「あれ、ユズ? ここまで来て、どうしたの?」
「……トゥーレちゃん」
しばらくして、騒ぎを聞きつけて兵団本部から出てきてくれたのはトゥーレちゃんだった。
何が起こったのかはまだ把握していないようだけど、わたしの様子を見てはすぐに手を取ってくれる。
その安心感に、立ち尽くすだけだったわたしはずるっと蹲って、やっと大きく息を吐く。
手だけはしっかりと握りながら。
「どっ、大丈夫? 何があったの? アンセム? マカロさん」
ぎゅううっと力強く握って、縋り付くようにトゥーレちゃんの存在を感じる。心が落ち着く。たまらなくなる。
わたしは、胸元にぎゅっと寄せていた、風呂敷で包んだお弁当を、泣きじゃくりながら彼女に送る。
「おべんどう、づぐっでぎまじた……」
「ちょっ、ユズ?」
後頭部を掻いて言葉を探すようなマカロさんが見える。そもそも何が起きたのか理解しきれていなくて、気まずそうに押し黙るアンセムくんも。
そんな二人を差し置いて、彼ら以上にこの場で戸惑っているはずのトゥーレちゃんにわたしはひたすら甘え続けた。
何もせず、何も言えず、ただそこにいて欲しくて、ぎゅっと手を握る。
確認するように。信じるように。
彼女だけは、彼女だけはって。
「ユズ、大丈夫だよ。安心して」
「てゅーれちゃん……」
「お弁当、作ってくれたんだ。じゃあ一度なかに行こう」
「……、はい……」
「アンセム。マカロさん。ありがとうございます。あとは任せてください」
「う、うん」
「おう……あのな、詳細はこの子が話すだろうからなにも言わないが、一応シエル様には報告しておく。覚悟はしといてくれ」
「……はい」
気にしない。耳にいれない。トゥーレちゃんだけいればいい。誰も信じられない。こわい。
立ち上がり、トゥーレちゃんに引かれるまま兵団本部内の個室へと向かう。
誘導され、対面に座ると、テーブルの大きさのせいでトゥーレちゃんと触れ合えなくなってしまって、不安感にまた支配される。
大丈夫、大丈夫、トゥーレちゃんはここにいる。目の前にいる。
トゥーレちゃんは、大丈夫だ。絶対。
「ん、すごいね。美味しそう」
手を合わせて、お箸をもって。
お弁当は何があってもずっと離さなかった。ずっと離さず持っていたけど、蓋を開ければやっぱりちょっとだけ傾きが出来ていて……わたしは悲しくなってしまう。
今日のお弁当は、ものすごくオーソドックスでわたしに馴染み深いような、素朴なものにしていました。日の丸ご飯と、鮭の切り身。タコさんウインナーと、ちょっとのナポリタンと、甘い卵焼き、プチトマト。
本当は、これでわたしの故郷の話をしたいなって思っていて、作ったやつ。
「いただきます」
なぜかトゥーレちゃんはいつものお祈りを言わなかった。
わたしがしていた挨拶のほうをしてくれた。
「……うん。美味しい。やっぱりユズは料理が上手だね」
なにもない室内で、トゥーレちゃんの声だけがずっと聴こえる。
ぽつぽつと、彼女が間を取り持とうと、お話をしてくれる。
「私は家事が苦手なんだ。この村を守りたくて、だから仕事ばかり。訓練ばかりに身を費やして、ほら。エルフの一生は長いからって、ずっと先伸ばしにしていてね」
タコさんウインナーをつまんで、「かわいいね」なんて呟きも挟んで。
「ユズのおかげなんだよ。仕事以外のことを見れるようになったのは。一日一日を大事にしようって思えたのは。本当に、ひどかったんだ」
梅干しを食べて酸っぱそうにするトゥーレちゃんがかわいくて、嬉しくて。
「ねぇ、ユズ。君は私の世界を作ってくれた。運命だよ。全てが。これが正しいんだ。私とユズの世界で、物語で、生活なんだよ」
ごちそうさまと手を合わせて、わたしにおじぎをしてくれて。
「ユズ。君と過ごした日々は短くても、とても長い思い出が確かに詰まっているんだと思う。私に彩りを与えてくれているんだ。これからも、それを頼んでいいかな」
もうひとつの箱を開けて、そのなかに入っているうさぎカットのりんごを見て、「ん、すごいね。器用だなぁ」なんて笑ってくれて。
「ユズ。私は君が大好きだ。だから君が許してくれる限り、私は君のそばにありたいと思うし、君に降りかかる全ての災いをはね除けていこうと思う。ユズ、左手を見て」
「……?」
おもむろに眺めても、にじんだ視界はぼやけてしまってよく分からなくて、でもそこにある青色は美しくて、鮮明で。
「私はこれがたまらなく嬉しかったよ。今でも眺めてはつい、にやけてしまうくらいに」
とても優しく、穏やかな目で、ブレスレットを見つめるトゥーレちゃんが、「ユズは?」と訪ねてくれるから。
「わたし、も……嬉しかった……」
「でしょ」
微笑んでくれるトゥーレちゃんが大好きだ。
ぐっちゃな顔を隠すようにごしごしとして、深呼吸して、まっすぐトゥーレちゃんを見る。
「……あのね、トゥーレちゃん」
「うん」
「さっき、高崎さんがまた来たんだ」
「うん」
「思い直したかどうか聞かれて」
「うん」
「でもわたし、ここが好きだから。トゥーレちゃんと離れたくないから。みんなと離れたくなかったからね?」
「うん」
「イヤです、って言ったんだ」
「うん」
「そしたら、腕捕まれて、アンセムくんが助けてくれたけど今度は凄そうな魔法で狙われて」
「……そう」
「マカロさんが防いでくれたけど、怖くて。そしたら、村のみんなにね」
「うん」
「選べって。私を差し出して苦しまない死か、抵抗して殺される死かって」
「………」
「こ、こわくて。信じられなくなっちゃって。もう、どうしようもなくて、パニックになっちゃってて」
「うん」
「わ、わたしはっ、どうすればいいの、かな……?」
――それが、卑怯な問いなのは分かっていた。
トゥーレちゃんに答えられるわけないのを知っていて、わざと聞いた。案の定彼女は思い詰めた表情をしていて、でもわたしは、そんな汚い自分が嫌いになってきて、自分がしたことなのに申し訳なくなってしまうお馬鹿さんで。
でも、でもね。トゥーレちゃんが言ってくれたら、わたし、そうなれる気がするんだ。トゥーレちゃんにだったら、なに言われても、なにされても、命令されても、大丈夫。
大丈夫なんだよ。
本当は、もう後戻り出来ない場所にいて、償えない所にまで来てしまっていて、今更な選択になってしまっているけれど。
でも、だからこそ。
「ユズ」
「……はい」
「口開けて」
「はえ……?」
「目も閉じて」
「ぁぅ……?」
――んんん!?
な、びっくりした! おっきいおっきい、なにこれ? りんご? んん?
「ほら、笑って。にーってやって、いつもみたいに」
「んんっんん……ふぇ、ふぇえ……?」
「早く」
「に、にぃー……?」
よく分からない。なにをさせられているの?
とりあえずは、言う通り。
なんてしていたら、トゥーレちゃんはふいに。
本当に簡単に、いつもと変わらないような、優しさと強かさで。
「ユズ。私のために生きて。私も死なない。村を守る私がいれば、みんなも死なない。世界は滅ばない。ずっと続いていく」
「………」
だから。
「――あの敵を、追い返そう。世界の外に」