南船町を出て街道を行く。
五十人ほどからなる一行は、王都から出て辺境まで進む隊商だった。
ウェルカム商会から出た渡たちは、馬房でヒューポスを一頭借りて、幸先よく隊商を見つけることに成功していた。
もう間もなく出発するところだったという話で、運の良いタイミングだった。
人の縁といい、最近はツキが回ってきたのかもしれない。
隊商の主は
小さな背丈で子どものような身長しかないが、人懐っこい態度でするっと人の懐に入ってしまう愛嬌があった。
この世界に来て驚いたことだが、亜人や獣人と呼ばれる人の
エアのようにほとんどが人のように見える個体がいれば、全身が獣のように体毛で覆われていて、顔もヒトというよりも獣といった様子の個体も多い。
種族によっても平均的な濃さは異なるようだ。
マルマルの場合はこの岩栗鼠としての種族が強く表に出ていて、とても大きな栗鼠に見えた。
「まさか不敗の剣闘士として有名なエア殿に護衛していただけるとは、これは道中安心ですな、いやはや」
「急なお願いだったのに、快く引き受けていただいてありがとうございました」
「とんでもない。うちからお金を払っても依頼したいぐらいですよ、いやはや」
マルマルは恐縮するように頭を撫でた。
体が小さいためか、身振り手振りが大きい。
どこかコミカルな動きにも見えて、可愛らしい印象を覚えさせる。
(だがこれも、この人なりの交渉術なんだよな)
マルマルが商っているのは宝石を中心とした装飾品だという。
貴金属を扱う商人は、それだけ扱う金額も大きくなる。
自然と隊商の主に収まることも多くなる傾向にあった。
襲われる可能性も高くなるから護衛も多く必要で、ただ欲深いだけではできず、胆力や人を纏める能力に優れていないと破滅してしまうだろう。
そんなマルマルは意外なぐらい渡を歓迎してくれていた。
こればかりはエアの名声によるもので、渡の能力は一切影響していない。
思ってもいない好影響にエアは本当にお買い得な奴隷だったのだな、と考えを改めた。
渡にとっては剣闘士と言われてもピンとこないが、ボクシングで防衛を続けている無敗の世界王者だと仮定してみれば、その凄さもなんとなく分かる気がする。
(まあ、今はそんなすごいやつには全然見えないんだが……)
渡は隊商の中心でヒューポスに跨って進んでいる。
鞍がついていて、走るならともかく歩くだけならばなんとかなった。
その横を情けない姿でエアがとぼとぼと歩いていた。
「主~、ごめんなさい~、許してー」
「ダメだ。しばらくエアはおやつ抜き。マリエル、ささみの燻製は俺たちで喰うぞ」
「了解しました。エア、諦めが悪いわよ。私とご主人様で美味しくいただくからね」
「しょ、しょんにゃ~、アタシのしゃしゃみにくー」
しおしおしお、と肩と耳を落とし、尻尾を垂れさせてエアが悲しむが、自業自得だ。
ウィリアムは大人だから笑って許してくれたが、誰彼構わずやって心証を損ねたら今後に差支える。
(というか、相手が貴族だったら不敬罪に問われるんじゃないか?)
(たしか日本でも無礼討ちだとという言葉があったはずだ)
はたしてこんなお仕置きで効果があるのか疑問だったのだが、思った以上にエアにとっては効果的だったようだ。
金虎族という獣人は、基本的に食べられるもので言えば、ヒト種と大きな変わりはない。
野菜も食べるしニンニクや玉ねぎもいける。
ただ食べものの好みには大きな違いがあった。
魚や肉といった動物性タンパク質を好み、エアの場合はスーパーで売っているささみの燻製が大好物のようだ。
「しっかりと護衛として働くんだな。そしたらお仕置きも早めに許してやる」
「ははは、剣闘士のエアも可愛らしい一面があったんですなあ。とはいえうちの護衛が最初に当たることになると思いますので、後詰めをお願いします」
「ううう、がんばる……アタシのささみにく……」
(本当にこんな子が、多くの人の口に上るほど強いんだろうか?)
