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第34話 モイー男爵の興奮

 渡が見せた筒は長さは約十センチ、直径は三センチほどのものだ。

 色鮮やかな和紙が表面を包んでいて、指が滑らないような感触になっている。

 遠慮なく掴んだモイーの表情には、まだこれといった感心は見られない。

 珍しい色合い、紙質はたしかに貴重だが、それ一つで美術品として価値が高まるわけではない。


「ふむ、見たことがない紙質だな。色合いは淡いというべきか。これはこれで価値がないとは言わないが、ただの筒のこれがどうかしたのかね?」

「外見はこれの魅力のほんの一部でしかありません。こちらを持って、端から中を覗いてみてください」


 渡が空の手で、まるで捧げ持って覗き込むようなジェスチャーを行った。


 外見はおまけのようなもの。

 ここからが勝負だ。

 さあ、どうだ? これを見てこの人はどんな反応を見せる?


 指示された通りにモイーが筒を覗き込んで、驚愕に表情を染めた。


「覗く……? おおおおっ!? なんだ、この鮮やかな光景は! 色とりどりに輝く光は宝石を閉じ込めた一枚の絵画のようではないか!」

「それだけではありません。その筒は回転するようになっています」

「風景が、変わった!? なんだこれは! 回せば回すほど次々と新しい模様が現れる! 一体どれほどの絵がここに収められているのだ!?」


 ふふふ、驚いているな。

 そうだろう、そうだろう。


 渡は自然と笑みが浮かんでくるのが抑えられなかった。

 腕のいい美術家が描いた絵は多く見ているはずだ。

 彫刻や刺繍なども同じくだろう。

 だが、『動く絵』についてはこの世界の人々にとって、未知の体験なのだ。


「さて、回せば回すほど出てくるため、いくら、という答えは私にも分かりません」

「なんと……。我は、我はこのようなものは見たことがない! これは、これはなんという名なのだ!?」


 モイーの爽やかな整った顔に血の気が上っている。

 興奮して今すぐに答えを知りたがっている姿を見て、渡はようやく落ち着くことができた。


「はい、これは【万華鏡】と呼ばれております」


 渡の発言にモイーはまんげきょう、とただただ音を繰り返した。


「なるほど。万の華が開くような美しい光景よ。鏡と名のつくことから、鏡を用いているのか?」

「左様です。独自の製法で作られた、今この地で見られる鏡とはまた別の材質を用いられています」


 万華鏡の歴史は一八一六年と、およそ二〇〇年前まで遡る。

 スコットランドの物理学者、デビッド・ブリュスター博士が作ったものだ。

 日本に齎されたのは恐ろしく早く、三年後には記録が残っている。

 複数枚の鏡を合わせ、その奥に映したい像の元を置くことで、数多のパターン鏡像を見せる玩具であり、元々は光学製品だった。


 渡が万華鏡の利用を思いついたのは、異世界の建物に入って極端に窓ガラスが少ないことに気づいたためだ。

 ガラスの製造技術が拙いということは、ガラスを用いた鏡もまた普及していないことになる。

 マリエルとエアに見せて反応を伺ったところ、十分な好評を得ることができた。

 おそらくはモイーにも好感触を得ることができるはずだ、という思いから候補に選んだのだが、思った以上に食いついている。

 まじまじと万華鏡を眺めた後、モイーは頷いた。


「これは素晴らしいな。たしかに自信を持っているわけだ」

「世界に二つとない商品です。これで満足いただけると確信しておりますが、いかがでしょうか」

「うむ。しかし問題がないわけではない」

「は、はい。それは何でしょうか?」

「あまりにもこちらの価値が負けてしまうということだ」


 一体どんな問題があったのかと驚きと不安に表情を曇らせた渡だったが、続く言葉にホッと安堵した。

 少なくとも高く見積もってもらったほうが良い。


「我は取引は公平に行われる必要があると考えている。一方だけがあまりにも得をするのは、長期的に考えてあまりよろしくない」

「しかし『大虎氷』はかなりの逸品であると聞いていますが……」

「たしかに武器としてとても優れているのは確かだが、この世にまだ無二の物と比べれば、どうしても釣り合いは取れんだろう」


 エアが気を悪くしないだろうか?

 そう思った渡がちらりと後ろを振り向くが、今は落ち着いて座っている。


「構わないか?」

「うん、アタシは一度信じたんだから、主に全部任せるよ」

「ありがとう……」


 エアとしては手に戻ってくるならば問題はないようだった。 

 ただ、その目は今もじっと愛剣に注がれていた。


「つまり、何らかの補填をしていただけるということですね」

「うむ。だが、それをどうするかが悩ましいな。我としてはこれ以上貴重な蒐集品を手放したくはない。どれもこれも思い入れのある物ばかりだ」


 ありがたい提案ではあるが、同時に答えに悩む問題だった。

 高く売りつけてしまいたいが、ここで欲張れば公平な取引を重視するモイーの機嫌を損ねかねない。

 何よりも必要な物事を渡はまだまだ理解していない。


 こういうときに世の中の仕組みをもっと知っていれば、今不足しているものについても適当なものが提案できたのだが。

 考え込む渡に助け舟を出したのが、マリエルだった。


「僭越ながらよろしいでしょうか?」

「マリエル君か、なにかね?」

「ご主人様は今後も珍しいものを探し、見つけられることと思います。男爵様が希少品を集められているので、私達も買い取りをお願いしたいところですが、今だと領外から足を運ぶのに苦労し、面通りもなかなか叶いません」

「ふむ、つまり登城の自由や直答が欲しいわけだな? だがこれは軽々と渡せるものではないことは、君も知っているだろう」


 マリエルは当然と頷く。

 封建社会は権威を保持するため、直答すら許されない場合も多い。

 それを許すということは、相手が実力ある存在であると、貴族がお墨付きを与えることに等しい。

 モイーが軽々しく許可しないのも当然のことだった。

 そして、それを分かった上でマリエルが提案していることは、モイーにも通じていた。


「今後も間違いなく、我を満足させる物を持ってくることが可能であろうか?」

「ご主人様であれば間違いなく」

「ずいぶんと信頼されているではないか。まったく知り合って短いようだが、一体どうやってこれほど信頼を勝ち得たのやら」

「は、はは……。恐れ入ります」


 そんなこと言えるわけがないだろう。

 喉元まで出かかった言葉を飲み下す。


「よかろう。そこまで言うのであれば、ワタルよ。お主を我がモイー領における御用商人とする! 今後は目ぼしいものが手に入れば、遠慮なく商談に来い!」

「はい、ありがとうございます!」


 渡は思わぬ好意に深々と頭を下げて答えた。


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