テュールが消えたあと、広場ではどちらに賭けるべきかという話し合いが始まった。
生徒たちを中心として大半の人は現在優勢であるロジーナに全員で賭けるべきだと主張した。しかし、藤原をはじめとする教員たちが、どちらが勝っても戦力が残るように半分ずつ賭けるべきだと提案し、ではどのように人を分配するのかということが論点になったころ、状況は一変した。
「おーっと、ここでまたまた逆転だぁ!マリア選手が先行、いや独走していくぅ!このままマリアが勝利してしまうのか!いったいどうなってしまうんだ!?」
ロジーナがマリアに抜かれ、逆転が絶望的な状況がスクリーンに映し出されたのである。
誰かが、言葉も発さぬままマリア側の陣地へと移動した。それに続いて、1人、また1人とマリア側の陣地に移動し、最終的には我先にと移動が始まった。
そして、最終的にロジーナ側の陣地に移動したのは逢魔、頼光、藤原の三人だけとなった。
「アホどもめが、これではロジーナが勝った場合、ほとんど戦力が残らないではないか」
藤原が苛立たし気に吐き捨てる。
「…先生はレッカーマウルが勝つと思っているわけではないですね」
「どっちが勝つかわからんから、どっちが勝ってもいいように行動しただけだ。まぁ、この人数比では全員で無効にかけた方がよっぽど効率的かもしれんがな」
そういって頼光と藤原はため息をついた。
そんな中、逢魔だけはずっとスクリーンを見続けていた。マリアとロジーナの差がどんどんと広がっていく。それはもはや逆転ができぬ、絶望的なものとなっていた。
「(ロジーナさん…僕はどうしたらいいんだ)」
スサノオのときのように、自分が八岐大蛇と憑依すれば解決できるわけではない。
「(どうしたら、どうしたら…)」
逢魔が思考を巡らせていると、スクリーンには独走するマリアの姿が映し出された。無感情なまま、綺麗なフォームで加速を続けていく。
「おーっと、少しずつだがゴールが見えてきたぞ!ロジーナ選手は追ってこれない、これはマリア選手の1人旅だぁ!」
テュールのおちゃらけ解説にあわせて、マリアの姿がさらにアップで映し出される。本来風がないはずの宇宙空間にも関わらず可視化されるマリアを取り巻く空気の流れは、マリアのスピードを物語っていた。
「…!!!!」
そのとき、逢魔はあることに気が付いた。すぐに頼光と藤原にかけより、話しかける。
「すみません、ロジーナさんに連絡とる方法ってあります!?」
「何いってんだ、あんな上空にいる奴に連絡を取る方法があるわけないだろ。一体どうしたんだよ」
頼光がそんなものはないと答える。しかし、藤原は頼光と違う答えを出した。
「いや、あるぞ。ここからは無理だが、近くまでいけば腕時計デバイスの無線機能で連絡を取ることができる。少なくともお前がレースコース内に入れば問題なく繋がるだろう。…お前、私がデバイスを配布したときの説明を聞いてなかったな」
藤原が呆れたように付け足した。逢魔は「ごめんなさい!」といって、すぐにマリア側の陣地にいる人たちに叫ぶ。
「すみません!誰か僕をレースコースまで連れて行ってくれませんか。今ならまだ間に合うかもしれない!」
マリア側の人々が、「何を言っているだこいつは」という顔で逢魔を見つめる。
「今なら、絶対にロジーナさんが勝てる方法があるんです!それなら、全員がロジーナさんに賭ければ、全員が助かります!」
「いや、それならお前らがこっちにくれば全員助かるじゃないか。わざわざ危険を冒す必要はないだろ」
そうだ、そうだとマリア側の人々から反発の声が上がる。
「それだと、ロジーナさんが助かりません。僕たちだけが助かっても、それじゃあ全員が助かったことにはならないじゃないですか!」
逢魔の叫びに、広場に再び沈黙が訪れる。
「お願いします!誰か空を飛べるひと、手伝ってください!この中にいるでしょう、これだけの人がいるんだから!」
だが、誰からも声は上がらない。天空に設置されたレースコースまで一人でたどり着くことは不可能だった。地上からは見上げるしかないあの場所に、何としてでも向かわなければならない。焦りが胸を締め付ける。
だが、その場にいた人々は、わざわざロジーナ1人のために危険を冒す気にはならなかった。加えて、堕落した神々の『遊び』を邪魔することの危険性をよく知っていた。テュールの気まぐれな怒りに触れた者は、容赦なく殺されるかもしれない。逢魔の願いは恐怖をもたらすものでしかなかった。
「無理だよ……」
「わざわざそんなことする必要がないじゃないか」
「テュールに逆らったら、僕たちも殺されてしまうかも」
怯えた声が飛び交い、誰も手を差し伸べることはなかった。逢魔は絶望しかけたが、そのとき、静かな足音が聞こえた。顔を上げると、そこにいたのは源頼朝だった。
「俺がお前を連れて行ってやる」と頼朝は冷静に言い放った。
「頼朝、お前なんで…」
