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第53話【S駅の怪⑤】


「あのおっさん、乙級らしいぜ」


 トウヤが言うと、マオは目を丸くする。


「えーっ? 上級探索者じゃん。本当?」


「さあな……でも協会はクソ温いからな。実際はもう少し落ちるかもな」


 一般的に上級探索者とは乙級以上の事を言う。


 探索者の等級は甲・乙・丙という三つの大分類に分かれ、さらにそれぞれの分類に1~3の小分類が存在する。


 つまり合計9段階の等級が定められていて、これは国の異領管制省が策定した基準に基づいている。


 ただし、実際の認定作業を行うのは国家機関ではなく、それぞれの探索者が所属する組織や団体だという点が特徴的だ。


 この方式のメリットとしては、多様な探索者集団の中で公的な物差しが確立されるため、団体間で協力や情報共有を行う際に一定の目安を作りやすいという利点がある。


 一方で、実際に認定基準を運用するのが国ではなく各組織に委ねられているため、運用の公正性や統一性に不安が残る場合もある。


 例えば同じ乙-1級であっても、実際の戦闘力や探索技術に大きな差が出ることが少なくないのだ。


 トウヤたち三人はトウヤが丙-1、マオとミキハルが丙-2であった。


 ちなみに全探索者のボリュームゾーンは丙-2とされている。


 9段階の等級で下から2番目なんて大した事はないと思う向きもあるが、丙-2級の探索者の平均的な戦闘力はハンドガンを所持した一般人2、3名を、軽傷程度までの負傷で制圧できるくらいはやってのける──勿論素手で。


 下級探索者は人外とまでは言わないまでも、それなりには化け物染みているのだ。


「まあでも初見のダンジョンだからな。乙級がいるのは正直助かるわ。わざわざ東京から来るくらいだから、連中も稼ぎたいんだろうしな。せいぜい働いてもらおうぜ」


 S駅ダンジョンの攻略・踏破には静岡最大手の探索者団体であるSEG (Shizuoka Explorer's Guild)が高額な報奨金を設定していた。


 特に踏破──つまり、ダンジョンのギミックや出現するモンスターの詳細といった情報には高い値段が設定されている。


 トウヤたちはその高額の報奨金を目当てにしてこのS駅へやって来たのだが──


 ・

 ・

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 探索者という生き物には致命的とも言える欠陥があるという説がある。


 それは "恐怖" に対する感覚の麻痺だ。


 生物にとって恐怖という感情は、命を守るための本能として極めて重要な役割を果たす。


 未知の危険に対して警戒し、逃避行動を取らせる──その本能的な反応こそが生存を可能にしてきた。


 もちろん、探索者が全く恐怖を感じないというわけではない。


 しかし、そのカタチは明らかに歪んでいた。


 一般人から見れば常軌を逸した行動を平然と取るのが、探索者という存在なのだ。


 今このS駅ダンジョンで、トウマたちがその歪みを体現しているではないか。


 考えてみれば異常なことだ。


 県やSEGが危険視し他地域の探索者組織に協力要請を出すようなダンジョンに、こんな安易に足を踏み入れようとするなど。


 普通ならもう少し情報が出回ってから──そう考えるはずだ。


 しかしトウマたちは違った。


 危険があると判断して、片倉たちを露払いに利用しようという打算はあれど、ダンジョンに挑戦すること自体には何の躊躇いも感じていない。


 これが歪みでなくて何なのだろう。


 これはある学者の言だ。


『探索者はダンジョンから干渉を受け、生物としての階梯を上げる。それは良い事ばかりではない。ダンジョンを恐れなくなるからだ。結果、ダンジョンに吞み込まれて帰ってこない探索者は後を絶たない。しかし、我々はそれに対して危機感を持っていない。 "挑戦" した結果、死んでしまったとしてもそれはそれで仕方がないと思っているからだ。──実の所、私もそう思っている。いや、思わされているのだろうか、ダンジョンに。あるいはもっと得たいの知れない何かに 』


