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第46話【AKEBIとアリサ】

 ◆


 この日、AKEBIとアリサは池袋に居た。


 池袋には都内の探索者には恰好のダンジョンがいくつもあるのだ。


 例えばサンシャインなどは複数のダンジョンの入口があり、アミューズメントパークかと見紛うような繁盛を見せている。


 ただ、ダンジョンはダンジョンなので当然死傷者は出るし、恐れを知らぬ一般人が挑んで帰ってこなくなるということも珍しくはなかった。


 AKEBIとアリサのお目当てはサンシャインシティワールドインポートマートビル屋上一帯に広がる "サンシャイン水族館ダンジョン " だ


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 まるで海中散歩の様な風情で、AKEBIとアリサはダンジョン内を闊歩していた。


 青白い光が空間全体を包み込み、頭上には波のような揺らぎが映り込む。


 足元には細かな砂利のようなものが敷き詰められているが、その砂利が歩くたびにわずかな音を立てている──それはつまり、ここが水中ではない証拠だった。


 ダンジョン内の空気は驚くほど澄んでいる。


 呼吸はごく普通にでき、衣服や髪が濡れることもない。


 またこの空間を満たす青白い光は、どこからともなく降り注いでいるようで、その発光源は視認できない。


 彼方に見える影はこのダンジョン特有の異形の魚たちだ。


 そういった魚たちも実際には水に浸かっているわけではなく、重力のないような動きで滑らかに空間を泳いでいるが、泳ぐ際の細かな水流や泡立ちは一切生じていなかった。


 説明できない現象、理屈に合わない事がダンジョンでは往々に起こり得る。


 ◆


「あれ見て」


 AKEBIが指差したのは、ひらひらと長い尾びれをたなびかせながら水中を漂う人魚然としたモンスターだった。


「なんか~、えちえちじゃない?」


 AKEBIがイヒヒと下品に笑う。


 その言の通り、その人魚の様なモンスターは如何にも蠱惑的だ。


 しなやかな曲線を描く体躯は真珠のように滑らかで、青光りを放つ肌色は艶めかしくさえある。


 胸元の豊かな双丘は女性性の極地の様だ。


 白人女性のような顔立ち、黄金の瞳。長い睫毛が瞳を縁取り、口元には誘惑する様な笑みが浮かんでいた。


「……めっちゃ綺麗~……」


 思わず見惚れたAKEBIの声には、冗談めかした口調ながらもほんのりと "色"が混じっている。


 アリサは眉間に皺を寄せ、「レアモンスターです。きれいですけどね」といいつつ、RKD-HG002『修羅』を構える。


 これは六道作業所が開発したダンジョンでも使用できる銃器だ(第37話参照)。


 これまでダンジョンでは従来の銃器の威力は大きく減衰してしまい、単なるけん制以上の役割は果たせなかった。


 それは銃器には使用する者の力は関係ないからだ。子供が使っても大人が使っても同じ威力が出るというのは、ダンジョンの外では大きなメリットとなるが、ダンジョン内ではデメリットとなる。


 ダンジョン内で有形力を行使する場合は、その出所はあくまで自身から出るものでなければならない。


 これはダンジョンでの節理で、理屈云々の話ではない。


 しかし1年程前に六道作業所が開発した新型銃は、探索者の握力を利用して圧力をかけて弾丸を射出するというもので、これはまあ言ってしまえば空気銃の様なものなのだが、それが案外にダンジョンでは有効的に機能していた。


