ボンヤリ浮かび上がる色彩と、沢山の筐体が並ぶ空間。実際に見た事は無いのに、確かに覚えのある不思議な場所。
またここか
『ススム君』
美比呂ちゃん……の影が浮かび上がる。
『ススム君、遊ぼう』
……君、美比呂ちゃんじゃないだろ? ——そう問いかけると、影は少し揺らいで形を変えた。
『はいっ、違いますよ?』
今度は由紀ちゃんか……俺の知ってる人の姿で出て来るのか? ——すると、影はまた形を変える。少し身長が高くなった。
『正確には繋がりのある者、と言った方がいいかな』
黒田さん……
『それよりも、目の前の問題を片付けるべきだと思うが』
そうですね、でも……とりあえず元に戻してください
『良いのかね? 精神的に負荷が高くなると思うが』
大丈夫です。ちゃんとやれます
『無理しなくてもいいんだよ?』
『無理しなくてもいいんですよ?』
いや、ここは無理してでも現実を受け入れておくべきだと思う
由紀ちゃんの影を見ながら言う。彼女は、この選択を決意する切っ掛けだ。前回は、自己防衛でよく分からない内にやらかしたけど、今回は自分の意思で彼等を殲滅する。
やっぱり甘かったんだと思う
少なくとも、手を出したらヤバいって思わせておけば、由紀ちゃんはあんな事にはならなかったと思うし。
悪党の命に配慮して、善人が殺されたなんて話は、よくある事だけど。
結果だけ見たら、自分の手を汚したくない、人を殺すのは嫌だって本音を、人権意識とかで誤魔化して、隠して、護るべき人を死なせている。
自分が死なせたも同然だ
『そこまで卑下する事もないと思うがね』
宿主の気持ちに配慮するウィルス腫瘍ってのも変な感じだな。
『まあ、君の気持ちは分かったよ』
『ススム君の気持ちはわかったよ』
『大木さんの気持ちは分かりました!』
三人の声が重なり、ふと暗闇に包まれる。今回は光の方に歩かなくても、光の方から迫って来た。そうして目が覚めると、A.N.Tのアジトビルの前に立っていた。
殲滅対象が騒いでいる。屋上の投光器が向けられる中、既に穴の開いてしまった手袋を外してポケットに仕舞ったススムは、アジトビルに向かって歩き出した。
A.N.Tアジトビル三階の社長室にて、ショッピングモール避難所制圧計画を練っていた坂城のところに、部下の井堀が血相を変えて飛び込んで来た。
「総長! 襲撃です!」
「襲撃? うちにか? どこの組織だ」
「いえ、それが……相手は一人で、例の捕虜を連れ出したマスクの奴なんですが——」
先程突然、正面玄関から入って来て施設内で暴れているという。昼間の失態の落とし前を付けさせに、後を追わせた副長の石塚部隊とは、連絡が取れないらしい。
そこへ、バタバタと足音を立てながら中年の男が社長室に飛び込んで来た。
「磯谷? 何故ここにいる」
「や、やべえ! 化け物が……っ、みんなやられちまった! 逃げた方がいいぜっ」
血相を変えながら捲し立てる磯谷は、副長の石塚部隊は怪物に襲われて全滅したと訴える。
件のコートを着たマスクの男が、突然肉の塊のようになった後、異形の怪物に変身して隊員達を挽き肉のようにしてしまったのだと。
部隊から一人離れた場所に居て難を逃れた磯谷は、必死にここまで逃げて来たようだ。
そんな話をしている間も、玄関ホールからガラスの割れる音や何かが砕ける破壊音が響き、怒声や叫び声が聞こえて来る。
「……適応者か? 異形に変身したというのが分からんが」
「総長?」
謎の呟きに、井堀が小首を傾げて聞き返すも、坂城は現場を確認すると言って席を立ちながら、井堀に命令する。
「井堀、お前は脱出の準備を整えておけ。西で全て合流させる。磯谷も連れていけ」
「イエッサー!」
坂城が二階エントランスにやって来ると、一階ホールを見渡せるバルコニー廊下に機銃設置の指揮をしていた施設防衛部隊の班長が、敬礼で迎える。
「どんな相手だ」
「化け物ですよ、一階ホールの設備は壊滅です!」
ホールの様子を見下ろすと、中央付近で血染みに汚れたコートを着て、ニット帽にマスク姿の男が暴れている。
周囲の柱の陰からベアリング弾仕様の改造エアガンライフルによる一斉射撃が行われているが、全く怯む気配は無い。
そして尋常では無いのが、その男は一台100Kg近くある作業台を、両手に掴んで振り回している事だ。
「やはり適応者か。かなり強力な個体のようだな」
「総長、奴をご存じなので?」
「同類を見た事がある。奴らは元の意識を保ったまま、発症者と同じ状態にある不死病者だ」
設置中の機銃も、所詮改造エアガンの威力では効果は望めない。現在井堀が脱出の準備を進めているので、そちらに積み込むように命令する坂城。
「お前はまだ組織に必要な人材だ。最初の便で行け」
「イエッサーッ」
班長は一瞬嬉しそうな笑みを浮かべると、部下達に機銃の設置を中止して地下駐車場に運ぶよう指示している。
今、ホールで応戦しているのは、先日磯谷を含めて新たに加わった、件の避難所から追放された者達だ。
(俺の組織に必要のない寄生虫共だ。大学病院の制圧に使い捨てる予定だったが……ここで時間稼ぎに使うか)
一階ホールを囲むように突き出た二階バルコニー廊下の手摺前まで進んだ坂城は、下で破壊の限りを尽くしている男に声を掛けた。
