大空市にはどこもかしこも人で溢れているが、それでも人通りが多く客の目に留まりやすい場所と、あまり目に留まりにくい場所は出てくる。
正月の夜店でも神社周りの一等地と外れの方では密集度合に大きな差が生まれるのと同じ原理だ。
渡たちが目を付けた最初の店は、まさにその一等地にあった。
入口から入ってすぐの広めの通りの角地の隣、地面に茣蓙を敷いて、商品が並べられている。
売り手の男は三十代後半といったところか。
あごひげが豊かで筋肉質な、一見ヒト種に見える獣人だった。
ぴょこんと頭の上に出た小さな耳を見ないと違いが判らない。
いったい何の種族だろうか。
背が低いので大型獣の種族ではなさそうだ。
男は朗々と良く響く声で営業をかけている。
「さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。見るは一時の損、見ずは一生の損だよ! そこのお兄さん、よく来てくれた。美人を二人もつれてこの
「何を売っているんですか?」
韻を踏んだリズムのいい売り口上に気を取られて、つい商品を見てしまう。
うまい手口だと思いつつも、悪い気はしない。
店主は茣蓙に並んだ商品に手を差し出した。
キラキラと輝く腕輪がいくつか並んでいる。
表面には細やかな彫刻が施されていて、見事な図になっており、また小さな宝石がいくつも埋まっていた。
「よく聞いてくれた! こちら西のはるか遠方、古代の遺跡に残された貴重な宝物! 目を開いてよーく見てごらん。繊細なまでの彫り細工につけられた見事な宝石! 冒険者の見事な功績だ! 着ければ『無病息災』。どんな病もたちどころに防いでくれる付与がかかってるよ!」
「へえ、すごいな。病気を防いでくれるのか」
「遺物にしては状態が良好ですね。細工の具合もとても丁寧で見事な仕事ぶりです。金属の素材はビリタイのものですね。特徴的な渦巻き模様です」
「主がつけてた方が良さそう」
「そうだよ! これだけの逸品はまずお目にかかれない。古代ビリタイ王朝のおそらくは王がつけていただろう
店主の口上にも熱が帯びる。
病を防いでくれるという能力に、渡はとても心が惹かれる。
異世界でどんな病気にかかるか分からない今、とても有効な能力に思えた。
マリエルとエアも疑った様子はないため、そんな効果が荒唐無稽ではない世界なのだということも分かる。
そもそも不思議なことなら異世界と行き来しているのだ。
渡の常識外なことへの抵抗は非常に薄れていた。
マリエルとエアも熱心に商品を見て触り、確かめている。
気になったのは価格だ。
それだけの効果がいくらになるのか。
「それで、これはおいくらですか?」
「お値段なんと金貨一〇枚だ! こいつぁ安い!」
「金貨一〇枚!? たかっ!」
「いやいや、病気になれば医者に診てもらって薬を飲んで高くつく。健康や命には代えられないよ!」
「それはたしかに……急な病だと医者に診てもらっても治るかどうか分かんないもんなあ」
軽い風邪なら良いが、病は非常に多種多様で命にかかわったり、脳出血など重篤な後遺症が残ってしまうケースも少なくない。
それが防げると考えれば、高額だが法外な値段とも言えなかった。
ただし、この商品が本当にその効果があるならば。
大空市は固定の場所でギルドに所属した商店が経営しているわけではない。
安い値段で誰もが参加できる。
偽物だと気づいて慌てて店主を探しても、その時には遠いところに身を隠している可能性は低くない。
衛兵は現行犯なら取り締まってくれるだろうが、逃げた詐欺師をどこまで追ってくれるかは微妙なところだ。
特に領外に逃げ込んでしまえば捜査の手は届かない。
香具師の口上は聞いていて楽しいが、それを評価に加えてしまうのは拙かった。
(本物だろうか。偽物の可能性はけっこう高そうなんだけど、同時に本物っぽい雰囲気もあるんだよなあ)
悩ましいのは、付与の能力を省いた腕輪自体の価値が十分にありそうなのだ。
ぱっと見で到底安物には思えない点も、判断を悩ませる。
といっても金貨一枚の価値があるか、といった程度。
支払う金額には到底釣り合わない。
あくまでも付与された能力込みの値段だ。
渡は顔を近づけてどこかに確信が持てる手掛かりがないか、目を細めて観察する。
(……分からん!!)
が、分からないものは分からない。
鑑定によって真贋を見極めるには、膨大な知識と目の前の物体を重ね合わせる経験を必要とされる。
技術や歴史、文化を深く理解するには、どうしても長期の学習が必要だ。
それには渡の知識も経験もなさすぎる。
これが例えば力を大幅に強めるといった効果ならば、つけて試せばすぐに分かる。
だが、病を防ぐ能力は実証するのも大変だ。
となると、後は店の主人の言葉を信じるか、疑うかの博打になってしまう。
たとえ楽に得たお金とはいえ、騙されれば悔しいし、無駄遣いを癖づけたくもない。
渡が判断に迷うのは当然のことだった。
渡が考えに沈んでいる間にも、大空市には大勢の客が押し寄せている。
口上に誘われて別の客も興味を惹かれて店前に集まっていた。
背中からの圧力を感じて、ますます焦燥感は募り、急いで決めなくてはならない気持ちになる。
「さあさあ、兄さん早く決めておくれよ! 後ろがつかえてるよ。待つのに疲れているよ。見たい客買いたい客はたくさんいるんだ。決断するのは今だよ!」
「ううーん、正直俺には鑑別がつかない。マリエル、エア、どうだろう。二人の考えを教えてくれ」
「アタシは分かんない。ごめんなさい」
「ご主人様、ここは一旦出直しましょう」
「売り切れても御免だよ!」
「構いません。行きましょう」
「悪いね。さすがに金貨一〇は言われてすぐ出せる金額じゃないんだ。考えさせてくれ」
判断を保留している渡とエアに対して、マリエルは一度出直すという判断を下した。
店主は引き留めようとしているが、どちらを優先するかと言えば、間違いなくマリエルの言葉だ。
纏まりかけた商談が保留されたことで店主は残念そうな顔をしていたが、それにピクリとエアが反応する。
鼻をヒクヒクとさせ、耳がスッと店主の方を向く。
金色の長い尻尾がゆらぁ、ゆらぁと規則正しく動く姿は少し違和感があった。
渡たちが店を離れた後には、様子を見ていた別の客が次の商談を始めようとしている。
(これで正しかったのだろうか。儲けるチャンスを不意にしてしまったかもしれない)
ひとまず雑踏へと紛れ、人の少ない端へと移動する。
「ここらでいいか。それで、どうして出直すことにしたんだ?」
一息つける空間に入って、渡はマリエルに理由を聞くことにした。