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歌舞伎町1丁目にあるトーコーシネマ横のエリアは俗に『トー横』と呼ばれている。
ビルに囲まれた、まるで箱庭のようなそのエリアにはいつしか居場所を求める未成年の男女がたむろするようになった。
乱れる風紀、飛び降りるメンヘラ──さすがに警察当局も放置はできないと思ったのか何度も一斉補導などを実施するが、結局元の状態に戻ってしまう。
かと言って相手は未成年なのであまり強引な手は使えない。
結局警察の対処は周辺住民からある程度のクレームが来たら都度対処するという場当たり的なものになり、いわゆるトー横キッズも警察を舐め切って、トー横は日本とは思えないほどカオティックな状況になってしまう。
しかしそんな状況が一変する出来事があった。
トー横にダンジョンが発生したのだ。
男女の中では当たり前の話だがモンスターが現れる。
そしてどんなモンスターもだいたい戦闘経験のない未成年など2秒以内にミンチにできるほど危険なのだ。
これにはさすがのトー横キッズも退避せざるを得なかった。
現在のトー横はその箱庭めいたエリアの周囲に規制線がしかれている。
通常の規制線とは異なる真っ赤なテープで囲われ、周辺には数名の警察官が立っているのだ。
とはいえ立ち入りが禁止されているというわけではない。
規制線はあくまでそこがダンジョン領域だと示しているもので、入りたければ誰でも入れる。
普通そんな危険な空間に誰でも入れるというのはおかしいことだが、このダンジョン時代は個の生物としての強さが何より尊重されるという武断的な時代である。
1000人の馬鹿な一般市民がダンジョンに潜り込み、仮に1人が探索者としての資質に開花すればそれはそれで損失を利益が上回るという事になるのだ。
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「と、言う事で! 俺たち『ヒーローCH』は最近出来たダンジョン、トー横ダンジョンへ挑戦することにしました~!」
なんだかやけにツルツルテカテカしたボディアーマーを着込んだ青年が大きな声でそんなことを言う。
肩あたりまで伸びた長い髪が印象的で、一見すればホスト崩れのように見えるこの青年は『カイト』といい、探索者歴1年の新米だ。
「もちろん攻略を目指すからね!」
と、ピンクのボディーアーマーを着たキャバ嬢崩れの様な女性──『アヤ』。
「ねー、ヒーローチャンネルって名前変えない? ダサ……」
ダウナー気味にそんな事を言うのは目がどんより淀んだ地雷系女子『MIRU』だ。こちらはゆったりした貫頭衣の様な服を着ている。これはグラフェンファイバーで作られた丈夫なものだ──あくまで一般人基準ではあるが。
このカイト、アヤ、MIRUは探索動画投稿者としてユニットを組んでいる。
『ヒーローCH』という名のその番組は、動画投稿サイトMYUTUBEでそこそこの人気を博していた。
三人が三人とも属性が異なるのも人気の理由だろう。
「今回なんでトー横に挑戦する事になったかっていうと──俺たちにもよくわからないんだよね!」
「カイトが行きたいって言い出したんだよ?」
「アヤちゃんもじゃん……」
ポンポンポンとテンポよく会話が続く。
「まあ元々うちらトー横で知り合ったっていうのもあるのかもね」
アヤが昔を思い出すような口調で言った。
高額の売掛金を飛ばれて人生詰みかけているホスト、ホス狂著しく巨額の借金を負ったキャバ嬢、いじめで高校を中退して家庭にも居場所がないパパ活女子。
家族には頼れず友人もいない、何かするたびに失敗し、何もしなくても状況は悪化し、色々な意味で居場所をなくした三人はある日トー横で知り合い、どうせ人生詰んでるなら探索者でもやるかと一念発起した。
一般的にこういうやけくそめいたチャレンジは失敗するというのが世の常だが、3人は案外にも探索者としての適性を見せた。
"協会"に入会し、最低限の訓練と講義を受けてダンジョンに挑む様になってからは前職より稼げるようになり、経済的な問題は解決した。
だが金はあっても心に吹き付ける冷たい隙間風──居場所がないという思いは消えることがなかった。
