ハルシャと市場へ出かけた私は、1番に卵を購入した。
「よし。ついでだからミルクも買って帰るかな」
ちょっと、荷物が重たくはなるけれど、どうせならたくさん作ろう。
リージョやハルシャも食べるだろうし。……あとは。
「ハルシャ、食べたい果物ある?」
冬の市場だけど、風魔法で空輸してくる業者がいるから季節外れの果物も手に入る。
「わーい! じゃあチェリー!」
「結局毎回それね!」
「大きさ的に食べやすいんだもの。あと、ぶどうも好き」
「なるほどねえ」
ハルシャとおしゃべりしながら買い物を楽しむ。
リージョとのお出かけとは違った楽しさがあるなぁ。
思ったより買い込んでしまい、結構な荷物を抱えて私は家に帰った。
◆
「ただいまー!」
なんとかドアを開けて、中に入ると、工房でリオネルがうつむいて座っていた。
ん? なにかを眺めてる?
「リオネルただいま! どうしたの? なにかあった?」
「ただいまー。リオネル~」
ハルシャと二人でうつむいてるリオネルに声をかける。
「あ、おかえり……」
声を掛けられて、私達が帰ったことに気がついたようだ。
リオネルがこんな素人の気配に気づかないなんて、どうしたんだろう?
「あれ、すこし顔が赤い……? 薪割りで凍えちゃっ……」
私が荷物をキッチンに置いてリオネルに近づくと、彼が視線を落としているテーブルの上に、いつか彼宛に書いた手紙が見えた。
私が、彼のことを愛していること、そして妖精竜になったら額石を割って欲しいと伝えた手紙。
「そ、その手紙……」
「きゅ」
その手紙の横で、ゴメンナサイと言わんばかりにペコリとお辞儀するリージョ。
「ごめん、姉上。貴女の机の引き出しにあったこの手紙……読んでしまった」
そう言いながら、リオネルがゆっくりと、こっちを見た。
「あ……」
いつかは言葉にしたかもしれない、けど言葉にしなかったかもしれない。
私の心の内を書き綴った手紙。
いざという時の置き手紙。
それが、こんな何でもないタイミングで……読まれた。
「え? なに? どうしたの?」
ハルシャが、急に態度がおかしくなった私に、慌てた声を出した。
私は、目の前が真っ白になり、踵を返して外に飛び出そうとした。
怖かった。何もかもが壊れてしまうような恐怖を感じ、逃げ出したくなった。
「姉上!!」
しかし、リオネルから逃げられるわけはなく、簡単に捕まった。
「……っ」
「ごめん。びっくりしたよね」
後ろから抱きすくめられて、優しい声で謝られた。
「え、なに。アンタ達どうしたのよ。ナニソレ、ヤバい手紙なの?? ひょっとしてトンデモナイ借金でも発覚したの!?」
ハルシャが心配そうに私達の周りを飛びながら言う。
「……ぷっ」
リオネルがハルシャの言葉に吹き出した。
「ごめん、違うんだハルシャ。でも君のお陰で肩の力が抜けたよ。――リージョとハルシャ。僕達は少し大事な話があるから。2階で待っていてくれる? 晩ごはんまでには終わらせるから」
「え……。うん……」
「にゅ……」
二人は、退出した。珍しくリージョが沈んだ態度だった。
多分、私を裏切ったと思ってるのだろう。
二人が2階へ行ったのを確認したあと、リオネルは、私を工房にあるソファへ連れて行った。
「姉上、座ってくれる?」
「うん」
私が頷いて座ると、彼は隣に腰掛けた。
ソファからは庭が見え、さっきより振る雪が増えていた。
二人共、その雪を見ながら、無言になった。
何から説明したらいいんだろう。
ツガイのことを知ってから、ずっと考えてきたのに動揺してるせいか、言葉がまとまらない。
