「いったいどうなってるんだ」
「あれが堕落した神か、あまりの存在に身体が動かせなかった」
「おい、誰か外部と連絡がとれるやつはいるか!」
テュールが作り出したスクリーンが広がり、学園の生徒たちが恐怖に包まれた顔で映し出されていた。観客が必要だとテュールは言い、学園内の全生徒をこの狂気のゲームに巻き込んでいたのだ。スクリーンの前に無理やり転位された彼らは、成り行きを見守るしかない。
「おい逢魔、いったいどういう状況だ」
頼光君が、僕を見つけ眉間にしわを寄せながら小声で問いかけた。
「ロジーナさんのおばあさんとお母さんを殺した奴が『遊び』をしかけてきたんだよ」
「おいおい、この1週間でまた堕落した神と遭遇するとか、高等部じゃこれが普通なのか」
頼光君が意味がわからないと、頭を抱える。
「普通なわけがあるか。高等部だとしても、これは異常だ」
いつの間にか近くに藤原先生がいた。
「そもそも、スサノオ以前に学園のなかに堕落した神が出現したという事例はなかったのだ。それが、立て続けに続いて…草薙、お前なにか知っているのか」
藤原先生が僕をにらみつける。
「し、知らないですよ。堕落した神なんて、僕もスサノオが初めてです!」
焦って僕が答えると、テュールの間の抜けた声が響いた。
「それでは、レースの始まりだ!観客のみんな、準備は良いかな!?」
藤原先生は、僕から視線を切ってスクリーンを見つめる。
「…ならば良い。外部との連絡も一切とれない今、レッカーマウルに全てを託すしかないだろう」
テュールが叫び、巨大なレースコースの全貌が僕らの前に姿を現す。樹海の入り口は深い闇に包まれており、その奥には無数の枝や葉が複雑に絡み合い、まるで生き物のように動いていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「3・2・1…スタート!」
テュールの開始の合図と共に、ロジーナとマリアが同時に空へ舞い上がった。
マリアが無言で飛び出し、そのスピードはロジーナを圧倒する。
「第一ブロックは樹海だ!歪んで育った木々たちは曲者ぞろいだ!果たして無傷で通り抜けることができるかな?」
テュールのふざけた実況が始まる。
命のかかった状況であるにも関わらず、ロジーナはある種の興奮を覚えていた。
「(…やっぱり、母さんは凄い箒乗りだぜ!)」
マリアの動きは、ロジーナの記憶の中よりもはるかに洗練され、箒の操作は無駄が一切ない。
マリアとロジーナは、風を切るように猛スピードで飛んでいた。ロジーナの額には汗が滲み、全身が緊張に包まれている。木々は高くそびえ、その無数の枝がまるで罠のように彼女を取り囲む。だが、未来予知の魔眼が鮮明に働き、その予測に従って枝の間をすり抜けることができていた。
「くっ…!」
ロジーナは奥歯を食いしばり、目の前に迫る枝を避けるために急激な旋回を繰り返した。の箒はしなやかに空気を切り裂き、次々と現れる障害物を回避して進む。しかし、その先にいるマリア姿は、徐々に遠ざかっていく。
マリアは無感情な顔で黙々とレースを進めていく。生まれ持って驚異的な動体視力を持っていたマリアは、ロジーナの未来予知よりもタイムラグなく枝を避けていく。その動きはまるで風そのもののように滑らかで、ロジーナに追いつく隙を与えない。
「ほら見ろ!マリアがロジーナを引き離しているぞ!」
テュールの楽しそうな声が、樹海全体に響いた。まるでレースの実況解説者のように、常に状況を茶化している。
「ロジーナ、どうした?君の母はまだまだ現役の箒乗りだぞ!それとも、お前がただの子供すぎるのか?」
ロジーナは歯を食いしばりながら、テュールの言葉を頭の中から消そうとする。だが、その声は頭の中に直接響いてくるかのようで、無視することができない。
「まだレースは始まったばっかりだ…!」
ロジーナは自分に言い聞かせるように呟いた。だが、枝が次々と視界に現れ、その回避に次第に疲弊していくのが感じられる。未来予知の魔眼で予測できるとはいえ、その数はあまりにも多すぎる。体力は急速に消耗されていった。
一方で、マリアは疲れを見せることなく進んでいく。マリアの動きは、生前の経験に基づいたもののようだった。箒乗りとしての卓越した技術が、ロジーナとマリアの差として現れている。
「さあ、もうすぐ最初のチェックポイントだ!」
テュールの声が響く。
「マリアがもうすぐ到達するぞ。ロジーナ、お前はどうだ?まだ追いつけるか?」
ロジーナは目の前に広がる樹海の奥を睨みながら、全力で駆け抜けていた。しかし、疲労がロジーナを蝕んでいく。腕が重く感じられ、呼吸も荒くなっていた。
「だめだ、差が開いていく…!」
ロジーナの心の中で、絶望の声が響いた。これ以上どうすればいいのか分からなかった。未来予知の魔眼があっても、体力が続かない限りは意味を成さない。母の圧倒的なスピードに対して、自分はただ追いかけることしかできない。
そして、マリアがチェックポイントに到達した。軽々とその地点を通過し、次のエリアへと進んでいく。ロジーナがその瞬間を目にした時、箒をほんの一瞬だけ止めてしまった。
「ああ、マリアが先に通過したぞ!これはロジーナにとって非常に厳しい展開かぁ?」
テュールの嘲笑混じりの解説が響く。
「(それでも、進むしかない…!)
