大通りを真っ直ぐ進み、高校方面に向かう角は曲がらず通り過ぎて、さらに進む事しばらく。白い大きな病院の建物が見えて来た。
駐車場に繋がる正面玄関前の開けた道にはマーキーテントが幾つか並び、資材やガラクタが積まれている。テントの下に寝転がっている人達も何人か居た。
正面の玄関口には丈夫そうなシャッターが下ろされており、シャッターの端っこにある小さな扉から何かカメラのような形をした機械が突き出ていた。
(あれが、美比呂ちゃんの言ってたサーモグラフィーみたいな機械かな?)
シャッターの前には、家族連れらしき熟年の男女と幼稚園児くらいの子供の姿。
避難しに来た人達らしいのだが、どうやら感染者判定が出て受け入れて貰えず、せめて子供だけでもと交渉しているようだった。受け入れが無理なら食料を少し分けて欲しいと懇願している。
ススムは、家族連れと病院側のやり取りを聞きながら、自転車を邪魔にならない場所に停めて正面玄関に向かう。
病院側の応対は、件の機械の上にある小さな拡声器が使われており、結構大きな声が響き渡っているのだが、この周辺に徘徊している発症者はいない。病院周辺は安全が確保されているようだ。
(まあ、だからあんな吹き曝しのテントの下に寝転がってる人がいるのかもな)
感染者の受け入れを拒否する病院側は、例え子供であっても感染反応が出ているので答えは同じ。
食い下がる家族に、拡声器の声は苛立った口調で『生きている人間に必要な貴重な食料を、なぜ死体候補者共に分け与えねばならんのだ』と高圧的に言い放った。
流石にその物言いはどうかと思ったススムは、眉を顰める。
『これから来る他の避難民達に迷惑だ、早く立ち去れ。立ち去らなければ強制排除する』
拡声器の声がそう告げた後、玄関前の上にある二階と三階の窓が開いて、そこから家族連れに向けて物が投げ付けられた。
地面に落ちて跳ねるそれは、テニスボールとか軟式ボールのようだ。
(おいおい……感染者って被害者的な立場なのに、随分な対応だな)
と、ススムは病院側の対応に鼻白む。窓から物を投げ付けている人達を見やると、マスクを付けて顔を隠しているが、明らかに小中学生くらいの子も交じっている。
そして、ちらっとだが窓の奥に見えた、アーチェリーを持った人影。
恐らく、最初はボールみたいな比較的安全な物をぶつけて追い返し、これに従わない人や、強硬侵入しようとする相手が現れたら、アレの出番なのだろう。
こんな役回りを子供に手伝わせているのは、それだけ人手不足なのだろうか。
(まさか教育の一環とかじゃあるまいな……)
世が世なら、児童虐待で訴えられ兼ねない案件だとススムは思った。
辺りに転がったボールは、テントの下に寝転がっていた人達がせっせと拾い集めている。そしてそれらのボールを正面玄関とは別の、職員用入り口のような扉の郵便ポストに投函していた。
投函後、扉横の小さな窓から何かを受け取り、またテントの下に戻って寝転がると、受け取った物をもぐもぐと食べ始めた。どうやら物資のリサイクルに貢献する事で糧を得ているようだ。なぜ外にいるのかは分からないが。
(あの人達は感染者ってわけじゃ無いのかな)
追い返された家族連れが、とぼとぼと病院前を後にする。彼等はこの後どこに向かうのか。家族連れの感染者を気にしながらも、ススムは血清を届けるべく病院の正面玄関前に立った。
拡声器から声が響く。
『住所と氏名、年齢を提示して白線の囲いの中に立て』
足元を見ると、スプレーで引かれたような白線の四角形が、機械の正面の床に描かれていた。
「いえ、あの、俺は避難に来たんじゃなく、血清を届けに来たんです」
