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第06話 奴隷の購入

「こちらの奴隷売買契約書にサインをお願いするわ。……あら、見たことのない字ね?」

さかいわたるっていいます。サインに問題ありますか?」

「いいえん、別にサインは本人の証明のためだから問題はないのだけれど、……こちらに戸籍はあるのかしら? なければ購入額に税金が加算されるのだけど」

「いえ、あー、別の場所にあります」

「そう。分かったわん」


 マソーの問いに答える形で、渡は契約を進める。

 渡は不思議とこの世界の文字を読めたし話すこともできたが、どうも書くのは別らしい。


(この辺り、どういう仕組みかは分からないな)


 幸いなことに多少税金がかかるだけで取引は問題なく成立した。

 そもそも文字を書けない人間も多いらしく代筆も認められるようだし、そういった者は印章でサイン代わりにする手もあるそうだ。


「これで奴隷はアナタの物よ。大切に扱ってあげてね」

「もちろんです。彼女たちが不幸にならないように万全を尽くします」

「奴隷は所有物扱いだから壊しても殺しても罪には問われないけれど、奴隷がした不祥事は持ち主が責任を取ることになるの。ちゃんと躾けることも奴隷主の仕事よ」

「分かりました。いろいろ教えて頂いてありがとうございます」

「いいのよ。これからお得意様になってね?」


 ずっしりと重たかった硬貨入れの紐をほどき、金貨と銀貨を並べる。

 たしかにあることを確認すると、マリエルとエアを引き渡された。


(ずいぶんと財布が軽くなってしまったな)


 一気に大金を持ち、次の瞬間にはその大半を失っている。

 あぶく銭と言われればそれまでだが、代わりに美しい奴隷が二人手に入っている。

 資産という意味では減っていないと捉えても良いだろう。

 砂糖を売って手に入った大金だ。

 別のもので稼ぐことも十分に可能なはず。

 そう考えると、現地情報を手に入れるためにも買ってお得だったはずだ。


 二人して質素ながらも清潔な服に着替えさせられている。

 こうして近くで改めて見ると、一目では奴隷と分からない。

 だが、服の下には奴隷紋が刻まれているのだった。


(うーん、薄い本で見たことがあるけど、奴隷を示すためだけの入れ墨ってエロいな)


 ヤクザものが入れている派手派手しい入れ墨とはまた違う趣があった。

 マリエルとエアが渡に頭を下げた。


「ご主人様、購入ありがとうございます。誠心誠意お仕えいたします」

「主、エアです。全力でどんな敵からも守ります」

「よろしく。君たちを買えて良かったよ。君たちが不幸にならないように、しっかり頑張るつもりだ。初めて奴隷を買うから、無茶苦茶な命令をしているときは教えてほしい。使い潰すつもりはないから」

「了解しました」


 二人して端正な顔にホッとした表情を浮かべる。

 どんな主人になのか、自分がどういう扱いを受けるのかわからずに不安だろう、という予想は当たっていたようだった。


 この世界で活動するにあたって、身の安全のために奴隷を購入したわけだが、懸念点が一つだけあった。

 それをまずは確認する必要があるだろう。


「とりあえず、俺が聞きたいのは、君たちは秘密を厳守できるかってことかな」

「私は大丈夫です。エアは?」

「問題ない、です! アタシは嘘も秘密のおしゃべりもしない!」

「まあ大丈夫だと思うんだけど、一応命令という形にしておこう。俺の素性を他人に明かさないこと。聞かれたら、俺に命令されてるから言えないと言っておいて」


 これで一安心だ。

 もちろん、突然こんなことを話して、一体どんな主人なのかと疑問を持たれる可能性は高いだろう。

 働いてくれる二人から信用されないのはとてもつらい。

 だから、できればちゃんと理由も明かしておきたかった。


「これから一緒に生活すればすぐに分かることだと思うけど、俺はちょっと特殊な方法でこの街に来て、滅多に手に入らないような貴重な商品を取り扱うつもりなんだ。だから、俺が何者でどこからどうやって商品を仕入れたのか、なんて聞かれると困るわけ」

