きっかけはミーチューブの動画だった
いつものように仕事から帰宅してカップヌードルにお湯を入れて待っている間におすすめに出てきた適当な動画を再生した
シーズン4という聞いたことのない女性アイドルグループの宣伝用ライブ映像の動画
所謂地下アイドルと呼ばれる彼女らの動画の再生数は決して多くなく百にも及ばない
確かにまだそこまで上手くない踊りと歌
それなのに何故か惹き付けられて、カップヌードルが伸びるのも放置して公式ミーチューブチャンネルの動画をどんどん再生していく
そして一生懸命パフォーマンスする彼女達の一人から目が離せなくなっていった
おそらくだけど、これはきっと
一目惚れだったのだ
それは私が持っていないものを持っている彼女への憧れに近くて
それからはもう沼だった
ライブがあれば見に行ったしグッズが出れば買った
少しでも彼女達の足しになればいいという感情から配信では決して少なくない投げ銭もした
別にそのかいあってなんて自分を過剰評価することはないがそれから暫くして1つの曲がバズりそれを皮切りにまたたくまにシーズン4は国民的アイドルとなったのだ
そして私は元来持ち合わせたオタク気質の性とでも言おうか
気付けばシーズン4の同人作品を作りSNSの創作垢にもアップロードをするようになった
そして現在
私は同人誌即売会に来ていた
勿論配布する側での参加
今回はCP無しのシーズン4達がわちゃわちゃしているほんわか本でメインで出てくるのは私のシーズン4最推し、桜小春
通称はるるん、グループの中では春担当でいつも春のように朗らかな癒し系
そんな彼女がわちゃわちゃする本をひっさげてこのジャンルでは初の配布である
ミイッターの友達も来てくれることになっていてわくわくしていた私のブースに会場と同時に真っ先に来てくれたこの女の子は開口一番こう言った
「小春日和を7冊ください」
勿論私は大手の壁サーでもないため7冊という巻数にもびっくりはした
だがそんなことどうでもよくなるような光景だった
いくら帽子を深くかぶりマスクしっかり鼻までして大きめのメガネをかけていても分かる
それだけ私はこの子を見てきたのだから
そして声で確信した
この子は、今配布している本にも出てくる私の最推し、桜小春本人だ
「……は、え!? は、ちょっと待って……」
私は一度手で彼女を制すると必死で思考を巡らせる
二次創作事態がグレーゾーンだが三次元の二次創作は特に黒に近いグレーゾーン
むしろほぼ黒である
そんな場に、何故本人がいて、何故7冊も買おうとしているのか
なに、この後私、殺されるのか
好き勝手描きやがってみたいな展開ですか
そんな馬鹿げた妄想が頭のなかをぐるぐる巡る
そんな私の様子をみてはるるんであろう彼女はまた口を開く
「やっと会えたねー、いつも仲良くしてくれてありがと、よりちゃんの描く話大好きだよー! 特にはるるん、魅力がわかってるって言うか」
彼女はそのまま矢継ぎ早に私の創作物を誉めちぎる
特にはるるんが登場する場面がいかに素晴らしいかの力説
「……」
あれ? 本当にこの子は桜小春なのだろうか
自分から疑っておいてなんなのだが
私のなかの想像図と少しかけ離れているというかなんというか
「あれ? わからないかな? 私しゅんだよ、今日会う約束してた、ほらミイッターの」
しゅんと名乗った彼女は言いながら私の鼻先に自分のスマホを突きつけた
しゅんさんとは、今日会う約束をしていたミイッターの友達の名前だ
そして目前のスマホには確かに昨日の夜にしゅんさんとしたDMのやり取りが写っていた
「……え、あなたがしゅんさんで、しゅんさんはその、えっと、そっくりさんとかだったら申し訳ないんだけど、この人?」
私は自分の本の表紙のはるるんを指差す
さすがにこの場で名前を言ってしまうのは周りの目もある避けるべき
その意図を察したのだろう彼女も言葉で示すことはなくただ笑顔でグッドマークを作ると頷いた
シーズン4を知って推すようになってからはや5年と少し
今、私の前には、何故か私の描いた張本人
が出てくる同人誌を7冊も買おうとしている最推しがいます
ちょっと待っててと私はしゅんさんを制して深呼吸する
落ち着け、あくまで相手は推しではあるがその前にミイッター仲間のしゅんさん
そして私の本を7冊求めているのだから渡して会話をすればいい
例えばだ
『いつも見てくれてありがとうございます! 今日はしゅんさんに会えて嬉しいです、新刊の感想もお聞かせいただけたら嬉しいです』
という感じか?
これなら自然一一
いや無理だ!!
本の登場人物に実際に感想聞くとかどんな苦行!?
しかも同人誌の
ここはナチュラルに、ナチュラルに行くんだ私
「……しゅんさんいつも絡んでくれてありがとうございます! 今日はなんでまた7冊も?」
違うっ!!
何ナチュラルに挨拶ついでに気になったこと聞いちゃってるんだ
「こちらこそー、いつもありがと! これはねー、見る用、保存用、飾る用とー、後はグループの皆に配る用!」
これが漫画であったなら私の口のはしからつーっと血が流れていたことであろう
推しだけじゃなくてグループ全員にこの私の妄想爆乗せ同人誌を所持、最悪読まれることになるなどなんという拷問
まだ良かったのはミイッターで垂れ流している用なカップリング要素のある内容ではなかったことだろうか
「いつもよりちゃんの描くはるるんは素敵だから皆に見せまくってるんだけど、それだけじゃあ足りないかなって」
あ、ダメだなこりゃ
終わってた
詰んでたよ
私の推しよ、何てことしてくれてるんだ
「とりあえず他の場所も回ってくるけど、イベ終わったらファミレスで打ち上げとか、どうかな?」
しゅんさん改めはるるんは私から7冊本を受け取ると手際よく持っていたトートバッグへとしまいながらそう言った
「ええ、是非」
考えることを放棄した私は固まった笑顔でそう答えるのだった
「私は一日に必要な野菜がとれるサラダうどんにしようー、あとドリンクバーで」
「わ、私は、エビのドリアを……」
はてさてあの後即売会中ずっと心ここにあらずだった私をはるるんは終了と同時に迎えに来てくれてこうしてファミレスへと足を向けたわけである
「早速なんだけど! 今回の新刊の感想伝えてもいいかなっ!」
止めてくださいなんて口が裂けても言えるわけがなくどうぞと促すとからからになった喉を潤す為にお冷やを口に含み飲み下す
「ではまず、やっぱりはるるんのかわいさだよねー、今回もはるるんの良さが詰まった一冊だったよ」
それからはるるんは本のなかのはるるん
つまりは自分がどれだけ素晴らしかったのかを熱高めに語りまくる
さっきも持った違和感
世間的なはるるんの印象は春のように朗らかな人物というもの
少なくともこんなに自己肯定感の高く饒舌に語る人物ではないはず
もしかして他人のそら似でからかわれているだけ?