そんな3人であったが、ある日、昨今の探索動画投稿ブームに乗る形で動画投稿者になってみると、そんな心の風も止んでいく。
そしてリスナーが3人に応援の言葉を投げかけるたび、今度は暖かく心地よい心の風が吹く様になった。
「もう行こうよ、またリスナーからいつまで無駄話してるんだって叩かれるよ。あいつら短気だから」
MIRUが言った。
この発言も当然動画に載ってしまうのだが、彼女のこういうドライな感じの対応が人気の要因でもあるので、これは一種のファンサービスだ。
ちなみに動画はそれぞれのボディカムで撮影されている。
大手の投稿者になると撮影役の探索者もいるのだが、彼らにはそこまで揃える余裕はなかった。
「だな、いくか!」
「おさらいしとくからね、ダンジョンの中は真っ黒な霧が立ち込めていて視界がサイアク! だからあんまり離れないようにね。移動順は一番近い街灯からじゅんぐりにいくよー」
トー横ダンジョンは旧トー横エリアを何十倍にも広げたような広い空間に、黒い霧が立ち込めているという全天型のダンジョンとなっている。
そして全域に街灯が点在しており、この街灯を近い順に目指していく事が脱出の条件だ。
モンスターはそこまで強いものは出没しないが、それでも若い探索者の未帰還率はそれなりに高い。
新しくできたダンジョンというだけであって、まだどこの団体や組織もこのダンジョンに関するデータは収集しきれないでいるというのが現状であった。
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「おりゃ! 斬鉄剣!」
カイトが叫びながら横一文字に振るうと、今風の恰好をした女が上半身と下半身をスパッとやられて倒れ伏す。
もちろんこの女はモンスターなので殺害しても問題はない。
モンスターとはいえ女なのにという向きもないではないが、頭が二つあって首が伸び、ガブガブと噛みついてくるような相手に遠慮はいらないだろう。
ただ、振るう脇差は斬鉄剣などという名称ではなく、SLW-15──通称『桜光』である。SLWはSimpleLightweightWakizashiの略で、桜花征機によって開発、販売されている取り回しの良い初心者用の脇差だ。
価格は45万円。
高額なのはダンジョン仕様だからだ。
勿論性能も普通の脇差とは一線を画し、耐久性や切れ味も段違いなものとなっている。
とはいえ所詮初心者用のものなので少し強いモンスターに不用意に振り回すとポキンと折れてしまうが。
「ほら、油断しない!」
アヤが言うなり、手槍をぶんと投擲した。
穂先は過たず、二首女・モンスターの頭の一つに命中する。
カイトは仕留めそこなっていたのだ。倒したと思って油断していたところをアヤに助けて貰った形となる。
だがモンスターはこの一体だけではない。
『ねえ、君どこから来たの? ねえ、君どこから来たの? ねえ、君どこから来たの? ねえ、君どこから来たの? ねえ、君どこから来たの? ねえ、君どこから来たの?』
スーツを着た男らしきモノがそんな事を連呼しながら暗闇の向こうから歩いてくる。
"男らしきモノ"と言ったのは、その姿がどう見ても人間ではありえないもの不気味なものだからだ。
首から上には肥大化した頭部がくっついており、目と鼻がない。つまり口だけ──それも酷く巨大な口だけが『ねえ、君どこから来たの』という言葉を発している。
体部分はといえば、これは優男──ホストのようなキメキメのそれであった。
このホスト・モンスターも既に別の協会探索者によってデータ収集されており、大きな口を開けて獲物を丸のみしようとする事で周知されている。脅威度はそこまで高くはなく、アナコンダの大型個体と同程度だ。一般人には化け物だが、探索者からすればそこまででもない。
「ウザ……」
ダウナー地雷女子のMIRUがぼそりと呟いてホスト・モンスターを睨みつけた。
視線に込められた強い拒絶の念は、衝撃力を伴う斥力の放射というPSI能力として発現する。暴言は能力起動のトリガーだ。
次瞬、ホスト・モンスターは時速20キロ前後で走る乗用車と同等の衝撃を受け大きくのけ反った。
そこをカイトがザクザクと殺って終わりだ。
MIRUのPSI能力は攻撃力に欠けるが、けん制として気軽に使用できるという強みがある。