マリアに送れること2分、ロジーナは樹海のチェックポイントを通過した。
◆ ◆ ◆ ◆
チェックポイントを通過すると、景色が一気に拓けた。
「第二ブロックは大きな、大きな海だぞぉ!波に攫われないように、気をつけてね!」
ロジーナをおちょくるように、テュールの解説が響き渡る。
夕暮れの大海原は、赤く染まっていた。波はただの水ではなく、テュールの魔力で生み出されたものだ。それらは生き物のように形を変え、ロジーナとマリアの行く手を絶えず阻んでいる。
ロジーナは深く息を吸い込み、再び箒を飛ばし始めた。遅れを取り戻すために、さらに速度を上げる。しかし、母親との距離は開くばかりだった。
「舐めんなよ、このためにこちとら悪魔と契約してんだぜ!!」
ロジーナは「黄昏の身体」の力を発揮していた。昼と夜の狭間は、特別な力が引き出される時間だ。いつもよりも鋭敏な感覚、強化された魔力、そして箒を自在に操る力が普段の倍以上に増している。
「悪いけど、ここで一気に行かせてもらうよ、母さん!」
愛機であるフェイスフルジョンには、逢魔から借り受けた短刀が組み込んである。急ごしらえなそのチカラは、どう作用するかわからない。けれど、この場面以外に使うことは考えられなかった。
「(抱え落ちなんて嫌だぜ、頼むぞフェイスフルジョン…!!)」
手元のハンドルに搭載した隠しトリガーを引き、その力を解放する。短刀を搭載した穂は不気味な光を放つ。その瞬間、ロジーナの意識は未来の瞬間を映し出した。波の動き、空気の流れ、さらにはマリアの動きまでもが手に取るように見える。
「(気色悪い感覚なんだぜ…自分が“今”にいるのか“未来”にいるのか、わからなくなっちまう)」
ロジーナは力強く箒を前へと押し進めた。波が天高くそびえ立つように形を変え、押しつぶそうとするが、ロジーナはそれを事前に察知していた。未来を予知し、波の動きを完璧に見切ったロジーナは、鋭い回避行動で波の隙間をすり抜け、さらに加速する。
一方で、マリアはその卓越した動体視力と経験で波をかわし続けていた。相変わらず動きは鋭く、無駄がない。テュールの作り出したこの大海のコースでも、巧みに波をかわし、レースの先頭を維持していた。しかし、マリアの動きには、ロジーナとは異なる冷たい機械的な正確さがあった。魂を抜かれた影響か、感情が一切見えない。
「母さん…!」
ロジーナはその背中に追いつこうとしていた。母と娘、レッカーマウル家の二人が、波を縫うようにして競い合う。
緊張感が高まる中、ロジーナはさらにスピードを上げた。次第にロジーナとマリアの差が縮まっていく。
実況席のようにふるまうテュールが、茶々を入れるような声を響かせた。
「おお、ロジーナ!普段の力以上を発揮しているようだな?だが、まだまだ甘い!」
テュールの声には、悔しそうな響きがあった。しかし、その裏にはどこか演技じみた軽さも感じられた。まるでロジーナの挑戦を楽しんでいるかのようだった。
「さあ、次はどうする?君が母親を超えることはできるかな?」
ロジーナはその声を無視し、短刀の力をさらに引き出すことに集中した。未来の予知は彼女の視界に鮮明に映り続け、波の動きやマリアの飛行のパターンさえも手に取るようにわかる。それに応じて、ロジーナの動きは加速していく。
「…抜く!」
ついにロジーナは母親の背中に追いつき、瞬間的に前へと出た。黄昏の力と短刀の力を駆使し、波の間をすり抜けるようにして、マリアを追い抜いた。
「おーっとここでまさかの大逆転!第二チェックポイントに先に到着したのはロジーナ選手だぁー!」
テュールの言葉に反応するかのように、ロジーナはさらに加速し、マリアとの差を広げようとする。
しかし、その背後では、テュールが微かに笑みを浮かべていた。ロジーナが予知した未来が、果たして彼女にとって本当に有利なものかどうか、テュールは知っているかのようだった。