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適応者達の挽歌:エピローグ





 ヴィルトの起こした騒動から二週間が経とうとしていた。多くのメディアを賑わせた立て籠もり事件の話題も、すっかり薄れて来た今日この頃。

 黒田教授が懸念していた、ススムやランセントのような異形化能力の存在が広く公になった事による『異形化能力者の大量発生』という事態も起こらず、世間は平穏な日常へと戻っていく。


 異形化能力者が増えるかもしれないという懸念は、適応者のウィルスが非適応者である発症者のウィルスに情報を伝えて、発症者が適応者化する事から、異形化にも同じ現象が起きるのではないかと危惧されたところから出ていた。

 異形化については、今のところ発動の条件もよく分かっていないので、もし一般に広まるような事になった場合、社会への影響が一層心配される。


「まあ、条件の一つとしては、菌糸状の細胞が形成されるほど感染深度が重度である事かな」


 ランセントの破片を回収して研究所に持ち込んでいた黒田教授が、そう語っていた。


「それなら、わたしもモジャモジャ怪人になるかも?」

「うーん、どうだろうなぁ」


 美比呂に『モジャモジャ怪人』認定された異形化形態については、ススム自身もその発動を自在にコントロール出来ている訳ではないので、何とも判断できないと答える。


「まあ、美比呂が異形化したら、転んだ拍子に町の彼方此方を破壊したりとかし兼ねんから、是非今のままの君で居て欲しい」


「む〜〜、わたしそこまでどんくさくないよっ! ——あっ、スライスマウンテン空いてる」

「お、ほんとだ。並ぶか」


 今、ススムと美比呂は、前々から計画していた遊園地でのデートに来ていた。ススムが本格的な休暇を貰えたので、二人で泊まりがけの小旅行を敢行したのだ。

 こういった敷地内において、適応者は人混みの中を自由に歩く事は出来ないので専用のレーンを歩いているのだが、ススム達の他にも適応者カップルの姿は意外に多かった。


 キレがいいと人気の絶叫系コースター・スライスマウンテンの列に二人で並んでいると、搭乗口の付近から何やら言い争うような声が聞こえた。

 見れば、親子連れらしき客が、係り員と揉めている。


「だから、接触には十分気を付けてると言ってるじゃないか!」

「規則ですので、無理です」


 どうやら健常者の両親と適応者の子供という組み合わせの家族らしく、子供の方は小学生くらいの女の子。このアトラクションでは、小さい子供を一人で乗せる事は、規則で禁じられている。

 なので保護者と一緒に乗る事になるのだが、健常者と適応者を同じ車両に乗せるのは、遊園地のアトラクションに限らず原則禁止となっている。

 電車やバスなどで健常者と適応者が同乗する場合は、互いに一座席分を空けなくてはならない。(それが原因でよく乗客同士のトラブルが起きたりする)


 今回のケースは、適応者の子供と同乗しようとした両親が健常者だった事や、他に適応者の身内が居なかった事が揉める原因になったようだ。


「とにかく、規則ですんで」

「規則、規則て、お前何だらワシら家族ぞばー!」

「おとーさん、もういいよぉ」


 適応者の女の子は、係り員に食って掛かる父親の服をつまんで引っ張りながら、恥ずかしそうに止めようとしている。母親はオロオロするばかり。

 そろそろ後ろが詰まって来た事もあって、若い係り員からも苛々した様子が覗えた。


「ススム君」

「ああ」


 美比呂が、ススムと繋いでいた手をそっと離して見上げると、ススムも意図を汲み取って頷いた。気持ちの通じ合う二人。

 適応特科として介入するのは大袈裟なので、ススムは個人的にこの揉め事を収めに掛かる。とりあえず噛み噛み親父さんに声を掛けた。


「まあまあお父さん、落ち着いて。娘さんも困ってますよ」

「あぁん? 何だーお前はー!」


 周囲に気を向けさせようと、遠回しに「周りの迷惑にもなってますよ」というニュアンスを含ませるススムだったが、上手く読み取って貰えなかったようだ。すっかりエキサイトしている様子の父親は、ススムにも噛み付く。

 だが、ここで母親がススムの顔を見てハッとなった。


「あ、貴方は、あの時の……!」

「はい?」


 母親は、状況を無視してススムに向き直ると、深々と頭を下げながら言った。


「あ、あのっ、娘のゆなの事、ありがとうございましたっ」

「ゆな? ゆな……ああっ、由奈子ちゃんか!」


 ポカンとしている父親や、キョトンとした表情で見上げて来る女の子。その子の名前を口にしてススムも思い出した。

 ショッピングモールの避難所の手伝いを終え、里羽田病院から地元の町へリアカーを引いて帰る道中に出会った、というか見つけた、子犬を連れた子供の発症者。

 小さい住宅地に続く道の途中で、バリケード代わりに置かれたと思われる車に引っ掛かっていた女の子だ。


(となると、父親への対処法は——)


 ススムはあの時の家族の様子を思い出しながら、父親を宥めに掛かる。ススムの分析では、この父親は感情的になった自分に酔う形でさらに感情を高ぶらせていくタイプだと見ている。