『血清? なんの血清だ? 所属と身分を言え』
先程の家族連れとのやりとりの興奮がまだ続いているのか、いちいち威圧的な口調に、ススムは不快感を覚える。しかし、ここまでの道中で『今の世の理』を理解し始めているススムは、これがここのルールなのだろうと気持ちを抑える。
病院の外でボール拾いをして食料を得ている人達を見るに、ここにはそういう共存関係のような社会が出来上がっているのだ。完全な余所者である自分がとやかく口出せる事ではない、と。
とりあえず、ススムは自分の知り得る情報をもって血清の事を説明した。
黒田という教授から預かって来た、Atlas科学研究所というところで作られた不死病に効く血清。既に自分が住んでいる町の病院にも届けてある事などを伝える。
拡声器からは、何かごにょごにょと複数人が相談し合っているような小声が聞こえた後、とにかくセンサーの前に立てと言って来た。
「あー、俺、既に感染してるんですけど」
ススムはそう言いつつ白線の囲いの中に立つ。すると、拡声器から複数人の驚いたような声が上がった。
『おいっ、何だこれは!』
『全身に腫瘍反応?! 発症者のステータスじゃないか!』
(な、なんか相当ヤバいみたいだな……)
発症者に感知されないレベルなのだから、感染の進行度が分かる機械で計測したなら、どんな判定が出たのか予測はつく。
ススムが肩を竦めつつ一人納得していると、病院側は「感染者の荷物は受け取らない」と言って来た。
「え、別に手渡しでなくても、どこか小窓からの搬入でいいですよ?」
気になるならアタッシュケースを消毒してから開ければいいと提案するも、病院側は全く取り合わない。
『我々には必要ない。立ち去れ』
「えー……そっすか」
頑な過ぎて話にならない。これは駄目だと、ススムはこの病院には見切りを付ける事にした。
(まあ、他の病院でも血清が量産されれば、いずれここにも回って来るだろう。これだけ徹底してるなら、その分安全だろうしな)
致し方なしと、別の病院を目指す事にしたススムは、踵を返して自転車に向かう。すると、背中にボスンッと何かが当たる音がした。
「なんだ? ——って、うおっ」
振り返ったススムのおでこに、テニスボールが当たって跳ねる。
「かえれー!」
「立ち去れー!」
見れば二階と三階の窓からボールが投げつけられていた。
(ちょ……っ、これってもしかして娯楽化してるんじゃないのか?)
何だかなぁと微妙な気分になりつつ、正面玄関前から立ち去ろうとするススムに、尚も投げ付けられるボールと心無い言葉の暴力。
「感染者かえれー!」
「ゾンビどっかいけー!」
どこか言わされている、やらされている感じもする、小中学生くらいの子供達による排除行動。だが、その声色には明らかに優越的な響きも籠もっており、楽しんでやっている事が分かった。
これは道義的によろしくない、とススムは思う。小さいお子様達の情操教育にも悪影響だろう。
(……美比呂ちゃんも、こんな風に追い返されたのか?)
避難所には入れないと言った時の、彼女の表情を思い出し、憂鬱な気分になって溜め息を吐く。とっとと立ち去ろうと自転車に手を掛けたススムの腕に、白いボールがクリーンヒットした。
その拍子に、押し出された自転車がガシャーンと音を立てて倒れてしまう。直後、背後から歓声が上がった。
「バイキンに命中ー!」
「あはははは」
子供達の声に交じって、大人の男性女性の笑い声も交じっている。
「むかっ」
流石にイラッとしたススムは、今し方ぶつけられた軟式ボールを拾うと——
「いいかげんにしろっ」
正面玄関に向かって全力で投げ返した。次の瞬間——
ズガアアアアァン!
