校庭に避難した生徒達は、警察隊の誘導に従ってグラウンドの端へと移動を始める。その間、校舎の中庭にある格技場の方からは、絶えず大きな音が響いていた。
適応特科最強チームが、ランセント達ヴィルトと戦っているのだ。
「みーちゃん、大丈夫?」
「うん、わたしは何ともないよ」
美比呂を心配する宏美が、適応者生徒の列までやって来て話し掛ける。
実際、危うくテロ組織に連れ去られるかという瀬戸際だったのだが、美比呂の天然気質もあってか思わぬ時間稼ぎで脱出路の確保がされ、全校生徒のほぼ全員が安全圏まで避難出来た。
「さっきの誘導してた人って、みーちゃんの彼氏だよね?」
「うん、ススム君」
「心配じゃない?」
適応特科の捜査官が、あのテロリスト達に四人も肉塊に変えられているのだ。
宏美は、壁が崩れてから最初に飛び込んで来た荒々しい人に比べて、あまり猛々しい印象の無い美比呂の
「だいじょうぶだよ」
美比呂は微笑んで答えた。
「ススム君は、強い人だから」
その時、ひときわ大きな破壊音が響いて、校舎の一部が崩れ落ちた。見れば、ヴィルトの参謀であるランク8適応者のテリオが、ボロボロの姿で瓦礫に半分埋まっている。
さらに、崩れた校舎の穴からススムと篠口、ランセントとスナップが飛び出して来て対峙する。
少し前——
格技場内での戦いでは、篠口とスナップ。ススムとテリオがそれぞれ対峙し、ランセントは様子を見ながら必要な方に介入する方針で控えていた。——が、ススムがいきなりぶちかました。
(とにかく、倒れた人達の救助が先だ)
そう判断したススムは、五人分の肉塊が転がるこの格技場での本格的な戦闘を避け、場所を移す事にした。まずは自分と対峙する事になったテリオに向かって突進して行く。
「ランク・アブノーマリティ……どの程度のモノか見定めさせてもらうか」
テリオはタイミングを合わせて後ろ回し蹴りを放った。格闘術のスペシャリストであるスナップからは『実戦的ではない』とされている振りの大きな技だが、それはあくまで高レベルな格闘戦での話だ。一般人に毛が生えた程度の格闘技術しか持たない相手には十分通じる。
対爆処理された扉をも吹き飛ばすテリオの蹴りが、ススムの胴を捉えた。凄まじい威力に後方へ吹き飛ばされるススムだったが——
「んなっ!?」
蹴りが当たった瞬間、ススムがその足をがっちり掴んだ事で、テリオも引きずられて一緒に吹き飛ぶ羽目になった。
「っ……ならば!」
空中の移動中に蹴落としてやろうと、テリオが軸足を引いた瞬間、ススムはテリオの足を掴んだまま頭上に振り上げ、振り下ろした。
まともに叩きつけられるテリオ。格技場の床が陥没する。その衝撃で吹き飛ばされ状態から着地したススムは、さらにテリオの両足を掴み直すと、彼の身体を振り回しながら駆け出した。
「篠口! 場所を変えるぞ!」
「お、おう!」
ガッスン、ガッスンと廊下を耕すように叩き付けながら(テリオを)突き進み、校庭沿いの教室のドアをぶち破り(テリオで)、トドメに壁に向かってテリオを全力で投げ付けた。
ランク8の耐久力は流石なもので、それだけ苛烈な攻撃を食らったにも関わらず原型を保っていたが、テリオの意識は既に飛んでいた。
「ススム、お前——偶に無茶するよな」
「え?」
追って来るランセント達を待ち構えながら、ススムに一声掛けた篠口は、きょとんとした表情を返されて戦慄した。
(やべぇ! 自覚ねぇ!)
