「何笑ってんだおめぇー!」
ギャルがブチ切れてがなり立てる。いや笑うだろこんなん。あの緊迫した状況で唐突にあんなモノを見せてくるのはズルいわ。一気に気が抜けてしまった。
まあ、女性陣の冷ややかな視線を一身に浴びて、すぐに俺の表情から笑顔は消え去ったわけだけども……。
「あんた、もう一度だけ聞くよ。この張り紙が読める?」
「へ?」
隣の格闘少女が冷静な口調で俺に話しかけてきた。今しがた読んで、総スカンを食らったところだというのにだ。言葉の意味が分からず、呆けた声を上げてしまった。
俺がヘラヘラと笑う直前に聞かれた言葉。バカにするなとあしらったはずだが、なぜ今一度それを聞く。
もう一度読めというのか。あの文章を。俺はまだまだ笑えるぞ。
いいだろう。何度だってその仕打ちを受けてやる。
「待って。一旦集中する。…………オーケー。どれどれ」
『セックスをしないと出られない部屋』
……あれ、思ったほどツボに入らない。来ると分かっている二回目の破壊力というのは、想像以上に想像以下だった。
キュっと口角に力を込めてニヤけそうになる表情を抑え込むと、簡単に我慢できた。
すると心に余裕ができる。再び冷たい視線を浴びなくてもよいという安堵感に胸をなでおろした。
余裕ができれば、視野も広くなる。
さっきまでは大きく目を引くタイトルだけを見ていたが、張り紙にはさらに文章が記載されていた。
ああ、格闘少女はこれを読めと言っていたのか。
『ルール』
『・なお、出られるのは最初にセックスした二名のみである』
『・この場合のセックスとは、生物学的な異性同士でのみ適用される』
『・定期的に親睦を深めるオリエンテーションを開催するため、全員参加するべし』
『・最初にセックスした二名以外の者は死ぬ』
――は?
ここまでくるともう流石に、笑えない。
下ネタは嫌いじゃないが、こんなひどい下世話な話は気色悪いだけだ。
「……いやなにこれ? 死ぬとか書いてて、冗談でも笑えねー」
「本当にそうだよ。唯一の男が、私らと同じ感性でよかった」
格闘少女がほっと胸を撫でおろした。
彼女の安堵感が皆にも伝染して、少しだけ、和やかな雰囲気になる。ついさっきまで、俺たちは敵対していたような関係性だった。それが解消されて、俺も肩の力が抜けた気分だ。
現状はまったく改善していないのに……。
「で、マジで扉は開かないと」
状況確認。ドアノブに手を伸ばし、横開きの扉をグイと引く。……開かない。
瞬間、背筋にゾクリと悪寒が走った。
いや開く開かないの前に……これ、本当に『扉』なのか?
このような構造の引き戸は、頑丈に見えて、きちんと人間の力で開閉するように作られているものだ。だから鍵がかかっていようが、こちらが開けようと動作したなら、扉もそれに従い、ガチャガチャと施錠部分に抗うような音を奏でるはずなのだ。
……なんだこの感触。
コンクリートの壁にドアノブをとり付けただけなんじゃないかと思うほどびくともしない。ガチャともうんともすんとも言わない。
絶対に無理な気しかしないが、いてもたってもいられなくなった。
体当たりでぶち破るという選択肢を、ここで使う。
結果として、俺はモロに反発を喰らってぶっ飛んだ。ちょっとした交通事故レベルですっ転んだ。
い、痛てぇ……! ドアの固さじゃねぇ!
「や、やたら頑丈だぜこの扉……!」
「ぷっ。女の子の前だからっていいところ見せようとして自滅してるー! ダサー!」
ここぞとばかりにギャルにバカにされた。仰る通りすぎてぐうの音も出ない。確かに異性を意識してたことは認める。気持ちが大きくなっていたんだ。だって普段はこんなことしないからな……。
……いや普段はドアをぶち破る状況なんてまずないだろ。
ちょっと恥ずかしすぎて自分を卑下しすぎた。落ち着け。たかがギャルだ。
それに、分かったことが一つ、ある。
マジでドアが開かないってことだ。
正直今まで楽観していたわけだが、ここにきて、だんだんと焦りが募ってきた。
てっきりドアのレールが外れてるだけだろうとか、呑気に考えていた。あのふざけた張り紙を見た後でも、手の込んだいたずらかキチガイの犯行だと思って、ドアなんか蹴破ればいけるだろうなんて思っていた。
女性陣はか弱いからな。蹴破るなんて発想がまずないのだ。ドアを引いて、開かなくて、素直に閉じ込められたままでいる。そう思っていた。
いざとなったら、男の俺が、いっちょ筋量にものを言わせてこんな扉なんかぶち破ってやるぞ!
