◆ ◆ ◆ ◆
スサノオはニタニタと笑っている。
「騙されない方が良い。そんなこといって、結局誰も生き残れないに決まってる」
闇川さんが僕に向かって言った。
「おいおい、信用ないのうワシ。わかった、神の名に誓って約束しよう。この『遊び』で生き残った奴は全員見逃してやろう」
やれやれ、といった感じでスサノオが宣誓する。
「神の約束は違えられん。これでいいかのう」
闇川さんは何かを考えるように黙っている。
満足したように僕の方を向いた、スサノオが残虐な顔をして笑う。
「さて、お前はどっちを選ぶ」
「ぼ、僕は…」
橘君か、闇川さんか、選ぶ。
僕に選ばれた方は死ぬことになる。
いや、僕が殺さなければいけないのが、この『遊び』のルールだ。
「…草薙、俺だ。俺を選べ」
橘君が叫ぶ。
「でも、そんなのっ!」
「単純に考えろ。俺か闇川かどちらが死ねば、残った奴は生き残ることができる。だったら、より強い方が残るべきだろ」
橘君は俯いていて、表情はわからない。
「少しでも強い奴を残して、こいつらを一体でも多く倒す。そうしなきゃ、俺たちみたいな被害にあう人が出ちまう」
試験前の「私たちはみんなあのクソったれどもに一泡吹かせるためにここにいんだよ」というロジーナさんの言葉が蘇る。
「俺の分までこの世界を頼んだぜ、闇川、草薙」
「…わかったわ。あなたの犠牲は絶対に無駄にしない」
きっと、この二人も自分の命を懸ける覚悟をして生きてきたんだ。
「草薙君」
闇川さんが僕にはっきりと告げる。
「今、選択する権利をもっているのはあなたよ。あなたが選ばなくちゃいけない」
さもなければ、残り二人も生き残れない。
闇川さんの瞳は、そう言っていた。
「そろそろ決まったか?待ちくたびれてしまったぞ」
スサノオは大きく伸びをした。
それだけの仕草なのに、その圧倒的な存在感がわかる。
今にも膝から崩れ落ちてしまいそうだ。
「では聞こう、どちらの首をはねる」
ニタニタとスサノオが聞いてくる。
―僕は。
―僕はっ!
「僕はどちらも選ばない」
「ばか、草薙っ…!」
はぁ、とスサノオが呆れたようにため息をつく。
「聞き間違いかのう、ワシはどちらかの首をはねろと言ったのだが」
「もういい、俺を選ぶって言え!このままじゃお前らも殺されちまう!」
だとしても―。
「橘君、君が言ってくれたんじゃないか。自分ができることをすれば良いって」
右手にもった小刀を天に掲げる。
「憑依・八岐大蛇」
僕は、僕にできることをしなければならない。
◆ ◆ ◆
爆発的な魔力が部屋を包む。
その奔流は、逢魔を中心に渦巻いていた。
それを見たスサノオはつまらなそうに逢魔に近づく。
「まったく、小賢しい。若造ひとりが悪魔の力を使ったところで、ワシには勝てんというのに」
仕方ない、でも言うようにスサノオは腰の太刀に手をかけた。
「つまらん、まったく、つまらんのう」
鞘から抜き放った太刀を逢魔に向けて一閃する。
しかし、その軌道は逢魔の首に届く前に逢魔の小刀によって阻まれた。
「よう神様、久しぶりだな」
逢魔の身体から、逢魔ではない存在が声を発する。
その目は黄色く輝いていた。
「何者だ、貴様」
「おいおい、忘れちまったのかよ。じゃあヒント、今日の俺は素面だぜ?」
ぐるん、と逢魔の身体が目にもとまらぬ速さで一回転したかと思うと、小刀の切っ先はスサノオを捉えていた。
「あ?」
ポトリ、と太刀をもったスサノオの手首が地面に落ちる。
「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
スサノオの雄叫びが試験室を震わせた。
◆ ◆ ◆
藤原のいる建物の壁にも亀裂が入り始めていた。
窓の外はとどまることを知らない大雨で、もはや何も見えない。
近くにいる試験管たちは先ほどのスサノオの雄叫びで意識を手放していた。
絶望的な状況のなかで、モニターに映し出される在り得ない光景を目にした藤原は、理事長とのやり取りを思い出していた。
「理事長。この草薙逢魔という生徒ですが、なぜ学園に入学が許可されたのですか」