という凄まじい音がして、病院の正面入り口に下りているシャッターの真ん中が大きくへこんだ。ボールはひしゃげたシャッターにめり込んで破裂していた。
「え……」
思わず固まるススム。ボールを投げた右手の手袋からは、白煙が上がっている。建物の一階にいる人達の騒ぎ声が聞こえて来た。
「何事だ! 何だ今の爆発音は!」
「シャッターが壊れた!」
「発症者の襲撃か!」
「武装集団かもしれん! 警備隊を呼べ!」
何だかよく分からないが、シャッターを壊してしまったらしい。
「す、すんませんしたーーっ!」
慌てて自転車を起こして飛び乗ったススムは、スタコラサと逃げ出したのだった。
大通りから適当な路地に入り、ペダルを漕ぐ速度を緩めたススムは、先程の騒ぎを思い出しつつ自分の右手を見つめる。厚手の手袋は指の部分が少し焦げていた。
「何だったんだ、今の……」
ゾンビ映画やゲームの設定でよく見る『肉体のリミッターが外れているので凄い力が出せる』という類の現象かとも思ったが、それにしても異常なのではないかと、ススムは自分の身体の異変に戸惑った。
「……まあ、悩んでても仕方ないか」
異常な力が出せる事はともかくとして、日常生活での動作に問題は無いのだから、何か強く力んだりする場面で気を付けていればいいかと開き直る。
とりあえずスマホを取り出し、MAPアプリを起動して別の病院を探す事にした。
(これの操作で画面割っちゃったりなんて事も無いしな)
夕刻を過ぎる頃。次の目的地に定めた近くの病院に向かう途中、ススムは件の病院から追い返されていた例の家族連れに遭遇した。彼等は車を使って移動していたようだ。
小さい軽自動車なので、事故車による障害物の多い道でもどうにか移動出来ていたらしい。だが、そんな車の燃料もそろそろ尽きかけており、それよりも深刻な問題として、食糧難に陥っていた。
「こんなくらいしかないですけど」
「あ、ありがとうございます。何とお礼を言ったらいいか……」
ススムは持参して来た水と食料を彼等に与えると、どこかに物資を調達出来そうな場所は無いか訊ねる。
「近くにコンビニがありますが……あそこは発症者のたまり場になってるので」
「たまり場って……」
店内BGMと非常ベルのコンボで発症者が活発に歩き回っているらしい。
お陰で物資は結構残っているようなのだが、それを狙って調達を試みた者が発症者達の仲間入りをして危険度が上がる、というのが繰り返されたという。
物資の調達と発症者の排除を目的に集まった武装グループの有志達が突入し、全滅してからは誰も近寄らなくなっているそうな。
「じゃあそこから頂いて来るか」
若干忙しない速度で徘徊中の発症者達でそこそこ混んでいる店内を歩いて回り、自由に物色して食料その他の物資をゲットするススム。
缶詰とレトルト品が沢山手に入った。お菓子の類もそのまま残っていたので、買い物籠に詰めて運べるだけ店の外に運び出す。それらは一つ道を挟んだ反対側のバス停に積み上げた。
コンビニの倉庫はバリケードで塞がれていた。
昼間、病院の前で発揮された自分の力を思い出すも、籠城している人が居るかもしれないので、無理に抉じ開けるのはやめておく。
(誰も居なかったとしても、ここに食料が残ってれば、イザという時の保険にもなるしな)
発症者の集団に護られたコンビニ倉庫として、スマホのMAPアプリにこの場所を記録する。
ススムが運び出した物資には、さっそく付近の生存者達が集まって来ていた。周りの建物にも結構な数の生存者が居たようだ。
彼等は病院の避難所に入れなかった人達なのか、はたまた
「兄ちゃん、どうやったのか知らんが凄いな、ちょっと分けて貰っていいかな?」
「いいですよ」
「これ、貰ってもいい?」
「どうぞどうぞ」
おじさん、おばさん達に「遠慮なくどうぞ」と促したススムは、自分が持って行く分を抱えてこの場を立ち去った。
二週間程度は持ちそうな食料その他の物資を両手の買い物籠いっぱいに詰めて、家族連れの車の場所まで戻って来たススムは、それを彼等に渡した。
「あ、ありがとうございます! こんなにして頂いて」
「この御恩は、一生忘れません」
そんな感謝の言葉に照れつつ、ススムは自転車に跨る。この町の病院では少し嫌な思いもしたが、哀しくとも良い出会いだってあった。
(遠征の始まりとしては悪くない、かな)
そう思う事にしたススムは、次の町の病院を目指して走り出したのだった。