頼光が驚いたような声を上げた。
「うるせぇな、どうせこれだけ人数がいるんだから、俺がいなくても大して変わんねぇだろ。これで全員助かったなら、それはそれで儲けだし…あぁ、もういいんだよ、理由とかは!」
吐き捨てるように、頼朝が言い捨てる。
「ありがとう!本当にありがとう!」
「別にお前のためじゃねぇよ。とりあえず失敗したら許さないからな」
頼朝は逢魔を抱きかかえると、背中に大きな翼を広げた。天へと舞い上がる力強い風を感じながら、逢魔は頼朝に感謝しつつ、ロジーナの元へ急ぐ。
頼朝の翼は巨大で、風を切るたびに天を切り裂くように舞い上がっていく。逢魔はしっかりと彼の肩を掴みながら、目の前に広がるレースコースの影を睨んでいた。
「急がないとロジーナさんが負けてしまう……ごめん、頼朝君、もう少しスピードを上げられない?」逢魔は焦燥感に駆られて声を張り上げた。
頼朝は頷くだけで答え、さらに加速する。だが、彼らが進む道には、テュールが設置した魔道具が待ち構えていた。突然、空間にレーザービームが交差し、激しい光が二人の行く手を阻む。
「くそっ、こんなところにまで!」と頼朝は顔をしかめた。
頼朝は一瞬、ビームに臆したように翼を止めたが、すぐにロジーナとのレースを思い出す。あの時、ロジーナがどんな風にしてビームを避けたのか――その技を思い出し、頼朝は再び自信を取り戻す。
「ロジーナのように……ギリギリを狙えば、通り抜けられる!」
頼朝は心を決め、レーザービームの間を縫うように飛行を開始した。逢魔は彼の動きに合わせて体を縮め、必死に耐えながら進んでいく。鋭い光線が二人のすぐ近くを通り過ぎ、汗が滴り落ちる。
「よし、このままいける!」頼朝が叫ぶと同時に、レーザービームの最後の一撃をかわし、彼らは見事にセキュリティを突破した。
だが、その直後、突然鋭い痛みが頼朝を襲った。彼の翼が撃ち抜かれ、彼らは急激に高度を失い始めた。
「大丈夫、頼朝君!」
「くそっ、まだこんな罠が!」
だが、頼朝は微笑みながら逢魔を見下ろし、静かに言った。
「心配すんな。俺の役目はここまでだ。お前は行け。」
そう言うと、頼朝は逢魔を腕に力を込めて放り投げた。逢魔は空中を舞い上がり、最後の瞬間に頼朝の姿を見た。彼は親指を立てながら、翼を失ったまま落下していく。
「ありがとう、頼朝君……!」
涙をこらえつつ、逢魔はレースコースへと落下していく。その時に備えて、デバイスを操作する。そして、夜空の冷たさとは違う、夕暮れ時の海風が身体を包んだ。
デバイスの無線機能を全体通信へと切り替える。
「ロジーナさん! 聞いて、お母さんの着けてるイヤリングは『交換の指輪』だ! 」
◆ ◆ ◆ ◆
もはや、逆転は絶望的だった。
身体に力が入らない。いや、入ったとしても、それが自分を縛る鎖になる。
遠くに見える光に向かって、マリアの姿が進んでいく姿がみえる。
「(あぁ、せめて子どもを産んでから死ぬんだったなぁ…)」
もはや自分が死ぬことが決まった状況で、ロジーナはそんなことを考えた。
「(このまま死んだら、もう誰もテュールには挑めないよなぁ。いや、挑まなくてよくなったって考えればいいかな…)」
祖母の代から始まった復讐劇は、自分の代で終わり。親子三代の復讐は果たされず、結局レッカーマウル家はテュールに屈したことになるのだ。
「(ごめんな、母ちゃん、ばあちゃん、私負けちゃったよ)」
アドレナリンで麻痺していた感覚が戻りはじめ、もはやどうにもならない状況だということを脳が認識し始める。
絶望と後悔の渦のなか、ロジーナが思い出したのは、夕食を共にした青年のことだった。
例外だらけの編入生。前例もなく、最初はコネかと馬鹿にしていたが、気が付けば部屋にまで泊めていた。寝ぼけて大事なもの盗まれる間の抜けた変な奴。でも、確かに、彼と過ごした時間は暖かなものだった。
「草薙、助けてくれよぉ…」
宇宙に独り寄る辺もなく、そう呟いた時だった。
「ロジーナさん! 聞いて、お母さんの着けてるイヤリングは『交換の指輪』だ! 」
腕に付けたデバイスから、何故か草薙の声が聞こえてきた。
「えっ、草薙、なんで…」
「いいから!お母さんがゴールする前に、はやく!」
思考が急速的にクリアになっていく。
さっきまで絶対に届かないと思っていた、マリアの背中がはっきりと見えた。
「ありがとう、母さん」
マリアがこのレースの勝者をロジーナにさせるため、自ら命を犠牲にする覚悟でこのトリックを仕込んでいたことに気付く。涙が溢れそうになるが、今はそれを抑え、決断しなければならない。
手元の「交換の指輪」に残った魔力をありったけ注ぎ込む。
「・・・『交換(チェンジ)』っ!!」
光が一瞬の間に世界を包み込み、次の瞬間、ロジーナはゴールラインの直前にいた。
振り返ると、母の姿が遠くに見えた。
そして、そのままゴールを越え、ロジーナはレースの勝者となった。