そんな突飛な現実逃避もはるるんが飲み物を飲むためにマスクを少しずらしたことで砕かれる
何年見てきたと思っているのだ
流石に見間違う訳がない正真正銘はるるんだ
「……よりちゃん、やっぱり気になるよね、ワンチャンこれだけ顔隠してればバレないかなーなんて思ったんだけど、ブースに行った瞬間あ、バレたなって気付いてさ、なんとかノリで乗り切ろうと思ったけど、無理だよね、それでももしこれでよりちゃんとミイッターで繋がれなくなっても、私は直に会ってあなたの本は素晴らしいですよって伝えたかったの、それだけは分かって欲しい」
そんな私のあからさまに動揺した反応に相手が流石に気付かないわけもない
はるるんは少し悲しそうな表情を浮かべてから自身の感情を吐露した
そんな姿を見て私はただただ後悔した
そうだ、この人は私が最推ししている桜小春本人ではある
だがそれよりも何よりもこの状況下においては私の創作物を好んで愛でてくれるミイッターの友達、わざわざブースに足まで運んでこうして打ち合げをして感想まで伝えてくれるしゅんさんであることに間違いはない
「……はるる、いいえ、しゅんさん、今までの無礼な態度、謝罪させてください、私も今日はしゅんさんに会えて良かったです、打ち上げにってオフ会まで出来て感想まで伝えてもらえて、創作する者としては本当に感謝しかないのに、この場では貴女はしゅんさんなのに、身バレするとか色々杞憂もあったなか来てくれたのにごめんなさい」
私はしっかりはるるんのほうを見ながら言いきると頭を下げた
「これからも、ミイッターのお友だちとして仲良くしてくれますか?」
そして頭を上げると私は笑顔ではるるんに問いかける
はるるんはパアッと顔を明るくすると嬉しそうに頷いてこう言った
「もちろん! それにそんなに謝らないで、元々私のこの輝かしいまでのオーラがいけないんだし、あとむしろLUIN、交換しないかな? 私よりちゃんともっと仲良くなりたいし、これからもよりちゃんの描く素敵なはるるんをもっと身近で見てたいから!」
ちょくちょく漏れ出ていたことではあるがやはりこの人はあれだ、自分のことを大好きなタイプの人だ
その人柄はテレビやライブ会場で見る彼女の印象からはかけ離れているがそれが彼女の素なのであればそのままの彼女を受け入れるのがファンである私に取れる選択であり、はるるんではなくしゅんさんとしての彼女ともこれからも仲良くしていきたいのは私も同じ
LUINの交換も断る理由などどこにもなかった
「うわぁぁぁあ゛ぁぁ……」
あの後楽しくイベントの話や創作のお話をした後解散になり帰宅してイベントテンションから素に戻った私は頭からベットに倒れ混んで呻いていた
あの場ではイベントの後の高揚感もあり本を読まれていることには動揺こそしたものの普通に会話していたがよくよくよくよく考えれば彼女は私の人生における最推し
テレビのなか、ステージの上の存在
まさかそんな相手とこうしてLUIN まで交換する時が来るとは誰が予想したであろうか
そして何より今まで普通に話していた相手が私が恋い焦がれてならない相手だったことにも世間の狭さを実感する
ポロンッ
LUINの通知音に慌ててスマホの画面をつける
『今日はイベント、オフ会ありがとう! めっちゃ楽しかった(* >ω<) またよりちゃんの新作楽しみにしてるよー また今度遊びに誘ってもいいかなっ?』
「う゛っ……」
可愛い
この文章を私のために打っているはるるんを想像しただけで軽く3杯は飯が食える
っていうか吐血して失血死する
『こちらこそ今日はありがとです! わー! 是非是非また遊びたいですね! 今はお忙しいでしょうから体調気をつけてご無理はなさらないでくださいね』
あまりはるるんであることに深掘りして相手が気を遣わないでいいぐらいの適度な距離感を意識してポコポコとLUINの返信を打つと送信する
そこまでしてからふと気になることが頭をよぎった
私はそりゃ勿論彼女の顔も名前も全て知っているし目の前に現れればはるるんだとすぐに気付くことも暇はない
だがしかしだ
彼女、はるるんは果たして私のことに気付いていたのだろうか
売れる前からライブ会場に足繁く通い握手会にも参加している、売れてからもファンクラブにも入会してテレビの番協にも参加している
ミーチューブの投げ銭アカウントの名前もよりでやっているし
もしかしたら、もしかすると
私のことに、気付いてくれていたら
そこまで考えてから思い切り頭を降った
馬鹿か私は
そこまで高望みするなんて
私からしたら唯一無二の存在でも彼女からしたら何万、何十万、何百万といるなかの一人でしかないわけで
こんな偶然の積み重なりで繋がりを持てたのにそれ以上の何か、例えばだが認知してもらってるだとか
そんなことまで望んでしまえばそれはもう高望みに他ならない
「明日仕事……早くシャワー浴びて寝ちゃおう」
LUINの内容で上がったテンションがすっと引いていくのを感じる
きっと遊びたいとか、そういうのはお世辞、社交辞令であり本当にそういうことになることはない、だろう
だって身分が違いすぎる
それでもきっとしゅんさんとしてミイッターではまた絡んでくれるだろうしそれだけで十分ではないか
私は推しからのLUINをもう一度ゆっくりと読み直して心の奥深くに染み込ませるとベットにスマホを放り投げベットから起き上がりシャワーの準備を始めた
明日からまた待っている日常と向かい合うために
「伊寄さん、これ、お昼までにお願いね」
「あ、はい、わかりました」
私は上司から書類を受け取りパソコンに向かう
ハンドルネームよりこと伊寄日向
普段の私はなんの変哲もないただのOL
特にブラック企業ということもなければ取り立てて給料が良いわけでも何か役職についているわけでも勿論なければ別に仕事が早いとか遅いとかもなく目立つほうかと言われれば目立たないほうに分類される
朝来て人なりに仕事をして夜帰る
それだけの毎日
だが別にそんな毎日が楽しくない訳ではない
頑張って働いて、そのお金でオタ活して、休みや夜の空いた時間に自分の妄想を爆発させて垂れ流す
だから毎日それなりに楽しくて
それもこれも推しがいてくれるお陰である
「伊寄さん、さっき提出してくれた書類なんだけど不備があったから直しといてくれるかな」
「え、不備ですか、すみませんすぐ直します」
「ミスなんて伊寄さんらしくないな、ま、気をつけてね」
そして今現在仕事がほとんど手につかない理由もまた推しのせいである
ことの発端は朝起床したら届いていた1通のLUIN
相手は勿論しょうさんことはるるんである
『おはよう(* >ω<) 朝早くごめんね! 今度の週末空いてるかな? もし空いてたら一緒にお出かけしないかな、今度の即売会の話したいし、なんて笑』
見た瞬間眠気なんてものはぶっ飛んだ
『今度の週末でしたら空いてます! ご迷惑でなければ是非』
返信の内容を考えている間に朝食を取る時間もなくなり再三読み返して返した返事がこれ
あまり気安くならないように、失礼のないように、そうして考えた文面は少し堅苦しくなってしまったような気がする
それからはあれよあれよと話が進み週末に近くの公園に集合となった
出社してからもそのことが頭の片隅をちらつき普段はしないミスをしてしまうしいつもよりも仕事が進まない
このままでは今後の生活に差し支えがある
そう判断した私はある人のLUINを開くとメッセージを送った
『ちょっと助けて欲しいんだけど』
「んで、助けてーって言うからまた原稿の手伝いさせられるのかなって思って来てみたら、そんなに切羽詰まってる感じ?」
「あ、一樹、早かったね、夕食準備出来てるから座って座って」
勝手知ったるもので鍵を開けていた玄関から勝手に入ってきた茶髪のショートカットの人物、私の中学時代からの友人である早月一樹は机に並べられた夕食を見て目を丸くする
「別に今日は原稿の手伝いで呼んだんじゃないから、この間のイベで一区切りついてるからご飯作る余裕くらいあったの、まぁまたすぐイベあるから原稿の手伝いでも呼ぶと思うけど……」
「やっぱり呼ぶんかい……」
中学の時同じクラスになったことから仲良くなった彼女は私が同人活動をしていることを知っている唯一の友人であり私の締め切りが近付くと真っ先に声をかけられる被害者でもある
「相変わらず、何て言うか品数多いねー、そんなに原稿とは違う何かが理由で切羽詰まってるんだ」
今日の夕食はビーフシチューに付け合わせのマッシュポテト、バケットに軽いサラダと冷製コーンスープ、そしてデザートにはイタリアンプリンを用意した
「まぁ、なかなか焦ってはいるかもしれないかな……」
