程よく沈み込み身体を包むマットレスで羽のように軽い布団に包まっていた美少女。
「起きなさい」
「ぃゃ……」
このやり取りを繰り返すこと五回。しびれを切らしたインフェリアイは布団に潜り込むと掛け布団を強奪して、自身が布団に包まる。
「かぇしてぇ」
寝ぼけ顔の美少女がゾンビのように、ベッド上を這いずりながら掛け布団を取り返そうとする。
「早く顔を洗ったらどうなの。目が覚めるわよ」
「ぃーやーだー」
段々と目が覚めてきたのか、美少女が声を張りながらインフェリアイに覆いかぶさる。
それからしばらく、布団をめぐる攻防が繰り返された後。
「はあ……はあ……汗かいたわ」
「もうお昼よ」
ベッドで広がりながら肩で息をする美少女を布団に包まって立ち上がったインフェリアイのジト目が射貫く。
「お昼? それなら今日は出かけられそうにないね、もう一回寝て明日の朝に名所とやらに行こう」
「朝でも昼でも変わらないわよ。ほら、さっさと汗流すかなにかして着替えなさい」
すると美少女は唇を尖らせながらインフェリアイを見上げる。
「なによ?」
「なーんか、変わったね」
「なにが?」
首を傾げるインフェリアイに美少女は目で訴えかける。
「私が?」
美少女は自信に満ち溢れた様子で頷く。
「そうかしら?」
納得いっていない様子のインフェリアイだったが、「休めたからかしら、変わった自覚はないけれど」と、ベッドの上に腰を下ろす。
美少女はインフェリアイの肩を揉みながら、どこか楽しそうに「なるほどー」と言う。
その気持ちはインフェリアイにも伝わったが、インフェリアイは微苦笑を浮かべる。
「早く着替えて来なさい、お昼食べに行くわよ」
「はーい、お姉ちゃん」
「誰がお姉ちゃんよ!」
勢いよく振り返ったインフェリアイの表情は、語気の強さに反して、楽しそうで、哀しそうだった。
美少女は笑いながら、ベッドから降りると、肩を回しながら浴室へ汗を流しに行った。
食堂で
昨日に引き続き頭巾で顔を隠している美少女。やはり人目を集めてしまうが、敵意もなく、ただ美少女に目を奪われているだけの一般人。当然インフェリアイは気づかず、美少女は気にしない。
「結構賑わってるね」
一通り見回すと、美少女はインフェリアイ連れて一軒の店の戸を開く。
「いらっしゃ――」
そして美少女が店内に足を踏み入れた瞬間、中にいた客や店員全員が息を呑む。それを美少女は気にした様子もなく、ただ店内に売られている服を物色する。
「先に服を買っちゃおっか」
「私お金持っていないわよ……?」
「だーから心配いらないって」
少し戸惑い気味のインフェリアイをよそに美少女は、インフェリアイに似合い、尚且つ動きやすい服装を探す。
「はい、これ。試着して」
「え、あ、わかったわ」
困惑しつつも言われた通りに試着へと向かうインフェリアイを見送りながら、美少女は自分の服を探すのだった。
「随分と遠慮したね」
「あまり上等な服はちょっとね……動きやすければいいし」
少し口を尖らせる美少女に謝りながら、インフェリアイは腿を上げたり、肩を回して動きやすさを確認している。
シンプルな黒のズボンに白のシャツという格好だが、インフェリアイ自身の容姿と深紅の髪が映えており、まるで上等な服を着ているように見える。ついでに靴もインフェリアイの足に合う物を購入している。
「まあ、似合うからいっか」
「そう言う美少女も、とっても似合っているわよ」
そう言うとインフェリアイは美少女を見る。
服は沢山持っている美少女だが、せっかくなのでインフェリアイとほとんど同じ服を買ったのだ。
「いや、あなた見えないでしょ」
「ふふっ、見えないけどなんとなくわかるものよ」
「あっそ……。ほら、行くよ」
耳を赤くした美少女は着ていた服を二人分カバンに放り込み、代金を払うと店を後にする。その服屋にいた客と店員は幸せそうな顔で床に転がっていた。
村の入り口まで来た二人、そこに立っている看板を見て美少女はインフェリアイの肩を突っつく。
「あっちだとさ」
美少女が指さす先には、大人数のグループや個人の観光客が列をなしている。
「人が多いから明日にしよう!」
インフェリアイは踵を返す美少女の首根っこを掴む。
「ぐえっ」
「どうせ変わらないわよ」
少し咳き込みながら美少女は抗議の目を向ける。インフェリアイは向けられる目を気にした様子もなく人ごみを見ている。
頬を膨らませていた美少女は、なにか気づいたのか手を打つ。
「わたしが特攻すれば平和的に人混みの処理ができるね」
「……それは、人としてどうなのかしら」
「どうせそうなるんだし、いいんじゃない?」
インフェリアイがこめかみに手を当てながら唸るが、美少女は特になんの感情も感じさせず、事実を淡々と述べる。決して面倒くさくなった訳ではない。
「そう言われると……そうね。ええ、悔しいけどあなたの言う通りね」
