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第二十五話:大掃除





 病院内を徘徊する発症者を誘導するに当たり、病院側からススムに全ての病室の鍵を開けられるマスターキーや、その他施設の鍵束が貸し出された。


「じゃあ行って来ます」

「ああ、よろしく頼む」


 一階ロビーまで下りて来たススムは、まず正面玄関の封鎖を解いて出入り口を開けた。そして一旦外に出ると、病院の敷地を隔離する作業に入る。

 病院前の大通りにはそこら中に車が放置されているので、適当に拾ってきてバリケード代わりに並べていく。


「ついでに車内も探索しておくか」


 放置車のほとんどはドアのカギが開いているので、何か使えそうな小物があれば回収しておく。約二時間ほど掛けて、病院の敷地全体をぐるりと囲む完全な隔離状態を完成させた。


 正面玄関前の左側には関係者用の狭い駐車場が開けていて、右側は来客用の広い駐車場に続いている。その両方の道を車で塞ぎ、バリケードの一部を開いて正面玄関と大通りのみを繋ぐ道を作る。


「よし、まずはこれでいい」


 次に病院内に入り、ノイズ音を発するラジオを用意。一階ロビーの天井に近い壁に付いている案内プレートにぶら下げ、徘徊する発症者を集めておく。

 後は上の階から順に回って、発症者を誘導するというか運ぶ作業に入る。


「これを使おう」


 運搬用の箱型台車があったので、それを持って五階まで上がると、この階にいる発症者を探して回る。見つけたら籠台車に乗せて移動、一階ロビーに運んでラジオの下でおしくらまんじゅうをやっている発症者の群れに加える。

 そうして四階、三階、二階と各階の病室を巡り、見つけた発症者を順次運んでいった。


「ここは……中から声が聞こえるな」


 ロッカーの中や、トイレの個室で発症者になっている人もいた。恐らくそこに隠れて、そのまま発症してしまったのだろう。病室では、ベッドの下で発症者になっている人も見つけた。

 普通の部屋以外にも、廊下の壁に備え付けられているトランクルームや、電気、ガス、水道設備の点検口など、人が隠れられそうな場所は全て探索し、見つけた発症者をロビーに運ぶ。

 その後、もう一度五階の端から端までくまなく調べて見落としが無いか確かめた。


「時間は……深夜の三時過ぎか。これなら朝までには終わりそうだな」


 ロビーに戻り、発症者を全員誘導すべくノイズラジオを持って外に出る。

 ショッピングモールの避難所に応援に行った日、浅川チームと倉庫の探索に出掛けた時、大人数の発症者を誘導したこの方法は、その後の地下街探索に向けた大規模な隔離作戦でも使われた。


「この辺でいいか」


 とりあえず、大通りの中央分離帯にある街灯の中ほどに括り付けて、そこに発症者の群れを釘付けにする。大通りを徘徊していた発症者も、その音に惹かれて集まって来た。

 それから病院内に戻り、残っている発症者が居ないか確認して回る。


「よし、大丈夫みたいだな」


 静まり返ったロビーを出て、正面玄関前と大通りを繋ぐ道を車で塞ぎ、左右の駐車場に繋がる道を開いた。裏口を塞いでいたコンテナは、駐車場の端にどかしておく。

 これで、病院の敷地内は建物の内と外を含め安全かつスムーズに移動出来る環境が整った。


 敷地を囲む仮置き車両バリケードは、発症者の侵入を防ぐ防壁としては問題無い。今後、小学校も含めた付近一帯を囲む大きなバリケードを築くには、もっとしっかりしたものが必要だ。


「港からコンテナを拾って来ればいけるかな?」


 丈夫な防壁を作るのにアレほど有用な材料は無いだろう。コンテナターミナルに行けば腐るほど置いてあるはずなので、その時が来ればあそこから運べば良い。


「後は病院内の清掃とかだけど、続きは明日でいいか」


 時刻は深夜の四時を回っていた。病院に置く予定の無線機などを搬入して特別病棟区画に上がり、現在の作業状況を話して今日は引き上げる旨を伝える。

 特別病棟は既に消灯していて、起きているのは若い医師と他数人の職員や警備員だった。ススムを出迎えた若い医師は、窓から作業の様子を見ていたらしく、心底驚きと感謝を露にしていた。


「本当に、凄いな君は……たった一晩で病院内から発症者を全て排除した上に、敷地全体を囲む壁を作り上げるなんて、今の気持ちを何と言って伝えたらいいか分からないよ。本当にありがとう」

「いや〜、そこまで感謝されると恐縮します」


 苦笑しながら応えたススムは、無線機を渡して借りていた鍵などの備品を返すと、また明日来る事を約束してこの場を後にした。



 一階の裏口前に下りて来たススムは、リアカーにランタン型電灯をぶら下げて正面玄関前まで引いて来ると、表に発症者が居ない事を確認してから門代わりの車をどかしてバリケードを開く。

