夜の星見ヶ丘は、その名に恥じない満天の星空だった。
黒々とした空に驚くほどの量の星が散らばっている。
普段大阪市内に住んで星を見れない渡にとっては、自然と素晴らしいと言葉が出るほどの自然の景色だった。
異世界の夜は日本の熱帯夜とは違い、茹だるような暑さとは程遠い。
とはいえ気温はさほど低くもなく過ごしやすかった。
芝生の上に腰を下ろすと、土と芝の柔らかな感触が気持ちよかった。
そういえばこちらの世界に来てから、土に触れることが多くなったな、と渡は思った。
都会に住み続けていると、自然物と直接に触れることがめったになくなる。
月と星明りに照らされて、夜で明かりもつけていないのに、マリエルとエアの顔がよく見えた。
「たしかに絶景だな。男爵がお勧めするだけはある」
「ひときわ明るいアレが選択と導きの神
「主、あれが獣の神様ホーポスだぞ。今の時期は見えるけど、冬になると姿を隠すんだ」
マリエルとエアがそれぞれの星を指さして教えてくれる。
二つの星はどちらも一際明るく大きく輝いていた。
これだけ星がたくさんあるなかで、よく見分けが付くものだ。
「神様が星になってるのか」
「すべての神が星になっているわけではありませんよ。太陽神や太陰神などは太陽や月ですし」
「それもそうか」
この世界は多神教であり、自然神も数多いる。
水神や風神といった神は星ではなく、そのものに宿っていると考えられていた。
ぼんやりと星を眺めながら、渡は寝転がった。
マリエルが膝を差し出して、膝枕をしてもらう。
柔らかな感触を後頭部に感じながら、しみじみと行程を思い返した。
短い月日に驚くことがたくさんあった。
だが、それも明日までだ。
「明朝でモイー男爵領とも最後だな。明日からは南船町に、そして日本に帰るぞ」
「だいたい予定通りに進んで良かったですね」
「アタシの大虎氷も戻ったしめでたし!」
「まったくだ。男爵が早く帰ってきて、面会してくれたおかげだな」
「そうですねえ」
そこまで言って、もともとはマリエルの機転のおかげだったことを思い出した。
あの時、渡の価値観に合わせて男爵の手が空いた時を待っていたら、いつぐらいになったのだろうか。
「もとはと言えば、それもマリエルが衛兵に心づけを渡してくれたからだったよな」
「あのときは差し出がましいことをしました」
恐縮するマリエルのおでこを軽く押さえて、頭を下げさせない。
謝罪はいらなかったし、おっぱいで鼻と口がふさがって窒息しそうになるのだ。
本気でやめて欲しい。
「マリエル。君の機転や知識には交渉で度々助けられた。右も左もわからないこの世界で、君がサポートしてくれていて本当に心強かった。ありがとう」
さすがに感謝を伝えるのに寝転がったままも失礼かと、上半身を起こす。
マリエルは黙って頷いた。
「エアは道中でモンスターに襲われたとき、一番に飛び出して退治してくれたよな」
「あんなの余裕だった。アタシは強いから」
「男爵との交渉中、丸腰でも警戒してくれてた。相手が複数いて命がけだっただろう」
「まあ、アタシは護衛だから。それにアタシの剣を取り戻すためだったし」
「エア。君の力のおかげで、モンスターがいて治安の悪いところでも、安心して過ごせた。いつも明るい態度でいてくれたから、俺はいつも退屈せずに済んでいる。ありがとう」
「にゃはは……」
エアが照れくさそうに笑って口元を両手で覆った。
ぐにぐにと頬をマッサージして、口元を隠し続ける。
「こっちの世界に来て以来、俺は未知の体験ばかりをさせてもらってる。二人の助けがなかったらどれもできなかったことだと思う。感謝してる。これからも至らないときにはサポートしてほしい」
「当然です。全力でお力になりますよ、ご主人様」
「へへへ、主の背中はアタシに任せて! たとえ悪しき神様が相手だって、きっと倒して見せるから!」
渡の言葉に二人が笑みを浮かべて答えた。
どちらも気持ちよく了承してくれて、安心する。
「俺も約束するよ。きっと君たちを幸せにする。俺と一緒にいて良かったと後悔させないように全力を尽くす」
この三人なら、もっともっと大きなことができそうだと、確信が湧いた。
ただ、言っていて気恥ずかしさがどんどんと湧き上がってくる。
顔に血が上って体温が急上昇するのが分かった。
「あー、なんかこういうの柄じゃないんだよな。めちゃくちゃハズイわ。顔赤くなってない?」
「ふふふ、暗くてよく分かりませんわ」
「アタシは夜でも良く見え――いたッ! う、うん。ぜんぜん分かんない」
エアがしゃがんで脚を撫でている。
余計なことを言いかけて抓られたのだろうか。
苦笑いを浮かべて見守っていた渡に、マリエルがまっすぐ見つめる。
「言っておきますけど、ご主人様のことは信頼しているんですよ? 大体奴隷が以前に持ってた武器を取り戻すために貴族と交渉する主人なんて聞いたことありません」
「モイモイに万華鏡見せてる主カッコよかった! アタシとはまた違う強さに惚れちゃった」
「も、モイモイって、お前それ絶対に本人の前で言うなよ」
「モイ!」
「おい、いいか! これは振りじゃないからな」
「んー。イモイモは!?」
「ダメだ! おいマリエル。知恵を貸してくれ」
このままだと本当に大変なことになる。
マリエルが少し考えた後、頷いて提案をあげた。
「前みたいにおやつ抜きとかのほうが効くかもしれませんね」
「それだ! またやったら次は飯のおかず抜きにするぞ! それも日本に帰ってから、揚げたてのフライとビールを前に、エアだけ白米だけだ!」
「それはやだー! 主はどうしてそんな拷問を考えつくのさ」
大きな声が星空に響き渡る。
恋愛の神様がいるそうだが、こんな姿を見たら苦笑いしてご利益もくれなさそうだ。
「頼むぞ。いくら俺が主人だからって、こんなバカげた理由で罰を食らいたくないからな」
「大丈夫ですよご主人様。こうやって言ってるのも照れ隠しですから。あれでエアはすごく感謝してるんですよ」
「だと良いが……。やれやれ、せっかく真面目な話をしてたのに台無しだ。締まらねえなあ」
「まあそれも私達の関係性ってことで良いじゃありませんか」
「まあそれもそうか。今更だな」
「主! 本当におかず抜きにしないよね? ね!?」
「さー、どうだろうなあ」
「あるじー!!」
エアの大きな叫び声が響き渡り、夜が更けていく。
三人が帰路につくまでもうしばらく、馬鹿騒ぎをしながらも楽しい時間を過ごした。
きっと、これからもずっと、こんな調子で続いていくのだろう。
第一章 完