三月初旬。対不死病浄化剤散布作戦が一段落し、日本中が復興に向けて活動を始めた今日この頃。既に崩壊前と同じ状態まで回復している地域もある。
都心や大きな町ほど、色々と処理する問題があって時間が掛かっているが、町の様子は平時と変わらないほど平穏で、活気にあふれていた。
最近では世界中のニュースも入って来るようになった。国によっては、街の一つか二つが消えて無くなったりもしているようだ。
核が使われたとか何とかで、ネットでは話題になっている。
不死病に対する特効薬も完成し、『人類は不死病の脅威を退けた』というのが、世界共通の認識となっていた。
その一方で、適応者の存在とその扱いについて、これは各国でも色々と問題になっている。
適応者は不死病ウィルスのキャリアでもあるが、適応者から感染した者は適応者になる。適応者になれるのは二十代の中ごろまでで、三十代を過ぎる人間の適応者は確認されていない。
発症者も、適応者との接触で時間を掛ければ適応者化する例が報告されており、適応者の存在を危険視する殲滅派と、人類の希望だとする保護派が対立している。
一応、人権人道の観点から、世界的に保護管理する方向で動いているようだ。
都心から少し離れた郊外にある、特別施設を訪れたススム。今日は適応者の定期検診が行われる。日本では全国に50ヵ所、適応者用の施設が作られていた。
施設の看板には、Atlas科学研究所のロゴマークがさり気なく入っている。
「ススムくーん」
待ち合わせをしていた美比呂が、手を振り振りやって来た。ススムも片手をあげて応える。
美比呂は、しばらくススムのマンションで一緒に暮らしていたが、彼女の家の整理に戻った時、何と両親の野々原夫妻が生きていた事が分かった。
大崩壊の日に、混乱した町の中で避難するグループに付いて行ったら、いつの間にか離島行きの避難船に乗っていたらしく、浄化剤散布後にようやく帰って来られたらしい。
美比呂の両親なだけあってか、どこか緩い雰囲気の夫婦であった。
とは言え、安否が絶望的だった娘が帰って来たと思ったら変色肌の適応者になっていて、しかも男連れで、今までその男の家で暮らしていたと聞いた時は、流石にパニクっていたようだが。
「お母さんが、またススム君お家に呼びなさいって言ってたよ」
「美比呂のお母さんなー……直ぐ結婚の話に持って行こうとするからなぁ」
「うふふっ、確かに結婚の話はまだ早いよねー」
特異な出会いと特殊な関係、特別な結び付きによる同棲を経て、正式に付き合いを始めるという、色々と順番が滅茶苦茶ながら、美比呂とススムの恋人関係は今も続いている。
ススムの人間形態を維持するという名目で、週に一度はマンションを訪ねている美比呂は、一緒に運動するなどして日々親睦を深めている。
ススムとしては、そろそろ法律に触れるので自重したいところであった。
「えー、でも……ススム君、始めたらいつも凄いじゃん」
「その話は止めよう」
自重したいのは本当だが、実際に美比呂から運動に誘われると断り切れないススム。人を超越した肉体を持つ異常適応者ながら、理性はそこまで強化されていないようだ。
もしくは、異常適応者ゆえに、価値観や倫理観が変化しているのかもしれないが。
美比呂と話しながら建物に向かう途中、見知った車が正面の駐車場に入って来た。運転席に小丹枝、助手席には浅川、そして後部座席には由紀の姿があった。
「大木さーん!」
「ススム君、久しぶり」
「お久しぶりです」
浅川と小丹枝が、由紀の送迎で同行して来ていた。
ショッピングモールの避難所は、まだ多くの避難民を抱えたまま運営されている。都内は建物内の発症者の処理が終わり切ってないため、もう少し避難所として使われるのだとか。
バリケードなどは既に撤去されていて、避難所を運営していた大多数の人員は帰宅しているが、浅川達のようにボランティアで残っているチームは、他にも何組かいるようだ。
由紀は家族も避難所暮らしで、自宅周辺の最終安全確認がされてから帰宅する予定らしい。由紀自身は、まだ避難所で働くつもりだそうな。