私は精神的に追い詰められると料理を馬鹿みたいに作りまくる癖がある
だからその程度で自身のキャパを確認出来るのだがバゲットは自分で焼いたしこれはなかなかヤバイのかもしれないと自分でも悟った
「とりあえず食べながら話そうか」
一樹は私の様子を見て今すぐに話し出すことはないのだろうと察して定位置の椅子に腰をおろして手をあわせ律儀にいただきますと呟くとスプーンを手に取った
私もスプーンを手に取るとビーフシチューを口に含む
うん、それなりによく出来ている
しっかり圧力釜で煮込んでいるから牛肉はホロホロだ
「で、助けて欲しいことなんだけど、一樹、しゅんさんって知ってるでしょ?」
「ん、あぁあの日向が新しい作品投稿する度にいいねしてリミして超長文の感想送ってきてくれるあんたの大ファンの子でしょ? その子がどうしたの」
一樹は少し考えてからあぁ、とポンッと手を打った
「実は、この間の即売会でそのしゅんさんと会ったんだけどそれで少し問題が……」
「あまりにあんたの作品好きすぎて全力感想もらったとか?」
「いや、違、わないけどそれは問題ない」
ある意味間違えではない
オフ会の勢いは凄かったし
だがそれ自体は良いのだ
あれほど喜んでもらえれば作者冥利につきるというもの
問題は相手が相手なことだ
「問題ないんか、じゃあ好きがこうじてストーカーに発展したとか?」
「……そこまでヤバイことは起きてないから安心して」
むしろ拗らせたら私がストーカーになりかねない
「じゃあ何があったの?」
やきもきしない返答しか返さない私に一樹がはぁっとため息を吐く
「詳しくは言えないの、でも、はっきり言ってめっちゃヤバい状態、私の人生がかかっていると言っても過言じゃない」
これは全然比喩ではない
推しとのこれからなんて今後の全てがかかっているのだ
「詳しく聞けないなら私が助けられることはそれほどないと思うけど……」
「それでも聞いて欲しいの!」
「……じゃあ話せるとこだけ話してみ」
あきれた様子ではあるが一樹が話を促す
私のこんな問答に付き合ってくれるのが一樹の良いところだ
「……実は、しゅんさんの正体が問題で、でも正体については話せないんだけど、取りあえず前提にこの間のイベント後にオフ会してしゅんさんとLUINを交換したの、そして今朝がたしゅんさんからLUINが来てお出かけに誘われた、今度の新刊の話も兼ねて……あー、もう本当にどうしたらいいの」
「今聞いた限りだとどこにも問題がないんだけど……正体ってところだけど、もしかして男だったとか?」
「それだったらどれだけ良かったか……とりあえず私は! しゅんさんとの関係は壊したくないけどあまり深く関わりを持って迷惑もかけたくない、でも変に思われて嫌われたら死ねる」
「……言ってることが支離滅裂だぞ、そもそも出掛けようって誘ってきたのしゅんさんでしょ? その時点でしゅんさんは日向と仲良くなりたいわけじゃん、それの何が迷惑になるわけ?」
言ってることが支離滅裂なのは自分でも理解はしている
だがオタクというものは推しが関わってくれば支離滅裂にもなるというもので
それにもし本気ではるるんが私と仲良くなりたいと思ってくれていたとしても私では……
「それは、つまり、……私では釣り合う相手じゃないからって、痛っ」
どぎまぎと一樹に返す返答を考えながらうなだれているとおでこにデコピンをくらった
「それ昔から日向の悪い癖だよねー、釣り合う釣り合わないとか上下関係とか私ごときとか、深く関わったら迷惑かかるとか、例えば相手が総理大臣とかだったとしてもさ、相手が仲良くしたがってるのに日向の心持ちがそれだと、逆に失礼だと思わない?」
「一樹……」
一樹の言っていることは至極全うであり理解出来る
むしろ総理大臣だったらまだ良かった
相手が推しだから問題であり
だがしかし一樹の言う通り、相手が飽きて構わなくなるまでだけでも真摯に向き合うべきなのだろうか
「ってことで、関係を壊したくない、嫌われたくないならやることは1つ、今まで通りに接すること、誰か知らないけど正体知って急に態度変えるのはあり得んでしょ?」
「っ、わかった! じゃあ早速だけど一樹、ご飯終わったら週末に着ていく服選び手伝って!! 出来る限りナチュラルで、意識してない感じ、あ、でもどんな可愛い子の隣にいても浮かないようなやつ!」
そうだ、それだけはあり得ない
そもそも一度初めて会ったあの日に近いことをして傷つけているのだそれだけはあり得ない
私はダンッと机を叩くと早口に捲し立てた
「注文が多いなっ、っていうかそれだとまるで恋する乙女みたいなんだけど、まぁ手伝えることなら手伝うわ」
一樹はやれやれといった様子で苦笑いすると少し冷めてしまった夕食に手を付けた
そして来るべき当日
一樹にしてもらったコーディネートに身を通して私は待ち合わせをしている公園に向かった
到着したのは約束した時間よりも1時間も早い時間
多忙なはるるんを待たせるわけになどいかない、そう意気込んでやってきた私であったが待ち合わせのその場所には既に到着していたはるるんがベンチに座ってスマホをいじっていた
「あ、よりちゃん! 早かったね」
私が近づいて声をかけるタイミングを見計らっているとふと顔を上げたはるるんが私を見つけて大きく手を振った
「はる……しょうさん、お待たせしてしまいすいません」
私は駆け寄って頭を軽く下げながら謝る
「全然待ってないよ、それにまだ約束の時間までほら、1時間もあるし」
言いながらはるるんは持っていたスマホ画面をこちらへ向ける
すげぇ、流石とでも言うべきか
ロック画面にキラキラと輝く壁紙は自身の写真だった
つまりはるるん本人のアイドル姿
これは確か公式が記念に配布していたやつだ
ちなみに私のスマホのロック画面、ホーム画面も同様にはるるんである
「それじゃあ時間もったいないから行こっか、駐車場に車停めてるから」
言いながらちゃらっとはるるんのアクキーのついた鍵を取り出す
「く、車ですか?」
「そう車、だって折角お出かけするのに身バレして声かけられても困るから、まぁ私のこのあふれでるオーラがいけないんだけどねー」
相変わらずの自己肯定感である
だがしかし、それだけ言うのも頷ける
この間もだがはるるんの私服姿ははっきり言ってめちゃ可愛い
それはサングラスをして帽子を被っていても変わらずむしろ完璧に着こなしている
そしてイメージしていた私服よりは大分こう、ピンクとかハートとかの多い服で、落ち着いた雰囲気の私服をイメージしていた私からすれば大分解釈違いではあるがそれを加味しても可愛すぎる
「? どうしたのよりちゃん、早く来ないと置いてっちゃうよー」
「あっ、すぐに行きます!」
はるるんの可愛さを噛み締めていると先に歩きだしていたはるるんが私に向かって手を振り我に返った私は慌てて追いかけるのだった
「とりあえずー、どっかのカフェでお茶でもしたいねー」
「あ、はい……」
楽しそうに話しかけてくるはるるんの隣の助手席に座ってそうそう私は固まっていた
最愛の推しの車の助手席に座りこうして話をする機会に恵まれることなど誰が想像したであろうか
車のなかという密室空間に置かれたことで自然と脳が冷静になって現状を捉えてしまったが最後、平静を保つことで精一杯だった
そしてまぁ、言うまでもなく車の中はシーズン4、ひいてははるるんのグッズで溢れ返っていた訳だがそれにはもう慣れ初めてきている自分がいる
「新刊ねー、メンバーのみんなにも大好評だったよー」
「そ、それは良かった、です」
ああ、読まれたのか、あれ
全員に
受け取っても読まないでくれれば良かったのに
「でもねー、冬ちゃんは夏冬匂わせに眉しかめてたかも」
はるるんの言葉にピシッと自分のハートが音をたてた
シーズン4は4人組
皆に担当の季節がある
春担当の桜小春、夏担当の夏野ひまわり、秋担当の秋風紅葉、冬担当の椿真冬の4人で構成されており私の推しCPはなっちゃんこと夏野ひまわりとふゆさんこと椿真冬の夏冬である
後基本ははるるん総受けを好むがはっきり言って雑食なのでどのCPでもいける
だがそりゃあ本人からしたら勝手にあれこれ妄想されるのは気分が悪いだろう
「う゛、ご、ごめんなさい、これからはCP要素は……」
「あ、違う違う、オタク特有の解釈違いってやつだから! 私は好きだからこれからもどんどん描いてねー」
私の自責の念にかられた言葉にはるるんは慌てて弁明する
「そう、ですか……?」
解釈違い? どこをどうみれば何が解釈違いなのかはわからないがとりあえず返事をする
「それよりねぇよりちゃん」
信号で止まったタイミングではるるんが私のほうをむく
その瞳はさっきより少し真剣な色を帯びていて
