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第72話【薫子】

 ◆◆◆


 私は桜花征機に所属する企業探索者として、日々新たな装備のテストや開発協力に携わっている。


 そして先日、私はある男と再会した。


 彼の名は片倉 真祐。


 大学時代にわたしの心を大きく揺さぶった、いわば初恋の人だった。


 もっとも、彼はわたしの気持ちには気づいていなかったと思う。


 いや、気づかないままでいてくれたほうが当時のわたしには都合が良かったのかもしれない。


 わたしは彼の後輩だった。


 大学のサークルで、ほんの少しだけ一緒に顔を合わせる程度の関わりしかなかったのに、なぜこんなにも強く惹かれてしまったのか自分でもよくわからない。


 ただ、わたしにとっては初めて「好きだ」と思える男性だった。


 在学中、わたしは彼に話しかける機会を探したけれど、いつも上手くいかなかった。


 サークルでも彼は中心というよりは少し離れた場所で落ち着いているタイプだったから、気軽に接触できるほど距離が近かったわけでもない。


 それでも、彼の落ち着いた眼差しや控えめな優しさにわたしは惹かれていった。


 大学二年の終わりごろだったと思う。


 わたしはとうとう「告白してみよう」と決心しかけた。


 当時のわたしはそれくらい真剣に彼を想っていたし、今後も一緒にいたいと心から願った。


 でも、結局わたしは自分から何も言えなかった。


 その理由は単純だった。


 彼に先に彼女ができたのだ。


 その彼女の名は──澪。


 澪はわたしの友人だった。


 同じゼミでよく一緒に勉強していたし、気さくで明るい彼女とはわたしもそれなりに打ち解けていた。


 まさか澪が先に片倉さんと付き合うことになるなんて、そのときのわたしには想像もしていなかった。


 ほんの数日前、澪が「実は気になる人がいるんだよね」と言っていたのを思い出す。


 でも具体的な名前を言わなかったから、まさかそれが片倉さんとは思わなかった。


 その事実を知ったとき、わたしはひどく取り乱してしまった。


 ショックで言葉も出ず、「ああ、先に告白しておくべきだった」と打ちのめされた。


 友人に対する裏切りのような感情はなかった。


 むしろ澪ならば彼を幸せにしてくれるだろうと感じたし、同時にわたしは自分の存在が一瞬にしてかすんでしまったように思えた。


 それからは自然と二人のことを見るのがつらくなった。


 大学のゼミが同じということもあり、澪と顔を合わせるたびに楽しそうな近況報告を聞かされることもあったけれど、わたしは「応援するね」なんて言いながら、心の奥を少しずつすり減らしていった。


