カウンターにザッと、金貨の小山が突き出された。
明かりに反射する、まばゆいばかりの黄金の輝き。
たった一枚で、日本円にして百万円近くもの価値があるという。
嘘だろ……たかが砂糖の袋ひとつでこれかよ……!?
それが積まれているのだ。
思った以上の大金に、
小山の上の金貨が一枚滑り落ちて、キン、と澄んだ音を立てる。
「どうぞお受け取りください」
商人のウィリアムが、笑顔を浮かべて言った。
バリトン歌手を思わせる深い広がりを持つ美声。
これだけの金があれば、何に使えるだろう……?
大抵の欲しいものは買い揃えられるし、豪遊だってできる。
金にガツガツするのは浅ましい。
武士は食わねど高楊枝、などという言葉もある。
だがお金はあって困るものではない。
目の前に大金が転がり込んでくれば、大抵の人は目が
それも金貨のように
それも今回は原資が、日本から買い入れた白砂糖だった。
それが金貨に化けたとなれば、いやでも欲が膨らむ。
もっともっと稼げる。
買いたいものはいくらでもあった。
お金を使った遊びもしたかった。
なにより出費にかつかつとしない生活が送りたかった。
ひょんなことから異世界と行き来ができるようになった青年、
彼が異世界と地球の両方で巨万の富を築き上げ、世界に多大な貢献を果たす最初の一歩だった。
○
夕暮れ空、大阪の街並みをトボトボと歩く一人の男がいた。
覇気のない猫背に疲れた顔。
中肉中背の大した特徴のない顔立ちで、手にはスーパーの買い物袋をさげ、リュックサックを背負っている。
六月の気温はすでに初夏としてかなり高く、歩いていると汗ばんだ。
「はぁー、一人暮らしがツラい。もっと俺に稼げる力があればなあ」
思わず、不安が口に出た。
結婚するには稼ぎが足りないし、そもそも定職にもつけてない。
これから俺、どうなるんだろうな……。
出会いもなければ稼ぎもない。
道行くカップルたちの姿が羨ましく感じる。
フリーランス・ライターといえば聞こえはいいが、実際は特定の稼ぎを持たない個人事業主だ。
名が売れているわけでもなければ、自分よりも文才に優れた書き手はいくらでもいる。
これから先よほどのチャンスを物にしなければ、成功は望めそうもない。
やりたいことだけをやって生きていくはずなのに、気付けばやりたくないことばかりがやってくる。
おまけに世間は増税だ、戦争だと暗いニュースばかり。
輝かしい未来も望めず、渡は落ち込んでいた。
仕事終わりの疲れた体に夕食の材料を買って、ようやく家に着く。
そんなときに、お地蔵さんが渡の目に止まった。
一体備えられてどれほどの年月が経ったのか。
古い地蔵は苔むして汚れていた。
周りには菓子袋のゴミや空き缶が捨てられていて、渡は不快に眉間を寄せた。
「こんなところにお地蔵さんがあったのか。……ずいぶんとボロボロだな」
祖父母に可愛がられた渡は、お地蔵さんには親しみがあった。
子どもの日にお菓子をもらっただけでなく、祖父母がよく線香を焚いたり、綺麗に拭き清めて拝んだりするのを見ていたからだ。
どうも渡が小さい頃は虚弱だったらしく、健やかに育ってくれるようにと願っていたそうだ。
祖父母は同じ府内でいまも元気に暮らしているが、優しく穏やかな二人の教えは渡にも染みついていた。
だから、住んでいる近くのお地蔵さんが汚れて朽ちていく姿を見るのは、精神衛生上あまりよろしくなかった。
不快な気持ちが湧きあがってくる。
「ゴミまで捨てられて罰当たりだな……。
買い物袋の中身をリュックに移し替えて、空になった袋に手を突っ込んで裏返す。
これでゴミに直接触れなくて良い。
気合を入れて、ゴミを拾った。
「うへえ、気持ちわりい」
袋越しに伝わるゴミの感触に顔を歪めながらも、ポイ捨てした人間に腹立たしさを覚える。
そんなときに、不意に眩い光が視界に広がった。
「うわっ!? なんだっ!?」
視界が真っ白になるほど強力な光に包まれたと思った次の瞬間には、光が収まった。
だが、目に映っている光景がまるで違う。
「ここは……えっ、マジで何処!?」
知らない天井だ……なんてギャグをいう余裕もない
渡は呆然と立っていた。
先ほどまでとは明らかに違う光景で、どことなく異国情緒が溢れていた。
土壁に平屋建ての街並み。アスファルトではなく土道が長く伸びている。
生えている樹も覚えがなかった。
それどころか気候まで違う。
どことなくしっとりとした冷たい風が身を包んで、渡は身を震わせた。
空も夕焼けではなく、まだ昼の気配を十分に残している。
「夢でも見てんのか?」
気でも触れたか……?
自分の正気を疑うが、五感はこれが現実だと言っていた。
全身から感じる圧倒的なリアル感は、夢でも妄想でもありえないものだ。
「コスプレ会場って感じじゃないよな」
視界に入る建物は西洋建築のものだった。
レンガ造りや土壁。
西洋瓦に覆われた背の低い建物が多く、コンクリートや鉄骨のような近代建築は一切目に入らない。
道行く人々の姿も、映画やゲームでもなければ見ないようなものばかりで、時代がかっている。
なによりも彫の深い顔立ちは日本人とは一目で違うし、そもそも
「これ、マジでマンガとかラノベでよく見たパターンか?」
思い当たる節のあった渡は疑問を口にするが、確証はなかった。
お地蔵さんを掃除していたら異世界に。
そんなことがありえるのか?
「ていうか俺は戻れるのか……? 異世界移住生活とか厳しすぎるんやけど……」
道行く人々は渡に誰も注意を払っていない。
異国人に対して奇異の目を向けないどころか、気付いた様子すらなかった。
驚きのあまり不審な独り言を連発しているのに、一切誰とも目が合わないのもおかしい。
何か不思議なことが起きているのは間違いない。
慌てていた渡だが、少し気を落ち着かせて周りを見渡せば、立っていた場所が何らかの祠であることが分かった。
おまけに空間にほつれがあり、その先に見慣れた街並みがあった。
えいっ、と気合を入れて空間に飛び込むと、大阪の街並みに。
夏の夕方のむわっとした空気が肌を包む。
「おぅ、戻れるじゃん。で、もう一度行ける? ……行けるじゃん!」
お地蔵さんの前に広がった空間にもう一度飛び込めば、異国の街並みに。
しっとりひんやりした空気。
不思議なことに、
「自由に行き来できるんならこっちのもんだ! ちょっと観光でもしてみるか!」
危険はなさそうだと分かったからには、この不思議な機会を無駄にしていられない。
せっかくの観光のチャンスだ。
自分でももっと安全に配慮した方が良いと分かっていながらも、本能的にこれは危険な話じゃないと感じた渡は、異国を堪能してみることにした。