なんて思っていた。
……焦りの中に、先ほどまでの羞恥心が顔を出す。やめろ! 散れ散れ! 霧散しろ!
俺はその件に関してはもう気持ちを切り替えたんだ! ぶり返すな……!
頑丈だと分かりきってる扉に自らタックルして全身打撲。
ダサすぎる……。我が生涯、一生の恥だな……。
てか、かなり、痛いぞこれ。
ぶつかった瞬間、体の内側からグチャって聞こえたもんな。ハンバーグこねてる時みたいな音がしたもんな。
ヤバい。これ思った以上に、重症かも。
ちょっとでも動こうとすると、全身がピリビリと痛む。う、動けん……!?
「あの、大丈夫……ですか?」
無様に倒れる俺の頭上から、そんな慈愛の声が降り注ぐ。天使かな?
そして実際に、彼女は、白衣の天使だった。
「うわ、ナースだ」
「えへへ、はい。ナースです。ちょっと診てもいいですか?」
白い制服にピンクの縁取りをした、可愛らしい看護服を身に纏い、彼女は柔らかな笑みを浮かべた。
この状況下で、初めて触れる他人からの純粋な優しさ……。
キュンと胸が高鳴った。
──次の瞬間、彼女は顔面をぶん殴られた。
「ぎゃっ!」
短い悲鳴。さっきまで俺の目の前にいたナースは、横になぎ倒されて、左耳から血が垂を垂らしていた。
……え?
なんで?
「ぬ、ぬ、ぬ、抜け駆け! してんじゃ! ねー!!!」
大音量の、怒りの咆哮。
いつの間にか俺の近くにいたのは、ボサボサ頭でピンクのパジャマ姿をした、モサい少女だった。
肩をいからせ、フー、フー、と威嚇じみた息をしながら、ナースを睨みつけていた。
「なにお、お、男に媚び売って! じ、自分だけ助かろうと! し、しやがって! 死ね! 死ね! し、し、し……!」
途端にモサいパジャマ女は、フラフラと尻餅をついた。バカでかい声を張り上げてまくし立てるものだから、息が詰まったようだ。
ぜえぜえと苦しそうな呼吸を繰り返し、辛そうに涙を流した。過呼吸にでもなったのか。
こわ……。
「きゃああああああ! やっぱりここって、『セックスしないと出られない部屋』なんだ! セックスしないと死んじゃうんだあああ! いやああああああ!」
モサいパジャマ女の暴走が火種となって、また一人が騒ぎ出した。
さらに間を置かず、また一人。
俺に走り寄ってきたと思えば、焦点の合わない目に涙を浮かべながら、抱きついてきた。
「いやだ! 死にたくない! 死にたくない! ねえ、私とセックスしよ? そうすればここから出られるから!」
学生服の金髪少女だ。柔らかくて、小さくて、軽い。
状況が状況じゃなけりゃ、二つ返事だったよ。
まあ、こんな状況でもなけりゃ、俺にこんなかわいい子からお誘いなんてあるわけないんだけどな。
そしてその子は、髪の毛を無造作に引っ張られて退場した。
次なる女の子が俺に迫る。茶髪のくせっ毛にクリクリの目がチャームポイントだと呑気に思った。
「私のほうが絶対にイイよ! お願い、私とセックスして? なんなら、ここから出た後も、タダでセックスしてあげてもいいし!」
言いながら、目を見つめながら、その手は俺のズボンを脱がすべくカチャカチャしてくるのだった。
「おおおい!? やめろっバカ! いきなりどうした!? 冷静になれって!」
股間でカチャる手をどけて、キツめの言葉で叱咤する。
彼女はキョトンと、瞳孔の開ききった三白眼で俺を見る。
「冷静に……?」
一瞬、ヘラっと笑ったかに思えた。その嘲笑じみた表情は、しかしすぐに般若の激情に支配される。
「友達がさ……。死んだんだよね。ここで……前に『セックスしないと出られない部屋』に連れてかれて、それ以来、行方不明なの」
「……おいおい、嘘だろ」
「嘘じゃねえよっ!!!