手塩にかけた中等部の生徒の席が、どこの馬の骨ともわからぬ輩に奪われることを耳にして、理事長室へと駆け込んだのはつい先日のことである。
「資料によれば魔力を全く持たないそうですが」
試験管を務めることを理由に半ば強引に入手した生徒情報には、逢魔の出自と能力が記されていた。
協力関係にある暗殺者養成機関の権力者の義理の子息―。それ以外に評価に値する項目はなかった。
「まさか、権力者の子息だからということはありませんよね?」
「まぁ、正直それもあるな」
理事長は椅子に腰かけたまま、当然のように返答した。
「コネのために、ゼウスと交渉するなど、正気の沙汰ではありません」
ゼウスの機嫌を損ねれば、この学園だけでなく世界そのものの存続が難しくなる。
「藤原よ、一般的な生徒の悪魔の憑依率はどれくらいだ?」
「一般的には50~60%、生まれつき魔力量が多い生徒でも80%が限界でしょう。それ以上は魔力量的にも難しいですし、何より黄昏の身体であっても身体と精神が持ちません」
「100%だ」
「…は?」
「草薙逢魔は100%で悪魔を憑依することができる」
「そ、そんなことあり得ません!そんな憑依率に耐えられるはずない…」
「まだ契約している悪魔の能力を全て使えるわけではないようだがな、それが叶えば堕落神を一掃することもできるかもしれん」
突拍子もない話に、藤原は上手く思考することができなかった。
「上手く育てろよ」
これで話は終わりだというように、理事長は席を外した。
藤原は、スサノオの雄叫びを再びモニターへと目を戻す。
そこにはスサノオの手首を切り落とす逢魔の姿が映し出されていた。
藤原はこの異常な光景をただモニター越しに見つめることしかできなかった。
◆ ◆ ◆
「貴様、許さんぞ!この高貴な身体を傷つけてどうなるかわかっているのだろうな!」
「おいおい、先に切り付けてきたのはそっちじゃないか」
「それはお前が『遊び』を放棄したからだ!」
「…神様の手首を落としてもダメ?」
「ダメに決まっているだろう!」
あえてふざけているのか、逢魔はニヤニヤと笑っている。
話が通じない存在に、スサノオは苛立ちを隠すことができない。
「もう良い、貴様の魂を未来永劫弄んでやることにしよう!」
そういって、スサノオは左手で太刀を拾い、逢魔へと襲い掛かる。
あまりの素早さに橘と闇川は、その動きを目で追うことができなかった。
「死ねぇ!」
スサノオの太刀が逢魔の首を捉える。
スパっと、身体から切り離された逢魔の首が放物線を描く。
「草薙!」
橘が絶望したような声をあげる。
しかし、逢魔の首と身体は水となり、パシャリと地面に崩れ落ちた。
「何っ!」
気が付くと、スサノオの背後に、逢魔がいた。
スパっと、今度は左手首が落とされる。
「騙すのは得意でも、騙されるのは得意じゃないのか?」
背後に表れた逢魔の顔をみて、スサノオは悪寒がその身を走るのを感じた。
まるで蛇にでも睨まれたような、ネットリとした不快感が身を包む。
在り得ない。神である自分が人間の子1人に圧されている。
「何者なんだ、お主」
「本当にわかんないの?オレは一時もあんたのこと忘れたことはなかったぜ」
「何の話をしている」
「あんたの首を落とすために、悠久の時間のなかで、牙を研ぎ続けてきたんだ」
そういって、逢魔は小刀を握りなおす。
スサノオは、本能的にまずいと思った。
「わかった、わかった、今回はワシの負けだ。この『遊び』はお主たちの勝ちで良い!」
おかしい、何かがおかしい。今はとりあえず考える時間が欲しい。
スサノオは無意識のうちに、自分が弄んできた人間たちの真似をした。
しかし、そんなスサノオの言葉を聞くことなく、スパっと逢魔の腕が降られる。
「あっ?」
スサノオは、自分の首が落とされたことに気が付いた。
ぐるんぐるんと回転する首から、逢魔と目があった。
逢魔の瞳の奥には、瞼がもう一枚あった。
「じゃあな、嘘付きな神様」
身体から切り離された首に、逢魔の右手が伸びた。
伸ばされた逢魔の右手が、蛇の頭へと姿を変える。
スサノオが最後にみた光景は、大きく開かれた赤い口と鋭い牙であった。