「な、なんでしょう?」
反射的に少し身を引いてしまう
「私たちそれなりに長いことミイッターで繋がってるでしょ? それに前まではミイッターではタメだったし」
「も、もしかしてっ」
そこまで言われて次に放たれるであろう言葉を察して絶句する
そんな私を見てはるるんの瞳がキラッと光る
「そうそう! 敬語じゃなくて普通に話してくれると私は嬉しいんだけど、ダメ、かな……?」
「ダメなわけないです!! あ、でも、ちょっと、心の準備をするまで、少しだけ時間もらえると……」
少し困り眉にして下から覗き込むようにお願いしてくるはるるんに私は即答していた
それから慌てて弁明する
「全然いつまでだって待つから大丈夫だよ! こうして仲良くなれたんだから時間はどれだけだってあるんだもん、楽しみにしてるね」
「っ……」
はるるんはそれは嬉しそうにそう言うと前を向いて車を発進させた
私も前をむき直してから自分の胸元に手を当てる
これから先に当然と私と一緒にある未来を語る推しを見て
変な期待を持ってしまった自分が、嫌だった
だって私のこの好きは……
それからは特に特出することもなく
粛々とお出かけは進み気づけば解散の時間になり家の前まで送ってくれたはるるんにお礼を言って別れた
変に冷静になってしまったことが逆に良く働き変にテンパることもなく普通の友達とのような時間を過ごせた気がする
よたよたとマンションの廊下を歩き自室に入りそのままソファに倒れこむ
ポロンッ
それとほぼ同時にLUINの通知音がなる
開けば勿論はるるんで
『今日は付き合ってくれてありがとう (* >ω<)また遊ぼうね!』
それだけの文で少し頬が緩むがまたすぐに素に戻ってしまう
『こちらこそ今日はありがとうございました! 是非また!』
機械的にそれだけ返すと私はスマホのボリュームを0にしてソファに頬り投げた
もしこれに返事が返ってきても気付かなかったで通せる
「さてと……」
明日は仕事だ
私は気持ちを切り替えると着替え始めた
それから何度かはるるんと出かけることがあった
はるるんは何故なのかわからないがかなりの頻度で私をお出かけへと誘ってくれてそれ以外の雑談的なLUINもよく送られてきた
その旅に気を揉んで何度も一樹に相談していれば流石の一樹も相手が誰なのかを気にするようになってきていた
『ねぇねぇよりちゃん(* >ω<)! 今度のお出かけだけど私の友達も連れていっていいかな?』
ちょうどそんな折に来たLUINがこれ
タイミングとしては完璧と言える
『全然いいですよ! それなら、あのー、ダメだったら全然大丈夫なんですが、私も友人を1人連れていってもいいでしょうか……? その、長い付き合いの子なので言い触らすような人では絶対ないって断言できます』
私は散々文面を確認してから送信ボタンを押せばすぐに問題ないと返信が来た
私を信じてくれているのかはたまた何も考えていないだけなのか
いくら考えたって、分からなかった
「はてさて、あなたの意中の相手のご尊顔をやっと拝見出来るわけですねー」
一樹はへらへらと笑いながら私の顔を覗く
「いちゅっ、そ、そういうんじゃないから! 絶対変なこと言わないでよ!」
そんな一樹の肩を思い切り叩きながら釘をさす
「変なことなんて言ってないけどね、私の考察では、その日しゅんさんに一目惚れした、そう踏んでるので」
「だから、違うって……とりあえず会っても驚かないでね」
一応有名人であることは伝えてあるがもう一度忠告する
「りょーかい」
「あっ! よりちゃん! こっちこっち!」
いつもの待ち合わせ場所にたどり着けばやはり先に来ていたのははるるんで、そちらに手を振りかえしながら近づいていけばはるるんの隣に立っている人が鮮明になる
「お待たせしまし……え゛っ」
私は蛙のつぶれたような声を出して歩を停めた
はるるんの隣にいるのは、シーズン4の秋担当、あっきーこと秋風紅葉だったからだ
「あー、なるほどなるほど」
立ち止まった私の横に立ち一樹は現状把握するとうんうんと頷く
「こちら、今日連れてくるって言ってたお友達の秋ちゃん、よろしくね」
「……どーも、秋風紅葉です」
はるるんとあっきーは私たちの前まで移動してくると自己紹介をしてべこりと頭を下げた
「あ、遅れてすみません、私は早月一樹って言います、アパレル系の仕事をしてます、いつも日向がお世話になってます」
一樹は被っていた帽子を外してお辞儀を返す
一樹もシーズン4を知っているのにこうして目の前にしても動じないのは流石というかなんというか、そういうところは本当に昔から変わらない
あ、違う、そんなこと考えている場合ではない
「は、初めまして、伊寄日向です、いつもしゅんさんにはお世話になってます、本当に」
私は慌てて取り繕うと頭を下げる
頭を下げて軽く数秒自分に落ち着けと念じてから勢いよく頭をあげた
「……え、な、何か、付いてますか……?」
顔を上げた先なぜか間近にあっきーの顔があり反射的にのけぞりながら自身の顔に手を当てる
「んー? 別に何も付いてないけど、君面白いこと言うね、あーでも、ある意味初めま一一」
「秋ちゃんっ!! きょ、今日は何しよっか! ねぇ?」
はるるんは何か言おうとするあっきーの頬を両手でつまみ上げて無理やり自分のほうを向かせて会話を中断させた
「ごめんって、いひゃいから離して……」
はるるんから解放されたあっきーは痛そうに頬を擦るとまたこちらを向く
「ということで、今のは忘れてー、ごめんねー」
「あ、はい……」
あっきーのファンからの認識は不思議ちゃんで通っているがこれは本当に掴み所のない人だ
はるるんが想像の斜め上だっただけにあっきーは想像通りの人ではっきり言ってかなり安堵した
「で、今日の予定なんだけど、特に希望がなければ私の家に遊びに来ない?」
「え゛」
はるるんの爆弾発言には少しずつ対応可能になってきていたが今回の爆弾は受け止められなかった
「ほら、私1人ならまだいいけど秋ちゃんも一緒だと流石に顔バレするかなーなんて、だからお家に……」
「ダメです!!!」
確かにはるるんの言っていることは理解できた
しかし私は大きな声でそれを制した
「えっ……」
はるるんは少し驚いた様子で身体をビクッと震わせる
思ったよりも反対の声の語気が強くなってしまったようだ
しかしここで止めるわけにはいかない
「はるるんあなたは国民的アイドル……出会って日の浅い、さらに言えばネットで知り合ったような人間を易々と家に招待するなんて危なすぎる危険です」
そう、はるるんは芸能人なのだ
なのであればもっと慎重に行動しなければいけないところも出てくる
「そ、それはしゅんちゃんだから信頼して……」
「それでもダメです!! どうしてもと言うなら私の家に、キレイ好きを自負してますので安心して……」
はるるんの家にお邪魔するのであれば逆に私の家にお招きするほうが断然マシというものだ
そう思って提案したのに
「そ、そ、それこそダメなの!!」
逆に顔を真っ赤にして目の前でぶんぶんと手を振るはるるんに拒否されてしまった
「な、何故っ」
「そ、それには色々と理由が……でもダメ!」
はるるんはうー、とかあーとか言いながら理由は教えてくれずそっぽを向いてしまった
ここまで躍起になられるとこちらも引くに引けない
「うーわこれは拗らせてるなぁ、二人とも」
そんな膠着状態のなか声をあげたのは一樹だった
「……完全に同意かな、まぁ見てる分には面白いけど」
そしてそれに賛同してははっと笑ったのはあっきー
「確かに」
それに一樹も同意する
え、何この二人、元々知り合い?ってぐらい既に打ち解けているのですが
「はい、おしまい、そこまで、二人ともステイ、とりあえず折衷案、両者譲らないのであれば私の家にしようか」
そんな二人に視線をチラチラ送りながらはるるんと言い合っていると間に割ってはいってきて一樹がそう提案した
「えー」
そしてそれに抗議の声をあげたのもあっきー
「ちなみに、今ちょうど少し良いスパークリングワインが家にあったりします」
「よし行こうか」
そして真っ先に折れたのもあっきーだった
あっきーが酒好き、特にワインに目がないのはファンであれば周知の事実ではあるが何故こんなこなれているのかマジでわからない
「……お言葉に甘えて一樹さんの家にしよっか」
「そうですね……」
既に目的地を決めてしまった二人がこれ以上の押し問答は聞く気がないというように歩きだしてしまったので私とはるるんも顔を見合わせて頷き二人の後を追った
「かんぱーい」
「いえーい」
「……」
「……」
一樹の家に着くや否や昼間っから酒盛りなんて贅沢ですねぇなんて言いながらワインを開けて機嫌の良い二人を横目に気まずさに押し潰されそうな私とおそらくはるるんも同じ心持ちであろう
