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適応者達の挽歌6





 自分の研究室で各種データの処理をしていた黒田教授は、海外の個人的な知り合いから送られて来た画像付きの秘匿メールを読んで、深刻な表情を浮かべていた。


「これは……」


 黒田教授は直ぐに電話の受話器を取ると、適応特科の直通回線に繋いだ。二度ほどのコールで、適応特科本部ビルに詰める本部長が応答する。


『適応特科本部だが』

「私だ、緊急の情報がある」


『黒田教授? 何があった』


 本部長と話す黒田の、PCモニターに開かれている画像には、異形の姿が映し出されていた。



 ヴィルトによる同時多発立て籠もりテロで騒めく都心。

 首謀者ランセントと幹部の所在が明らかになり、応援の部隊が霧ヶ淵高校に向かう中、適応特科本部に届けられた黒田教授からの緊急情報。

 黒田教授の知り合いで、Atlas科学研究所に所属する海外メンバーからのリークだという。


『向こうの捜査機関から提供されたヴィルトに関する情報の中で、ランセント容疑者が持つ特性について隠蔽されていた内容があった』


 それは、ランセント容疑者にはススムと同じく、異形化する能力があるという事実。旧ヴィルトのアジトを制圧した特殊部隊を、壊滅させた元凶でもある。


『恐らく、ランク・アブノーマリティの大木君をランセント容疑者にぶつける事で、件の特性、トランセンデント超越者と、大木君の異形化の観測を目論んでいたのだろう』

「あちらさんは、日本を異常適応者の実験観測場にでもする気だったのか……?」


 本部長の呟きに、黒田教授はその可能性もあるとしたうえで、現場には二人の異形化能力者を観測する為の研究工作員が近くに潜んでいるはずだと示唆する。


「分かった。そちらの対処には公安の外事課に動いてもらう」

『妥当なところだろう。問題は、現場の被害と他の適応者に対する影響だ』


 本部長は、不死病と適応者に関する事案においては黒田教授を全面的に信頼している。故に、適応特科の方針についても、さり気なく助言を求めた。


「大木達への援護は?」

『それは必要無いと思う』


 黒田教授は、ススムがランセント容疑者に殲滅される可能性は、ほぼゼロだと断言する。根拠は、ランセント容疑者が合衆国研究所に推定ランク20と判定されている事。


『彼等は、大木君が何故ランク・アブノーマリティとされているのか、思い知る事になるだろう』



 霧ヶ淵高校の崩れた校舎近く。瓦礫と肉片が散乱する校庭にて。ススムは、己の身体が変化していくのを感じながら、真下を向いた視界に映るそれを見詰めていた。


 少し大きめだった帽子は脱げ、解けた髪が地面に広がっている。先程会話をした時の、凛としたイメージとは別人のような、柔らかい雰囲気の女性が、生気の無い虚ろな瞳で虚空を見つめている。

 口元から流れ出た赤い液体は、首筋を伝って胸元に落ちて、千切れた断面へと溶けていた。数分前まで確かに生きていた。

 適応対策部、殲滅部隊の女性指揮官。彼女の凄惨な遺体を見詰めながら、ススムは自問する。


(まただ……)


 なぜあの時、あいつテリオを潰しておかなかった?


(沢山の避難した生徒が居た……健常者は皆、無事だった……)


 無闇に犠牲を出さない連中だと思って、だから手心を加えた?


(前にもそうやって——)


 避難所の手伝いをしていた頃の記憶が脳裏に浮かぶ。まだ中学生だった彼女由紀の首に、ボルト矢が突き刺さる瞬間がフラッシュバックする。


(また、俺は——)


 そこで、意識が弾けた。


 ヴォオオオオオオオオ——


 殲滅を決意した咆哮と共に、理性を心の奥底へと沈めたススムは、殺意の塊となってその元凶を潰しに掛かった。



 二メートルを超える巨体とは思えないほどの速度で、一気に距離を詰めて来た異形化形態のススムに対し、超越者形態のランセントは即座に臨戦態勢を取った。

 カギ爪の狙いを定めて腕を突き出す。しかし、ススムはランセントの脇を擦り抜けてテリオを掴んだ。


(速い……!?)

「うわぁ!」


 躱す間も無く、両足をひと握りで掴み上げられたテリオは、慌ててランセントに助けを求める。ススムは、そのままテリオの足を握りつぶした。


(こいつを)


 骨や肉が潰される音が響き、圧壊して肉片となったテリオの脚だった部分が、ボトボトと地面に落ちる。ススムはさらに、もがくテリオの上半身を掴む。


(初めから)

「ボ、ボス! ボスゥウウ!」


 半狂乱となって叫ぶテリオの身体が、メキメキと握りつぶされていく。駆け付けたランセントがススムに攻撃を加えるが、効果が無い。


(こうやって、ちゃんと)

「ボスゥウウ! た、たひゅけ——ぐげっ」


 遂に上半身も肉塊となるテリオ。ブシャッと舞い散った血煙がススムの異形化した腕や頭を赤色に染める。


(ぐちゃぐちゃに! 潰しておけばっ!)


 テリオの肉塊を尚もすり潰そうとするススムに、ランセントが全力の攻撃を叩き込んだ。


『グルアアアアアア』


 しかし、蹴っても殴ってもススムの異形化形態はビクともしない。このままでは、テリオが復活出来なくなる。焦ったランセントは、ススムの腕を掴んで引き剥がそうとした。


『グルァア——ガッ』

『グォオウ!』


 そのランセントの頭を、テリオの肉塊を握り潰している両手でぶん殴るススム。ズガァンという砲撃音のような打撃音を響かせ、空中で半回転したランセントの身体が地面にめり込む。


(そうすれば! 応援部隊の隊員も、指揮官の人も、死なずに済んだんだ!)