渡にはどうしても、そうとは見えず首を傾げた。
○
一日目の旅が始まった。
見るものすべてが新鮮だ。
南船町はいわゆる城郭都市と呼ばれるものであったらしく、非常に高い外壁が外をぐるりと囲っていた。
モンスターが跋扈する地域に住むなら、たしかに防壁は必要だろう。
大手門を抜ければ、外は住居がまったくないために、非常に拓けていた。
大阪市内育ちの渡にとって、納屋が少し立つだけで、あとは広大な畑が広がっているという光景は初めて見るものだ。
おまけに平野が大きく広がっているというのも、日本だと見られづらい。
ヒューポスの背に揺られながら、ぼんやりとそういった光景を見ているだけで少しも飽きが来なかった。
「しかし、思った以上に規模が大きいな」
「そうでしょうか? 隊商としてはごく平凡な規模だと思いますよ」
「そんなものか。俺には見事なものに見えるが」
「主、この集まりは結構
渡の感想に、マリエルが答える。
エアも先ほどとは違い、真剣な意見を寄せる。
五十人の商人が集まるということは、商品を牽く何十頭もの馬や荷馬車、護衛もついてくる。
隊商と供に歩いて少しでも安全を確保しようとする旅人も見られるため、とても大きな集団に見えた。
「見渡す限りに平原が広がってるな。いったいどこまで続くんだろうか」
「四方は海に囲まれていると習ったことがありますが、実際に訪れた人の話は聞いたことがありません。ご主人様は旅が好きですか?」
「分からないけど、こうして三人で遠いところに行くのは悪い気分じゃないな」
「そうですね。私も故郷と王都ばかりでしたけど、こうして景色を眺めていると不思議な気持ちになります」
マリエルが遠い目をした。
彼女の故郷はどんなところだったのだろうか。
マリエルにとって、良い場所だったのだろうか。
いつか、マリエルとエアを連れて故郷に帰るのも良いのかもしれない。
午前中に出発した旅だったが、お昼に一度食事休憩を挟んで、夕方になり始めた時刻。
ヒューポスの背に座っているだけだというのに、時間が経つに連れて、腰やお尻の筋肉が非常に痛くなってきた。
思った以上に大変だ。
ヒューポスは六本脚の関係上、とても安定しているが、胴体がグネグネと動くので、鞍に乗っているとは言え、歪みに合わせて体も調整しないといけない。
リクライニングの効いた車にだらんと座っているのとはわけが違った。
「少し俺も歩くか……。マリエル、歩き詰めで疲れただろう。俺と変わろう」
「良いのですか? 奴隷の私がヒューポスに乗って」
「気にしない気にしない。俺はそういうのあんまり考えないタイプだからな」
「では失礼します。エアは大丈夫かしら?」
「全然平気そうに見えるけどな……。体の作りからして違うんだろうなあ」
「主、アタシも疲れてるよ。でも護衛だから休むのは宿についてからで良いの」
「そうか。お仕事ありがとうな」
恐縮してみせたマリエルだが、歩き疲れていたのは確かだったのだろう。
ヒューポスに跨ると、疲れた息をついていた。
久しぶりに感じる地面の確かさを踏みしめながら、渡は足を運ぶ。
日が暮れる頃までには宿場町に着くとのことだったので、もう間もなくだろう。
「おっ、あの見えてきたのがそうか?」
「そのようですね」
「周りに襲いかかってきそうな気配もないし、アタシもようやく休めそう」
「お疲れ様。今日はしっかりと宿で休んでくれよ」
町と町を結ぶ間に、旅人たちが身を休めるために宿場町がおよそ二十キロごとに点在している。
小さいながらも防壁を構えて自衛組織もあり、盗賊やモンスターから安全に身を休めることができた。
隊商とともに到着した渡たちは、早速に宿を手配することを決めた。
ところが、そこで思っても見なかった問題に直面する。
「えっ、個室が一部屋しか取れないんですか?」
「ああ。他はもう一杯でな。多分他所の宿も取れないと思うぜ。それが嫌なら大部屋で雑魚寝になるがどうする?」
「それは……嫌ですね。個室でお願いします」
「分かった。これが鍵だ。食事はこれからすぐに出る。風呂やお湯がほしければ、追加で払ってもらえば用意するぞ」
「それはぜひお願いします」
宿場町と言っても、もとより個人経営の小さな宿が集まるばかり。
隊商のような団体客が押し寄せれば、空き部屋はすぐに埋まってしまう。
客の方が立場が悪いのを理解しているのか、店主は謝ることもなく、当たり前といった様子だった。
渡はマリエルとエアを見た。
この美人たちと一緒の部屋で寝るのか……。
いつもは気を使って別室で寝ている渡だが、今夜は狭い一部屋で身を寄せて寝ることになりそうだった。
……我慢できるか?
媚薬のことが頭によぎった。