「な、なんであんなに意気投合してるんだろう、ねぇ……?」
「さ、さぁ、私にも分かりかねます、私達も参加しますか?」
「いや、私はお酒強くないから大丈夫だよ」
「実は私もそんなに強いわけじゃないんですよね」
「……お揃いだね」
そんな事を言いながらははっと笑って見せるがダメだそれ以上の会話が続かない
「あ、今度のシーズン4のライブ頑張ってくださいね! 応援行きますから! それからその後の握手会も……」
何とか会話を続けようと必死で考えてもうすぐシーズン4のFC限定ライブがあることを思い出した
「その話は、したくない、かな、今ははるるんではないから……」
意気揚々と語る私を遮ったはるるんは今までずっと見せてくれていた愛嬌のある笑顔ではなく
少し悲しそうな顔をしていた
「あ、ご、ごめんなさい」
選択を誤ったのだとすぐに気づいた
はるるんがあまりにも私にたいして親しく接してくれるから、調子に乗って触れるべきではない場所に触れた
今まではあくまでしゅんさんとして会話してきたのにこれははるるんであるという前提で話してしまった
私が黙るとはるるんも口を閉ざしてしまいまた二人の間に沈黙が流れる
「今度のライブは今までで一番の出来にするから楽しみにしてていいよ」
そんな居たたまれない空気をぶち破ったのはあっきーだった
はっとして机のほうを見れば少し頬を赤くしたあっきーがいたずらっ子のような笑みを浮かべていた
「まぁ私は別にー、君とこれからどうこうなりたいとかシーズン4のあっきーではなく秋風紅葉本人として見て欲しいとか、そんな欲は無いからさ、いちファンとしてこれからもよろしくってとこ、勿論はるるん最推しから私に乗り換えろなんてことも言わないしぃ?」
「秋ちゃんっ!!」
挑発するようにはるるんのほうをにやけて見やるあっきーに初めてはるるんが少し怒った様子で名前を呼んだ
そんなリアル秋春に少し心が平静を取り戻しかけたその時ふと気づいたことがあった
「……あれ? FCライブ行くって言ったのでファンばれはわかるんですけど私はるるん推しって言いましたっけ……?」
私はさっき失言するまではるるんのことは今日集合してから一度も会話に出していない
何故あっきーは気づいたのか
そこまで私の反応は露骨だっただろうか
「それこそなに言ってんのー、分かるに決まってるじゃんだって君、地下の時から見に来る度に小春ガン見だったし、まぁ適度に周りも見てたみたいだけど」
「…………えっ!? に、認知されてるんです、か……私」
待ってくれ、本当に待って欲しい
この間確かにそんな高望みはした、そして馬鹿馬鹿しいと嘲笑して切り捨てた
それが今、こうして現実味を帯びた瞬間に恐れ多すぎて震えてくる
「そりゃまぁ、地下でお客さん10人いるかの時からあの頻度で来てたら? っていうかそれ抜きでも目立ってたからねーお二人さん」
あっきーは楽しそうにけたけた笑うとスパークリングワインの入ったグラスを煽った
この人たち二人でどんだけ呑むつもりなんだ
「ぶっ……はぁ!? 二人!? 私も目立ってたってこと!?」
片や一樹は口に含んでいたワインを軽く吹き出して慌てた様子で椅子から立ち上がった
「うん、勿論」
「ま、マジかぁ……」
あっきーの即答に苦笑いを浮かべて手の甲を口元にあて恥ずかしそうに深く椅子に座り直した
こんな焦った一樹はなかなか拝めることはないのでこれはレアかもしれない
自身も相当焦っているのに何故か冷静な自分が少し顔を出す
そんな折に隣に座っていたはるるんがふっと口を開いた
「よく、覚えてるよ、よりちゃんが初めて来てくれた時のこと、いかにも仕事帰りですってスーツ着て両手にペンライト持って、男の子ばっかの現場なのに物怖じしないで、でも少し慣れない感じで頑張って応援してくれてた」
ずっとオタクをしている私ではあるが三次元の女性アイドルにはまったのはシーズン4が初めてで、どうしてもライブに行きたくて仕事終わりのその足で一樹を引き連れて参戦したあの時の感情は今でも忘れることはない
ぽつり、ぽつりと胸に手を当てて言葉を紡ぐはるるんは
それはまるで大切な思い出を語るように見えた、なんて言ったらきっと思い上がりも良いところだろう
「しゅんさん……」
私は触れようとして伸ばした手のひらを気付かれる前に引き戻した
きっと気付いたのはこちらを見ていたあっきーだけの筈で
あっきーは何か思うところがあったのかはあっとため息を吐いてから一樹のほうを見た
「ちなみにそんな彼女の少し後ろに立って笑顔一つ浮かべずこっち凝視してた君のほうが私は記憶に残ってる」
そう語るあっきーはどことなく嬉しそうで
「そりゃ、まぁそうでしょうね……」
言われた一樹も満更ではなさそうにしていた
この二人、一応今日初めて会話した筈なのにさっから何故こんなに打ち解けあっているんだ本当に
「握手会に来てくれたときのことだって、しっかり覚えてる、よりちゃんはさ、私になんて言ったか、覚えてるかな」
ふと、こちらに顔を向けて、優しい笑顔で問いかけてくるはるるんの感情は私には読み取れなくて
「あ゛、は、え、えーっと、そのっ……」
「……いいんだ、無理しなくても、ごめんね変なこと聞いて、きっと、私とあなたでは……」
突然のことに口ごもってしまった私にはるるんは私が覚えていないのだろうと早合点したようで謝りながら視線を反らした
「違っ……そういうことじゃなく一一」
違う、覚えていないわけない
あの時は、すごく緊張して、それでもはるるんが何を言ってくれたか忘れるわけもなく
勿論はるるんが聞いてきた自分で言ったことだって覚えてる
緊張していたとはいえあんなに、不躾なことを言ってしまったのだから
「秋ちゃん! 今日はそろそろお暇しようか、ほら秋ちゃんこんなに呑んじゃったし明日のライブ練習に支障きたしたら困るでしょ?」
必死で弁明しようとする私の言葉を遮ってはるるんは立ち上がると手近にあったカバンを掴んだ
「えー、まだ呑み足りないんだけどー」
「秋ちゃん」
「わかったって、へいへい、それじゃあ、今日は二人とも色々ありがとうね、また遊ぼーねー」
文句を言いながらもグラスに残っていたワインを飲み干すとあっきーも立ち上がりカバンを掴んだ
「こちらこそ、また誘って」
ぷらぷらと手を振るあっきーに一樹も手を振り返す
はるるんはこちらを振り向くこともなく、私は何も、言えなかった
「小春ー待ってって」
私の前をどんどん歩いていってしまう小春を早足に追いかける
軽くふらつく足元に予想外の人物の登場に少し羽目をはずし過ぎて飲み過ぎたなぁなんて思ったり
「秋ちゃん……なんで、あんなこと言ったの……」
なんとか小春に追い付くと小春は責めるような口調でそう言った
小春がここまであからさまに不機嫌になるのは珍しいことで、それだけ今回の件に本気なのだと悟る
「いや、不穏な空気になってたから、それにいつまでも隠してたってどうしようもないじゃん、だから私を呼んだんでしょ?」
最近初めて顔を合わせたミイッターの友達が予想外の人物でありなかなか心を開いてくれない彼女との関係の進展の手伝いをしてほしい
今回私が呼ばれたのはその筈だったが
「そう、だけど……」
「……私は、脈ありだと思うけど」
はっきり言って彼女の行動、言動全てを見た限り小春のことを好きなのは明確で、まぁそれがはるるんとしてなのか小春としてなのかまでは分かりかねるが
おそらく私が伊寄さんの感情に気付いたように早月さんも小春の気持ちに気付いているだろう
知らぬ存ぜぬなのは鈍い当事者二人のみ
「そんなわけ、ないよ……私の好きと彼女からの好きは、違うもん」
だって私の好きは……
そこまで言って小春は黙り込んでしまう
ああこうなったらこれ以上は今日のところは無理だろう
付き合いもそれなりに長いのだそれくらいは分かる
小春は周りが思っているよりも頑固だから
「……それにしても、小春から聞いてはいたけどまさかファンのスーツさんがよりさんと同一人物とはなかなか世間は狭いですなー」
スーツさんというのは所謂伊寄さんのあだ名
初めて現場に現れた時に着ていたというのもあるがそれ以降も何度かスーツ姿で出没していた為そんなあだ名が気付けば付けられていた
シーズン4公認のファンであるスーツさん
小春からの布教により認識している創作系ファンのよりさん
この二人が同一人物とかどんな運命のいたずらだろうか
何よりもあの小春が心を開いた二人が同一人物であったあたり神様というのは本当にいたずらが大好きな模様
「それを言ったら秋ちゃん的にはよりちゃんが連れてきた友人っていうのが早月さんだったことのほうが衝撃だったんじゃないの?」
