ススムが都心部の避難所から戻って二日後。自宅に持ち帰る荷物をまとめたススムは、それらをリアカーに積み込んで里羽田病院を後にする。ちなみに、地元から乗って来た自転車も中洲地区での活動中に回収しておいたので、一緒にリアカーに載せている。
「お世話になりました」
「道中、気を付けてな」
何だかんだと長居してしまったこの病院では、本当に色々な事があった。ショッピングモールの避難所へ応援に行ったことも含め、適応者として今後どう生きるのか、自分自身と向き合う貴重な機会を与えてくれた里羽田院長には、深く感謝しているススムであった。
普段の朝と同じように、掃除道具を手にした里羽田院長に見送られる。
どんな状況にあっても『己の日常』を崩さない、里羽田院長が門前で箒を掃く音を聞きながら、ススムは早朝の中洲地区を歩き出した。
(血清の配達も完遂。遠征もこれで終了だな)
血清の量産は上手くいっているだろうか。小学校の避難所を目指すと言っていた歩道橋の人達や、神衰懐のアジトに囚われていた彼女達は無事だろうか。
隣町で病院を追い返されていた感染者の家族達は生きているだろうか。ススムは、今回の遠征で出会った様々な生存者達の事を思い出しながらリアカーを引いた。
自転車で移動した時と比べると倍以上の時間は掛かったが、休まずに歩き続けたので夕方頃には隣町の真ん中辺りまでやって来た。
今歩いている通りの二つほど隣の道の先には、以前シャッターを壊した病院が立っている。
あそことは因縁があるというか、色々と折り合いが悪いので大きく迂回して進んでいた。なにせ、あの病院に所属していた『浄滅部隊』を全滅させてしまっているのだ。完全に無自覚だったが。
(こりゃ家に着くのは深夜か明日の朝とかになりそうだな)
嵩張る上に精密機器な機械類を運んでいるので、無闇に走るわけにもいかない。
リアカーには家庭用蓄電池の他に、太陽電池パネルや地元の病院と小学校にも届ける予定の無線機なども積んでいるのだ。
迅速な情報の伝達と共有がいかに大事かという事は、ショッピングモールの避難所で浅川達との活動や、A.N.Tとの闘争を通じてよく理解した。
(そろそろ明かりを用意しよう)
ススムは、どうせ疲れもしないのだから夜通し歩こうと決めると、荷物の中からランタン型の電灯を取り出してリアカーのアームにぶら下げた。
電気が止まっている以上、夜になれば相当な暗さになるはずだ。月や星の明かりで多少の視界は効くであろうが、満月並みに満ちている時でもなければ、町の中では真っ暗闇に包まれるだろう。
やがて、隣町との境目付近までやって来た。美比呂と出会った交差点を横切って行く。あの時は街灯が灯っていて信号も明滅していたが、今は街灯も信号も消えて、周囲は真っ暗だ。
(ここからは、道なりに沿って行けば、自分の町まで帰れるな)
何となく立ち止まって辺りを見渡し、動いている影も無い事を確認して、また歩き出す。彼女の居た町とも、これでお別れだ。
多くの放置車で永遠に渋滞している、灯りの消えた大通りを、沢山の荷物を積んだリアカーが、小さな明かりを揺らしながら通り抜けて行った。
大きな町を離れて山林沿いを抜ける国道を行く。
この辺りは民家も数百メートルおきにぽつんと見えるくらいで、時折畑や田んぼが広がっている。町と町の間にある田舎のような地域。昼間なら長閑な景色に癒されるところだが、街灯すら無い夜はひたすら闇が続く寂しい区間だ。
ランタン型電灯が照らす数メートル程度の明かりを頼りに、道なりに歩いていたススムは、ふと何か聞こえた気がして耳を欹てる。
「……声? が聞こえるな」
聞こえた方角には、田んぼや畑の間を通すように、狭い道が一本続いていた。道は舗装されており、両側は水路になっている。声が気になったススムは、その道に入って進んでみた。
微かに聞こえていた声が、次第にハッキリと聞こえ始めた。やがて前方に道を塞ぐ車と、小さな人影。その足元に子犬の姿。
「クゥーン……キューン……」
