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第60話【マオ⓷】

 ◆


 無言のまま線路の上を進む片倉とAKEBI、そしてアリサ。


 AKEBIはマオの死が随分とショックのようで、普段の意気軒昂な様子は少しも見られない。


 一方アリサはその表情こそ険しいものの、驚くほど冷静だった。


 まあそれはその通りで、ことAKEBIに関する事以外については彼女はドライなのだ。


「このダンジョンはトラップが主体かもしれないですね」


 アリサが静かに言った。


 片倉は一度頷き、そのまま前を向いて歩調を緩めることなく答える。


「俺もそう思う」


 ダンジョンというものには、大まかに分けていくつかのタイプが存在する。


 最も多いのは、モンスターが闊歩し探索者を襲ってくるクラシカルなタイプだ。


 しかし中には環境そのものが罠めいていて、人間の欲望や弱みにつけ込む形で探索者を喰らうダンジョンもある。


 今回のように明確な敵の姿が見えにくいまま、得体の知れない怪異だけが襲ってくるタイプはそこまで多くはないがあるにはある。


「マオはあのおじいさんに……って言っていいのか、わからないですけど、あのモンスター? みたいな奴に取り込まれたのかな。普通ならあんなの疑って当然だと思うんだけど」


 AKEBIが俯いたまま小さく呟く。


 だがアリサは瞳を伏せたまま、首を横に振った。


「取り込まれたというより……あの一瞬でトラップの条件に嵌ってしまったように見えました。何か誘導されるようにマオさんはあっちへ向かった。その条件を引き寄せられたとしか……」


 アリサの言葉に、片倉は無言のまま少し考える素振りを見せる。


 このダンジョンにおけるトラップの条件とは何なのか。


 ただ歩いているだけで発動するものなのか、それとも感情や思考をトリガーとするのか。


 もし後者だとすれば、トウヤやミキハル、マオが陥ったのは偶然ではなく、彼らが抱えていた“何か”を起爆剤として罠が作動したと考えられる。


「となると、俺たちもまだ安全ではないわけだ」


 片倉はぼそりと呟き、その声にAKEBIとアリサは同時に視線を上げる。


 AKEBIは怯えが混じった目をしているが、アリサは相変わらず冷静そうに見えた。


「トウヤやミキハルにも何らかの条件があったのでしょうか。あの変異は、ダンジョン内の力が彼らを取り込もうとした結果にも思えます」


 アリサはそう言い終えると、唇を噛んで視線を落とす。


 変異や炎の怪異といった現象を説明しようとしても、現実世界の常識では到底及ばないのがダンジョンの恐ろしさだ。


 片倉は歩みを止めず、しかし周囲への注意を一切怠らずに続ける。


「何が起動条件になるのか、はっきりしないのが厄介だな。ちょっとした出来心や怒り……あるいは後悔や羨望でも引き金になる可能性がある」


「そんな……それじゃあ、人間なら誰だって可能性はありますよね」


 AKEBIが絞り出すように言うと、片倉は少しだけ口元を歪ませて「そうだな」と短く答えた。


 ふとAKEBIはアリサの事を考える。


 もしアリサがモンスターになってしまったら? 


 あるいは自分がモンスターになってしまったら? 