「随分と暴れてくれたな、適応者」
「っ!」
A.N.Tを壊滅させるべく戦闘員を蹴散らしていたススムは『適応者』の呼び名に動きを止める。二階のバルコニー廊下を見上げると、他の戦闘員達とは少しデザインの違う戦闘服を着た男が立っていた。
「……あんたは?」
「
「あんたが……っ、この事態の元凶か!」
坂城を睨みつけて激昂するススムに、柱の陰から改造エアガンが撃ち込まれる。ススムは身体を反転させて勢いを付けると、その柱に向かって作業台を投げつけた。
ズガーーンという凄まじい轟音が響いて柱の一部が砕け跳び、後ろに隠れていた戦闘員は衝撃で弾き飛ばされていた。
ススムの力を測る為に姿を曝した坂城は、以前遭遇した適応者とは比べ物にならない怪物だなと、対処法を思案する。
人外の力を発揮する異常な存在を相手に、通常の戦力で当たるのは自殺行為だ。
「我々A.N.Tは君の挑戦を受けよう。私を止めたくば、社長室まで上がって来るがいい」
そう挑発してバルコニーの奥へと消える坂城に、ススムは「ふざけんな!」と怒りを込めて、全力で作業台を投げつけた。
ぶん投げられた100Kg近い重量の作業台は、二階バルコニーの床を突き上げるように貫通して廊下を波立たせる。砕けて弾け飛んだ強化ガラスの破片が、辺り一面に降り注ぐ。
穴の開いた場所からバランスが崩壊し、一階まで垂れ下がったバルコニー廊下を駆け上がると、奥の階段を三階へと消えて行く坂城の姿。ススムはそれを追って走り出す。
「ひゃはーー! これでも食ら——べへぇっ」
「邪魔だ!」
物陰から消防斧を振り翳して襲って来る戦闘員を腕の一振りで薙ぎ倒す。腹部を強打されたその戦闘員は、身体をくの字に曲げながら壁に激突した拍子に、自分の頭を斧で割っていた。
階段の陰から改造エアガンを撃って来た戦闘員には、柱の傍に立ててあったスタンド式の灰皿を掴んで投げ付ける。
凄まじい勢いで回転しながら飛んで行ったスタンド式灰皿は、思わずガードしようとした戦闘員の改造エアガンを砕き、その腕を圧し折った。
廊下に転がって呻きながら激痛にのた打ち回る戦闘員を捨て置き、ススムは階段を駆け上る。
(社長室って、あっちか)
奥のスタッフエリアに飛び込むと、廊下の突き当たりに『社長室』のプレートが掲げられた重厚な扉が見えた。そのまま駆け寄り、思い切り蹴破る。
真ん中辺りが陥没して蝶番の千切れた扉が宙を舞い、床の上でゴツリと重い音を立てて跳ねる。
「……居ない?」
ススムが踏み込んだ坂城の社長室は、もぬけの殻だった。
坂城は、三階に上がって直ぐ、社長室とは反対方向にある専用エレベーターで地下駐車場に下りると、準備を整えて待っていた井堀達と共に都心の本拠ビルを脱出していたのだった。
A.N.Tのアジトは壊滅させたが、リーダーの坂城には逃げられてしまったようだ。
釈然としない気持ちのススムが一階のホールに戻って来ると、戦闘服を着た老齢の男性がホールの惨状を見渡していた。先程の攻防では、見掛けなかったように思う。
「やあ、あんたぁ派手にやりなすったなぁ」
「……あなたは?」
「わたしゃあ、この店で働いてた従業員ですわ」
崩壊前、ここのホビーショップでパーツ類の販売をしている店舗の店番をしていた人らしい。
別にA.N.Tという元サバイバルチームと関わっていた訳ではなかったが、店の従業員は崩壊後、皆組織の一員に組み込まれているのだと言う。
「坂城社長も、前はあんなじゃなかったんだがねぇ」
何だかこの老者は悪い人という気がしない。A.N.Tの中に居た、本当の意味でまともな人なのかもしれない。
「A.N.Tについて、何か知ってる事はありますか?」
「そうさなぁ。わたしゃあ置いて行かれた不要組だけど、結構色々知っとるよ?」
一応、ここがA.N.Tの本拠地ではあるが、坂城社長の店は全国に支店があって、そっちにまだ多くの構成員が居るという。
ショッピングモールの避難所を襲撃する計画では、全国の支店より人員を呼び寄せ、大部隊を編成してから制圧に乗り出し、そこに本拠を移す計画だった。
「権力を持つと、人の本音が出易いっていうからねぇ」
崩壊した世界で従業員達を護る為に、武装組織を立ち上げて運営を続けているうち、ゲームなどで顔を出していた独裁者気質が肥大化してしまったのかもしれない。
老齢の元従業員は、しんみりと語った。
「まだ脅威は去ってない訳か……浅川さん達に伝えないと」
ススムが老齢の元従業員にこれからどうするのか問うと、彼はここに残った蓄えで何とか凌いで行くつもりだという。
ショッピングモールの避難所に限らず、A.N.Tはこの近辺で色々なグループに迷惑を掛けているので、今さら身を寄せられる場所も無いそうだ。
「そうですか……」
「あんたぁ、根っからのお人好しなんだねぇ」
そう言って人の良さそうな笑顔を見せる元従業員に、ススムは軽く会釈してこの場を後にした。
(由紀ちゃん、どうなったかな……)
とにかく止血をせねばと、小丹枝の指示に従って横にせず座らせ、首に刺さった矢の周りを抑えようとした事までは覚えているが、途中から記憶が無い。
壊滅したアジトビルを出ると、前方から浅川チームの偵察専用車両が走って来るのが見えた。