子犬は、ススムを見上げて弱弱しく鳴いた。どうやら人の声ではなかったらしい。
「わんこの鳴き声だったのか……」
子犬の傍に立っているのは、子供の発症者だった。小学生くらいの女の子で、ベルトに小さい鞄を提げている。
「クゥーン……ヴヴヴヴ……キューン」
ススムが近づくと、女の子の傍に伏せていた子犬は、媚びたり威嚇したりしながら立ち上がろうとするが、足がふらついて立ち上がれないでいる。
明かりを近付けてよく見れば、子犬は酷く汚れていて、かなり衰弱もしているようだ。首輪にはリードが付いたままで、随分引きずったのか、持ち手の輪っか部分には小枝や枯れ葉、ビニール袋のようなゴミが沢山付着していた。
「よしよし、無理に立たなくていいからな」
「キューン……」
背中を軽く撫でて宥めたススムは、女の子の鞄を調べてみる。中身はビニール袋とティッシュ、小さいスコップ。水の入ったペットボトルなどが詰められていた。
ここで長く雨に曝されたのであろう、ビニール袋には水が溜まっており、ティッシュは乾いた紙粘土のように固まっていた。
「散歩中に発症者になったのか……」
子犬は、この子を家に連れ帰ろうとしていたのかもしれない。
車がぎりぎりすれ違えるくらいの狭い道を、二台の車が塞いでいる。ここに引っ掛かって進めなかったようだ。両側は二メートルくらいの水路なので、回り道も出来ない。
この一帯にだけ、子犬のものと思われる
ススムは最初、この車をどかそうと思ったのだが、車の向きに作為を感じて考え直した。放置するにしても、自然にこうなったとは思えない角度で停められているのだ。
何度も切り返しをして車体と道の向きを調節しなければ、ここまで綺麗に道を塞ぐ形で二台並べる事は出来ないだろう。
(もしかしたら、この道を塞ぐ目的でここに置かれたのかも)
バリケード代わりにしているなら無理に動かさない方が良い。ススムは子犬に水と少量のパンを与えると、女の子の持ち物を調べた。
首から紐で提げている大きめのカードに、住所と名前が書いてある。
「
MAPアプリで調べてみると、ここからそう遠くないようだ。
「連れて行ってやるか」
子犬が元気だったなら、発症者の女の子を抱えて車を乗り越え、家まで案内して貰えばよかったが、立ち上がれないほど弱っている状態では子犬の方を抱えて行くしかない。
とりあえずリアカーをここに停めて、もう一つ灯りを用意する。
「念の為に鍵も掛けておこう」
車輪にチェーンの鍵をかけ、アーム部分に僅かばかりの食料が入った袋をぶら下げる。荷台の固定紐には『直ぐ戻ります』と書いたメモも挟んでおいた。
「さて、家まで送ろうか」
先に発症者の女の子を抱えて車を乗り越えた先に下ろし、その後子犬を抱えてリアカーを離れたススムは、女の子の手を引いて一本道を歩き出した。
道の先は、小さな住宅地に繋がっていた。こじんまりとした現代風の一戸建てから、どっしり構えた日本家屋風な家が、そこそこの間隔でぽつぽつと立っている。
塀に貼られた住居番号板を確認しながら進む事しばらく、片腕に抱きかかえていた子犬が嬉しそうに身じろぎし始め、女の子のカードに書かれていた住所の家に到着した。
そこそこ大きめの一戸建て。玄関前のガレージテントに窓を開けた車が停めてあり、車内から伸びた電気コードが玄関脇の小窓に続いている。車から電気を引いているようだ。
周囲の家にはランプや蝋燭っぽい、揺れる明かりが窓に見えたが、この家は普通に明かりが灯っている。
とりあえず、ススムは門の呼び鈴を押してみた。ピーンポーンというチャイムの音が、家の中から聞こえて来る。
(そういや呼び鈴は電池式の物もあるから、家の通電状況は関係無かったりする事もあるな)
呼び鈴を鳴らして少し経った時、扉の向こうからごそごそしている気配を感じた。息を潜めてこちらの様子を覗っているような感覚が伝わって来る。
(さっきわんこの鳴き声が聞こえたのもそうだけど、このやたら鋭い感覚も適応者の能力の一環なのかな?)