「そういうことですか。了解しました。もとより話すつもりはありません」

「アタシも大丈夫!」


 にっこりと綺麗な笑みを浮かべたマリエルと、虎のような耳をぴょこぴょこと動かして尻尾を振るエアの態度に、少しは疑問を解けただろうか、と推測する。

 後の問題は、二人をどこに暮らしてもらうか、ということだ。


 はたして地球に二人を連れていけるのか。

 行けたとして、騒ぎにならないか。

 それともこちらの世界に住居を持って、そこで暮らしてもらった方が良いのか。


 考えられる候補はいろいろとあったが、あらためて住居を借りて、そこに寝泊まりするというのもお金がかかるし、何よりも時間が足りない。

 すでに日が暮れて暗くなってきているし、今更宿を探して契約して、というのも難しいだろう。


「とりあえず二人には俺の家に来てもらうから、ついて来て」

「かしこまりました。ほら、エア。行きましょう」

「アタシは後ろで主の背中を守る!」

「あら、早速お仕事ね。私はどうしましょう」

「良かったら、二人のことやこの街について話が聞きたいかな」


 星明かりの見え始めた空を見上げてから、渡は二人を連れて歩き始めた。


 ○


「これ、おかしい。アタシこわい……!」


 いやあ、本当に大変だった。

 異世界を繋ぐゲートを見た時の驚きようといったらなかった。

 マリエルは目を見開いていたし、エアなどは尻尾がぶわっと膨らんで尻込みしてなかなかゲートに飛び込まずに怯えていた。


 それでも渡が率先してゲートを潜ったからには、奴隷の二人があとを続かないわけにはいかない。

 恐る恐るといった様子でゲートを潜り抜け、そこで再び驚愕したようだった。


 ……というか、俺は何故こんなにも落ち着いていられるんだろうな。


 驚きはしたが恐怖は一切なかった。

 それどころかワクワクするような、あるいは暖かな気持ちになって、安心を覚えていたような気がする。

 あらためて冷静に振り返ってみれば、もうちょっと用心してもおかしくない状況だ。

 こんな現象を引き起こした存在に、どうして警戒心を覚えないのか。

 詳しいことは分からないのだが、自分の中にあった大丈夫だ、問題ないという確信を無視することはできなかった。


 地球の、というべきか。

 俺の住んでいる大阪は、ゲートの向こうの世界より少し時間が進んでいるためか、辺りは真っ暗だった。

 市内ということもあって電灯が照らしているから、真の闇というわけではないが、ゲートの開いたお地蔵さんの当たりは妙に薄暗く真っ暗だった。

 異世界でもそうだったが、ゲートが開いている周囲だけは人の知覚から外れてしまうようだ。


「こ、これは……急に夜になりました……」

「う、ううう。アタシの手にかかればどんな敵だってイチコロだ!」

「おいおいエア、襲ったら犯罪になるから止めてくれよ」

「これは転移魔法、でしょうか? 古代遺跡にはまだ高度な遺失魔術を用いた転移術が残っているのではないか、と聞いたことはありますが……。ご主人様は魔術師様だったのですね。道理で秘密を守ろうとなさるわけです」

「いや、これは俺の能力ってわけじゃないんだけどな」

「そうなのですか? ですが遺跡を使用できる者も選ばれし者だけだと習いました」


 きょろきょろと周囲を見渡し警戒を露わにするエアを宥め、豊富な知識からか早合点するマリエルの発言を否定する。

 お地蔵さんから我が家までは本当にすぐ近くで、歩いて二分ほどの距離だ。

 とりあえず黙ってついてくるように指示した後、俺はこれ以上目立ちませんようにと祈りながら急いで歩いた。


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