渡の自宅は賃貸のアパートだ。
2DKの一人暮らしで、駅から離れている上に築年数が経っているため、広さの割に安い。
昔は1Kで暮らしていたこともあったが、自炊もままならずかえって高くつくことに気付いて、それからは少し広めの家を借りることにしていた。
部屋の余裕は心の余裕だ。
アパートには夫婦で住む人もいるが、基本は単身者が中心。
あまり近所付き合いを考えなくて良い、適度な距離感が気に入っていたが、二人を連れてくるのにも好都合だった。
妙な詮索をされて、経緯を知られたら大変なことになる。
まさか奴隷です、なんて現代日本では気軽に言えないのだ。
奴隷の所持は何罪だ?
そもそも不法入国者になるのだろうか。
共用のポストは管理会社が入っていてチラシが散らばっているようなこともなく、最低限には綺麗だった。
渡たちは階段を昇って三階に着いた。
「凄く明るいですね……」
「星がぜんぜん見えない」
彼女たちが住んでいる街とはまるで風景が違うからだろう。
あちこちに目を向けて感嘆の声をあげたり、興味深そうに観察している二人を背に、渡は玄関に入った。
「靴は脱いでくれ。ここから先は土足厳禁だ」
「わ、分かりました。なんだかすごい人に購入されたようですよ、エア」
「へへへ、アタシは構わないぞ! 買った主が偉いほうが嬉しいし」
女の子の少し高い声が自分の家で鳴り響いていることに、不思議な感覚を覚えてしまう。
社会人になってからはめっきり出会いが減って、仕事以外で女性との付き合いが減ってしまっただけに、新鮮な気分だった。
これからはずっと一緒に暮らすこともできるのだ。
その気になれば一緒のベッドに寝ることも可能だ。
……もう少し大きい所に引っ越した方が良いかもしれないな。
だが、そんな素早く引っ越しができるほど蓄えに余裕があるわけではない。
維持費を考えると奴隷を二人も買ったのは時期尚早だっただろうか。
どうせなら先に金とか宝石とか買って、こっちで換金すれば良かった。
でもそうすると二人は別の男に買い取られていた可能性もあるんだよな。
渡の心はフワフワと定まらない。
悩み考えながらも通路を抜け、渡は自室に入った。
「ちょっと散らかってるけど。初めて触るものが多いだろうから、不用意に触らないようにね」
「明かりの魔術に冷気の魔術まで! ご主人様は異世界の魔術師……!! いえ、錬金術師だったのですか?」
「主はすごい人だったんだなあ。アタシの村には占いの婆やと薬師の姉ちゃんがいるぐらいだったぞ。魔術師は一人もいなかった」
「だからそういうのじゃないって」
エアコンをつけて室温を下げていると、一々マリエルが驚いていた。
俺も近未来みたいな都市に転移したら、同じような反応を示すんだろうか。
さすがにこれほど驚かないと思うけど、と思ったが、よく考えたら渡はライトノベルやマンガ、アニメといったファンタジーにそれなりに触れている。
マリエルやエアたちがそういった物語を体験していなければ、驚きもより大きなものになってもおかしくないのかもしれない。
「悪いけど、来客用のベッドがないんだよね……。早急に買いそろえるから、今日の所はこのソファに寝てくれる?」
「ありがとうございます。床で寝ることを思えば十分です」
「すげー、マリエル、フカフカだぞ! フカフカ!!」
「こら、エア、失礼ですよ」
「ははは。構わないよ」
ソファのクッションをグイグイと押して弾力を楽しむエアの姿は小さな子どものような無邪気さが感じられる。
だが、その肢体は成熟した女性の魅力に満ちている。
ぼよんぼよんと揺れる胸に、渡はつい視線が吸い寄せられた。
エアは獣人らしいが、身体能力に優れるのか、スタイルは人間離れした良さがある。
物理演算されたCGだってもう少し遠慮するぞ、という胸の突きだし方をしているのだ。前屈みになっているせいで深い谷間が見えた。
男なら誰だって目を引かれる。注視してしまう俺が下品なわけではない……と思う。
じっと視線を向けて主人の様子を観察しているマリエルに、慌てて渡は目線を切ると、最初に説明しておかないといけないことを伝えることにした。
キッチンを始めとした生活家電、トイレなどの生活品の使い方だ。
「あ、マリエルって料理はできる?」
「……一通りの物なら作れるとは思いますが、何分プロではないので、あまり味には期待しないでください」
「そこまでは大丈夫。今後、身の回りの世話をお願いしたいんだけど、ここで使う道具は大分勝手が違うだろうから、最初に使い方を教えるよ」
「お手数をおかけします。エア、貴女も聞いておいて」
「分かった! アタシも料理はできるから、任せてほしい」
エアも元気よく返事した辺り、問題ないようだった。
自炊はなんだかんだで手間も時間もかかる。
自分一人が食べるものだし、つい手軽な物で済ませてしまうことも多い。
二人に任せられるなら助かった。
