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第71話【テスター②】

 ◆


 桜花征機の地下施設。


 片倉は明るめに照らされたトレーニングフロアに立っていた。


 黒く締まったボディスーツ──「朧」を装着している。


 向かい側には、同じく黒いボディスーツを着た押野薫子の姿があった。


 彼女もまた、静かに片倉を見つめている。


「それでは、テストを開始します」


 観測ルームからの声がスピーカーを通して響き渡る。


 片倉は手にした大振りのバトル・ナイフの感触を確かめた。


 重心は良く、程よい重みがある。


 対する薫子は何も持たず、素手の構えを取っている。


「武器はいいんですか?」


 片倉が問いかけると、薫子は小さく首を振った。


「素手のほうが、私はやりやすいので」


 そう言って、彼女は両手を軽く握り込んだ。


 ──—武器なしで来るとは


 片倉は内心で考える。


「では、テスト開始です。両者とも準備はよろしいですね」


 観測ルームの声に、二人は無言で頷いた。


「それでは、開始」


 合図が出た瞬間、片倉は緊張を高めた。


 スーツの性能を確かめるという名目もあるため、薫子の方から仕掛けてくると思ったからだ。


 しかし、薫子はまったく動かない。


 ただ無言で佇み、片倉を見つめている。


 その姿に片倉は大輪の薔薇を幻視した。


 美しく、しかし手を伸ばせば容赦なく棘でざくりとやられるだろう。


 そんな確信がある。


 が、それならそれでと片倉は肩の力を抜いた。


 ──—まあ別に殺し合いというわけでもなし


 ナイフをぽろりと手から落とす。


 握って襲い掛かるでもなく、投げるでもなく、落としたのだ。


 その瞬間、薫子の目が僅かに丸くなるのが見えた。


 片倉はその隙を見逃さず、落下途中のナイフの柄を右足で痛烈に蹴り飛ばした。


 奇襲。


 狙いは薫子の喉だ。


 殺傷禁止というルールだが、探索者同士の戦いならよほどの攻撃を受けない限り命に関わるようなことにはならない。


 喉を貫かれる程度なら、重傷で済むだろう。


 銀光をなびかせて飛翔するナイフをしかし。


 薫子は首を軽く振っただけでいなした。


 正確には彼女の長い黒髪がまるで意志を持ったかのように動き、飛来するナイフをからめ取ったのだ。


 硬質な音を立てて、ナイフは床に落ちる。


 だがその瞬間、片倉はすでに次の行動に移っていた。


 四足獣の様に低い体勢で、一気に薫子へと肉薄し──突進の勢いそのままに、右足による飛び蹴りを放った。


 しかし薫子は中国拳法のような所作で掌を上へと向け、片倉の踵をカチ上げる。


 ──なにっ


 その態勢でそれをやられると、片倉としては当然背から床へ落ちることになる。


「ぐっ」


 後頭部を打った片倉だが、一瞬で体勢を立て直す。


 だがいつの間にか側面へ回り込んでいた薫子に、脇腹を蹴り上げられた。


「—————ッ!」


 声もあげられない激痛の後──片倉は意識を失った。


 ◆


 意識が戻った時、片倉は医務室のベッドに横たわっていた。


「お目覚めですか」


 近くで響いた声に目を向けると、五十嵐が立っていた。


「どれくらい……?」


 片倉は乾いた唇を舐めながら問いかける。


「10分ほどです。ご心配なく、大きなダメージはありませんでした」


 そう言いつつ、五十嵐は端末を操作している。


「実際、"朧"の衝撃吸収性能が発揮された結果です。通常なら肋骨3本は確実に折れていたでしょうね」


「そうですか……」


 片倉は体を起こして、脇腹に手をやる。


 確かに痛みはあるが、骨折するほどではない。


 むしろ打撲程度の痛みだ。


「押野さんは?」


「彼女なら別室で報告書を書いていますよ」


 五十嵐は微笑んだ。


「いやあ、想定以上の結果が得られましたよ」


「あの人、ナイフを髪の毛で止めましたよね?」