美少女の特性上観光名所など、多くの人が集まる場所に行くのはやはり難しい。
しかし、だからといって遠慮するほど、美少女は繊細な少女でもない。むしろ、わたしを見ることができて幸せでしょう、というメンタルの持ち主だ。
「わたしを見ることができて幸せだろうよ」
美少女は頭巾を取って、その美しい面を露にすると。
「えー、この先に有名な名所があるんですかー? わたし、すっごく楽しみー」
と列に向かって駆け出した。
一瞬にして相手を切り伏せる剣豪の如く。美少女が通った後は幸せな顔で横たわる人々が山を作っていた。
「見えなくて良かったわ……」
美少女の新たな一面を垣間見たインフェリアイは苦笑交じりに美少女の後を追う。
「ふぎゃ!」
足元に注意をしながら。
観光客をバッタバッタなぎ倒して行った美少女は不意に足を止める。
そこは観光名所と言われている洞窟だった。傾斜にぽっかりと空いている入り口はそこまで広くなく、簡素な看板が立てられているだけ、ほとんど自然のままにしていることが分かる。
「……エリメルラ洞窟、ね」
美少女が看板を読んでいると、インフェリアイが追い付いてきた。
「人が多いわね」
そう言うインフェリアイに振り向くと、なぜかズボンや手が汚れていて、どことなく苦労を纏っている気がした。
「ここが観光名所のエリメルラ洞窟だって」
「あら、洞窟だったの?」
「わたしは知っていたけど」
「別に誇ることじゃないわよ」
したり顔を向ける美少女にジト目を向ける。
「いっちょ観光と行きますか」
そんな目をスルーしながら美少女は脚の腱を伸ばす。
そしてインフェリアイに手を差し出す。
「暗いし危なそうだから」
美少女のせっかくの気遣いを無下にできず、その手を取る。
力強く握られたその手を握り返す。
「いったい!」
美少女は慌てて手を放そうとするが、インフェリアイの握った手を振りほどくことができずに激しく握手。
「あら、ごめんなさい」
インフェリアイが手を離すと美少女は自由になった手を守りながら「足元に気をつけるんだよ!」と捨て台詞を残して洞窟へと向かって行った。
なんとも言えない表情のインフェリアイも、倒れる人に躓かないように洞窟へと向かうのだった。
洞窟に入る寸前で律儀にインフェリアイを待っていた美少女と並んで足を踏み入れる。
洞窟の中は外から光が届かない所から、壁に生えている苔が薄緑の光で淡く照らしている。
そして洞窟の中は外よりも気温が低く、二人は腕を擦りながら、互いに肩を寄せ気味に洞窟内を進む。
流石にそこまで広くない出入り口で卒倒させるのは邪魔になるので、美少女は頭巾を被って足元に視線を落としながら進む。
「広いところに出たわよ」
インフェリアイの言葉に美少女が顔を上げる。
「うわ……すっご」
他の観光客達が美少女に目を奪われるが、美少女の目は洞窟内を飛び交う光る蝶に目を奪われていた。
「綺麗ね……」
インフェリアイも目を細めながらその光景を目にする。
洞窟内は広いドーム状になっており、出入口から続く道を除くドームの円周上は透き通った湖になっている。
ドーム内を照らす光源は薄緑に光る苔。そして、淡く色とりどりに煌めく蝶だった。
「不思議な光景だね」
「……自分の眼が恨めしいわね」
笑みを浮かべる美少女に対して、インフェリアイは少しいじけていた。
すると、不意に赤く光る蝶が一匹、インフェリアイの目の前を舞う、インフェリアイは蝶に向かって手を伸ばす、蝶はインフェリアイの手に停まると霧散する。
「――⁉」
慌てて手を引っ込めて周りを確認するとインフェリアイは動きを止めた。
笑みを浮かべている美少女の髪は洞窟内の光を綺麗に反射して、まるでオーロラのようだ。見上げるガラスのような瞳が動くたびに色が変わる。そんな美少女がこちらに気づいた様子は無く、観光客は一人残らず幸せそうな顔で地に伏している。
「嘘……私、見えて……どうして……?」
インフェリアイが混乱していると、またいつも通りのピントが合わなくなってぼやけた視界に戻る。それと同時になにかが身体から無くなっていく感覚に襲われる。
「どしたの?」
呆けた様子のインフェリアイの目の前で美少女が手を振る。
「見えたの……」
「なにが?」
美少女が眉をひそめながら続きを待つ。
「視力が、戻ったの」
「うぇ⁉ マジで」
「また見えなくなったけどね……」
ため息をつくインフェリアイ。
美少女は首を傾げる。
「なんで見えたの?」
「目の前に、蝶が飛んできたのよ。それに手を伸ばしてみたら、手に停まって霧散したのよ。そしてなにか、私の中に入って来たわ」
インフェリアイはできるだけ正確に、ありのままを伝える。自分でも訳の分からないことを言っている自覚はあるのだが、別に言っても問題は無い。
「この蝶を触れたの? 近づいても逃げていくんだけど」
「そうなの?」