 ミンチになったテリオの肉塊を足元に叩きつけたススムは、そのまま踏み潰した。ここまで細切れにされたのでは、いかな高ランク適応者とは言え、再生修復は不可能だろう。


『グルアアアアアア!』


 自分の右腕でもあった参謀のテリオを潰され、激昂したランセントは素早く立ち上がってススムの背後に回り込むと、強打を繰り出すべく大きく振り被る。


 パアアアン


 超越者形態トランセンデントのコークスクリュー・ブローが放たれるも、その右腕が破裂した。異形化形態アブノーマリティの左腕が鋭い槍状に変形して、ランセントの右腕を穿ち抜いたのだ。

 弾け跳んだ右腕の断面から、菌糸状になった細胞が溢れ出して再生を始める。特徴的だった大きい腕の片方が無くなった事で、バランスを崩したランセントは片膝を突いた。


(なんだ……っ! なんなんだ、コイツは! 俺は、超越者なんだぞ! 合衆国研究所で推定ランク20と判定された——世界最強の生物なのに!)


 異常適応者に覚醒してからのランセントは、文字通り無敵だった。突き抜けた高ランク適応者の強靭な身体には、銃もナイフも効かなかった。

 同じ高ランク適応者同士の戦いでも、その圧倒的な力で全てを捻じ伏せて来たのだ。そんな自分の前に立ち塞がる怪物。異形化形態のススムが、状況に応じて形状を変える右腕を振り被った。


 ランセントは、自分より強い相手怪物と、戦った事など無かった。



 ススムの『ランク・アブノーマリティ』は、『計測不能』の判定がなされている。

 それは、文字通り『力の計測が出来ない』事を指していた。何しろ『推定』の試算さえ出来ないのだ。どんな計測器を使っても、最終的に限界値を超えて壊れてしまう。


 ランセントには限界があるが、ススムには無い。常に状況に対応し、相手がどれだけ強くても、それを超える為に必要な力が出せる。

 それ故に、『計測不能のランク・アブノーマリティ』なのだ。



 崩れた校舎から砂塵が舞う霧ヶ淵高校に、お昼休みを報せる鐘が鳴る。

 普段であれば、生徒達が遊びやスポーツに勤しむ長閑な光景が見られたグラウンドには、避難した全校生徒と教師達、彼等を護る警察隊が一塊になっている姿があった。


 テロリスト集団『ヴィルト』の幹部達と、適応特科チームとの戦闘は、首謀者ランセントの殲滅をもって終わりを告げた。スナップは、戦意を喪失して投降を受け入れた。

 校庭に出来た大穴の底には、粉々に粉砕された超越者形態トランセンデントの残骸が散らばっていた。

 その大穴の淵に佇む異形の怪物。異形化形態を解かないススムに、誰もが近付く事が出来ない。戦いが終わったにも関わらず、現場には奇妙な緊張が漂っていた。


「おい、ススム。どうしたんだよ」


 篠口の呼び掛けにも応えない。ススムは、穴の底を見詰めながら自問を続けていた。


(ヒトの真似事なんかしてるから、判断に甘さが出るんじゃないか?)


 もう化け物このままでいいじゃないか——ススムがそんな事を考えていたその時、直ぐ傍に寄り添う人影があった。


「あれ、みーちゃん!」


 生徒達の集団の中で様子を覗っていた美比呂の友人宏美が、異形ススムの傍らに寄る美比呂に気付いて声を上げる。



「ススム君」

『ミ……ヒロ……』


 僅かに身じろぐ異形の怪物を見上げた美比呂は、普段と変わりない口調で話し掛けた。


「そんな姿じゃデート出来ないよ?」

『……』


 ススムが自分の意思で異形化を解かないでいると気付いた美比呂は、ススムをヒトの姿に戻す為、いつかのように説得を試みる。


「ね? もどろ?」


 歩み寄った美比呂は、ススムの身体によじ登ると、血肉に塗れた恐ろしい顔を晒す怪物の耳元に顔を寄せて、囁いた。


「それに、その身体じゃあ————も出来ないし」


 怪物が、ぶふっと吹き出した。


 その体躯から怒りや殺意が抜けていくように蒸気が噴出し、異形化形態が解かれていく。やがて蒸気が晴れると、ヒトの姿に戻ったススムが現れた。


 ススムは、自分を見上げている美比呂の両肩をそっと抱き寄せると、感謝と謝罪の言葉を紡ぐ。


「ごめん、自分を見失うところだった。——ありがとう」

「ふふー、どーいたしましてー」


 にこーっと、いつものゆるーい笑顔を向けられたススムは、そのまま吸い寄せられるように顔を近づけようとして——


「ごっほん!」


 篠口のやたらわざとらしい咳払いで急ブレーキを掛けた。

 中途半端な姿勢になったまま、恐る恐る周囲に視線を向けると、避難している全校生徒や教師、警察隊、適応対策部の生き残り隊員達、それに駆け付けた応援部隊の皆さんから注目を浴びていた。


(や……やばかった)


 何せ、美比呂は現役女子高生。ススムは立派な成人男性の公務員である。

 こんな場所でキスなどして見せようモノなら、スキャンダルの嵐が吹き荒れて世の新聞や週刊誌を賑わす事になるところであった。



 この日、テロリスト集団『ヴィルト』が起こした『同時多発立て籠もり事件』は、数人の殉職者という痛ましい犠牲を出しながらも、適応特科や警察の活躍により、迅速に収められたのだった。





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