「まぁ、言えてる」
流石の小春というべきか手痛い反撃を食らう
早月一樹
伊寄さんから紹介された彼女を見たとき私は勿論驚いたが彼女も少し目を見開いていた辺りやっぱりライブなどの時のあれは意識していたのだろう
「どうこうなりたいとか、本人として見てほしいとか、そういうのはない、なんてよく言えるよ」
「実際伊寄さんとどうなりたいとか私にはないし……私は小春みたいにシーズン4としての自分と普段の私を分けて見てはないからさ、全て自分だから、小春も伊寄さんと一度しっかり話し合ったらいいと思うんだけど……」
そう、別に私は伊寄さんとどうこうなりたいとも思っていないし早月さんだってそうだ
ただ初めてライブに来た時に周りのファンより一歩引いて真剣な瞳で私のほうを見ていて
その瞳に、ただ応えたいと思ってパフォーマンスの質を上げるために自分の練習量を増やしただけ
まぁ言うなれば発火材、小春にとっての伊寄さんのような存在というだけで、違う点はどうこうする気がないって部分だけ
「……ううん、私はもう、よりちゃんに連絡はしない、勿論ミイッターからも、今日のことでよく分かった自分の気持ちが、私の好きは……伝えるべき好きじゃなかったって」
「……そっか」
それで私達の会話は終わった
だが私のなかでは終わっていない
私は親友として小春に諦めてなんてほしくない
だから、動くと決めるのに迷いなんてなかった
そして絶好のチャンスとでも言おうか
ちょうどおあつらえ向きな舞台が今度あるのだから
「…………」
いつもであれば普段の比ではないくらいにテンション爆上げになっている筈のシーズン4のFC限定ライブの当日
私のテンションは爆上げどころか地の地を這っていた
むしろ気まずすぎて会場に行きたくなかったまであるぐらいには
あの日一樹の家を半ば飛び出すようにはるるんが出ていってしまってからすぐに謝罪のメールを送ったがそれには未だ既読すらついていない訳で
勿論その後もLUINに連絡を何度か入れているしミイッターのDMも送ってみた
だが全て既読は付かなかった
完璧に嫌われた
それもその筈、だってあんなにデリカシーのないことを言ったのだから
後悔しかない、それでも私ははるるんを応援し続けたいからこうして重い足を上げて現場入りした訳だがなんの因果か今日のFCライブのキャパは300名のみ
チケットの倍率はえげつなくチケットがご用意されましたの文字を見た時は本当にガッツポーズを決めたほど
取りあえず応援はしたいが目立つことは避けたい今ではこの300という狭き門のキャパを恨む結果になった訳だが
「き、気合い入れろ気合い……」
私は気をまぎらわせる為に装着しているグッズを一通り確認する
首にかけている今回のイベントタオル
ライブTシャツには会場限定のガチャガチャを鬼回しして手に入れたはるるんの缶バッジを付け、腕にはブレスライト指にはリングライト、その先の爪のネイルは桜のあしらいの入ったジェルネイル
はいているハイカットスニーカーだって勿論ピンクでライブトートにはペンライトが二本とうちわが1つ入っている
装備は完璧準備も満タン、な筈なのにどうしても本腰が入らない
この後のことを考えるとどうしてもマイナスなイメージが先行する
「あー、ダメだダメだ……」
「なーにそんなところでブツブツ言ってるんですかー」
ライブ開始まではまだ時間もありまばらにいる人すら避けて会場前の誰もいないすみっこのほうに行き見悶えていると聞きなれたその声に反射的に振り向く
「あ゛えっと、……え!? あっきぃ一一もがっ!」
「はいそこまでそこまで、こんなところで叫んだらどうなると思う? 取りあえずま、ついてきてよ、悪いようにはしないから」
目の前に現れたのは大きめのパーカーのフードを頭からすっぽりかぶってマスクで顔を隠したあっきーで、最後まで言いきる前にがばりと口を塞がれて耳打ちされる
「は、はい……」
そして私はなす術もなく拉致されたのだった
「あ、あの、あっき……秋風さん、私は一体何処へ連れていかれるのでしょうか……? も、もしかして出禁とかそういう……」
はるるんとのことで出禁
十分あり得るこの状況に顔が青ざめていく
はるるんとこれからプライベートで会えなくなるのは仕方のないことだと思う
それでも応援を辞めることだけはしたくないのだ
絶対に
そして、今日だけは、必ずライブに参加しないといけない理由だってある
「悪いようにはしないって言ったじゃん、ファンなら一度は憧れる秘密の花園にご招待しようと思ってさー、勿論私の独断で」
なのでバレたらわやなので静かにスタッフのふりしててねーなんて言いながら手に持っていた大きめのパーカーを投げ渡される
それを頭から被り引っ張られるままにあっきーについていく
「さてさて、到着したのはなんと我らがシーズン4の楽屋でございます」
そしてあるドアの前で立ち止まると大きすぎる爆弾を豪速球で投げつけられた
「はっ、え…………?」
「だいじょぶだいじょぶ小春いないし、ほら入った入った」
それも問題ではあるが問題点はそこではない
私ははるるん推しではあるがその前にシーズン4というグループ自体のファンなのだ
「え゛待って待って待って無理無理無理!!!」
私の悲嘆な絶叫も叶わず開け放たれた扉の先へと引きずり込まれた
「ん、お帰り紅葉、小春もうアップ行ってるのに何処行ってたんだー」
「そうだよー、私たちも早く行かないと起こられちゃうよー」
「んぐっ……」
無理やり連れ込まれたその花園には二人の天使がいた
その二人とは勿論夏野ひまわり、通称なっちゃんと椿真冬、通称ふゆさんの二人である
「? 誰ーその人」
「スタッフさん、ではないよな、おい紅葉、勝手に誰か連れてきたらダメだろ」
頭に疑問符を浮かべるふゆさんと紅葉さんを窘めるなっちゃん
のんびり屋で知られるふゆさんとファンから親しみを込めてオカンと呼ばれることのあるなっちゃん
イメージそのままの二人を間近で見て尊さに硬直する
「まぁまぁ、顔を見てから言いたまえ諸君、さぁとくとご覧あれ!」
あっきーは言うが早いと私からパーカーをひっぺがした
「……スーツさん? 誘拐?」
私の顔を見てうーんと唸りながらふゆさんが呟く
概ね間違ってはいないな、うん
「お前、遂に手を出したのか……」
ふゆさんと違い咎めるようになっちゃんが言う
「散々な言われようですが、ちなみにスーツさん兼よりさんなので」
なんっでバラすかなぁ!!
今さら止めてくれと絶叫したって無駄だろうと叫ぶのは辞めた
だってもう言っちゃったんだから
「っ!! あなたがこの前出した本もらって読んだのだけど」
瞬間さっきまでおっとりとこちらを静観していたふゆさんがすごい勢いで私に詰め寄ってきた
「ひ、ひゃいっ」
「あれはダメね、なってないわ」
ふゆさんの言葉にサーッと顔から血の気が引く
そうだ、はるるんから聞いていたではないか
ふゆさんは今回の本のことで怒っていたと
「え、あ、ご、ごめんなさい……勝手にCPとか組ませ一一」
「わかっていないあなたに教えて上げましょう! いいー? なっちゃんは右なの」
「……え?」
謝ろうとした私を遮ってふゆさんが言いはなった言葉に間の抜けた返事を返す
「つまり、夏冬ではなく冬夏、なっちゃんを左に添えるなんてダメよ! 勿論他の人と組ませるのはもっとダメだけれどもし組ませたとしてもなっちゃんは絶対に右、それだけは譲れないわっ! あんなに可愛くって可憐な美少女が左なわけは絶対にないの!」
つ、強い、取りあえず圧がすごい
絶対に認めないという強い意思を感じる
つまるところはるるんが言っていた解釈違いとは言葉の意味そのままだった訳だ
簡単に言えばふゆさんはなっちゃんは右固定タイプのオタク
「止めてくれ、それ以上は私がいたたまれない」
そんなふゆさんをなっちゃんが引き離してくれて少し安堵する
美人の真顔ってなんでこんなに圧が強いのだろうか
「わ、わかりました、善処します」
じりじりとふゆさんから距離を取ってあっきーのうしろに隠れるように部屋の端のほうへ寄る
「あんたも素直に受け取らなくていいから、で、紅葉、何で1ファンを楽屋に連れてきたりしたんだ、バレれば大事だぞ……まぁ最近小春の元気がないことと関係してるんだろうけどな」
はるるんの名前が出たことにピクリと肩が反応する
「ひまわりよく分かってるじゃん、私はただ小春の元気を取り戻したいだけ、そしてそのキーパーソンが彼女、スーツさん兼よりさんこと伊寄日向さんってこと、取りあえず落ち着いて話したいから連れてきた」
「だとしても、ここに連れてくるべきではない」
「相変わらずオカンはお堅いですねぇ」
