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第36話 万華鏡のもたらした栄達

 ヨゼフの悪癖、それは蒐集家としての欲が激しすぎることだ。

 欲しい物は何としてでも欲しい。

 ヨゼフの名君としての政治能力の高さは、ある意味では蒐集癖を満足させるために鍛えられたといっても過言ではない。


 強い欲を合法的に満たすためには、十分な対価を用意しておかなくてはならない。

 強権を発動できる王と言えども、否、だからこそ無茶な専横が過ぎれば、反乱が起きてしまう。

 統治を過不足なく行ってこそ、国府を趣味につぎ込んでも目こぼしされるというものだ。


「陛下、これは世にも貴重なもので、まだ仕入れた商人が申すところ、この世に生まれた最初の一つだとのこと。理由は知りませんが、分解したところで再現は不可能と断言しておりました。用意して差し上げたいのはやまやまですが、難しいかと思われます」

「なんと、それほどまでに貴重なのか! 余は寡聞にしてこのような物は初めて見た。この紙の材質も見たことがない。その商人はいかなる者であろうか?」

「我も知りませんでした。果てしなく遠いところから来たとのことですが……実際神の御使いかもしれませんな」

「ふうむ……世界に一つだけ、はるか遠くの異国の秘宝……神の御使い」


 ぶつぶつと呟き万華鏡を覗き込むヨゼフ。

 これだけ言えば、いかなヨゼフ王とて諦めるだろう。

 蒐集家として、自分の大切なコレクションは余程のことがなければ手放さない。

 ヨゼフもモイーも蒐集家としては同好の士である。


 蒐集家としてお互いの貴重な物品を持ち寄って交換することもままあるが、同時に絶対に譲れないものがあることもよく知っている。

 それを分かった上で、モイーは「これは譲るつもりはありませんよ」と牽制したのだ。


 だが、ヨゼフの目は万華鏡に爛々と視線が注がれて、その目には狂気の色すら混じり始めていた。

 ほしい、ほしい。何としても欲しい!!

 蒐集家にとって、手に入らないと言われたものほど、激しく欲求を刺激される物はない。

 くしくも譲るつもりがないと遠回しに伝えられたことが、ヨゼフの欲を激しく刺激した。


「モイー男爵。お願いがあるのだが、無理を承知でこれをどうしても譲ってもらいたい」

「陛下、それは――」


 嫌だと言ってるだろうが。

 あまりな言葉にモイーが断ろうと口を開きかけるが、その間を与えないほどの速さで、ヨゼフが条件を告げる。


「男爵は以前、国府省のポストを希望していたな。次卿ではどうか?」


 ヨゼフの発言におおっと周囲がざわめいた。

 国府省は日本でいう財務省であり、大臣の卿の位で呼ばれる。

 次卿とはその下の地位であり、国の中枢に食い込む大抜擢である。


「なんと……我を次卿に?」

「うむ、能力的にも抜擢しておかしくないと余は考えておる」


 さすがに拒否の言葉も喉元で止まった。

 ごくり、と思わず唾を飲み込む。


 大切なコレクションを手放したくないという思いと、一世一代の好機を前に、逡巡が生まれる。

 男爵が卿の地位に立つことは前例がない。

 おそらくは陞爵しょうしゃくされ、領地も加増される。


「いや、しかし……」

「むむむ……あまり欲をかきすぎると顰蹙を買うことになるぞ」


 その時、周囲にいた者たちが揃ってお前が言うな、と考えたが、さすがに国のトップに向かって直言するようなものはいなかった。

 たしかに考えられないほどの好機ではあった。

 男として一度は天の階を上り詰めたいという大望も持ったことがある。

 同時に、一度手に入れた大切な、貴重な蒐集品を手放すなど考えられるのか、という矜持にも似た思いもある。


 一蒐集家としての欲と、為政者としての理性がモイーの中でせめぎ合う。

 それでも蒐集家としての欲が上回りかけたその時、ふとモイーの脳裏に天啓が舞い降りた。


「一つ、お願いを申し上げてよろしいでしょうか?」

「検討はしてみよう」

「加増の際には南船町をぜひご用意いただきたい」

「南船町? なるほど。男爵の領地は隣接しておるし、陸路だけでなく王都につながる河川貿易も視野に入るわけか」


 南船町はその立地の良さにあり、防衛上の拠点として、交易拠点として非常に優れた能力を持ちながらも、これまで代官に恵まれずに思うような利益を出せていない。

 ヨゼフが理由の一つを考えているが、モイーにとっては瞬く間に思いついた複数の理由の一つにすぎない。

 流通網の拡大、河川を用いた輸送量の増大、関税を減らすことの利益の増加。


(あの商人は今もまだ南船町を拠点にしているはずだ)


 なによりも一番の狙いは、南船町を押さえることができれば、ワタルの動向を掴めるかもしれない、というものがあった。

 貴重な品はまだまだ持っているはずだ。

 一つの蒐集品を手放してでも、今後手に入る貴重なものをもっと見たい、触れたい、手に入れたい。

 そう考えれば、ヨゼフの欲を利用して自分が出世を図ったほうが得だ。


「では、良いな。これは余がいただく。調整を行ったあとに勅が届くであろう」

「はっ……」


 恍惚とした表情で万華鏡を手に眺めるヨゼフ王を前にしながら、周囲はひそひそ話を大いに交わしていた。

 その中には自分の自慢の蒐集品ではなく、モイーの品が評価されたことを悔しがるものもいれば、自分が新しい物を探し出せば、同じく出世できるのではないかと欲をかくものなど、様々だ。

 そしてその貴重な品を売った商人の動向を調べようとするものもまた、多くいた。


 とはいえ、この大抜擢の裏には複数の要因があった。

 爵位と比較してあまりにも力をつけたために、釣り合いが悪くなったモイーの実力。

 また極めて優れた経済感覚をヨゼフが買っていたことなどがヨゼフの欲を後押ししたに過ぎない。

 次の者が貴重な逸品を示したとしても、同じ対応が出る可能性は低い。


(栄達した上に今後も貴重な品を手に入れる可能性が十分に高くなった。あの商人との出会いはまさに天祐であったな)


 爽やかそうな笑みの後ろに、大きな欲望と数多の打算を走らせる男、次期モイー国府次卿・・・・

 彼の唯一つの誤算は、出世の元になった万華鏡を肖って、後に蒐集卿ではなく、『万華卿まんげきょう』と呼ばれるようになったことだけだった。


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