ちなみにもし日野海鈴がホスト・モンスターと相対したとしたら、コンマ数秒でモンスターの全身の自由を奪い、能力行使時間1秒に達する頃にはバラバラのひき肉にしてしまっただろう。
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「いや~、余裕だな」
言うなり、電子タバコを咥えるカイト。
「結構危ないシーンなかった? ……って事で私たちは3つ目の街灯にきてまーす! 今は休憩中だよ。カイトが余裕かましてる通り、実際余裕だったかな。こんな簡単だとサンクスチャット貰えないかも! もう少し苦戦したほうが良かったかな?」
アヤはリスナー向けにそんな事を言い、表情を作った。ついでにボディアーマーを緩め、汗を拭き取る際に胸の谷間などを見せたりと男性向けのサービスも怠らない。
そんなアヤにカイトは向き直った。
ボディアーマーの胴体に埋め込んでいるボディカムでアヤを映す為だ。
ボディカムによる撮影は当たり前の話だが撮影者自身は映らない。だから撮影用に何か言ったりやったりするときは、他の者がカメラを向けなければならない。
そういった感じで撮影を進め、最終的にはそれぞれの映像を編集して繋ぎ合わせ、一本の動画として仕立てて投稿──これが彼らのスタイルである。
ちなみにサンクスチャットとはおひねりの事で、動画のコメント欄で投げる事ができ、『ヒーローCH』は一本の動画投稿で平均1000万円程稼いでいる。
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黒い霧が立ち込めるトー横ダンジョンの中、カイト、アヤ、MIRUの三人は慎重に歩を進めていた。
街灯の淡い光が彼らの影を不気味に揺らめかせる。
突然、遠くから金属が擦れるような音が響き渡った。
「今の音、何?」アヤが警戒心を露わにする。
「モンスターに決まってるだろ!」とカイトが脇差を握りしめる。
その時、霧の中から巨大な影が現れた。
それは無数のネオン看板が寄せ集まってできたようなモンスターで、看板には意味不明な文字がびっしりと書かれている。
はた目からみたら廃棄看板を寄せ集めたゴミの山がズズと近づいてくるような感じだ。
「キモ……」
MIRUが呟く。
「ええと、あの看板は剥がして壊して……小さく持ち運べるようにしてから持ち帰ると結構いい値段で買い取ってくれるんだっけ」
カイトが思い出す様に言う。
「そうそう。さ、ちゃっちゃと倒しちゃおっか!」
モンスターは不意に動きをとめると、まるで爆発したかの様に周囲に勢いよく瓦礫をまき散らす。
距離を詰めていたカイトは咄嗟にかわし──切りつけて反撃するが、硬い金属音が響くだけで傷一つつかない。
「かったっ! 硬い! 硬すぎ!」
カイトが焦った様に言うと
「看板の隙間だよ! モヤモヤが見えるでしょ! 看板はただの鎧! データにあったじゃん!」
と、アヤが叫びながら手槍を投擲した。
五輪のやり投げ金メダリストも真っ青のその投槍は、過たず隙間を穿ち、看板・モンスターは悶える様に一つ、二つと震えている。
「ごめん! 忘れてた!」
そしてカイトは手首を返して突きの構えを取り──
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街灯の下で一息つく三人。
MIRUは地面に座り込み、遠くを見つめている。
ダンジョンに入場してから複数回の戦闘があり、思ったより精神力を使っている様だった。
カイトは電子タバコを吸いながら、「ここまでは順調だけど、そろそろ疲れてきたな」と呟く。
「カイトが弱音はいてる! この動画をみてるみんなー! カイトを励ます為にサンクスチャットをどかどか投げてね! 沢山くれたら次の投稿でサービスショットがあるかも……」
「くれなかったら配信活動引退するかも」とMIRUがけだるげに合わせて言った。
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次に向かうべき街灯は既に三人の視界に入っている──しかし。
「おい、あれ!」
カイトが足を止め、叫んだ。
その街灯はこれまでのものとは異なり、不気味な赤い光を放っていた。
霧の中で揺らめくその光は、まるで彼らを誘い込むかのようにちらついている。
