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第36話【佐野 以蔵という男④】

 ◆


 難題だ、と片倉は思う。


 片倉は何がどうあっても死ぬわけにはいかないのだ。


 ある程度の安牌は引いておきたい気持ちがある。


 だからこそ命知らずな仲間を探そうと思っているわけだし、低級指定されていたトー横ダンジョンを探索しようと決めたのも人型モンスターに慣れておこうと考えたからだ。


 まあ結果としてトー横ダンジョンは想像以上に危険な場所だったわけだが。


 しかし以蔵の話を聞く限りでは、死の危険を冒して単独探索をした方が"山"──つまり、特別な強敵と出くわしやすいということになる。


 ジレンマであった。


 目をつむり腕を組み、悩みに悩む片倉を見て以蔵はこんな事を言う。


「まあなんでもそうですがね、自分で決める事ですぜ。流されちゃダメなんだ、こういうのは。俺も自分で決めて単独探索者になった……まあなかなか欲しいものは手に入らないンですがね……」


 へへと笑い、以蔵はコーヒーを飲み干す。


 そして、僅かに口が開き、舌が唇を舐めたのを見て──


「ああ、煙草ですか? ここは喫煙可だった筈なのでどうぞ。自分は気にしないので」


 片倉はそう言った。


 そんな片倉に、以蔵は一瞬だけ怪訝そうな目を向け、と何かを考えるような素振りを見せてから軽く笑顔を向けて礼を言う。


「それじゃあお言葉に甘えて……」


 以蔵は言うなり今では珍しい紙巻きを咥えて、親指と人差し指をぴたりと合わせてから煙草の先端へ持ってくる。


 そしてジッと音を立てて指をこすり合わせた。


「ライター、すぐ無くしちまうんでね」


 言いながら以蔵は美味そうに煙を吸い込む。


「片倉さんは煙草はやらンのですかい?」


「ずっと昔は興味本位で吸ってたんですけど、今はもう。恋人が嫌がるものですから」


「へえ、彼女さんがいるンですかい、まあハンサムガイですね片倉さんは」


「いえ、居た……って感じですね。ダンジョンで死にました。俺がトロかったので、庇う形になってしまってね」


 あちゃあ、と言う風に以蔵が分かりやすく表情を変え、一気に咥えている煙草をあっという間に灰にして二本目を取り出す。


 それを見た片倉は苦笑しながら「昔の事ですから。ところで佐野さんの欲しいものっていうのはどんなものなんです? 俺も気まずい事を言わされてしまったんだし、それでチャラにしましょう」などと言った。


 すると以蔵は苦笑しながら、「居場所が欲しくてねぇ」と答える。


 片倉は黙って続きを待った。


 以蔵はすぐには話し出さなかったが、沈黙特有の気まずさというものはない。


 それはやはり、お互いに瑕を晒したのだからという無言の了解と気安さがその場に漂っていた。


「人を殺したんでさ。元から余り好かれてはいなかったみたいでね、ダンジョンに入る所を……ッて感じで襲われてね」


 よくある話ではあった。


 ダンジョン内は異界であるため、あらゆる法律が適用されない。


 それを問題視する向きは当然あるにはあったが、国の姿勢として"探索者は強く在れ"というものがあるために規制される事はなかった。


 ダンジョンが出現する以前はそういった命を軽視するような姿勢は強く糾弾されたものだが、いまや世界中で武断的というか、前時代的な考えが浸透してしまっている。


「協会の偉い人らは"仕方ない"っていってくれたんですがね、まあやっぱり周りからは疑われて。俺自身も他にやりようはなかったのか、ちょっと思う所もありましてね。理由があれば人殺ししてもいいってのもちょっと俺には抵抗がありまして。甘いでしょ? 俺もそう思いますよ。ンで、俺の中途半端な姿勢ってぇのがやっぱり癪に障る人も多くてね、自分で言うのも何ですけど、俺は結構嫌われてる感じなンで……。そういや、一時期はニュースにもなったなぁ」


「佐野さんは寂しがり屋なんですね」


「ええ、まあね。それに俺ももう年だ。親も友達も、勿論恋人なンてのもいませんからね、このまま独りぼっちで野垂れ死ぬってぇのはちょっと嫌で嫌でたまらなくってね、でもほら、探索を頑張っていれば認めてくれる人もいるかもしれないでしょう? だから、その、単独探索者ってぇのになったワケでしてね」


 もしかしたら、以蔵の欲しいものはもうすでに手に入っているのではないか──そんな思いは片倉の頭をよぎった。


 ただそんなことは他人から言われたところであまり意味がない。


 自分で気づき、そして納得しなければいけないのだ。


 片倉は以蔵という男が嫌いではなかった。


 佐野以蔵という強く不器用な中年男にどこか共感を抱いたのだ。


 だから願わくば以蔵がダンジョンの中で孤独に朽ちていくと言う事がないように、と内心で祈った。


「そういえば」


 片倉は少し気になっていた事を思い出す。


「なンです?」


 以蔵が首を傾げる。


「いえ、ちょっと気になっていた事を思い出しまして。あのメッセージ、ほら、佐野さんからの。やけに丁寧だったじゃないですか、なんだか印象が随分違うなって」


 以蔵は「ああ、あれですか」と苦笑を浮かべた。


「いえね、あれは……あのう、その」


 挙動が不審だ。


「あれは、ええと、AIでね、へへへ……」


「AIに書いてもらったんですか」


 無表情、不愛想が常の片倉も、こればかりはやや表情を変えざるを得なかった。


 "なんだかしょうもないなぁ" という想いで頬が少し緩む。


 これがしょうもなおじさんこと "佐野 以蔵" との最初の邂逅であった。  

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