 ならば、感情の高ぶりに冷や水を浴びせるような、気持ちの盛り上がりを挫くような事を言ってやればいい。


加瀬かせさん〜、せっかく親子で遊びに来た遊園地なのに、由奈子ちゃん悲しませちゃ駄目じゃないですか〜。それにしても適応者の娘さんとお出掛けしてるって事は、ちゃんと不死病とも向き合えてるって事ですよねー、立派です」

「ああ、いやまあ……これはその……」


 しどろもどろになる父親。

 彼は、発症状態の由奈子をススムが家まで送り届けてやった時、何故かススムに食って掛かるという行動に出た。

 だが、ススムが自身も感染者である事を告げると、母親や上の娘も放置して一人玄関に逃げ込むという醜態を見せた過去がある。

 それを思い出させてやる事で、すっかり勢いを失くす父親。


 アトラクションへの行列は、既に他の係り員達の誘導でススム達を迂回して進んでいる。ここで美比呂がススムのフォローに動いた。


「ゆなちゃん、お姉ちゃん達といっしょに乗ろっか」

「あ、はい、お願いします」


 渡りに船とばかりに、美比呂の提案を即座に受け入れる由奈子。ススムは『良く出来た子だなぁ』という印象を持った。


(娘と乗るつもりだった親父さんには悪いけど、ここは由奈子ちゃんの楽しみを優先だな)


 日帰りで遊びに来ているらしい加瀬親子の為に、その後も適応者カップルであるススムと美比呂が保護者代わりとなって、アトラクション巡りで同乗して回った。

 二人きりのデートなら、明日も出来る。


 由奈子とススム達が手を繋いで歩く姿を見た母親から、「若夫婦みたいね〜」と言われて美比呂が挙動不審になったり、少し拗ねていた父親がカメラマンに徹し始めたりと、お互いに楽しい時間を過ごすことが出来た。



 夕刻になり、加瀬親子は帰宅の途に就く。


「ばいばーい、お姉ちゃんたちー」

「またねー、ゆなちゃん」


 ゲート前で手を振り振り別れると、少ししんみりした空気になった。適応者が存在する社会では、今回のような問題はいくつも起きている。

 子を想う親であっても、うっかり触れ合って感染した場合、処置が遅れれば発症者となって死に繋がる不死病の脅威は、未だ健在なのだ。


「子供かぁ……」

「……」


 美比呂の呟きに、ススムは以前、黒田教授から聞いた話を思い出す。適応者の女性は子を宿せるのか、という推論。

 ヒトの肉体に置き換わった適応者のウィルス腫瘍細胞は、何処まで元の内臓器官の働きを再現するのか。


 現在の美比呂の身体は、ススムとの度重なる深い接触により、今や菌糸体を形成出来るほどまで重度化している。もし、ウィルス腫瘍が二人の子供を作ろうとした場合、双方の細胞を掛け合わせた新たな人体の構築を以て『子を成す』行為とする事が推察されるという。


 ただ、適応者には肉体的成長の概念があるのかどうかも分からない。

 果たして、赤ん坊のような状態の人体から構築して徐々に成長させて行くのか、いきなり一定の年頃のヒトを組み上げるのか。


 ぼんやり美比呂を見ながらススムがそんな事を考えていると、そっと身体を寄せて来た美比呂が手を握る。


「ススム君」

「うん?」


 じっと見上げて来る美比呂を見つめ返すと、何時になく真剣な雰囲気でこんな事を言った。


「わたしたちって、なにか残せるのかな?」


 二人が生きて、愛し合った証を、この世界に残せるのだろうかという疑問。

 勿論、記録は残るだろう。ススムは類稀なる異常適応者のランク・アブノーマリティ。美比呂は、そのススムをヒトの世に繋ぎ止める役割を果たした発症者からの復帰適応者として。不死病の脅威から復興した世界の歴史の片隅に、記されるに値する功績を残している。


 しかし、美比呂が話題にした「残せるもの」とは、そういった類のモノでは無い事を、ススムも分かっていた。


「俺達の、生きた証か……」


 美比呂の手を握り返しながら、ススムも呟く。

 遊園地のメインストリートでは、煌びやかな夜のパレードが始まろうとしていた。多くの見物人が集まっているが、そこには健常者と適応者を明確に分けた境界線が見える。


 適応者である事は、一個体としてのメリットは大きいが、社会的な不自由も決して少なくはない。それでも、社会との関わりを保ち、今の時代を精一杯生きて行く活動を続けていれば——


「——その痕跡が、俺達の存在していた証になるんじゃないかな」


 ススムはそう語って、美比呂を見つめた。パレードの音楽が近付いて来る。美比呂は、ススムを見上げながら言った。


「んー、そんな難しい話じゃなくて、よーするに赤ちゃん作れるのかなーって意味なんだけどね」

「……最後までカッコつけさせてくれよ」


 せっかくシリアスに決めていたのに、ナナメ上にぶん投げるのはやめてくれと抗議するススム。えへへと笑った美比呂は、ススムの手を引いて歩き出す。


「パレード見にいこ?」

「はいはい」


 やれやれと肩を竦めつつ、今日のデートの締めくくりに付き合うススムなのであった。



 美比呂の呟いた疑問が、本当に子作りを本題にしていたのか、『格好良く決めたススム』に照れて誤魔化したのかは、美比呂のみぞ知る。




 適応者達の挽歌:おわり





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