さておき、校庭に戦いの場所を移したススム達。
ちらりと周囲を見やると、少し離れた場所に広がるグラウンドの奥の方、高いフェンスの近くに、避難している生徒達と警察隊が集まっている。あそこなら安全だ。
もうしばらくすれば、救出班が到着して格技場の肉塊化した重傷者を回収してくれるだろう。
「今倒した奴が復活しない内に、残りの二人も何とかしよう」
「おうっ、俺はランク20の奴をぶっ飛ばしたいところだが、そっちは譲るぜ」
妥当な判断をした篠口は、自分と同じランク6のスナップを狙って飛び出し、ススムはランセントに向かって駆け出した。
一方でランセント側は、テリオがあっさり倒された事で気を引き締めていた。
「やれやれ、勧誘どころじゃなくなったな」
「まあ仕方が無い。彼等を片付けたら、テリオとタキを拾って一旦退却だ」
せっかくあれだけの時間を費やして準備したのにと、溜め息など吐きながら愚痴るスナップに、ランセントは日本に来て以来、初めて真面目な戦闘態勢を取りながら指示を出す。
「やるぞ、スナップ」
「オーケー、ボス」
珍しくやる気を出しているランセントの姿に、ニヤリと野性的な笑みを返したスナップは、自分に飛び掛かって来る適応特科のトップ捜査官を迎え撃つべく構えを取った。
ズダンッと重い打撃音を響かせ、スナップは相手の飛び蹴りに同じく飛び蹴りを合わせて威力を相殺する。
その隙に、ランセントがもう片方の捜査官、テリオを圧倒したランク・アブノーマリティーに突進して行った。
スナップもランク・アブノーマリティ『オーギ』には興味があったが、まずは自分と同ランクの捜査官『シノグチ』を仕留めに掛かる。
(情報ファイルには『狂犬』とかアダ名されてるダーティーな捜査官か……楽しみだっ!)
スナップと対峙した篠口は、好みの空中戦や得意の打撃戦もことごとく封じられ、苦戦していた。反射的な防御の動きがそのまま攻撃動作へと繋がり、肘打ちから腕を引きつつ投げ落とす。
一つ一つの動きが機敏でコンパクト。常に相手の初手を捌いて次の一手を封じ、反撃から制圧へと切り返す。スナップの格闘術が持つ支配力の高さを実感する。
(ちぃっ! つえぇぞコイツ!)
篠口の手首を極めて一撃入れつつ体勢を崩して転倒させると、さらに追撃の踏み付け攻撃を放つ。スナップの足を蹴ってギリギリそれを躱した篠口は、後ろに一回転して起き上がると同時に、前傾姿勢を取りながら僅かに跳躍して、地面を滑るように一気に距離を詰めた。
通常、打撃型のファイターは接近戦で極め技を中心に組み付いて来る相手とは、距離を取ろうとするものだ。
それを想定して篠口に追撃を仕掛けようと接近を試みていたスナップは、相手から懐に飛び込んで来るという予想外の動きに、思わずたたらを踏む。
開いた手の平を前方に構え、鞭がしなるように翻った腕から斬り付けるような軌道を描いて繰り出された篠口の手刀が、スナップの横面を捉える。そこからさらに捻り込むような掌底が叩き込まれた。
頭を大きく揺さぶられたスナップは、この特殊な掌底の打ち方に覚えがあった。通常の人間なら、脳震盪を起こす一撃だ。
「そりゃコッポウか! 面白ぇ!」
「ちっ、この動き……クラヴ・マガってやつか」
よろめきながらもカウンターを狙いつつ受け身を取って起き上がるスナップ。下手に追撃を入れると、極め技で絡めとられて反撃されるので、篠口も踏み込めなかった。
篠口とスナップが互角の戦いを繰り広げている一方、ランセントと対峙するススムは、何度目かの打ち出したパンチを躱されては反撃の一撃を浴び、その一撃を掴んでは投げるという攻防を続けていた。
「ふーむ、特に優れた戦闘技術がある訳でもない。たまたま突き抜けて高ランクとなった適応者のパワーで圧倒して来たダケ、というところカナ」
ススムの事をそう分析したランセントは、様子見のカウンター狙いから攻めスタイルに転じる。左右の連打からミドルキックを叩き込み、足を掴まれるとそのまま振り上げて踵落としに繋いだ。
「うわっ」
ランセントの足を取って投げ落とすつもりだったススムは、逆に地面に叩きつけられる。
ドンッという激突音が響き、衝撃でバウンドした瞬間を引っ掛けるように蹴り上げてススムを浮かせたランセントは、トドメの一撃とばかりに大きく振り被ると——
「自分より強い相手と戦うのは初めてかい? ボウイ」
空中で回避不能状態のススムに、全力のコークスクリュー・ブローを放った。並みの適応者なら身体に穴が空くほどの一撃。
凄まじい勢いで弾き飛ばされたススムの身体は、校舎の壁をぶち破って教室内まで突っ込んだ。巻き込まれた机や椅子が派手に薙ぎ倒される。
「うーん、いい手応えだ」
殴った瞬間の感覚で、ススムが今の攻撃にも十分耐えられると睨んだランセントは、半身に構えてステップなど踏みつつ、油断なく反撃に備える。
ススムが突っ込んで大穴の空いた校舎の壁が、広い範囲で崩れた。土煙に覆われてよく見えないが、瓦礫の音に交じる足音を聞き取ったランセントが、どこから飛び出して来るかと身構える。
すると、土煙周辺の校舎が、一瞬沈んだように見えた。
「んんっ!?」
次の瞬間、正面から校舎の壁が迫って来た。
