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第39話 渡の知らないエアたちの事情

 大阪人は日本でもかなり下戸の割合が高い地域だと言われている。

 気候が比較的温暖だったから、あるいは古代に渡来人の血が混ざったからなど、色々な説が言われているが、渡も例に漏れず、あまり強い方ではない。


 この世界での酒は基本的には度数が低く、――蒸留酒がないわけではない――それこそ酒の耐性が強いものならいくら飲んでも酔わないようなものだったが、すでに渡の顔には赤みが差していた。

 酒が入って少しずつ思考にぼやけが入っていき、遠慮ない会話が生まれだしていた。


「しかしただでさえ強かったエアが剣を取り戻したら、敵なしなんじゃないか?」

「アタシが世界一強いのは間違いないけど、油断はできない。世の中にはいっぱい強いやつがいる」

「へえ、良かったら教えてくれよ。俺はこっちのこと全然知らないからさ」

「たとえば黒狼族がいる」


 黒狼族、と渡が鸚鵡おうむ返しにしたところ、マリエルから補足が入った。


「金虎族と並んで有名な部族ですね。狼を祖先としているそうで、墨のように黒い髪を持った人たちです。個人の戦士として有名な金虎族と比べて、集団での部隊運用に優れていると言われています」

「一対一なら負ける気はしないけど、集団で狙われたらとても厄介。鼻が良くて耐久力があってずっと追ってくる。アタシの故郷の近くにいたから、何度かやりあった」

「因縁があるのか」


 忌々しそうに言って、エアがタプタプの香草焼きを噛みちぎった。

 大きな犬歯とらしがチラッと見えてとても恐ろしい。

 それだけ警戒に値する存在なのだろう。


「あとは熊族の力と耐久力は侮れない。まともにやりあって力負けしそうになる数少ない種族」

「あー、熊かあ。そりゃ強いよなあ」

「うん、闘技場で死ぬほど叩いてやったけど、こっちの手が痺れた。それでも翌日にはポーションを飲んで、ピンピンしてた……」


 さらりと言っているがとんでもない内容に、渡は言葉を失った。

 とはいえ、どちらも命をかけて戦ったのだろうから、責めるのはお門違いだ。

 負ければエアが死んでいたかもしれない。

 あのモンスターを一捻りで殺したエアが疲れるほど戦わなくてはならない相手とはどんな存在だろうか。


「後は森の民の弓も森でならキツい。あいつら見通しが悪いところでも針の穴を通すように射ってくる」

「へえ、森の民ってもしかしてエルフのことか? 耳の長い」

「そう。どうして知ってる?」

「ご主人さまは不思議なところで知識がありますね。薬屋に興味も示していましたし」

「いや、まあ、なんとなくだよ」


 まさかゲームや小説からの知識とも言えず、渡は回答に困った。

 いつか知られ、気づかれる日も来るかもしれないが、わざわざ打ち明けることの必要もないだろう。


「そう考えると、エアが強いのはもちろんだけど、完全に油断はできないんだな」

「うん……特にアタシが一人で戦うならともかく、主とマリエルを守りながらだとだいぶ難しくなる」

「そうだよなあ」

「数は力だから、本当のことを言うなら、もう一人か二人いてほしい」

「うーん、それもなあ……」


 エアとマリエルと同居している今でさえ手一杯なのだ。

 これ以上一気に新しい人と一緒にいると、精神的にキツいかもしれない。

 奴隷を買うなら面倒を見ないといけないし、普通の現地人を雇うとしても、立場が違って軋轢が生まれそうだ。


 エアの願いは今のところ頷けそうにはなかった。


「それにしても世界は広いなあ。俺がまだまだ見たことがないいろいろな種族の人がいるんだな」

「王都にいけば結構多くの種族が集まっているので、会うだけなら会えると思いますよ」

「闘技場には色んな人が来た」

 エアが木をくり抜いたコップを眺めながら、ぽつりと言った。


「主にお願いがある」

「なんだ?」

「アタシは奴隷になってからあまり鍛錬ができてなかったから、しばらく本格的に鍛えたい」

「俺が商談に出ないときはかまわないぞ」

「助かる……。ありがとう」

「まあ、こっちにいるときは可能な限り護衛してくれるか。日本にいれば大体は安全だろうし」

「うん、任せて」

「私はご主人様のそばにいますよ。護衛は難しいでしょうけど、盾ぐらいにはなります」

「いや、それは困る。俺が無事でマリエルが傷ついたら、平静でいられそうにない。そのときは俺が君を守るよ」


 渡は日本の治安の良さを疑っていない。

 本当にどうしようもない不運もあるだろうが、それでも襲撃されるようなケースにはまず遭遇しないはずだ。

 ポーションの存在が世間に知れ渡って、時の人にでもなれば話は別だが、今のところ心配はしていなかった。

 もし亮太が口を滑らせてしまったとして、一人が言うだけなら与太話で済むはずだからだ。

 それでも、もし、もし渡とマリエルが襲われるような事態になれば、絶対に守りたいと思った。

 そこには主人と奴隷という立場は計算の埒になかった。


「……はい」

「うん。だから安心して」


 マリエルは頷いたきり、返事をせず俯いていた。

 渡からは見えない角度で、瞳を潤ませながら。




 食事も終えてエールも飲み干した。

 軽い酔いを感じながら、食事を終えた。

 とても美味しい料理だった。

 また来ることがあれば利用したいし、タプタプという素材についても調べてみたい。

 渡は上機嫌に会計を終えて、店を出て宿に戻る。


「いやー、食った食った。お腹いっぱいだ。あとは風呂に入って寝るだけだな」

「いいえ、ご主人様、大切なことを忘れていますよ」

「そうだそうだー」


 ベッドに腰掛けて膨らんだ腹を撫でていた渡は、思い当たる節がなく、首を傾げた。

 その肩をそっと押され、ベッドに押し倒される。

 うわあ、と声を上げてスプリングが受け止め、視界に天井が広がる。

 二人の美女の顔が並び、見下ろす。

 二人とも何かを覚悟したような表情で、まだ酔っているように赤い顔をしていた。


「今夜こそ、お情けを頂きます」

「もうアタシは身も心も主のものだから、好きにして良いんだよ」


 夜はまだ長い。



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