「ふざけてる場合じゃないだろ」
「そもそもふざけてないから連れて来てるの」
「紅葉っ……」
「はい、そこまでだよー、なっちゃんはこっちでー、私とイチャイチャしてようねー」
今にも口喧嘩を始めそうな二人の間に割って入ったのはふゆさんだった
そしてそのままなっちゃんの腕に自分の腕を絡めると扉のほうへずるずると引っ張っていく
「あっ、ちょっと真冬! 引っ張るなって」
なっちゃんは抵抗むなしくそのまま扉の外へと押し出された
「それじゃあ、誰も入ってこないように外でみはってるから早めに済ませちゃいなさいよー、ってことでイチャイチャしましょうか? なっちゃーん!」
そのまま自分も扉から出るとなっちゃんの腰に腕を回してこちらを振り返りパチリとウィンクして扉を閉めた
夏冬至上主義の私だったがこんな状況を見せられたらもう冬夏に乗り換えるしかないではないか
流石グループ最年長のふゆさん
大人の余裕が半端なかった
「ありがと、真冬さん」
扉が閉まりきる前にあっきーはお礼を言うと今度は私のほうを見た
「さて、早速で悪いんだけど、君、小春のこと、どう思ってる?」
「え、えっと、その、質問の意図がわかりかねます……」
唐突にふられた質問に私は動揺が隠せなかった
「わからないなんてことないでしょ、これからどうしたいのってこと、あの日から小春と連絡取れなくなったでしょ? そのままでいいの?」
ズキリと心臓が抉られるように痛い
良いわけが、ないことぐらい分かっている
「……あれが、異常だったんですよ、普通ならこれが正しい道だった、ちょっと神様の悪戯で私達の道は繋がったけど本当はこれが正しかった」
それなのに私の口から出る言葉は思ってもいない言葉達
「……小春もそうだけど君も大概だね」
「……」
そんな私に呆れたようにあっきーがため息を吐く
今わかったことがある
あっきーは一樹に似ているのだ
見た目とかじゃなくて根本的な性格が
咎めるような窘めるようなその言葉が
「分かっての通り小春は君にプライベートではるるんとして見られることをとても嫌がっている、理由は、きっと自分で分かってるんでしょ? すべての始まりは君が初めて来てくれたライブの後の握手会だってことも」
「っ……」
「分かってたからあの時小春に握手会のことを聞かれて即答出来なかった、君は」
あっきーが私の胸ぐらをすがるように掴む
「しゅんのことすらシーズン4のはるるんとして見るよになった、そうなったらっ……小春はどうしたらいいの」
「ちょっ、今はダメだって!」
「そうよ春ちゃん!」
あっきーとふゆさんの慌てた声の後に扉が勢いよく開いた
「いいから通してっ! っ……あきちゃん、何してるの、二人で……」
入ってきたのははるるんで
私のことを視認すると苦虫を噛み潰したような顔をする
「小春っ……これは」
「いい、今はライブ前だから何も聞きたくない、あなたも、ここは部外者は立ち入り禁止です、速やかに出ていかないなら警備員を呼びますよ」
あっきーの言葉を遮って私にぶつけられた言葉は今までのはるるんからは想像つかない冷たい言葉
「……すぐに出ていきます、お邪魔してしまいすいません」
私は深く頭を下げると早足にその場を去った
あっきーの泣きそうな顔、そして何よりも今のはるるんを見て、私は逆に、覚悟を決めたのだった
開演の時間になって始まったライブ
今日はスタンディングでそれなりに最初のほうの整理番号だったのに私は一番後ろに陣取っていた
いつものように洗練されたダンスと歌が披露されて昔見たミーチューブの動画を思い出した
あの時とは知名度も完成度も桁違いで
そしてもしかしたら私の最後の現場になるかもしれないことも相まって感極まってしまう
はるるんはというと一度カチリと目がかち合った気がするがすぐにそれは反らされてしまい、どこか普段よりも笑顔が少ない気がしていた
そんな折についにはるるんのソロ曲が始まった
ここだ、出すならここしかない
覚悟を決めた私にもう迷いはなかった
私はカバンをあさって1つのうちわを取り出して大きく掲げた、はるるんに、しゅんさんに、小春ちゃんにちゃんと見えるように
かかれた文字は『はるるんもしゅんさんも小春ちゃんも大好き!!』
そこまで大きくないうちわにこの文字数であるがこのキャパであればまぁ問題なく見えるだろう
一番うしろに陣取ったのは周りの人にあまりうちわの内容を見られたくなかったから
必死でうちわを掲げているとまた、はるるんと目があった今度は確実に
何故なら目があった一瞬はるるんは歌に詰まった
そして目を見開くと瞳を揺らして笑顔を浮かべてすぐにまた歌を歌い出した
そしてソロの歌を歌い終えて次の曲へと移っていく
それからのはるるんはいつもどおりの笑顔でライブを終えた
終わってみればあっきーの言っていたように最高のライブだったのは言うまでもなかった
ライブが終わり握手会が始まる
普段であれば特に順番を気にすることはないのだが今回は顔見知りのFCファンの人達に頼んではるるんの鍵閉めを譲って貰った
「今日のライブもとても良かったです」
いつも、どのライブの時でも最初に言う言葉
それは決して大袈裟な褒め言葉ではなく毎回本当にそう思うほどに素敵な時間なのだ
「それなら、良かった、ひどいことしたのに、来てくれてありがとう」
はるるんは差し出した私の手をいつものように優しく握ると少し憂い気に笑った
きっとLUINのこととか、今朝のことをきにしているのだろうが私は何も気にしてなどいなかった
そもそもの種を撒いたのが自分だったからだ
一樹の家でのことよりもずっと前に撒いた種
「……初めての握手会のときに私が言ったこと、緊張して焦ってたとはいえあんなことを言って、後悔してたからあの時即答出来なかったんです、何か、自分を押し付けた、というか」
それを精算するために今日はどうしたってこの場に来る必要があった
「そう、だったんだ……でもね、私はあなたと逆のことを考えてたんだよ」
「えっ……」
はるるんは思っていた反応とは違いいつもの優しい春のような笑顔を浮かべて握っている手に少し力を込めた
「あなたが夢を託してくれたから、心配してくれたから頑張ろうと思えたんだもの」
「わ、私はっ……」
「すいませんがそろそろ……」
優しい声色でそう語るはるるんに言葉を返そうとしたところで剥がしが入った
「あ、えっと、すみません……」
鍵閉めとはいえこれでも長く話させて貰ったほうだ
これ以上は迷惑になる
そう悟って私は繋いでいた手を離す
「……後で連絡するから、待っててね」
しかしはるるんはもう一度私の手を掴むと軽く引き寄せてそう耳打ちしてから再度手を離した
私の全てはあの日から始まったと言っても過言ではないと思っている
自分に自信がなくていつも引っ込み思案だった私
それでもアイドルになるという夢は捨てきれずスカウトされたのをきっかけに誰にも相談せずに地下アイドルとしての活動を始めた
あきちゃんはそんな私に付き合ってくれて一緒にアイドルになってくれた
4人組で活動を始めたのはいいけれど全然泣かず飛ばすでライブに来てくれるのは多くても十数人とかそれぐらい
やっぱり自分には向いていないのだ、辞めよう
何度もそう思った
そんなある日のライブ会場にいきなりその人は現れた
スーツ姿がとても目立つ彼女は握手会にも参加してくれて、私にこう言った
『夢を諦めずに追いかけられるって凄いことだと思います、努力を出来るっていうのは人が後天的に身に付けられる唯一の才能だから、まぁ私には出来なかったことです、ってなに自分語りしてるんだろ恥ずかしいな私、でも、大好きだから、応援してるからこそ、身体を壊すほど無理はしないでほしいって思っちゃうんですけどね』
そう言って困ったように笑う彼女につられて私も笑った
久しぶりの心からの笑顔だったと思う
自分の公式ミイッターで夢に関する少し弱気なミイートをしていたからそれを見てそう言ってくれたんだと思う
でも疲れてることとか、少し体調を崩してることとかは顔には出していないつもりでいたし、そういうのを隠すのも得意だから他の誰も、メンバーでさえ気付かなかったのに彼女だけは気付いてくれて
それが嬉しかったのだ
『……やっぱり、はるるんはそうやって笑ってる姿が一番、可愛いです』
そんな私を見てそう言って嬉しそうに笑った彼女は誰よりも可愛くて、それから私は彼女を笑顔にさせるために、彼女の気持ちに報いるために頑張った
体調にだって気を使うようにしたしそれに比例して練習量も増やした
何故かその頃からそれに張り合うようにあきちゃんも練習量を増やしていて結果として4人ともより夢に向かって突き進むようになって、今ではこうして国民的アイドルにまで上り詰めて
