下手な回答はモイーの機嫌を損ね、処罰されるかもしれない。
強烈なプレッシャーがかかった状態で、渡はどのように答えれば良いか、瞬時に思考をまとめなければならなかった。
マリエルを手放したくない。
だが、手放さなければ、全員の命が奪われるかもしれない。
理性と感情が天秤の秤を忙しなく行き来する。
(だが、ここでエアの期待を裏切っても、マリエルを手放しても、俺は一生後悔する。俺が本当に後悔しない道は、たった一つしかない……!)
渡は覚悟を決めて、震える体を意志で押し殺し、頭を下げながら、詰問に答えた。
「誠に恐れ多いことながら、その条件はお断りさせていただきます」
「ご主人様!」
「それがどういう意味を持つか、分かっているのだろうな」
「はっ……。誠に申し訳ありません。
男の声に冷え冷えとした響きが混ざりはじめた。
気分を激しく害しているのは間違いない。
マリエルが怖れたように袖を掴み、震えている。
元貴族である彼女だからこそ、貴族の言葉に逆らう恐ろしさを体感しているのだろう。
(ごめんな。俺のせいで怖がらせて)
渡の後ろで、エアは油断なく周りに視線を走らせ、いつ襲いかかられても良いように身構えていた。
先ほどの護衛の言葉は本当ではあったが、同時にエアも渡たちを守りながら戦わなくてはならない。
なによりも護衛は装備が充実している。
損害を無視して戦う場合と違い、けっして楽観視はできなかった。
渡の顔にはびっしょりと汗が噴き出て、手足が冷たくなる。
それでも、マリエルを手放すつもりには一切なれなかった。
再び深々と頭を下げる。
「失礼なことは重々承知の上です」
「ならば何故に承知せぬ。たしかに見目は良いかもしれないが、言ってしまえば奴隷の一人ではないか」
「マリエルは奴隷です。でもこの子はもう俺のもので、俺にとってはただの奴隷じゃありません。短い間ですが接してきて素敵な女性だと思っています。たとえ誰が相手であっても、手放すなんて考えはありません」
「ご、ご主人様……。そこまで、私のことを」
マリエルが感動した表情を浮かべて、渡を見つめた。
だが、渡には余所見をしている余裕はない。
モイーの表情のすべてを読み取り、本当に拙そうなら、次の選択へと移らなければならない。
モイーの顔は眉間に皺が寄り、険しく見える。
「では、交渉は諦めるということだな?」
「厚かましくも交渉の品をお持ちしました。一度でもそれを見て、決めていただきたきたいと思っております。どうか交渉を続けていただけないでしょうか」
交渉の道筋を途絶えさせてはならない。
だが、提案を受け入れるわけにもいかない。
モイーは眼光鋭く渡を見つめていたが、その目が一度マリエルへと向けられた。
「ふむぅ……マリエル君、君はこの男の元で不自由はないのかね?」
「いいえ。とても良くしていただいています」
「意に染まぬ命を強制されているのではないかね? もしそうなら――」
「奴隷としては身に余るほどの愛情を注いでいただいています」
キッパリと言い切ってくれたマリエルの発言に、今度は渡が感動してしまった。
まだまだ一月にも満たない短い間だが、渡の精一杯心地よく暮らして欲しいという気持ちは、たしかにマリエルに伝わっていたのだ。
「だが、この男はエアという奴隷のために奔走しているが」
「関係ありません。ご主人様は奴隷を大切に扱うからこそ、分け隔てることなく愛してくれています」
「左様か。君たちはそういう関係なのだな」
「……はい」
マリエルの発言にモイーはしばらく押し黙ってしまう。
奴隷が恋人や愛妾として買われるのは何も珍しいことではない。
そのまま上手く寵愛を得て、奴隷の身分のまま第二夫人などに収まることもままあった。
主人と奴隷という関係でも、一人の男と女として身分を超えて愛し合うことはできる。
険しい表情から、まだ機嫌を損ねているのは間違いない。
これでダメだったら、最悪エアの力を借りて一暴れしてもらうしかないのか。
渡の気持ちに、まともな交渉は無理かと諦念が浮かびかかった時、ふとモイーの表情が緩んだ。
「うわっはっはっ」
「モイー男爵?」
「ふはは、失礼。これは我が野暮だったようだな」
モイーが笑ったことで、空気が緩んだ。
見ればエアが構えを解いている。
男爵の周りを固めていた護衛たちから漂っていた物々しい雰囲気もずいぶんと和らいだ。
どうやら本当の意味で危機は去ったらしい。
「知り合いの娘が奴隷になっているなら、多少の世話をしてやらんこともないと思ったが……。まさか相思相愛の身だったとは」
「そ、相思相愛……」
「あ、あうあう……」
「なんだ、違うのか?」
「い、いえ。違いません。な、そうだな」
「はい。私はご主人様をお慕いしております。はぅぅ……」
ここで余計なことを言えば、本当にマリエルを手放すことになる。
少なくとも、渡は本気でマリエルを一人の女性として魅力的に感じている。
青くしていた顔を赤くして渡は分かりやすく動揺した。
袖を掴む力が強くなっていて、マリエルの動揺も伝わってくる。
そして、それだけでなくなんとかなりそうだ、という予感に、今までの緊張がほどけて、体を折ってしまいそうなほどの疲労を感じた。
(なんで偉い人はすぐ人を試そうとするんだよ……)
もちろん文句を言える立場ではない。
ではないが、一言ぐらい言いたくなる気持ちだった。
「しかしそうなると、何を条件としようかな」
「モイー男爵は美術品の蒐集にも力を入れていると伺いました」
「そうだな。たしかに我個人としては、そちらの方が興味はある。しかしこの剣はかなりの業物であるぞ。君に満足できるものを提供できるかな?」
「この様な物をご用意しました。ぜひ御覧くださり、その上で判断をお願いします」
「まあ、よかろう……そこまで言うのだ、我も興味を覚えてきた。期待してみるとしようか。だが、私が納得できなければ、当然この話はなかったことになる」
「それは重々承知しております」
「ならば良い」
一体どれほどのものが出せるのか。
モイーの目は愉快そうに笑っている。
モイーの期待を裏切らず、交渉が上手くいって欲しい。
不安と、きっと上手くいくはずだという強い予感も覚えながら、渡は非常に小さな筒状の