しばらくすると、リオネルが先に口を開いた。
「もう一度改めて言うよ。……勝手に手紙を読んでしまってごめんなさい」
「あ……うん。怒ってはないよ。……リージョが見せたんでしょ? リオネルは、悪くないよ」
「……うん、でも。リージョのことも怒らないでやってね。強い意思を持って僕に見せようとしてた。リージョはこの手紙をいま僕に見せたほうが良いって思ったんだろうね」
「リージョには、いつか私が人間じゃなくなってしまったら渡してって言っておいたの。だから、今はまだ、渡す段階じゃなかったの。それに私、まだ自分がどうしたいのか、どうするべきなのか、答えを出し切れてないの」
私は、膝の上においた手でギュ、とスカートを握った。
そして自分の手が震えている事を知った。
「でも、ごめん。僕は読んでしまったんだ。そして貴女の気持ちを知ってしまった。だからいま、答えを出させてほしい」
「……」
「怖いことは言わないから、こっちを見てくれる?」
そう言われて、顔をあげると私はいつの間にか、涙が溜まっていて、それが頬を伝って落ちた。
リオネルは、なにも言わず、それを指で拭ってくれた。
彼は優しく微笑んで言った。
「まず、僕の気持ちを言わせて」
「……うん」
「僕はね、とても嬉しい。ありがとう、姉上。僕は子供の頃からずっと変わらずに貴女が好きだ。だから、この手紙は僕にとって非常に有り難いものでした」
「……うん」
「本当は僕の方から伝えたかったから、それがすこし残念。領地に来てもらった時にプロポーズするつもりだったから。でも言葉では僕に先に言わせて。……愛してます、マルリース」
「……リオネル」
やっぱり、先に言葉にされてしまった。
嬉しいけれど、同時に、どこかとても悲しい。
妖精竜のことを考えると、曖昧なことしか答えられなくて、リオネルが遠くなっていく気がした。
「姉上。貴女は僕のことをツガイだから好きなんじゃないのかって、それを気にしているんだよね」
「……そうだよ。誠実さに欠ける……気がしてる」
また涙が溢れた。
そのたびにリオネルが、優しい指先で拭ってくれる。
「マルリース。僕は
リオネルの優しさと慎重な言葉選びに、いっぱいの愛情を感じる。
だからこそ、私は彼に対して申し訳ない気持ちになる。
「私は、私がリオに妥協させるのが……嫌なの」
「ありがとう。真摯に向き合ってくれて。それだけで僕はもう十分大事にされているよ。……もちろん、恋心を持ってもらえるならそれ以上のことはないよ。でも、ツガイであろうと何であろうと、貴女が僕を選んでくれるなら、僕は飛び上がるほど嬉しいんだ」
リオネルは少し照れたのか、一瞬視線を外してから再び言葉を続けた。
「 あなたの悩む気持ちも大切にしてあげたい。でもね。妖精になる前の気持ちがわかったとして、僕のことを好きじゃなかったと発覚したらどうするつもりなの? 僕を振るの? 僕はそんなのいいやだよ? だいたいそれは考えてももう、わからないことじゃないのかな?」
「う……」
返す言葉が見つからない。
そう考えると自分が無意味なことで悩んでいる気がしてきた。
「姉上、過去の気持ちなんて今はもう取り返せないんだから、今のその…僕が好きって気持ちを大切にしてほしい。でも僕は、貴女が気にしていることもちゃんと解決したい。ねえ――例えば……妖精になる前の姉上に僕がプロポーズしてたら、どうしてた?」
「あ……たぶん受けてたと思うけど、その……」
「ふふ。恋心は気にしないで気軽に受けた可能性もあるんじゃない? 『リオなら一緒にやっていけそう』ってノリで」
見透かされている!