あ、食材とかはどっちの世界で買えば得なんだろうか。
同じ商品が手に入るとも限らないが、安くつくならそれに越したことはない。
今度は市場にも目を通さなくてはならないと渡は記憶する。
それから渡は家の家電について簡単な説明を行っていった。
ガスコンロから冷蔵庫、電子レンジにオーブン、洗濯機や掃除機の一つ一つについても、二人は驚き、目を輝かせる。
「と、まあこんな感じで」
「…………はぁ……」
「すげー、まじすげー!」
「どうかした?」
「いえ……あまりの便利さに、ご主人様の生活の素晴らしさに言葉を失っています」
「俺が凄いわけじゃないんだけどな……。まあ、その辺りは追々知ってもらえばいいか。それに俺は魔術とかは使えないから、そっちの方も知りたいけどなあ」
「それでもこの生活水準の高さは、私の知る限り国王でも不可能だと思いますよ」
「そう言われるとヤバい気がしてきたけど、王様なら自分で料理しないだろうし、身の回りは人にやってもらうんだから関係ないんじゃない?」
まあ、そこで働く料理人とかメイドさんとかの手間は大変だろうけど。
渡の説明にマリエルは少し考えていたが、やがて納得した。
良い道具を揃えるのも、よく働く人を雇うのも、自分の労力を減らすという点では同じだ。
後はコストとリターンの問題なのだ。
「覚えることが多そうです……」
「それは追々でも良いよ。俺も君たちの街で暮らしたり、買い物したりする予定だし」
「おお、アタシはこの街のこと、すごく気になる……ます」
「喋りにくかったら言いやすいように話してくれ。言葉遣いとかは話してるうちに覚えるだろうし、叱る気もないし、腹も立たない。マリエルには悪いけど、その辺りはカバーしてあげてほしい」
「お任せください。しっかりと教育します」
「ひいっ、マリエル怖い!」
「ま、優しくな……」
ある程度の機械の使い方を伝えた後、一度実践ということで、お茶を淹れる。
夕食は三人前を作る食材を用意していなかったので、急遽宅配を注文することにした。
この世界の料理の水準を知るのも楽しみだ。どういう反応をするんだろうか?
料理が届くまでの間、渡は二人を購入してからぼんやりと考えていたことについて、話そうと決めた。
「さて、じゃあ二人を奴隷として購入した理由と、俺の目的について話しておきたいと思う。購入していた時にマソーに要望を出していたのは、エアには身の回りの安全を。そして、マリエルには身の回りの世話を頼むつもりだった。二人とも美人なのは……まあ関係ないとは言えないか。俺も男だしな」
渡の話に二人が頷く。
ここまでは前提条件の話だ。
それだけで終わるわけではない。
コップを傾け口を湿らせて、渡は言葉を続ける。
「けど、それだけじゃなくて、俺は君たちの世界が知りたい」
「とはいえ、私たちは学者ではありませんから、どれほどお役に立てるか分かりませんよ?」
「そんなことは俺も理解してるし、もし知らなくても叱ったり怒ることはない。どういえばいいのか……。二人は俺の世界に来て、物に触れて違いに驚いたと思うんだ」
「そうですね。とても驚いています」
「主の家はスゴイぞ。蒸し暑いのがなくなった」
ありがとう、といって渡は苦笑を浮かべた。
この世界の、先進国の技術水準が進んでいるのは確かだが、渡自身は努力したわけでもないし、その仕組みを理解しているわけではない。
凄いのはそういう社会を構築した自分たちの先祖たちだ。
この世界の住人として当然のことを褒められ面はゆい気持ちにはなっても、自分が良い気になることはなかった。
「でも、それは俺だって君たちの世界に同じことを感じてるわけ。世界が全然違うからこそ、当たり前が違う。俺の世界で当たり前のものが、君たちの世界ではとても優れていることもあれば、その逆だって絶対あるはずなんだ。もしそれに気付いたら、教えてほしい」
「了解いたしました」
「ん、分かった」
「俺はこの世界で良い物を
「ご主人様は国どころか世界を渡る商人なんですね」
「そんな大したもんじゃないけど……そうなるのか。とはいえ、最初は生活に慣れる方が優先だから、気付いたときに適宜教えてくれたら良いよ」
渡自身も向こうの世界について慣れたいし、なによりも二人のことをもっと知りたい。
美しいマリエル。美しくも可愛らしいエア。
こちらを見つめる二人の整った顔を見ているだけで、思わず見惚れてしまいそうになる。
この二人が自分のものになったのだ。
どういう因果か分からないけれど、異世界に行けて良かったと渡は思った。
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エアのイラストを公開していますので、よければご覧ください。
https://kakuyomu.jp/users/hizen_humitoshi/news/16818023213942096120