建物が一瞬沈んだように見えたのは錯覚で、ススムが校舎の壁の一部、横幅およそ六メートル、縦三メートルほどの塊を武器代わりに持ち上げて走って来たのだ。
「Wow、パワフルだな。しかし……そんな重そうな武器じゃあ、反って当て辛いと思うゼ?」
壁を振り下ろして来る面攻撃に対し、ランセントは素早く横に避けて攻撃範囲外に出ると、壁が地面に着く瞬間を狙って跳躍。攻撃後に隙が出来るであろうススムに跳び蹴りを狙う。しかし——
「なにっ!?」
避けたはずの壁が、ランセントの脇腹を捉えた。振り下ろしの面攻撃が横薙ぎに変化したのだ。慣性の法則を無視したかのような急激な方向転換で、壁にはススムが掴んでいる場所から放射状に亀裂が広がっている。
跳躍中で回避不能状態のランセントは、ススムの壁スイング攻撃をまともに食らって十メートルほど吹き飛ぶと、グラウンド脇の体育倉庫に突っ込んだ。同時に、武器にした壁も崩壊した。
(しっかし、建物の損害は考えなくていいって言われてるけど、被害甚大だなこれ……)
手に残った壁の欠片を捨てながらそんな事を思うススムは、ここまでの攻防で周囲への被害に配慮しながら抑えられるような相手では無い事も実感していた。
篠口の様子を見ると、やや押され気味ながらも、どうにか互角に渡り合っているようだ。
先程のランセントの言葉ではないが、今までは制圧対象にオーバースペック的な力の差をもって迅速に収めて来た。しかし、今回は普段のようにはいかない。
本部長も憂慮していたように、自分と篠口のコンビでも手古摺っている。
体育倉庫の残骸の中で、ランセントがゆらりと立ち上がった。余裕の笑みを浮かべている姿は、ダメージを負っているようには見えない。追撃に行こうとススムが踏み出したその時、校庭に銃を持った特殊装備の集団がなだれ込んで来た。応援の部隊が到着したようだ。
十数人の隊員の内、五人づつのチームがそれぞれランセントとスナップに狙いを定めると、片膝をついて射撃体勢に入る。そして、隊長らしき女性指揮官がススムに敬礼して声を掛けた。
「適応対策部所属の殲滅部隊です、対不死病浄化弾を使用するので、適応特科は退避願います」
「格技場の被害者は?」
ススムの問いに、女性指揮官は微笑を返しながら答える。
「大丈夫、救護班が全員回収済みです」
「そっか……了解、篠口を援護して退避するんで、タイミングはよろしく」
ススムはそう言って特殊部隊にランセントへの対処を任せると、スナップとの攻防を繰り広げている篠口の援護に向かった。
「篠口! 応援の特殊部隊が来たっ、俺達は一旦退くぞ!」
篠口とスナップが打ち合っているところへ乱入したススムは、スナップの動きを封じるべく掴み掛かる。その腕を捌いて素早く掴み返したスナップは、捻って引き倒そうとした。が、踏ん張ったススムは動かない。
(重いっ!?)
ススムの手首を極めたつもりのスナップだったが、ススムはその状態から身体を横向きに一回転してスナップを振り回し、力尽くで地面に叩きつけた。
しかし、スナップはすかさず腕を離して受け身を取ると、転がって距離を取り無傷でやり過ごす。
「ヒュ〜、とんでもねぇパワーだ。これじゃあ技もへったくれもねぇな」
やはりこのランク・アブノーマリティには
「って——ススム、あれ見ろ!」
「げっ、復活してる!」
振り返ると、スナップを狙っていた特殊部隊の射撃チームが宙を舞っていた。回復したテリオに急襲されたのだ。ランク8適応者のテリオに対抗出来るのは、この場ではススムしかいない。
「行けススム、こいつは俺が抑える!」
「ええい、なんてこったいっ!」
大急ぎで特殊部隊の救出に戻るススムと、再びスナップと対峙する篠口。味方に足を引っ張られている訳ではない。
突出した高ランク適応者で構成されたヴィルト幹部という、相手が悪過ぎたのだ。
対不死病浄化弾を扱う殲滅部隊は、基本的に健常者で構成されている。
テリオの急襲で瞬く間に半数を戦闘不能に追い込まれた殲滅部隊の指揮官は、せめて最も脅威であるランセントだけでも仕留めておこうと、まだ健在な隊員に攻撃命令を出した。
「目標、ヴィルト首謀者ランセント! 各自の判断で撃て!」
撃ち込めるだけ撃ち込めとの命令を下した瞬間、テリオの攻撃を受けて車に撥ね飛ばされたかの如く吹っ飛んで行く指揮官。
「よっと!」
それを空中で受け止めるススム。撥ね飛ばされた衝撃によるダメージは深刻だが、頭から地面に叩きつけられる事態は避けられた。
重症の指揮官をそっと校庭に寝かせながらランセントの動きを確認すると、テリオの猛攻を逃れた隊員による複数の浄化弾がランセントに撃ち込まれていた。
殲滅部隊が使うこの対不死病浄化弾は、以前、野木病院の襲撃者がススムに使ったアンプル弾のような、先端にただ針が付いているだけの麻酔弾仕様では無い。
当たった瞬間に適応者の丈夫な皮膚を突き破れるよう、掘削機能の付いた針が食い込み、内部に浄化剤を放出する仕組みになっている。
数発の浄化弾を受けたランセントは、しばし動きを止めてふらついたかと思うと、浄化弾の刺さった部分から身体が弾けた。
(あれは……!)