私は頭を抱えてうつむいた。
「そうかもしれない……」
「僕はそれでも良かったんだよ」
「リオの妥協が果てしない……」
「いや? それはそれで、追い詰め……じゃなかった、落とす楽しみがあるから」
「なんて!?」
「あはは。なんてね。本当、どうしちゃったの? 姉上。恋すると人って変わるんだね。ふふ」
「か、からかわないで……」
私は頭に置いた手で今度は顔を隠した。
もうさっきから、嬉しいやら切ないやら、恥ずかしいやらで、死にそうだ。
「ごめんごめん。だから僕は、それで……その程度でも、十分なんだ。僕を選んでくれるなら」
「でも、それにしたって、愛の言葉は日常で交わすでしょう? 私は怖くて……言葉で愛を伝えられないよ」
「もう1つ気にしてる、妖精竜になるかもって懸念だよね」
「うん」
「その……ツガイを決定付ける愛の告白って、言葉?」
リオネルの目線は手紙だった。
手紙では告白したも同然だ。だから気になるんだろう。
実は私も手紙でも危ないかと思ってさっき慌てたのだ。
「グラナートお父様は言葉と心を持ってして、と。そう言ってた。……この感じだと手紙は大丈夫みたいだね」
「……ということならば、呪術的な要素があるのかもね」
リオネルは手紙を手にとり胸に当てた。
「……うん。じゃあ、一生のうち、貴女からの愛の言葉は、この手紙一通あれば、僕はいい」
「それは、だって。一方通行過ぎるよ。あんまりじゃない……」
「マルリース」
私はピク、として固まった。
駄目だ、名前呼ばれると、やっぱ駄目。
私はすこし顔が熱くなった。
「もう、名前で呼んでもいいよね?」
「……う、うん」
「今までの話、聞いてたでしょう。しつこいけどもう一度言うよ。僕は構わない。あとは貴女の
リオネルが私の手を取ってキスをする。
「え、いや……その、それは」
ホントに言葉がうまくでてこない。
緊張しているだけではなく、告白の返しにならないようにしなければ……と思うと頭がこんがらがる。
「嫌?」
「……いいえ」
リオネルに誘導されて答えると、彼はニッコリ笑った。
「まあ、嫌だといっても、もう逃がさないけどね」
「き、聞いた意味がないじゃない……」
「ふふ。変なの。マルリースがすっかりしおらしい」
リオネルは、からかうように、私の頬をツンツンとつついた。
「ちょ、やめて。いや、流石に大人しくもなるよ、とても……真面目な話なんだから」
リオネルは「ごめんね」と言って指を引っ込めた。
「そうだね。でも、そろそろいつも通りのマルリースに戻ってほしいな」
「うん。私もそうしたいとは思ってるんだけど、とても……慎重にしてるの」
……喜びが大きすぎて抑えるのが大変なのよ。
勢いで素直に感情を開放したりしたら、うっかり『好き』と言いかねない。
今は過剰かもしれないと思うほど、気持ちを抑え込んでおきたい。
慎重すぎるほどに、慎重にしないと、安心できないのだ。
「一旦、紅茶でもいれようか。気分が和むかも」
「一旦、お茶でも入れて気分を……あ」
「「……」」
お互いちょっとクスっとして、そこからいつものゲームに興じる。
「ハッピーマルリース」
「ハッピープ……えっ」
「僕の勝ち」
「えっ。え……なにそれ!? うあ!? なにすんの!?」
リオネルは少し悪戯顔になり、私を抱き寄せた。
「僕の勝ちだから、マルリースを貰ったの」
「な……。な……!」
こんな状況でいきなり密着したら、心臓破裂して死ぬ。やめて。
「うーん。それにしても、マルリース。ちょっと着ぶくれしすぎ。ぬいぐるみ抱っこしてるみたいだよ」
「ひどい!? だって外に買い物行ってきたんだよ!?」
「あはは。元気出てきた。やっぱり元に戻すにはからかうのが一番だね」
「からかってたの!?」
「ほんのすこしだけね。ふふ。……ねえ、愛してるよ、マルリース」
頬にリオネルの手が触れて真剣な瞳で言われた。
「あ……」
私は思わず、『私も愛してるよ』、と答えそうになり、口を開きかけたところ、
「もう、うっかりさん。僕の愛に答えちゃ駄目だよ」
そう言ってリオネルは、キスをして私の口を封じた。
「――」
心が満たされるのを感じて、私は目を閉じた。
屋根に積もった雪が落ちる音に気をそらされるまで、私達はしばらくそのままだった。