自分に自信を持てるようになった
何故ならライブやイベントに来てくれる彼女がとても楽しそうに笑ってくれるから
そんな笑顔を届けている自分だって凄いんだって思えるようになったんだ
だから自分の魅力を取り上げてくれる同人作家のしゅんさんにミイッターで話しかけたりしゅんさんの出る即売会にも行った訳で
はっきり言ってしゅんさんを目の前にしたとき心臓が止まるかと思った
そして同時に理解した
なぜしゅんさんの描くはるるんがあんなに魅力的に映ったのか
だって彼女が、一番私をよく見てくれている伊寄日向が描いた作品なのだからそれが素晴らしくない訳がなかったのだ
そして私は彼女と親しくなるうちに自分の気持ちと嫌でも向き合わなければならなくなった
はるるんとしてではなくしゅんとして、ただの小春としてよりちゃんが見てくれることがこんなにも嬉しいことなのだと気付いてしまったからだ
はるるんだから好きになってくれた彼女にはるるんとして見られることが堪えられなかった
一個人として見てくれることに慣れてしまえば余計に辛くて早月さんの家ではあんな風に別れてしまってあきちゃんと一緒に歩いているうちに私のこの気持ちがただの好きじゃないこと、友達では満足出来ない好きだということを理解して、だから距離を置こうと思った
こんな気持ちを同性の私に向けられても迷惑でしかないと思ったから突き放したのに
彼女はそれでも失望することなく食らい付いて来てまた私の欲しかった言葉をくれた
それなのに私が弱気になってどうするのだ
だから私は、全てを伝える覚悟を決めた
私の全てが始まったのがあの日なら、今日が終わりの日になるか、それとも……
握手会を終えてしばらくするとはるるんからLUINが来た
「終わったらすぐに行くから会場のスタッフ出口で待ってて欲しい、話したいこともあるから」
はるるんからのLUINは初めて顔文字が無くて
だからこそ本心なのだと悟った
だから私はすぐにスタッフ出入口に向かってその近くの柱な背中を預けて待っていた
「待たせてごめんね」
そう時間も経たない内にうしろから声をかけられて振り返る
「全然待ってないですよ、よかったんですか? 打ち上げとか……」
「それは大丈夫、今日は用事があるからって出てきたから、少し、歩こうか」
グループの3人が手伝ってくれてすぐに出てこれたのだと笑って話すはるるんに私のせいであっきーと険悪な雰囲気にならずに済んだようで安堵する
そしてはるるんに促されて一緒に歩き出した
「まずは、改めて勝手に距離をとってごめんね」
「……私も……」
私ももう一度改めて謝ろうとしたがそれは手で制されてしまった
それから、歩きながらこちらに視線を向けて真剣に続けた
「それ以上は言わないで、よりちゃん……日向ちゃんの気持ちはさっきの握手会で十分わかったもの、最初に会った握手会の時のことも、だから、私から伝えたいことは二つだけ、はるるんを、私を好きでいてくれてありがとう、それから、私もあなたのことが好き、違う所は、あなたの好きとは違う、友達とかそういうものとしての好きではないということ」
「っ……」
息を飲んだ
今、はるるんが言ったことはそら耳ではないのだろうか
だって、そんなこと
「勿論答えて貰おうなんて思ってないよ! これからも、応援してくれたら嬉しいとか、そういう……日向ちゃん?」
ピタリと足を止めた私の顔を不思議そうに覗き込む彼女は、今ははるるんではなく、小春だ
「……これは、都合の良い夢じゃないんだよね」
「……」
言葉はなく小春ちゃんはただ真剣に頷いた
「ああ、嬉しいな……知り合いになれて、友達になれただけでも夢のような出来事だったのにっ、はるるん……小春ちゃんが、私に抱いてくれている感情が、私と同じものだったなんて」
「っ!! それって……」
それは小春ちゃんに向けて言った言葉というよりはただただ自分に言っているようなもので
両目からぼたぼたと落ちる雫を自分の意思で止めることなど出来なかった
「私も、うちわに書いてあったそのままの意味で、はるるんが、小春ちゃんが好きだから、でも、私なんかで釣り合う一一っ!!」
そう、自分の夢を捨ててしまった私に自分の夢を追いかけ続けた彼女とでは釣り合わない
そう伝えようとした私の口は一瞬、柔らかい感触が触れて言葉を奪い去った
「それ以上言ったら、怒るからね」
「……うん、ごめんね」
瞳に涙を滲ませて頬を赤く染める小春ちゃんに私はただ一言、謝ることしか出来なかった
はるるんは大人気アイドルで、方や私はただのOLではるるんのファン、漫画家の夢を諦めて弱い自分から逃げた私と諦めない強い心で夢をつかみとった小春ちゃん
到底釣り合う気などしない
咎められた今だって
自分で植え付けた固定概念は早々取り払えるものではないから
それでも、その言葉が小春ちゃんの笑顔を陰らせる原因になるのなら
私がその言葉を使うことはないだろう
だって私は、はるるんの、小春ちゃんの笑顔が何時だって大好きだから
「日向ちゃーん、ベタ終わったけど」
言いながら机のほうから小春ちゃんが紙をピラピラと振ってみせる
「あー、じゃあ次のページお願い! 一樹もそれ終わったら次こっちね!」
小春ちゃんの横で黙々と作業を進める一樹に追加分を手渡す
「私はなにすればいいのかなー?」
1人机ではなく食事用のテーブルのイスに座って足をぶらぶらさせている秋風さんのほうを反射的に向いて答える
「秋風さんは座ってゲームでもしててください!」
小春ちゃんは器用に初めての作業でもこなしていたが秋風さんの場合は破滅的に不器用だった為既に戦力外通知をさせていただいた
「っにしても本人達に手伝わせる普通?」
持っていたスマホをテーブルに放り出してからから笑う秋風さんの言っていることは最もで
私自身本人達が出ている同人誌の作成の手伝いなんて最初は気まずかった
「違うの! 私が手伝いたいって言い出したの! せっかくならこうして日向ちゃんの描いた尊い漫画に自分でも触れてみたくて…やっぱり日向ちゃんの描くはるるんは可愛いー」
「そ、そういうこと!」
小春ちゃんの助け船に即賛同する
実際今回は小春ちゃんから手伝いたいと言い出してくれたのだ
主に冬夏のせいなのだがはかどりにはかどった妄想を思うまま全のせした結果異常な長さになってしまい一樹1人の力では締め切りに間に合わなそうで丁度良いからとその申し出を1つ返事で快諾した、というのは黙っておこう
「んー、今回は冬夏と、げっ、秋春……? 普通自分の彼女別の女とCP組ませるー?」
テーブルに置いてあった数枚の原稿を見て秋風さんは露骨に顔をしかめる
「小春ちゃんは私のものだけどはるるんはみんなのものなので」
そう、小春ちゃんと付き合っているからといってはるるんのファンであることは変わらず相変わらずはるるんは総受け思想は抜けきらない
変わったところといえば恋愛要素よりも友情要素を強調して描くことが増えたところか
「小春は良いわけ?」
あきれたように秋風さんは小春ちゃんに話をふる
「あきちゃん、これは本のなかのお話だからっ! 日向ちゃんの言う通り小春は日向ちゃんだけのものだしねー、日向ちゃんの描くお話は面白いしこれはこれであり」
流石私のファン
即売会に来るオタクは理解が早くて助かる
「理解出来ねー、一樹も何か言ってやって」
頭を軽く抱えた秋風さんは助け船を求めて一樹にも話をふった
「大丈夫、あっきーはみんなのものだけど紅葉は私のものだから、これでい……ブハッ!」
「茶化すな! 突っ込みを放棄するな!」
ふざけた一樹の頭にティッシュケースがクリーンヒットする
「あー原稿が!」
その表紙に一樹の手がマグカップにぶつかり中身のコーヒが机の上にぶちまけられる
慌てて小春ちゃんと私で原稿を回収する
「あきちゃん来てからずっと足引っ張ってるけどほんとーに何しに来たの……」
秋風さんに生暖かい視線を向ける小春ちゃん
「いや、私悪くない、と思うんだけど……」
それにたいして秋風さんは不服そうな声をあげる
「喧嘩はそこまでにして! 脱稿に間に合わなくなるよ……」
今しがたうけた被害により余計に脱稿が間に合わなそうなのにここで喧嘩されては貯まったものではない
「そういえば今回の出来はどうですか? 先生」
机を拭きながらふと思い出したように小春ちゃんが私のほうへ話をふった
「なかなか上出来の予感」
私は指でグッドマークを作る
いつか彼女がやったように
「それはよかった」
「それに、もう7冊は配布先決まってるからね」
ぽわぽわとした笑顔を浮かべてから手元に視線を戻して作業を再開する小春ちゃんを見て私は誰に言うでもなくただ決まっている未来を呟くと自分も原稿に向かうのだった