美少女が蝶に近づいて手を伸ばすと蝶が逃げてしまい美少女の手が空を切る。
「ほら」
「なんとなく見えたわ」
「それに、霧散して入ってくるって、どゆこと?」
「……なんというか、力が溢れる? みたいな?」
「ほう……力が溢れる」
首を捻るが特になにも思いつかなかった美少女は「冷えるから外出てから考えない?」と提案する。
「そうね、宿に戻りましょうか」
インフェリアイが同意すると美少女は足早に出口へと向かう。
宿へ戻って来た二人は椅子に座って向かい合う。時刻は夕方、僅かな空腹感を感じる時刻だ。
「おなか減った」
椅子に腰かけるや否や、美少女は素直に言う。
「もうそんな時間なのね、それなら先にご飯を食べに行きましょうか」
思いのほかあっさりと同意したインフェリアイに美少女は目を瞠る。
「おお、いいんだ」
「どういう意味よ」
「いやあ、洞窟でのことを優先するのかなあと」
「私もお腹が空いているのよ」
インフェリアイは微笑みながら席を立つ。
「それに、お腹を空かした状態じゃ頭も回らないでしょう」
「確かに」
美少女も立ち上がると頭巾を被る。
二人は二階の食堂へと向かう。
二階は丸々食堂になっており、食べ放題のビュッフェ形式の食堂になっている。
「わー、いっぱいだ」
「あー、見えないわ」
美少女は声を弾ませるのに対してインフェリアイは声を落とす。
「わたしが取ってくるから先に座ってて」
「ええ……わかったわ」
若干涙目になりながら、インフェリアイは席を探す。
食堂は賑わっており席がなかなか見つからない、インフェリアイはそんな中で必死に目を凝らして二人で座れる席を探す。他の宿泊客はインフェリアイのそんな姿を目にすると肩を縮こませて目を逸らす。
そして、食事を終えたのか、ないも乗っていないテーブルで談笑していた若い男女のカップルの近くをインフェリアイが通りかかる。
するとカップルは「ひぃ!」と声を上げると慌ててその場から立ち去る。
「あら? 親切な人達ね」
インフェリアイは空いたその席に腰を下ろす。
するとそこへ両手に料理の盛られたお皿を持った美少女がやって来る。
「ほい、お待たせ」
「ありがとう。助かったわ」
テーブルに皿を置いた美少女がインフェリアイの正面に座ると頭巾を取る。
「「いただきます」」
二人は手を合わせると食事を始める。
暫くの間黙々と食事を摂る。やがて、盛られた料理が半分を切ると美少女が口を開く。
「力が溢れて、視力が戻ったの?」
「ええ、多分。でも、視力が戻ったのは気のせいかもしれないわ」
「なーんで」
「だって、あなたの姿をハッキリと見たけど卒倒しなかったわ」
「おう、凄い説得力」
美少女が周りを見回すと、周囲の宿泊客の目が美少女に引き寄せられていた。そして、その一人一人と目を合わせていくと、いつも通り卒倒。
「でも、基本的に目を合わせないと卒倒しないけど……あー」
そこで思い出したのは洞窟内での卒倒事情だ。基本的には目を合わせない限り卒倒しないが、美少女の表情の変化、主に笑顔など、それを見た人は目を合わせていなくても卒倒してしまう。現に洞窟内では、美少女は誰とも目を合わせていないが、中にいた全員が卒倒していた。
「わたしの笑顔を見るだけでも卒倒するんだった」
「あの時のあなたは笑顔だった気がするわ」
「それなら、気のせいかな?」
首を捻りながら二人は食事を口に運ぶ。
「で、今はその力が溢れてくる感じは?」
「しない……わね、見えなくなったと同時に無くなったわ」
「なーるほど」
美少女は腕を組むと目を瞑り眉間にしわを寄せる。
「全く分からないわね。やっぱり気のせいかしら」
「やっぱりそうとしか考えられないよね」
その後も食事をしながらも二人は考えていたが、どう考えても気のせいという結論にしかならないのだった。
その後、部屋に戻った二人は順番でお風呂に入った後、仲良く布団を分け合う。
昨日に比べると疲れは少なく、二人とも暫く寝付けそうにない。
「明日どこ行く?」
「そこまで広い村ではないし、特に思いつかないわね」
当初は四日程滞在する予定だったが、三日滞在に短縮しようとインフェリアイは提案する。思いのほかやることが少なく、明日は旅の道具を揃えてその次の日に出ていこうと。
美少女もその提案に賛成する。
二人は寝ながら、旅をするため、なにがあれば便利なのか、食料の確保はどうするのかを話しながら、眠気が襲ってくるのを待つ。
「どこへ向かうのかってのも決めないとだね」
「そうね。ふあ……眠たくなって来たわ」
「それじゃ、おやすみだね」
「ええ、おやすみなさい」
「うん、また明日」
一人残された美少女は目を瞑りながら眠気を待つ。
インフェリアイと出会って、旅を始めてから二日目。お互いにまだ知らないことだらけだが、少しづつ、知っていこう。
また、明日も一緒に過ごすから。