浅川チームは他に岩倉が残っていて、今日は宿舎で留守番をしている。待望のFPSサーバーが復活して喜んでいるらしい。
八重田と古山は、訳あって避難所を出ている。
「愛子は、家で軟禁されてるみたい」
「それはまた、どうして?」
「実はあの子の家、地元の名家なのよ。愛子は本物のお嬢様なのよね」
両親が地元民の救済もせずさっさと離島へ逃げ出そうとした事に反発して、家出するような形で単身避難所に来ていたのだ。
浄化剤散布後、家に連れ戻されてからは、御屋敷から出して貰えない状態らしい。
古山は、実は八重田家と所縁のある良家の末男だったらしく、こちらは本家の実家に親戚や家族など身内が呼び戻されていて、跡取り問題で色々揉めているとか。
「なんか結構、濃いメンバーが集まってたんですね」
「ほんとよね〜」
今後、浅川チームのメンバーが全員揃うような機会はもう無いと思われるが、避難所での活動はまだしばらく続く。
「ススム君も、機会があれば遊びに来てよ」
「そうですね、また手伝いに行きますよ」
再会した浅川達としばしの雑談に興じたススムは、そろそろ会場に入る事にした。美比呂と由紀を伴って歩くススムに、浅川が声を掛ける。
「ススム君、両手に花だねぇ」
「ははは……」
美比呂と由紀は、お互いススムに助けられて適応者化した経緯を持つ。
何となく雰囲気の似た部分がある二人は、以前の定期検診の時に顔を合わせてから意気投合しているらしく、仲も良さそうであった。
会場に入ると、受付前には結構な人が居た。警備員の数も多く、割と物々しい雰囲気でもある。
「適応した人って、こんなに居たんですねー」
「最近になって目覚めた人も多いみたいね」
美比呂と由紀は「自分達と同じようなケースで目覚めた人達もいるらしい」と話しながら受付前の行列を見渡す。
浄化剤散布後、屋外に居た発症者はほとんど全滅しているが、屋内に居た発症者は先月辺りから適応者化して目覚める者が増えてきている。
特に、ショッピングモールの大規模一斉調達活動の時に地下駐車場に隔離した発症者達は、集団で同時期に適応者化して地下から出て来た為、当初はちょっとした騒ぎになった。
彼等はほぼ間違いなく、美比呂や由紀と同じく、ススムの適応ウィルスが影響したものと見られている。今日ここに集まっている適応者達の何割かは、ススムが適応者元であると思われた。
どの受付に並ぼうかと、三人でエントランスの端を歩いていると、前から小さい女の子が走って来てススムにぶつかりそうになった。
「おっとと」
「こら、メグ! 走り回んじゃねぇ!」
女の子を叱りながら追いかけて来た若者を見て、ススムは目を丸くした。
「あれ、篠口?」
「す、ススム……っ!」
メグと呼ばれた女の子は、篠口の足に張り付きながら言う。
「おにーちゃん、うけつけあっちだってっ!」
少し舌足らずな口調で受け付けカウンターを指さす、幼稚園児くらいの女の子。ススムは、色んな意味で意外に思いながら篠口に問う。
「もしかして、妹さん?」
「……近所のガキだ」
篠口は少し視線を逸らしながら、バツが悪そうに答える。輪を掛けて意外に思うススム。
「神衰懐の総長が近所の幼女の子守してる」
「ちげーよ! つーかもう神衰懐は解散済みだっ」
篠口の面倒くさそうな説明によると、同じアパートに住んでいた近所の家族の娘さんで、以前、家族揃って発症者になっていたのだが、最近になって適応者化したという。両親の方はダメだったらしい。
今は孤児の受け入れを出来る施設が無い為、近所の顔見知りでかつ篠口の適応ウィルスと同型のウィルスで適応者化しているという理由から、一時的な保護者に指定された。
「"篠口ウィルス"に感染してるのか……」
「その呼び方はやめろ」
篠口曰く、もしかしたらA.N.Tと戦って発症者になった元部下の三人も、適応者化するかもしれないという事で、今は隔離施設で観察されているそうだ。
「へ〜、お前も色々あったんだな」
「……そっちの連れの女、ススムが適応者にしたのか?」
「いや、したというか、なったというか」
ほぼ不可抗力や成り行きの結果だと説明するススム。
