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39 試供品のお届け ※リオSIDE有

 「やってしまった……」


 次の日の朝、目覚めたらデスクに座ったままだった。


「いけない。生活はちゃんとしないと……えっと今日は予定なんだったっけ……」


 そうだ、試供品を渡しに行くんだった。


 私は出かける準備をして試供品を紙袋に突っ込んだ。

 まずはマダム・グレンダのところだ!


 「時間がギリギリ!」


 私はいそいで家を出た。



 なんとか約束の時間通り、マダム・グレンダに面会できた。


 例のおいもちゃんから作った『マグナームクリーム』のテスト品を渡す。


「気になるサイズのところにこう……毎日寝る前にでも塗っていただいて、効果がでるまでは一ヶ月くらいは塗り続けていただく必要あるんですけど。あと腕とかで一度パッチテストを。……そんな豆なことできるお客様いますかね」


「女性は大丈夫だと思うけれど、男性はどうかしらね。うーん、聞いてみるわね」


「できたら、女性は人形に旦那様を盗られた方にお願いしてみて欲しいです」


「なるほど、彼女のことを気にしていたのね……」


「はい……。うまくいくといいんですけど」


「胸が大きくなったところで……難しいとは思うけど。まあ、とりあえずテスターはお願いしてみるわ」


「ありがとう、グレンダさん!!」


 私は、私の人形のせいで旦那様の愛を失った女性が、なにかしら幸せになれるといいな、と願った。

 相手を知らないから、私の願いが影響を及ぼすかどうかわからないけれど。


「それにしてもマルりん」


「なんですか?」


「目の下にクマができてるじゃないの。また無理してる? まあ、あなたはスッピンでも可愛いけれど」


 マダム・グレンダが苦笑している。


 しまった!

 急いでたから化粧忘れてた!!


 私は指先で目の下を隠すようにした。


「……それ、泣いたあとね。目もすこし腫れてるわ」


 ぎっくぅ!


「ああ、寝不足で欠伸でいっぱい涙でたので」


「マルりん。……嘘ついてもバレるわよ? 悩み事があるなら聞くわよ? 恋の悩みかしら?」


「い、いえ、本当に寝不足で」


 なにそのとても聞きたそうな顔。すこしニヤついてる! まるで近所の世話焼きおばさんのようだよ!


「ふふ。まさかあなたがそんな顔するような悩みを抱えているなんてね。これだから人ってわからないのよねえ。ふふ、おもしろぉい」


 なんだとぉ! 失敬な!


「私が泣くような恋心抱えてたら変だって言うんですかー!?」 


「あはは、ひっかかったあ!! 恋してんのー?」


「うあああ!? いや、ひっかかってない! これは例え話で」


「悩んでる本人が言う、例え話っていうのは真相だったりするものよぉ。やあね~」


「はうっ!?」


「変じゃないわよぉ。辛いなら聞いてあげるわよ。口は堅いし、なにより女の子たちの相談いっぱいのってるんだからあ」


 ……う。

 正直とても聞いてもらいたい。

 しかし、話せないことが多すぎる。


「話したいのは山々なんですがね。話せないんですよ」


「なんてこと、まさか不倫」


「ちがいますよ!?」


 マダム・グレンダは、ふふふ、と笑って続けた。


「冗談よ。ごめんなさいね。すこしは気分転換になったかしら?」


「あ……はい。言われてみれば、すこし気分が紛れたかも」


 さすが娼館マダム。

 人を乗せるのが上手い。

 私がちょろいだけかもしれないが。


「そうそう。もう1つ元気が出る話をしてあげましょう。人形つくるより以前、オマケでくれた敏感肌クリーム。あれ、評判が良かったわ。試供品をくれるなら、上客の部屋にアメニティで置いてみようかと思ってるの。お客様が気に入ったら注文はいるかも、ね?」


「え、うそ! やったあ! 試供品つくります! まだ在庫いっぱいありますし!」

「うんうん。貴女はそういう顔してる方が貴女らしいわ。いつも笑顔でいてちょうだい」


「はい! 勿論ですよー!」

「うんうん」


 その後、おみやげにクッキー缶や紅茶缶までもらってしまった。

 慰められてしまったなぁ。


 家へと歩きながら、さっきのグレンダさんが


 それにしても、まさかあの敏感肌用薬草クリームが復活できそうだなんて。


 「……私の商売も、軌道に乗り始めてきたと思っても、いいのかな」


 でも、妖精竜になったら、この仕事も失うのか……。

 そして仕事を中途半端に放りだして周囲に迷惑をかけることになる……。


 『ああ、ますます、妖精竜になりたくない』という人間の自分と――


 『それがどうしたの? 何を捨ててもツガイを得たい』 という妖精の無邪気な感情が、またぶつかり合う。


 なんとかならないのかな、これ。


「そうだ……」


 もういっそ、今の状態で額の石を割っても……いいんじゃない?

 そうだ、そうしよう!

 帰ったら、チャレンジしてみようか――


 ――ゾクッ。


「わ……」


 私は激しい悪寒に襲われて、歩く足を止めた。


 ……怖い。


 それはもう本能だった。


 「そうか、もう一つの心臓のようなものだから……」


 妖精の自分が恐れている。少なくとも自分で自分の石を割るなんてことはできそうにない。


 「ああもう、ままならない……」


 私はため息をついて、再び、家路についた。



 ◆その頃のリオネル◆




 僕は今、寮で荷造りをしている。


 荷物は少ない。

 教科書やその他教材は全て、学校のロッカーだ。

 教科書とか、むしろ全部暗記してあるし。


 着替えも制服と私服もさほど多くない。

 あっという間に荷造りは終わった。


 僕は深呼吸した。


 明日から姉上の家に住むかと思うと、自然と気分が高揚してくる。


「……それにしても」


 イチョウ祭りのあとから、姉上がどこか変わった気がする。

 悪い意味ではない。


 彼女の僕を見る目が変わった気がする。


 そう、まるで学校の……僕を追っかけまわしている令嬢たちの瞳に浮かんでいるような熱が、あるような気がする。


 今までこちらから熱を込めた視線を送っても、平然としていた姉が、明らかに慌てふためくようになっている。


 どうせ効かないだろうな、と思ってた恋人のフリとか、意外と響いたのだろうか……?

 なんか、違う気もするんだけど……。


 彼女にどういう心境の変化があったのかはわからない。


 でも、明日からは彼女を間近で見ていられるのか。


「……期待してもいいのかな」


 僕は、パン、と両手で自分の頬を叩いた。


「いけない。彼女の負担にはならないようにしないと」


 僕はベッドに転がると、図書館で借りてきた『平民のくらし』というタイトルの本をパラパラめくる。

 だいたい、想像していたとおりだ。


 本の通りではないだろうけど、彼女は生活に苦労してるようだし、イチョウ祭りの時みたいに体調不良を起こさないか心配だ。


 彼女の助けにはなりたい――けど、まずは、良き同居人を目指さないとね。


 明日が、楽しみだ。



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