 そして、大学卒業が近づいてきたころ。


 わたしは進路を決める時期に入った。


 桜花征機の関連会社に就職が内定していたが、当時はまだ「企業探索者になろう」なんて考えてもいなかった。


 彼や澪の存在は、わたしにとっては卒業と同時に遠い世界へ行ってしまう思い出になるはずだった。


 それから数年が過ぎて社会に出て忙しい日々を送るうちに、わたしは次第に昔の気持ちを整理できるようになっていった。


 片倉さんへの恋は、もう心にしまった“青春の一幕”として、静かに記憶の奥へ沈んでいくはずだった。


 ──ただ、運命はわたしに意地悪をするように、再び二人の名前を視界の中へ引き戻してきた。


 それはある日のこと。


 澪がダンジョンで命を落としたという知らせを聞いたのだ。


 わたしは澪の名前が出たとき、すぐには状況を理解できなかった。


 いや、してしまうのが怖かったのかもしれない。


 大学卒業後、澪が探索者として動いているという話は薄っすら噂で聞いていた。


 彼女は自分のポジティブさを生かして、危険なダンジョン探索の世界へ足を踏み入れたのだと。


 でもまさかこんな形で再会というか、死の報せを耳にするなんて想像もしていなかった。


 わたしは急ぎ、共通の友人から聞きまわった。


 しかし詳しい情報は得られないまま、ただ「ダンジョン内で事故が起きて、澪が帰ってこなかった」という断片的な事実だけが確実だった。


 そして同じタイミングで、「片倉さんは生き残ったらしい」という声を聞いた。


 生き残ったという表現が暗に示す悲惨な状況に、わたしは震え上がった。


 澪が死んだダンジョンで、なぜ片倉さんは助かったのか。


 彼が澪を守り切れなかった理由はなんだったのか。


 問いかけたいことがたくさんあったが、それが叶うかどうかはわからなかった。


 その後、風の噂で片倉さんは六道建設で探索者をしていると聞いた。


 六道建設は澪の父親が社長を務める企業──つまり、少なくとも逃げるつもりはないらしい。


 逃げるというのはつまり罪悪感だとかそういうものから。


 一つだけ強く思ったことがある。


「わたしが澪の仇を討とう」


 そう決意したのだ。


 澪はわたしの大切な友人であり、同時に恋のライバルでもあった人。


 その彼女が命を落としたダンジョンの主を、わたしは許せないと思った。


 わたしは元々桜花征機の関連会社で事務職をしていたけれど、そこで培った人脈を駆使し、「企業探索者」を目指すことにした。


 そうすれば、いずれ澪を奪ったあのダンジョンに挑む機会が巡ってくるかもしれない。


 わたしはその可能性に賭けたのだ。


 企業探索者として歩み始めた最初のころは、同僚や上司もわたしの決意に驚いていた。


 だけど幸運なことに、桜花征機は他のライバル企業と利権を争うことが多く、対人戦闘のエキスパートを育成する場を社内に整えていた。


 その過程でわたしは、自分に潜在的なPSI能力があることを知った。


 髪を触媒として物質操作を行えるという、その希少性が評価され、わたしは訓練を受ける機会を得る。


 結果的に、わたしは企業探索者として数多くの模擬戦や実戦を重ね、技術を身につけていった。


 そうやって年月が過ぎ、わたしは一定の評価を得るまでに成長した。


 そしてようやく、社内でも重要な開発案件やテスト案件を任されるようになった。


 もちろん最終的な目標は、澪を奪ったあのダンジョンをいつか攻略し、真相を知り、そして復讐を果たすことだった。


 そんな矢先に、桜花征機が新型ボディアーマー「朧」のテストを行うという話が舞い込んだ。


 その試験相手として呼ばれたのが──片倉さんだった。


 わたしはそのとき、初めて「彼もまだ探索者の世界で生きているんだ」ということを実感した。


 わたしは企業探索者として「テストの相手を務める」という任務を淡々とこなすだけのつもりで引き受けたが、胸の奥では複雑な感情が押し寄せていた。


 澪が死んだあの現場を、彼はどんな思いで今まで生きてきたのだろうか。


 わたしは彼に対して、失望にも似た感情を抱いていた。


 それは「澪を守れなかった」という一点に尽きる。


 同時に、わたしの心には淡い期待も宿っていた。


 もし彼に十分な実力があるならば、いずれ彼と協力して、澪を殺した“あのダンジョン”の主を倒せるかもしれない、と。


 そう、もし彼が強くなっているならば、わたしは彼を誘うつもりだった。


 二人で、いや、もし必要であればもっと人を集めて、あのダンジョンへ再び潜る。


 わたしが探索者になった理由も、まさにそこにあるのだから。


 だけど、テストでの彼は予想以上にあっさりと倒れてしまった。


 正直に言えば、拍子抜けした。


 けれど、対人訓練を積んでいない者と積んでいる者同士が戦えばこんなものだろう。


 彼は単独探索者として活動しているそうだから、それを考えれば彼の能力は対モンスターに特化しているのかもしれない。


 ところで──ふと思う事があるのだ。


 もし、わたしがあのとき彼に告白していたら、今とは違う未来になっていたのだろうか。


 彼と澪の関係を知ったとき、わたしはその問いを何度も胸に刻んだ。


 わたしが先に声をかけていたら、澪は……いや、そんな仮定を考えたところでどうしようもない。


 結果的にわたしは行動しなかった。


 その代償を、わたし自身が一生背負っているに過ぎない。


 ダンジョン探索の世界に足を踏み入れ、死線をくぐり抜けるなかで、わたしは「後悔を繰り返さないために行動する」ことを学んだ。


 行動を起こさなければ得られない結果がある。


 それは恋愛に限らず、命のやり取りにも通じる話だ。


 わたしは、今回の再会を一つのチャンスだと捉えている。


 もしも今の彼が過去を乗り越えて成長しているならば、わたしは手を差し伸べよう。


 そして二人で澪の仇を討つ。


 そのためにも、まずは彼の実力をしっかり見極めないといけない。


 幸いにも桜花征機の上層部から通達があり、わたしも福井のダンジョン探索に参加することになっている。


 福井県の廃寺ダンジョン「龍華寺」を攻略し、そこで得られる特殊素材を確保するのが当面の任務だ。


 他の企業も同じダンジョンに興味を持っているからだ。


 桜花征機として遅れを取るわけにはいかない。


 特にライバル企業である岩戸重工が資源確保のために企業探索者を派遣するという情報が入ってきた。


 わたしは企業探索者としての役割を果たす一方で、そこに参加する片倉さんの戦いぶりを間近で観察するつもりだ。


 彼がどんな戦い方をするのか。


 どんな形で力を発揮し、どんな風に苦境を乗り越えていくのか。


 澪を守れなかったあの日から、彼はどれだけ変わったのだろうか。


 わたしは心のどこかで期待している。


 いや、期待というよりは願っているのかもしれない。


「彼が強くなっていてほしい」と。


 わたしは己の髪を操る物質操作のPSI能力を鍛え、企業内でもそこそこ名の通った探索者にまでなった。


 ライバル企業の猛者たちと対峙してきた経験もある。


 ダンジョン内で数多くのモンスターと死闘を演じてきたこともある。


 だけど、わたしの最終的な目標はいつだって一つだ。


 澪を殺したダンジョンの主を倒すこと。


 それこそが、わたしが探索者になった理由のすべてだ。

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