 原理としては現行銃器に使用されている技術より大分退行しているものの、スリングショットなどが使用されている現環境では今更の話である。


 ◆


 きれいですけどね──そう呟きながら銃を構え、引き金を引いた。


 アリサの指が引き金を絞り込み、修羅の内部機構が一瞬で圧力を溜める音が微かに響く。


 次の瞬間、弾丸が空間を切り裂いた。


 高速で飛翔する弾丸は尖頭型で、火薬は含まれない。


 弾丸を構成するのはダンジョン由来の鉱物で、モンスターの強靭な皮膚、肉、骨を打ち砕くだけの硬度を有する。


 そんな弾丸が人魚の胸部に複数命中し、人魚はといえば身体が弾かれたようにのけぞり、口元から青白い血が漏れ出た。


「まだいきてますよ!」


 アリサの言葉を裏付ける様に、人魚の美しい顔が徐々に歪んでいく。


 黄金の瞳は血走り、滑らかだった肌はざらついた鱗のように変質し、頬が突き出るように尖り始めた。


 薄い唇が裂けて鋭利な牙がずらりと現れる。


 次の瞬間、人魚は凄まじい勢いで二人に向かって突進してきた。


 その加速力たるや、まるで魚雷の様だ。


「よっこら──しょっと!」


 AKEBIが叫びながら、手にした山刀のような得物を横合いから振り下ろし──刃が光の筋を引きながら、人魚の胴体を斜めに切り裂いた。


 結句、人間の上半身と魚類の下半身がスパッと断ち切られる。


 それでも息絶えないのはモンスターゆえの生命力だろうか、人魚は断面から青い血を流しながらも、激しく暴れていた。


 当初の美貌は既にない。


 魚と人間の合いの子というだけでも不気味なのに、それが明らかな鬼相を浮かべているのだからたまらない。


 強気そうに見えて実は弱気なAKEBIは、「ウッ」と呻いて後退る。


「あ、アリサ~!」


 そういってアリサの腕に抱き着くAKEBIには、先ほど人魚を一刀の元に斬り捨てた勇壮さは欠片も見られなかった。


 そんなAKEBIを横目で見つつ、アリサは人魚に向かって数度銃撃を加える。


「……はい、終わりました。早めに処理出来て良かったです」


「そりゃそうだけど……なんで?」


「AKEBIはもう少し予習したほうがいいです。このレアモンスター『唄う女』は、文字通り歌を歌うんです。それを聴いてしまうと錯乱して同士討ちしてしまうわけで──」


 アリサはそう言いながら、端末で『唄う女』のデータをAKEBIに見せた。


「滅多に出ないんですけどね。でも良かったです、無事処理できたし──」


 言いながらアリサは死体へ向かってかがみ込み、ナイフで鱗を剥がし始めた。


 鱗は一枚一枚が薄く、まるで宝石を磨き上げたように滑らかな表面を持っている。


 光の加減で青から紫へ、さらに金色の輝きを帯びることもあり、動くたびにその色彩が変化する様子は息を呑むほど美しい。


「『唄う女』の素材の中でも特に価値がある部分で、協会の買取価格も高額です。暫くダンジョン探索しなくて済むかもしれないですね」


 魚の鱗は高いコラーゲン含有量などの理由からサプリメントや化粧品、さらには高級シャンプーの原料として利用されているが、『唄う女』の鱗はそれらの効能を遥かに凌駕するものだ。


 その最大の特長は再生促進作用にある。


 加工された鱗を抽出したエッセンスは、皮膚の再生を劇的に促進させる効果があり、医療現場では傷跡や火傷の治療に用いられることが多い。


 火傷の中でもっとも重篤なⅢ度の熱傷であっても、数日で元の皮膚に再生してしまうほどだ。


 当然ケロイドなども一切残らない。


「……でも、買い取りしてもらうよりも、むしろ手数料を払って加工してもらって、万が一の為の治療薬としてストックしておくっていうのも手かもです」


 アリサの言葉にAKEBIは腕を組み、うーんと唸る。


 探索者たるもの怪我とは切っても切れない関係にある。


 それも一般人が負う怪我より遙かに重い怪我をする可能性が高い。


 ただ、生来楽観主義者のケがあるAKEBIとしては……


 ──なんだかんだで探索するダンジョンをちゃんと選べば、そこまで大きい怪我はしないと思うし、いっそお金にかえちゃったほうが良いと思うんだよね~


 という思いが大きかった。


「アリサはどうしたいの?」


 AKEBIが尋ねると、アリサは迷った様子もなく「治療薬としてストックしておきたいです」と答える。


 それからややあって、「……AKEBIはモンスターと近距離で戦う事が多いですし」と付け加えるに至って、AKEBIはアリサが自身を心配してくれているのだと気付いた。


「そっかぁ。先々のことを考えてるってことね、やっぱりしっかりしてるなぁ」


 とAKEBIはアリサの顔をぼんやりと眺める。


 染み一つない白い肌は同性の目から見ても美しく、自分はともかくとしてこの肌に傷が残るようなことがあれば──


 そこまで思ったところで、AKEBIも考えを切り替えた。


「そうだね、ストックしとこ!」


 AKEBIがそういって笑顔を向けると、アリサは少し嬉しそうに口元に笑みを浮かべる。


 どうしてもお金に変えたいと言われればアリサもそうするつもりだったが、AKEBIが安全面を優先してくれたことが嬉しかったのだ。


 ただ、アリサは一つ思い違いをしていた。


 アリサがAKEBIを案じているように、AKEBIもまたアリサを案じている。


 AKEBIが優先したのは安全面は安全面だが、それは自身のというよりもアリサの安全面を優先したわけで──


 そういう意味では、アリサのみならずAKEBIもまた微笑ましい思い違いをしていた、と言っても良かった。


「それじゃあもう少し周囲を探索しましょうか。珊瑚とか依頼にあがってましたよ」


 ダンジョンから得られる稼ぎは戦闘から得られるものばかりではない。


 採取依頼というものもあり、基本的にはそちらからの収入の方が大きかったりする。


「今戦ったばかりだし、なるべく平和にいきたいよね」


 AKEBIが言うと、アリサもうんうんと頷く。


 そうして二人はそれから暫く探索し──これといった負傷もせずに無事に探索を終えた。


 イレギュラーな存在や、恐るべき致死性のトラップなどにもかからず、仲間も自分も無事──あるべき探索の姿である。


 少なくとも今回はそうだった。


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