 考えても答えはでなかった。


 ◆


 歩みを進めるうち、線路が緩やかにカーブしているらしく視界の先には古めかしいトンネルの入り口が見えてきた。


 朽ちたコンクリート壁に、赤茶けたツタが絡みついているように見える。


 近づくほどにそのトンネルの闇はどこか淀んでいる様に見え、そこへ足を踏み入れるのが本能的に躊躇われる。


「トンネル……」


 AKEBIが低く呟き、足を止めて見上げる。


 その入り口は鉄扉が設置されているわけでもなく、ただ暗がりがぽっかりと口を開けているだけだった。


「……入るんですか?」


 AKEBIは不安げな目を片倉に向けながら問いかける。


 すると片倉は小さく肩をすくめて、「君はどう思う?」と問い返す。


 AKEBIは息を呑み、一瞬考え込む素振りを見せると、弱々しい声で答えた。


「余り行きたくないですけど……でも、行かなきゃいけない気がします。行かないと、ここから出られないんじゃないかなって」


 それは単なる勘だが、されど勘である。


 AKEBIの勘は特別なのだ。


 未来予測というほどの精度ではないものの、この先に自分にとってどのようなモノがあるのかが何となくわかる。


 アリサは黙っているが、片倉が視線を向けると軽く頷いた。


 ここで引き返すという選択肢もなくはないが、ミキハルやあの炎の怪異といった脅威もある以上、後戻りをしてのんびり探索というわけにもいかない。


 出口を探すならば、奥へと進まざるを得ない。


「行こう」


 片倉が静かにそう告げると、三人は慎重にトンネルの入り口へと足を進める。


 外から射すわずかな光が内部のコンクリート壁を照らしていたが、その光もすぐに闇に呑み込まれてしまう。


 奥へ進むにつれ、湿気とともに生温い空気が肌を撫でた。


 何か不快な粘性すら感じるほどの濃密な闇。


「暗すぎっ」


 AKEBIが小さく呟き、アリサは懐中電灯代わりに使えるライトを腰のポーチから取り出す。


 ライトの円が揺らぐ先には、廃トンネルらしくひび割れた壁や崩れかけた支柱が見えた。


 天井のアーチ部分はところどころ水滴がしたたり落ちていて、床は泥のようにヌルついている箇所もある。


 足元を確かめながら進まなければ、転倒して大怪我をする可能性だってあるだろう。


「歩きにくい……」


 AKEBIがライトの光で足元を照らしながらぼやく。


 アリサは無言で周囲を警戒し、拳銃の安全装置をいつでも外せるよう指をかけている。


 片倉は先頭を歩きつつ、時折立ち止まっては耳を澄ませていた。


 しかし風が吹き抜ける音が僅かに響くだけだ。


「ん……?」


 片倉がふと足を止め、ライトを向けて内壁を見上げた。


 そこには、まるで血管のような青い筋が幾重にも張り巡らされている。


 最初は何かの塗料が剥がれた跡かと思ったが、どうもそうではないらしい。


 よく見ると、それはまるで血管のようでもあった。


 どくんどくんと脈動し、内部を何かが流れている。


 アリサがそれに気づき、思わず声を上げる。


「何、これ……? 生きてるみたい……」


 青い筋はトンネルの天井から壁の隅々にまで伸び、動脈さながらにゆっくりと鼓動しているかのように見える。


 AKEBIが恐る恐る手を伸ばそうとするが、片倉が「やめろ」と低く声をかけた。


「下手に触れるな。今の俺たちには何が引き金になるかわからない」


 AKEBIは「は、はい……」とすぐに手を引っ込める。


 まるで誘われるように歩み寄った瞬間、何かが襲いかかる──そんな最悪のイメージが、ここまでの流れを思い出させて三人の脳裏をよぎる。


 アリサがライトを天井に向けると、一段と濃い青い筋が波紋のようにうごめいているのがわかった。


「うわぁ……モンスターとはまた違う生理的嫌悪感がありますね」


 アリサが吐き捨てるように言う。


 暗がりの中、ライトの光輪がトンネルの壁面をゆっくりと舐めるように移動していく。


 ひび割れたコンクリートの隙間からは、不気味な青い液体が染み出しているかのようにも見えた。


 ひゅう


 ひゅう


 風が吹き抜ける音が少し大きくなった。


 まるで誰かが泣いている様にも聞こえる。


 ──もしかしたら、このダンジョンで死んでいった者たちの声なのかもしれないな


 片倉は何となくそう思い、そして子供っぽい考えだなとかぶりを振ってそれを打ち消した。

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