 その学者は調査と称してとあるダンジョンに向かい、そして帰ってくる事は無かった。


 ◆



 六人が集まって話し合いが始まった。


 大きな声で仕切っているのはトウヤだ。


 当面の目標は線路沿いに進むことで意見が一致したものの、問題は方角だった。


 一本の線路は東西に伸びている。どちらへ進むべきか──トウヤは迷いなく東を指差した。


「東に行こうぜ。なんとなくだけど、あっちのほうが面白そうじゃね?」


 その言葉にAKEBIが首を振る。


 普段の明るさは影を潜め、どこか怯えたような表情を見せていた。


「私、東には行きたくない……なんか、嫌な予感がする」


「AKEBIの勘は良く当たりますから。だから私も行きたくないですね」


 アリサがAKEBIの言葉に続く。


 トウヤは二人を見下すような目を向け、マオの腰に腕を回した。


 ミキハルはこれまで一言も発していない。ただ、じっとりとした視線でトウヤとマオを見つめ続けていた。


 片倉はその視線が気にかかった。


 何かを訴えかけているような、そんな印象を受ける。


「なあ、片倉のおっさんはどうよ。あんたもビビってんの?」


 トウヤの声には挑発的な色が混じっている。AKEBIとアリサは片倉に懇願するような目を向けた。


 片倉はすぐには答えず、AKEBIに向き直る。


「AKEBIさん、東は厭な予感がするのか?」


 AKEBIが頷くのを見て、片倉は言った。


「じゃあ東に行こう。この手のダンジョンは何か目的を達成しないと脱出できない場合が多い。そして、その目的っていうのは大抵の場合は困難だ。厭な予感もするだろう」


 その言葉にAKEBIとアリサは意外そうな顔を見せたが、すぐに納得したように頷いた。


 ・

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 一向は東へと歩いていく。


 ただ、6人そろって仲良くとはいかない。


 一行はそれぞれのチームに分かれて歩を進める。


 先頭を行くのは片倉たち三人。


 その後方をトウヤたちが続く。二つの集団の間には、互いの警戒を示すように数メートルの距離が保たれていた。


「あの人たちを信用するんですか?」


 アリサが小声で片倉に尋ねる。


 アリサは正直な所、トウヤたちの事は全く信用できないと思っている。


 なんだったら片倉の事さえも怪しい。


 信じられるのはAKEBIだけだった。


「一応は "仲間" だが信用はしなくていい。敵意や害意があるわけじゃないが、万が一ということになったら真っ先に逃げ出すだろう」


 片倉の言葉には確信があった。


 確かにトウヤたちからは敵意も害意も感じない。だが悪意がないかと言えば、それは違っていた。


 敵意とは相手を倒そうとする意志だ。


 害意は傷つけようとする意図を指す。


 しかし悪意──それは単に相手の不利益を楽しむ感情のことだ。


 トウヤたちにあるのは、まさにそれだった。


「じゃあなんで一緒に……」


 納得がいかないという表情のAKEBIに、片倉は静かに答えた。


「ダンジョンが俺達6人をあのホームに集めた。つまり、同行しろということだろう」


 それはダンジョンが敷いた "レール" だ。


 片倉は以前、トー横ダンジョンで似たような経験をしていた。


 そこでは点灯している外灯を順に進むことが "レール" で、そこから外れると容赦のないトラップが襲いかかった。


 つまりは正規ルートというやつだ。


 ダンジョン独自のルールから外れると、たいてい手痛い目に遭う。


「まあそう言う事なら……仕方ないですけど」


 アリサもAKEBIも完全に納得したとは言い難いが、それでもそれ以上トウヤたちと同行する事に文句は言わなかった。


 ◆


 歩く事しばし。


 線路沿いから見る周囲の光景は一言で言えば牧歌的。


 まるで誰かが絵本から切り取ってきたような景色にも見えるほど長閑だった。


 しかし。


 ──虫もいなければ鳥もいない、か


 片倉の目には酷く不自然に見える。


 線路の枕木には苔が生えているが、その緑色は毒々しく、まるで夜光虫のように微かに発光しているようにも見える。


 ──まあ、ただで済むとは思っていない


 先へ進めば進む程、 "甘い匂い" は強くなっていく。


 片倉が焦がれる死の匂いだ。


 ……それはそれとして。


 AKEBIがやけに饒舌だった。


 開き直ったのか、それとも緊張からか、片倉に対して矢継ぎ早に質問を投げかけている。


「片倉さんっていつから探索者だったんですか?」


「東京のどの辺に住んでるんですか?」


「好きな食べ物とかってありますか?」


 片倉の返答は「ああ」「世田谷」「特にない」と、そっけないものばかりだ。


 それでもAKEBIは諦めない様子で、次から次へと質問を繰り出す。


 一方のアリサは、後方を気にするように度々振り返っていた。


「アリサ、どうしたの?」


「いや、なんか後ろで言い争いしてません?」


 アリサの言葉に、片倉とAKEBIも後ろを振り向く。


 すると──

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