 片倉の問いに、五十嵐は頷く。


「ああ、あれは……彼女特有の、PSI能力です」


 五十嵐は少し言葉を選ぶように間を取った。


「物質操作型のPSIの持ち主です」


「物質操作……」


 片倉はあの黒髪の動きを思い出す。


 それは自在に操る触手のようでもあり、生きた鞭のようでもあった。


「なるほど」


 片倉は静かに納得した。


 端末に届いた通知音に五十嵐は目を向ける。


「失礼します。他のデータも確認しなくては。少し休んでいてください。後ほど、事務手続きの担当が来ますので」


 そう告げて、五十嵐は部屋を出て行った。


 片倉はベッドに横たわったまま、天井を見上げた。


 負けも負け、大負けの完敗である。


 悔しくないと言えば嘘になるが、そうなるだろうなという予感はあった。


 片倉は対人戦闘の訓練などろくに積んではいないのだ。


 ◆


「お加減はいかがですか?」


 医務室のドアを開けて入ってきたのは、押野薫子だった。


 片倉は起き上がり、彼女を見た。


「ああ、大丈夫です。想像以上にアーマーの性能がよかったようで」


 薫子は申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「すみません。力加減を誤りました」


「いえ、テストなんですから。むしろ変に加減されないですっきりしました」


 片倉はそう言って、薄く笑った。


「ただ、一つだけ聞きたいことがあります」


「なんでしょう?」


「いえ、といってもちょっとした疑問なんですが……髪の毛の事なんですけど」


 薫子はああと頷いて、少し間を置いてから答えた。


「地毛ではないです。PSI能力で操作して──まぁ色々と戦闘時の補助に使っています」


「なるほど」


 片倉は「随分変わった戦い方だな」と思う。


「武器を使ったりはしないんですか?」


 薫子は首を傾げた。


「自分の体の延長として操れるモノのほうが、はるかに使いやすいですから」


 片倉は黙って頷いた。


 それぞれの探索者にそれぞれの戦い方があるのだ。


「ところで、片倉さん」


 薫子が話題を変えるように声をかけてきた。


「はい?」


「福井の龍華寺ダンジョンに行かれるとお聞きしました」


 片倉は少し驚いた表情を見せる。


「ええ、そうですが……どうして?」


「私も同行することになりました」


「文字通りの企業秘密ですね」


「そうなんですか」


 片倉は眉を寄せた。


 越前探索者連盟——協会からメンバーが派遣されるとは聞いていたが、桜花征機までとは予想外だった。


「桜花征機は福井の資源に興味があるんですか?」


「そうですね。特に仏像モンスターが生み出す特殊な木材と金属には。当社の装備品開発に役立つ可能性がありますから」


 薫子は淡々と説明する。


「なるほど」


 片倉はゆっくりと頷いた。


 ──企業同士の鞘当てといった所かもな


 そんなことを思う。


 ダンジョンの資源を巡って企業間や探索者間の争いが起きる事はままある。


 というのも、一つのダンジョンから集中して資源を採取することで一時的な枯渇状態が発生するからだ。


 一時的というのは一週間かもしれないし、十年かもしれない。


 あるいは百年かもしれない──そういう時間感覚での話となるので、企業としては有用な資源が採取できるダンジョンの所有権を可能な限り求めるという形になる。


「一週間後、また福井でお会いしましょう」


 薫子は軽く会釈して、医務室を出て行った。


 残された片倉は、少しばかり複雑な心境だった。


 協会、越前探索者連盟、そして桜花征機をはじめとした企業が絡む探索となると、単純な資源収集以上の何かがありそうだ。


「まあ、行ってみないとわからないか」


 片倉はそう呟くと、ベッドから立ち上がった。

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