「チッ、こんな簡単に適応者が作れるんなら、初めからそうやって仲間増やしときゃよかったぜ」
「また無茶な事を……」
篠口の場合、本当にやり兼ねないので笑えんと、額に一筋大汗を浮かべる気分なススムであった。
大分空いて来た受け付けで番号札を貰って順番待ちに。男女別に分かれて検診室へと呼ばれる。由紀と美比呂は先に呼ばれた。
待合席に並んで座るススムと篠口。メグちゃんは篠口の膝に乗ってうとうとしている。
「そういやススム、お前が潰した浄滅隊の病院の事、聞いてるか?」
「野木病院か? 院長が逮捕されたらしいね」
無政府状態の間は、各地の避難所や個人的な籠城施設などで、様々な違法行為が起きていたが、大抵の事は特別緊急避難的な処置で見逃される事になっている。
しかし野木病院、主に野木院長が指示した事は、A.N.Tの坂城と並んで相当数の被害者を出しており、到底看過出来る規模ではないとして、即日逮捕されたらしい。
「大木さーん、篠口さーん、八番の入り口へどうぞー」
「お、順番が来た。メグちゃんも一緒に連れて行くのか?」
「ああ、俺がメンドー見る事になってるからな」
実は『神衰懐』の活動で迷惑を掛けた一部の罪を、帳消しにする条件のひとつでもあるという。
罪の清算に幼女の面倒を見させるというのも、いささか問題がありそうに思えるが、当のメグちゃんが篠口に非常に懐いている事もあって、成り立った取引だったそうな。
「まあ、色々特例乱発しないと収拾付か無いような大規模災害だったもんな」
「人類滅亡の危機を災害って言っていいのかよ……?」
さもありなんと納得しているススムの後に、メグを抱えて続きながら小首を傾げている篠口なのであった。
診察室に入ると、数人の看護婦と医師に交じって、ススムの知っている顔があった。
「やあ」
「黒田さん、お久しぶりです」
そこには、青紫色の斑皮膚をした適応者、黒田教授の姿。
「驚かないのだな?」
「予想はしてましたし」
適応者化した黒田は、Atlas科学研究所に戻ると、自分の身体を研究して実験検証し、そこから対不死病浄化剤を作り出した。
「君が浄化剤にまで適応したのは想定外だったよ。もっとも、まだ改良は続けているが」
「これだけ適応者が増えたら、今更殲滅するのって問題があるんじゃないですか?」
「ああ、適応者の存在は我が国だけじゃ無く、世界中に確認されているからな」
既に適応者を保護しようとする人権団体も幾つか発足されているし、団結して決起でもされたら目も当てられないと、黒田は肩を竦めて見せる。
「だが、この先新たな人種問題として色々出て来るだろうな」
「それは、あるでしょうね……」
適応者は人類の進化なのか、変異なのか。個体差もあるが、通常の人間の数倍の筋力や耐久力を持ち、睡眠や食事の摂取もほとんど必要としない、篠口風に言うなら新人類だ。
「流石に君クラスの怪物はそうそう居ないとは思うが、人外の力を持つ存在となった一般人が、どんな問題を起こすか分からない。もしもという時は、是非君達にも協力して貰いたい」
「公式に怪物呼ばわりされた件……つーか俺
ススムが、自分と篠口を指しながらそう聞き返すと、黒田は黙って頷いた。
篠口は眠ってしまったメグちゃんを看護婦達に任せながら「まあ、しょーがねーな」と、黒田の要請を了承しているようだ。
ススムや篠口の他にも、適応者として戦える力を持つ者に声が掛けられているという。もしもの時に、犯罪適応者を鎮圧する適応者部隊の設立。
「近く、正式に日本政府から辞令が届くだろう」
「公務員かー……それも悪くないかな」
適応者としての、これからの生き方を思うススム。不死の特務捜査官。
とりあえず、正式に公務員に就くとなれば、ますます美比呂のお母さんによる『娘と結婚はよ』の攻勢がかかりそうだけどと、悩みの種にも頭を痛める。
「まあ、悪い悩みでもないか」
新しい就職先も見つかりそうだし、色々波乱はありそうだが、この先の人生に希望は持てそうだ。美比呂が願ったあの言葉を思い出しながら、診察を終えたススムは彼女を迎えに歩き出す。
(俺はまだ——ヒトとして生きていけそうだ)
不死の配送人・ひとまず 完//