言葉が突き刺さる。彼女の言動が真実だと、その迫真の勢いに理解させられた。
そして先程の金髪少女がまた現れる。
仕返しとばかりに、ビンタで俺の上の女を張り倒した。
「セックスすんのは私だ! 邪魔すんなあああっ!」
「痛ってえなあ! 死んでろこのビッチがっ!」
キャットファイトの火蓋が切って落とされた。
剣幕が本当に、獰猛なネコ科のそれに近い。壮絶……。
「オラァ! 死ね! みんな死んじゃえ!」
そして恐ろしい戦いは、この二人に留まらない。
気づけば、周りの女たちもかなり険悪なムードで、怒鳴り合ったり取っ組み合いなんてものが、あちらこちらで始まっていたのだった。
「セックスするのは私だ!」
「違う! うちがセックスするの!」
「お願い私にセックスさせて! 死にたくない!」
女たちの大狂乱。
……正直、ドン引きである。
「わ、わ、わた、しの、お姉ちゃんも、行方不明になって……一週間くらい後に、も、戻ってきたんだけど、は、は、廃人になって、引き篭もりになっちゃって……」
モサいパジャマ女の声がした。
見れば、先程自分が殴りつけたナースに介抱されていた。……ナースすげえ。
モサいパジャマ女は、絶望顔で泣きながら、言葉を続ける。
「お、お姉ちゃんは『セックスしないと出られない部屋』に連れ去られたって、言って、言ってたの……『みんな死んじゃった』って……ずっと、言ってる、部屋が隣りだから、ずっとずっと、お姉ちゃんの怨嗟が耳に、耳に、こびり着いて……!」
なんだそれ。聞いたことがない。
同じような事件が前にも何度かあったのか? 胡散臭い系のネットニュースですら見たことがないぞ。
俺の上に乗る女の話に、モサいパジャマ女の涙ながらの自供を聞き、格闘少女がふむと唸った。
「やはりここは、例のあの場所なのか。噂は本当だったんだね」
馬鹿にするでも呆れるでもなく、納得してみせる格闘少女。この状況下を噂には聞いていたらしいが、彼女の中では、信憑性の高い情報だったようだ。
俺としてはまったく聞いたことがないし、『セックスしないと出られない部屋』だなんてかなりふざけた話だとは思うが、女性陣が持つ異様なまでの危機感を鑑みるに、かなりの程度で認知されているもののようだ。
「あんたも何か知ってるのか?」
「あんた、じゃなくて。相澤ヒトミよ」
格闘少女に訪ねたところ、主旨ではないところを捉えられ、名乗られた。
そういえば自己紹介がまだだったな。する余裕もなかったんだけど。
つられて俺も自己紹介。
「あ、どうもご丁寧に。俺は渡辺テルヒコです。……って、まあそんなことより」
「もう、人の名前をそんなことって言うなよ。それに、名前は知っててほしいの」
途端に格闘少女ヒトミは、顔を赤くして、目を背けた。
口元に手を当ててモジモジと、これまでの凛とした態度を一変させて、恥ずかしそうに呟いた。
「だって私、初めてだから……ちょっと怖いの。だからシてる最中は、名前呼んで、好きって言っててほしいんだ……っ!」
……んん!?
どうしてそうなる!?
「いやおかしい。落ち着け! まともそうなあんたまでパニックになったら収集つかないって!」
「……これが終わったら、ちゃんとヒトミって呼んでね。それじゃ、あいつら全員ぶっ倒してくるから、待ってて。……私は、生きてここを出なきゃいけないんだ!」
「いや、おい! 待て! 待てって! おおおおおい!」
ヒトミちゃんは、決死の表情で、女たちの乱闘の中へ飛び込んでいった……。
これが、女性同士での殴り合いに発展した経緯である。
俺とのセックスをかけた、いや正に、生死をかけたバトルロイヤル。
大惨事だ……。