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第六話:覚醒適応者【後編】





「俺達は新人類だ。大崩壊を経て進化した、選ばれた人種なんだよ」


 何百人に一人、あるいは何千人に一人か分からないが、適応者は他にも大勢いるはず。

 いずれ旧人類は不死病によって地上から絶滅し、適応者のみが地球上の新たな支配者として君臨する時代が来る。

 その時に備えて、今の内から適応者社会の中心となる組織作りをしておくのだと篠口は力説する。


「俺達が新しい世界の出発点となるんだ。ススム、お前も一緒に来い」


 内容はともかくとして、自信にあふれた言葉で淀みなく紡がれる世界への見解や未来の展望は、なかなかの名演説と言えなくもない。

 篠口の部下達などは、恍惚とした表情で彼の訴えに聞き惚れている。


(自分達は絶滅するとか言われてるのに……いいのかそれで)


 ススムは内心でそんな事を思いつつ、篠口の勧誘に御断りの答えを返す。


「……悪いけど、その考えには賛同出来ない」

「……そうか、それは残念だ」


 額に手を当て、神妙に目を閉じ、深く息を吐く篠口。やはり一々動作に芝居掛かっているのだが、どうにも奇妙な違和感が付き纏う。


(つーか、黒田さんの血清が地元の病院でも量産されてるんだし、地上から消えるのは不死病の方だと思うけどなぁ)


 ススムが血清の普及と不死病の終息、世界の復興について考えていると、篠口は続けてこんな事を言った。


「初めて見つけた同族を、自らの手で送らねばならないのは悲劇だよ。実に残念だ」

「は?」


 篠口は、おもむろにポケットから黒い手袋を取り出して装着し始める。それを見た彼の部下達が慌ててこの場を離れ始めた。


「ヤバいっ、総長が暴れるぞ!」

「退避! 退避!」

「ショウさん、カッケーす!」


 武装防護服の三人組や武器の制作をしていた『神衰懐』の構成員達が、非常階段口へと走り去る。見せつけるような動作で手袋を装着した篠口は、顔の前でギリリとその拳を握って見せると——


「味方に付かない同族は敵だ、死ね!」

「なんだそりゃ!」


 唐突に敵認定して殴り掛かって来た。ススムは思わず「短絡的過ぎるだろ!」とツッコミながら横っ跳びで躱そうとする。その瞬間——


「っ!?」


 ススムは、自分で意図しないほどの跳躍をしていた。斜め後ろに並ぶソファーを飛び越え、3メートルほど後方に着地する。

 思いの外距離を取れたが、篠口もワイヤーアクションさながらの跳躍力で飛び蹴りを放って来た。それをさらに後方に跳んで躱すススム。


「はははっ、力の使い方は分かっているようだな! 俺達適応者は、通常の人間の三倍近い身体能力を発揮出来る。半端な戦いじゃ済まないぜ!」

「え、三倍近いって……」


 着地して身構えたススムは、ボールをぶつけて病院のシャッターを壊した時の事を思い出す。


(あれって、三倍程度じゃ済まない気がするけど)


 ともあれ、マズい状況になった。一階の出入り口は開いているので、走って逃げる事は可能そうだ。しかし、地下に拘束されているらしい避難民の人達も気になる。

 だが今は他人の身を案じている場合ではない——などと、なかなか脱出の決断が下せないでいるススムに、篠口は180センチくらいありそうな横長のソファーを持ち上げて投げ付けた。


「うわっと」


 飛んで来たソファーを両手で抑えて受け止めるススム。その隙を突いて一気に距離を詰めて来た篠口は、ソファーが床に落ちる瞬間を狙って飛び蹴りを放つ。

 ススムは咄嗟に右手で顔面をガードしてその蹴りを防いだ。


(……ん? 軽い)


 跳び蹴りをガードされた反動を使って態勢を整えながら着地した篠口は、ステップでタイミングを計りつつ攻撃を繰り出した。


「足元が疎かだぜ!」


 ススムの転倒を狙ってソファーを蹴り込む。狙い通りに転倒させる事は出来なかったが、両足に衝撃を受けた事でこの瞬間は咄嗟の回避が出来ないはず。そう確信する篠口は、必殺の一撃を叩き込むべく飛び掛かった。

 発症者を練習台にした時は、その身体を穿ち抜くほどの威力を見せた、助走をつけてからのジャンピングストレート。——足が地面に着いている方が威力が高いのでは? と意見した部下は処分済みだ。


「もらったあ!」


 ズンッ という、おおよそ人間が人間を殴った音とは思えない重い打撃音が響き、勝利を確信した篠口が狂喜の笑みを浮かべた瞬間——


 ベシッ


「ぶほぁっ」


 上から頭をはたき落とされ、ソファーに顔から突っ込んだ。


「!……っ はぁっ!?」


 一瞬何が起きたのか分からず、混乱しつつも慌てて立ち上がった篠口は、正面からソファー越しにじっと見下ろしているススムに回し蹴りを放とうとする。しかし——


 ドカッ


「ぬはっ」


 ソファーを蹴り出されて軸足を払われ、盛大に転んだ。


「な、そんな……俺の力が、通じないなんて——お前、何者だ!」

「いや、あのな……」


 さっきまで同類とか同族とか言ってたじゃないかと脱力気味にツッコんだススムは、篠口の攻撃が自分に通じないと分かって、少し落ち着きを取り戻す。


「個体差があるんだろ、多分。そんな事よりさっきの話だけど、もしかして避難所に発症者を誘導して使えなくしたのか?」


 床に這いつくばった姿勢からギッとススムを睨み上げた篠口は、ふっと息を吐いて立ち上がり、シャツの埃を払いながら語る。


「ああ、たった一匹の発症者に右往左往して崩壊さ。助け合いだの弱者救済だのほざいてた連中が、一人で歩けねぇ怪我人やらじじぃばばぁをほっぽって我先に逃げ出す様は、なかなか笑える見世物だったぜ」