「本当だ……データにはこんな情報なかったはずだけど……」
アヤが不安そうに周囲を見渡す。
黒い霧がますます濃くなり、心なしか温度が下がった様に思える。
まとわりつくような冷たい湿気がやけに重苦しく、アヤの呼吸がやや浅く、そして早くなっていた。
「やっぱり新規エリアか!?」
対して、カイトは何だか嬉しそうだ。
「嫌な予感がする。行かないほうがいいんじゃない?」
MIRUの声には不安が滲んでいる。
PSI能力者としての彼女の直感が、"やめておけ"と囁いているのだ。
「何言ってんだ。未知のエリアなら動画的に美味しいだろ? リスナーも喜ぶはずだし、行ってみようぜ!」
カイトが興奮気味に笑みを浮かべる。
「まあ……そうだね、報告すればボーナスも出るし」
いつでもどこでも馬鹿みたいに(実際に馬鹿だが)明るいカイトの陽キャっぷりには、アヤも救われている部分があった。
だから「カイトが言うなら」とアヤも一応の賛同を示す。
「はあ……勝手にすれば」
MIRUは制止を諦め、二人の後に続く。
彼女の胸中の不安が消えてはいない。しかし、危険を恐れていては探索者は勤まらないというのは事実であり、危ない時だって三人で切り抜けてきたという経験がそれ以上の反対の声をMIRUにあげさせなかった。
三人は赤い街灯に向かって足を進めていく。
足音が地面に吸い込まれるように消え、周囲の霧はまるで生き物のように彼らに絡みつく。
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「あそこに人影が見える──多分モンスターだろうな」
カイトが前方を指差す。
街灯の下に、ぼんやりと人影が立っていた。
遠目からでははっきりとは分からないが、確かに誰かが立っている。
「先制攻撃だ!」
カイトが威勢よく提案をした。ダンジョンで出会う第三者など、大抵がモンスターだからだ。
アヤもMIRUもその辺は理解している為に反対はしない。
しかし
「でも、もっと近づかないと」
そんなアヤの言葉ももっともだった。
三人はゆっくりと距離を縮めていくが──少しずつはっきりしていくその姿に、三人はそれぞれ違う像を見る。
「ユリ……?」
カイトの目には、生まれて初めて真剣に愛した元彼女が立っていた。
長い黒髪が風に揺れ、ユリかもしれないモノは柔らかく微笑んでいる。
一方アヤの前には学生時代の親友、ミサキが立っていた。
いじめられていた自分を救ってくれた親友だ──ただし故人だが。
ミサキは彼女は悪い男に騙されて貯金を根こそぎ奪われ、自ら命を絶っている。
そしてMIRUの前には、まだ仲が良かった頃の家族がいた。
父と母、そして小さな弟──暖かい食卓、笑い声が脳裏に蘇る。
今では互いに話す事もない険悪な家庭となってしまっており、かつてのそれとは比べるべくもない。
あの日、あの時にもし戻る事ができたら──そんな想いを抱く者は多い。
勿論そんな想いは決して叶う事はないがしかし。
三人はまさに今、それを叶えているのだ。
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三人はふらふらと人影に近づいていく。
心の奥底から湧き上がる懐かしさに、警戒心は薄れていった。
周囲の霧は彼らを包み込み、現実と幻覚の境界を曖昧にしていく。
だが、不意にMIRUが叫んだ。
「こいつ、違う!」
その声にカイトとアヤもハッと我に返る。
「え……?」
カイトが目の前のユリを見ると、その顔が徐々に崩れていく。
肌は灰色にただれ、目は血のように赤く光っている。
──『カイト、どうしたのォオオオ? ワタシが、悪かったワ……またあの時みたイイイイニイイイ、一緒にいましょおおおお?』
ユリの口元が異様に裂け、黒い液体が滴り落ちた。
そして。
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その日以降、動画投稿者『ヒーローCH』が動画をアップすることは無くなった。
彼らの活動停止はSNSなどでも話題になったが、元々大手投稿者と言えるほど大きいチャンネルではない。
次第に彼らについて話される事が少なくなっていき、やがて彼らについて話す者は完全にいなくなった。