ゲームは用事ができたからとすぐに離れると、軽微なペナルティが課されることもある。
一区切りするまではまあ良いだろうと、渡はエアの終わりを待った。
何事も順番を守ることは大切なのだ。