 そうして大通りに出てから再びバリケードを塞ぎ、帰宅の途についた。


 以前、アタッシュケースを抱えて走り抜けた道路の、脇にある歩道をリアカーを引きながら歩く。ここは小学校の通学路で、高いフェンス越しにグラウンドと校舎が見渡せる。

 校庭で焚かれる篝火に照らされた校舎の窓は、真っ暗で明かりは見えない。時間も時間なので、皆寝静まっているのかもしれない。ランタン型電灯の明かりはかなり目立ちそうなので、見張りの夜番でもいれば直ぐに気が付くだろう。


(誰か見つけて様子を探りに来たら、小学校を訊ねる時に若干楽になるかも)


 予め自分の訪問を伝えておいて貰えれば、話し合いがし易くなりそうだ。そんな事を思いながら歩道を通り抜けたススムは、ようやく自宅のあるマンション前まで帰って来た。

 建物を仰ぐと、明かりの灯っている部屋がちらほら見える。生存者が居るのか、自家用蓄電をやっている家の電気が点けっ放しになっているだけなのか。


(いずれ調べておかないとな)


 借りていた自転車をリアカーから下ろして自転車置き場に戻し、非常階段の出入り口に向かう。

 そこそこ大きいリアカーだけに、荷物ごと運び上げるのは階段の幅が狭くて無理そうだったので、何往復かしなくてはならないだろう。

 非常階段の出入り口前にリアカーを停めようとしたススムは、ふと違和感を覚えて周囲を見渡す。


「ん〜……? あっ」


 そして違和感の正体に気付いた。集会所の扉が開いている。黒田の遺体を安置した後、きちんと閉めて出たはずだ。

 ちょっと気になったので、ススムは中を覗いてみた。


「あれ、居ない」


 遺体に掛けておいたベッドシーツ諸共、黒田の遺体が消えている。部屋の床には特に足跡も無く、誰かがここに出入りしたような痕跡は無かった。


「もしかして発症した? いや、でも発症前に血清を打ってたし……うーむ」


 重度の感染で助からなかったものと思っていたのだが、そこから奇跡的に回復したのか。もしくは、血清が効かず発症者化して徘徊を始めたのか。

 しかし、何か記憶に引っ掛かる。


「うーん……」


 消えた黒田の遺体は気になるが、今は病院と避難所の事を考えなくてはならない。とりあえず、ススムは自宅に戻るべく、ランタン型電灯を持って非常階段を上り始める。


 そうして約一ヵ月ぶりに、自分の部屋に帰宅を果たしたのだった。



「ただいま」


 懐かしい我が家。リビングに入るなり無意識に電灯のスイッチを押し、電気が止まっている事を思い出す。


「これを置いておこう」


 ランタン型電灯の光度を下げて省電力モードにしつつ、荷物の運び込みの準備に入る。食事と睡眠を取らなくても良いだけで、これほど時間を有用に使えるのかと実感する。


(出来れば正常な世界でそういう体質になりたかったなぁ……)


 コートを脱いで、ニット帽にマスクも外す。コートは彼方此方に穴が空いて綻んでいたり、赤黒い染みが付いていたりと、すっかりボロボロになっていた。ニット帽も似た様な有様で、シャツやズボンも結構痛んでいる。

 外に居る間はあまり気にならなかったが、部屋の中だと妙に目立つ。ここだけ崩壊前の、日常の雰囲気がそのまま残っているせいかもしれない。


 ざっと部屋を見渡し、荷物の置き場所を定める。


「よし、蓄電池運ぶか」


 玄関の扉を開いたままストッパーで固定し、非常階段から一階へ。エアコンの室外機くらいの大きさがある家庭用蓄電池を担いで上がる。

 四往復ほどして蓄電池と太陽電池パネル、パワーコンディショナーにコントロールパネル、各種ケーブルと無線機を運び込んで一息吐いた。


 時刻は午前五時を回る頃。夜明けまでにはまだ少し時間がある。


「そうだ、掃除の道具を確保しとくかな」


 病院にも置いてあるとは思うが、大量の血痕や、発症者から流れ出た体液の塊を処理しなくてはならないのだ。特に酷かった一階ロビー周辺は、感染のリスクがある健常者をなるべく遠ざけて、自分がやってしまった方が良いと考えた。


「ショッピングセンターでも見て来よう」


 以前、物資の調達に行った時は、ほとんど何も残っていなかったが、まだ倉庫や事務所は調べていない。水と洗剤とモップ系の清掃用具を集めて、病院内の大掃除に投入する。


 そうと決まれば、早速出掛けようと身支度を始める。

 ボロボロのコートやニット帽はもう一度身に着ける気にはならないので、昔清掃のアルバイトをした時に使っていた作業服を箪笥の奥から引っ張り出した。


 CleanStaffのロゴが入った清掃会社の作業服に身を包み、新しいマスクを付けて作業帽を目深にかぶる。白い軍手もはめれば、どこから見ても清掃員な出で立ちだ。


「よぉーし、掃除するぞー!」


 何となく気合が入ったススムは、清掃用具の調達に向かうべくしっかり戸締まりをして家を出た。


 不死の清掃人、始動。





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