「マジでやったのか……」


 なんつー事をやらかしてんだと、ススムは頭を抱える。


「進化だか新人類だか何か知らんが、せっかく感染しても生き延びられてるんだから、アホな事やってないで真面目に生きろよ。人に迷惑掛けんな」


 世界が滅びようと、人のモラルに関係は無い。そう一喝したススムは、篠口の言う適応者のみが生きる社会という未来像を否定する根拠を示す。


「今俺が町の病院に配達して回ってるんだけど、不死病に効く血清がもう開発されてるんだ。これが広まれば発症者も居なくなって、世界だって元通りになるさ」


「不死病に効く血清、だと……!? お前、そんな物を運んでるのかっ! 捨てろ!」

「あほか」


 適応者である自分達にとって自殺行為だと言う篠口の忠告を一蹴したススムは、とにかく拘束している避難民を解放するよう促した。


「……なら力尽くで解放してみろ! こっちも生存権が掛かってんだ、力尽くで奪って、世界中の血清を破棄してやる」


「無茶苦茶言うなよー」


 ここに至って、ススムは何となく篠口に感じていた違和感の正体が分かった気がした。彼等は、いわゆる中二病なのだ。それも篠口の場合、『適応者』というそれなりの根拠を持った中二病だ。

 妄想の中にあるうちはよかったが、現実世界が崩壊した環境で特殊な状態になったものだから、引き起こされる被害がとんでもない事になっている。


「多少の個体差はあっても、技術でカバー出来る。ススム、お前格闘は素人だろう!」


 腰を落とし、上体は起こしたまま軸足と後ろ足で踏ん張って前傾姿勢を取った篠口は、両手を正面に構えてジリジリと間合いを詰めて来る。何か格闘技の心得があるのだろう。


「……」


 ススムは、先ほどからぶん投げられたり蹴飛ばされたりして床に転がっている横長のソファーを拾い上げると、大きく振り被り——


「!? ちょ……っ、お、お前、それはっ!」


 篠口目掛けてフルスイングした。

 バスンッというサンドバックでも叩いたかのような音が響き、薙ぎ払われた篠口の身体はフロアに建てられた衝立のパネルを吹き飛ばして、事務机の上をバウンドし、このオフィスビルの入り口を覆うガラスの壁をぶち破って表の道路まで吹き飛ばされた。


「……いや、おかしいだろ」


 吹き飛ばした張本人であるススムは、折れ曲がったソファーを手に呆然と呟いたのだった。




 ススムが地下階に下りると、倉庫のような部屋の前に武装防護服の三人が立っていた。何やら駄弁っていた彼等は、ススムの姿を見ると、きょとんとした表情で訊ねる。


「あれ? 総長は?」

「つかこいつ、ショウさんがぶっ飛ばすんじゃなかったっけ?」


 ススムは、彼等に拘束している避難民の事を訊ねる。


「ああ、あいつらならこの中だよ」

「つかショウさんは?」


「ぶっ飛ばした」


 篠口について端的に答えるススム。


「は?」

「ぶっ飛ばした」


「……だ、誰が、何を?」

「俺が、翔君を」


 さーっと青褪める三人組。自分達の信望する総長が倒されたというのに、威嚇や憤りの態度すら表さない。彼等にしてみれば、超人的な力を持つ絶対強者だった篠口が負けた時点で、目の前にいる男は化け物確定。逆らえる筈もなかった。


「避難民の人達解放するから、そこ開けてくれる?」

「え! あ、あの……でも……」


「開けてくれる?」

「は、はい……」


 開けなきゃ蹴破るつもりでいたススムだったが、努めて穏やかに平和的に交渉する事で、これ以上余計な荒事に巻き込まれないよう、穏便に解放を済ませようとした。

 しかしながら、ここは避難民の人達から狂暴と恐れられた武装集団のアジトなのだ。


 防音効果の優秀な扉が開けられると、中で行われていた乱痴気騒ぎが響いて来た。


「おらっ、もっと腰振れ!」

「おいお前ら、ちゃんと見とけよ」


「お願いします、もうやめて下さい! 私が代わりになりますから!」

「ああん? ババァはお呼びじゃねーんだよ!」

「ぎゃはははっ」


 ススムの顔から表情が消えるのを、マスク越しでも確認した武装防護服の三人組は、じりじりと扉の前から離れると、一目散に逃げ出した。

 彼等は特別な恰好をしていたが、実は結構下っ端だったのかもしれない。そんな事を意識の端に思いつつ、ススムは部屋の中へと踏み込んでいった。


 ——握り込んだ拳を、ミシミシと鳴らしながら。





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