自身が適応者である事を明確に意識するようになってから、力の加減がかなり正確に行えるようになった気がする。A.N.Tとの戦いでは、特にそれが顕著だった。単純な筋力以外にも、周囲の動きを肌で感じ取るような感覚を、自然にこなせている。
一分ほど経ったが変化がないので、声を掛けてみる事にした。
「こんばんわー、わんこ連れた子供を見つけたんで、運んで来たんですがー」
すると、物音がしてひそひそ話が聞こえてきた。内容から察するに、母親は自分達の子供か確かめたがっているが、父親が警戒して応対するのを止めているようだ。
この辺りも治安は悪化しているのだろうと理解するススムは、さらに説明を続けた。
「子供の方は発症者になってて、道の途中の車に引っ掛かってました。わんこは大丈夫そうだけど、かなり汚れてて衰弱してます」
子犬は、女の子を家まで誘導しようとしていたみたいだった事。たまたま通りかかった自分が、女の子の首に提げられていた名札の住所を見て、ここまで運んで来た事などを説明する。
「とりあえず必要なら他所へ誘導しますが、ここに置いて行っていいのか返事が欲しいです。あと、早くわんこを引き取ってやって下さい、自力で歩けないくらいやせ細ってて、可哀そうです」
すると、バタバタと玄関に走り寄って来る足音が響いて扉が開いた。
現れたのは無精髭を生やした父親らしき中年のおっちゃん。おっちゃんの陰に隠れるように続く母親らしき中年のおばちゃん。そのおばちゃんを後ろから支えるように立つ大学生くらいの女性の三人だった。
「あああああっ、ゆなあああああ」
「お前ーっ、お前かー!」
「お父さん、落ち着いて」
変わり果てた娘の姿に泣き崩れる母親と、なぜかススムに食って掛かる父親。それを窘める姉という構図が、しばし玄関前で展開された。
(まあ、分からんでもない)
ぶつけどころのない憤り、やり場のない怒りと、愛娘を失ったショックが交ざり合って、感情を暴走させる肉親がいてもおかしくはない。
そう理解するススムだが、二次災害は防がなければならない。
「あ、俺一応感染してるんで、あんまり近付かないでください」
それを聞いた途端、ぎょっとなって後退る父親。さっきまでの、掴み掛からんばかりの勢いで睨みつけながら何事か喚いていた威勢が完全に消えて、及び腰になった。
(……これはあれか、その場の雰囲気とか感情で何となく行動する人か)
娘が婚約者とか連れてきたら、特に理由も無く「娘はやらん!」とか言っちゃうタイプの人かなと認識したススムは、とりあえずこの家族に現在の不死病に関する情報を与える事にした。
発症者は基本的に刺激しなければさほど危険は無い。直接触れると感染しやすいので注意。空気感染は確認されていない。たまに攻撃的な個体もいるので、なるべく近付かない事、などなど。
「わんこも一度しっかり洗ってやった方がいいですよ。マスクとゴム手袋つけて消毒してやって下さい」
泣いている母親と宥める姉。既に玄関の中まで退いている父親。そんな家族達に、ススムは肩を竦めつつ少し門を開くと、子犬を中に入れてそっと閉じる。
「それじゃあ俺はこれで」
そう挨拶を残してこの場を立ち去った。ススムは、自分でも驚くほど冷静に対処できた事を思いながら、それは慣れなのか、自身の変化なのか、しばし自問などしていた。
来た道を辿ってリアカーのところまで戻って来る。ランタン型電灯や積み荷は無事のようだが、ぶら下げておいた食料袋が無くなっている。人が持って行ったのか、動物が持って行ったのか。
(さっきの住宅地は他にも生存者が居るみたいだったし、あの家族が近所と交流してるなら、不死病の正しい情報も伝えてくれるだろう)
チェーンを外しながら他に持って行かれた物が無いか確認した後、この一本道から元の国道へと戻り、帰宅の途に就いた。
そうしてススムが自分の住む埠頭のある町に到着したのは、夜の11時ごろだった。
自転車で車を擦り抜けながら移動した時は1時間ほどで走破した距離だったのだが、リアカーを引きながらの移動では途中で道を塞ぐ放置車をどかしたりしなければならなかったので、やはり時間が掛かった。
「でもまあ、予想よりは早く帰って来られたかな」
そして予想通り、この町の電気も止まっていた。遠くに見える地元の総合病院は、以前と同じく上の方の窓に明かりが灯っているが、小学校は篝火と思しき揺れる灯りしか見えない。
「とりあえず病院に寄って行こう」
小学校の避難所には武装自警団が居るし、彼等とはあまりよい出会い方をしていない。最後に会ったのは、団地のマンション群で物資の調達活動をしていた彼等のグループと鉢合わせした時だ。
あの時は互いの立場や価値観で少し揉める事になった。ススムは鍋とフライパンを打ち合わせた大音量を響かせて発症者の群れを呼び寄せ、煙幕代わりにして立ち去った。
まだきちんと話し合いもしてもいないので、自分の状態について最初から説明しなければならないだろう。それで彼等がどう判断するかも分からない。地元で敵対でもされると厄介だ。
(あ、でも歩道橋に陣取ってた人達がこっちに来てるはずだよな。上手く説明してくれると助かるんだけど)
彼等が無事に小学校の避難所に到着している事を祈りつつ、ススムはようやく到着した病院の駐車場へと入って行った。
「あ、そうだ。まだ病院内に発症者がうろついてたら、全員外に誘導してしまおう」
初めてここに来た時は、まだ自分の状態さえよく分かっていなかったが、ショッピングモールの避難所での活動で色々と経験を積んで来た今なら、適切な隔離方法や処理の仕方も知っている。
ススムは、改めて良い経験をして来たなぁと、遠征で得たモノのを大きさを実感するのだった。