よく見ると、弾けた部分は網目のような菌糸状の細胞が広がっていた。ススムには、その状態に見覚えがあった。
ランセントの身体が、溢れ出すように噴き出した菌糸状の細胞に覆われ、やがて発光を始める。
「やったか!?」
浄化弾を撃ち込んだ隊員が、ランセントの変化に注視する。ススムは咄嗟に警告を発した。
「危ない! 直ぐにそこから——」
グルアアアアアア——
獣のような咆哮が響いた瞬間、正面で銃を構えていた隊員二人の首が消えた。
「っ!」
一瞬、頭上を
足元には重症の指揮官が居る。ススムは防御の構えを取りながらその場に踏み止まった。
「ぐ……っ!」
ザクリと、振り下ろされた爪がススムの胸部と腹部を貫通して、足元の指揮官も押し潰しながらススムを地面に縫い付けた。
「はっはっはっ! 終わりだ! ボスのモンスターが目覚めた!」
一瞬の硬直した静寂の中に、テリオの興奮した声が響く。篠口と対峙しているスナップも、高揚した笑みを浮かべながら言った。
「ああなったらもう、誰にも止められねぇ。ボスの奥の手、『
元々大柄なランセントが、ウィルス腫瘍の肉鎧を纏って巨大化した姿。三メートルはありそうな体躯に、特徴的なゴツイ腕。長い指を持つ大きな手の先端からは、鋭いカギ爪が突き出ている。
その爪で貫いて捉えているススムを高々と持ち上げた超越者形態のランセントは、そのまま地面に叩きつけた。グシャリという、肉の潰れる音がして血飛沫が舞う。
その一撃で、殲滅部隊の指揮官の身体は完全に潰されてしまった。
「ススム!」
「おーっと、お前の相手は俺様だ」
「ちっ!」
思わず駆け寄ろうとする篠口の前に、スナップが立ちはだかる。
「こっちは同格同士で楽しもうぜ、さっきの格闘術をもっと見せてくれよ」
「ええい、糞が!」
構えを取って全力でスナップの攻撃を捌きながら、篠口は他の生き残っている隊員にこの場から脱出するよう叫んだ。浄化弾が効かないのでは、健常者の部隊には戦いようがない。
「お前らっ、とにかくここから逃げろ!」
自分やススムでもどこまで抑えられるか分からないのだ。自衛隊の精鋭部隊が応援に駆け付けるまで凌ぐしかない。
バラバラに撤退を始める殲滅部隊の隊員に、テリオとランセントが迫る。
ここで適応特科のトップ捜査官と特殊部隊を殲滅しておけば、ヴィルトの力を改めて世界に誇示する事が出来る。後日また構成員の確保を図る際、敵の戦力不足で動き易くもなるだろう。
(強い組織として宣伝出来た後なら、勧誘に応じる者の増加も見込める)
テリオがそこまで考えた時だった。逃げ惑う特殊部隊の隊員を捕まえようとしていたランセントが、ピタリと動きを止めて振り返る。
「ボス……?」
怪訝に思いながら、超越者形態のランセントが注視している方向を見やると、先程殲滅した適応特科のトップ捜査官、ランク・アブノーマリティの肉塊が散らばっているはずの場所に、菌糸状の物体が見えた。
「っ! あれは——」
オレンジ色に発光を始めた菌糸状の物体が、ミシミシと絡み合いながら人型に収束していく。
「ま、まさか! ボスと同じ……っ」
驚愕に見開かれたテリオの視線の先で、肉鎧を纏って二回りほど巨大化した姿のススムが、蒸気を噴出しながら立ち上がる。
ヴオオオオオオオォォ——
殲滅の咆哮と共に、ススムの『