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──"戻る"といってもそう大層なものじゃないか
片倉は腕時計を確認した。
時刻は午前9時。
奥多摩から新宿までは青梅線と中央線を乗り継いでせいぜい2時間なので、昼飯時には着くことになる。
「折角だから久しぶりにあそこに顔を出してみるか……」
「あそこ」とは、片倉がペーペーの探索者だった頃によく通っていた喫茶店『カフェマヤ』である。
新宿区役所のはす向かいにある24時間営業の喫茶店だが、店長のMAYAという女性の計らいで探索者にも開放されていた。
仕事柄、物騒なものを持ち歩く探索者を出入り禁止とする店は少なくない。
MAYAは10年経っても20年経っても容姿が変わらない非常に謎めいた女性で、風の噂ではバイオ手術かサイバネ手術によって容姿を維持しているのだなどと言われている。
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片倉は桜花征機製の黒い軽量ボディアーマーを着込み、大きめのバックパックを背負って奥多摩駅へと向かった。
他にも私物はあるが、それは住居が決まった後、その住所に原田が送ってくれる手配になっている。
そうして片倉が駅に着くと、物々しい格好をした探索者がちらほらと散見された。
ダンジョン時代以前、奥多摩駅を利用する者は大体が観光客だったが、今の時代はほとんどが探索者となっている。
観光すべき奥多摩の大自然には危険なダンジョンが広がっているからだ。
駅の探索者たちの服装は千差万別──武者甲冑のような鎧を着こんだ者がいたかと思えば、西洋騎士のようなプレートアーマーを着込んだ者もいる。
サイバーパンクを思わせるような近代的なメカニカルアーマーを着ている者もいれば、なんと腰蓑一枚巻いただけの者もいる。
とっぱずれているのは服装だけではなくて、各々様々な形状の武器も携えていた。
武者は刀、騎士は大剣、サイパンはハイテクが詰まったような外見のクロスボウといったように。
こういった連中はいずれも探索者だ。
ちなみに探索者には銃刀法が適用されていない。
一般人には一般人の、探索者には探索者の法律が適用されている。
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「やあ若い人」
片倉が電車の座席に座っていると、カジュアルな声かけと同時に腰蓑だけを巻いた男が隣に座ってきた。
頭皮が見えるほどに髪の毛を短く刈り込んだガタイのいい男だった。押し出しがそこまで強いというわけではないが、妙な存在感があり、片倉はこの男に黒曜石でできた大岩を幻視した。
「六道の人かね?」
「いえ、辞めてきました。協会に戻ろうかと」
男の服装に片倉は全く動じない。
これは片倉の肝がどうこうというより、単純にそういう探索者は珍しくないことが理由だ。
PSI能力──つまり超能力を扱う者は、単純な物理的防御力よりも言ってしまえば"ノリ"を重要視する。
ノリが悪ければ意思を波に伝えづらいし、そうなればPSI能力の出力が低下する。
戦闘時ともなれば、それが原因で命を落としかねない。
自分をもっとも解放しやすい服装がすなわちPSI能力者にとっての戦闘服なのだ。
「そうかい、まあ人生いろいろあらぁな。ああそうだ、俺はゲンドーという。いわゆる修験者というやつよ。探索者としても活動している。長くフリーで活動していたんだが、知り合いに誘われてな」
「俺は片倉です。ああ、それで都心へ?」
「おう。だがあまり気がすすまんよ。大地を寝床とし、空を眺めながら眠る。目覚めれば獣を捕らえて感謝して食らい、森の中で日が暮れるまで踊る……そんな生活が好きなんだがな。どうも都会の空気は俺には合わない」
「自然派というやつですか」
「うむ。片倉殿は……ふむ、生身か。賢明な事だな」
自然派とはバイオ手術にも依らずサイバネ手術にも依らず、生身で探索者稼業に励む者のことを言う。
生身は手術済みの者に比べて肉体の出力に劣るが、伸びしろがあるというのが通説だ。
「運が良いだけです。体をいじらざるを得ないほど大怪我をすることも珍しくないですからね」
片倉は苦笑しながら言った。
片倉という男は驚くほど探索中の負傷率が低い。
それは彼の特性による戦闘スタイルが大きく影響しているのだが、片倉自身はそんな自分に皮肉な感情を抱いている。
怪我をしたくて怪我をする探索者はいないし、死にたくて死ぬ探索者もいない、なのに自分は──ということだ。
──危うい男だ
ゲンドーは片倉にある種の危惧を抱き、何か一言かけるべきか迷ったが、結局やめた。
──人の人生にあれこれ抜かせるほど、俺も立派な人生を歩んできたわけじゃないからな
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片倉とゲンドーはそれからも探索者トーク──例えばどこぞのダンジョンでどんなモンスターが現れただとか、どこどこの企業がどんな武器を開発しただとか、そんな会話を交わし、電車が青梅に着く頃には連絡先を交換していた。
ちなみに、新宿まではこの青梅で青梅特快東京行きに乗り換える。
それからは乗り換えなしで新宿にたどり着く。
「電車もたまには悪くないが、それでもせいぜい30分ぐらいが限界だな。どこぞのダンジョンに潜るよりよほど疲れる」
「じゃあ、だいたい2時間ぐらい乗っていたわけですから、ゲンドーさんは限界を超えたことになりますね。より難しいダンジョンに行けるかもしれません」
片倉が大真面目な顔で冗談を言うと、ゲンドーは大きい声で笑い、二人は新宿駅の改札で別れた。
──変な言い方だが楽な人だったな
六道建設に来て以来、ずっとしょぼくれた様子の片倉だったが、絶対的な確証がないとはいえ"この先"に希望を見出した今、多少は明るさや社交性のようなものが戻ってきている。
「さて……」
先に食事に行くか、それともセンターに顔を出すか。
片倉は少し悩んでセンターに顔を出すことにした。
先にカフェマヤに行ってしまうと、下手すれば夜まで捕まってしまう可能性もあったからだ。
それならそれでホテルにでも泊まればいい話だが、どうせだったらちゃんとした拠点を決めておきたいという気持ちがあった。