父上は、僕にたびたび手紙を送ってくれて、近況を知らせてくれていた。
家出状態にも関わらず、僕に対して口は非常に悪いが、結局は子供に甘い父である。
「……なんだって」
あの婚約者が姉上をひどい目に合わせたという報せもちゃんとくれた。
それを読んだ僕は怒りと歓喜で頭がおかしくなりそうだった。
「あの野郎……よくも姉上をコケに……。……腹が立つけど僕にとっては朗報でもあるのか」
姉上はうちの家門から籍を抜いて、平民になると言う。
――姉上と婚約できるじゃないか。
この数年間、僕にも縁談がなかった訳じゃない。
僕は全部断った。
姉上に一生を捧げると決めているからだ。
――彼女に、僕と同じ気持ちは求めない。
他家門に嫁ぐというならそれでもいい。
けれど子供を産み夫人の仕事を終え、義務を果たしたあとは、僕を選んで欲しい。
なんでもいい。どんなに
たとえそれが、死ぬ直前だったとしても。
そこまで思い詰めていた僕の目の前にぶら下がった、彼女の婚約破棄。
次に会えるのは何年何十年後だろうと思っていたけれど――。
僕は手近に置いておいた自分の剣を握りしめた。
「この機会は逃しちゃいけない」
◆
領地に戻るなり、僕はまず父親を訪ねた。
「姉上と婚約させてください」
「えっ。お前、まだ諦めてなかったの!?」
コーヒーを口にしかけた父は、眉間にしわ寄せドン引きした表情だった。
「諦めませんよ。一度他人になって距離を置かないと僕のことをいつまでも弟だと思うでしょ。婚約者から奪いとるつもりで賠償金のために事業もしたのに、リシュパン家側がむしり取る側になるとは思いませんでしたが」
「そんな作戦だったのか!? 欲しいものを手に入れる為なら何年でもかけるタイプだなお前……。お父様、ちょっと怖い。 ううむ。ひょっとしてマルリースと口を利かなかったのも……やはり怒っていたのではなかったのだな」
「息子だからってちょっと失礼な言葉が過ぎませんか。怒ってなんていないですよ。ただ、ショックで口が利けなかったんですよ。家出したのもマルリースが婚約して他の男といるのを見たくなかったんですよ。僕を鬼畜みたいに言わないでください」
幼かったとはいえ、それでもマルリースを傷つけた事は黒歴史だ。
これからは、どんなことをしても償うつもりだ。
「いや、お前は結構鬼畜。繊細なところがちょっとあるだけの鬼畜。ただ一方的に叱ってすまなかった。だが、マルリースは今、大変傷ついているから、この話しはすぐにはできん……というか、お前は一度婚約を断られてる。おまけに今は疎遠になってるじゃないか。やはり、タイミング的にもちょっと難しいんじゃないか」
「そりゃ今はタイミング悪いでしょうね。そこは僕もわかっています。すぐにとは言いません。とりあえず、姉上が僕との結婚に理解を示してくれたら婚約を許してくれます? 彼女はリシュパン子爵家も抜けて平民になるのだから、もう戸籍的な障害もないでしょう?」
「うーん……。反対はしない、な。だが、私にも様子を見させてくれ。私はね、お前たち二人共幸せになってもらいたいと思ってるんだ。だから簡単に返事はできない。とりあえず、口説くなとは言わないが、マルリースの負担になるような事はするなよ?」
「わかりました。ありがとうございます」
「まあ、だが」
「なんですか」
「私に似て良い男になったな、と。まさか『剣聖』にまで至るとはな」
「ありがとうございます……そう見えるならよかった。姉上の気を引きたくて何年も頑張ったんですから。あなたに似てるってとこは余計ですが。『剣才』の父上」
「マウント取ってきた!! なんて可愛くない息子なんだ。しかもマルリースの気を引きたいがために『剣聖』に至るとかすごい執念だな……。親を喜ばせたいとか跡継ぎだから、とかはないんだな……?」
「それは1番ではないだけで、ありますよ。とくに母上には」
「……あっそう。3番のお父様さびしい……。……まあ、良い結果になってるようだから、理由はなんでもいいか。とはいえ、今のお前でも、マルリースは難しいぞ。 あの子は、恋愛音痴だからな。婚約している最中でも、それに割り込もうとする貴族令息に口説かれていたが、心に響いてる様子がまったくなかった」
「なんですって……その辺りも詳しく聞かせてもらいたいですね」
「瘴気が出そうな顔するのやめてくれ……。本気で怖いぞ、おまえ」
父上から姉上のモテモテ話を聞いた。
婚約していても相手が男爵家なこともあり、上位貴族から、割り込もうといくつか申し出があったという。
彼女の容姿は、不思議な魅力がある。惹かれるのもわかる。
実際、かなり美しいと思う。
妖精の血を引いていると言われるだけある。
加えて、錬金術科に入れる知能がある。おっちょこちょいだけども。
しかし、それも婚約適齢期の16歳まで。
17歳を過ぎた今はもう、婚約がなくなった今でも申込みは来るが、まともな相手は残っていないという。
「お父様的には、平民でも気の合う相手が見つかればいいな、思うわけだよ」
「まず僕にいうべきでしょう」
「お前振られてるし、お前もマルリースと口きかなかったじゃないか? そこは私のせいじゃないぞ」
確かに。自分の行動に反省点が大有りだと思った。
婚約がなくなるとは思わなかったから、実はのんびり構えていた。
――まず、姉上に謝らないと。
「それじゃ、姉上のところへ、謝りに行ってきます」
「ふむ。がんばってこい。ただ振られたら諦めてお前も誰かと婚約しなさい。もうとっくに婚約してないといけない年齢だからな。子供が産めて、性格がまともであれば、どこの家門のお嬢さんでもいいから自分で探してきなさい」
「嫌です。親戚に家督を譲るか養子をもらいます」
「おまえ、さすがにそれはお父様は許可できないよ?」
「んー。僕って確か剣聖だったと思うんですよ。すでに父上より立場が上なんですよね……。そうそう、伯爵位も領地も頂いちゃいましたし……。この子爵家を継がなくても別にいいんですよねえ……? ふふふ」
「お、おまえ!? またマウント取りつつ、脅しまで!?」
そう、剣聖は、王族に匹敵する身分だと建国時に法律に定められている。
法改正されてなくて良かった。
剣聖になった際、その栄誉から、伯爵位と領地を賜り、僕は既に領主だ。
将来はそっちと子爵家の両方を両方納めることになる。
王宮務めもする予定だが、それは社会経験の為と、この子爵家の伝統のためだ。
我が家門の跡継ぎは、騎士の資格を取り、爵位を継ぐまで王宮勤務することになっている。
その気になったら、僕を縛る者、止められる者などいない。
「父上が悪いんですよ。最初から姉上が養子だって言ってくれてれば、こんな事には……」
「腹の底から恨みのこもった声でてるよ!! ごめんってば!!」
父には応援もされないが、釘を刺される程度で反対されないのは有り難かった。
父の立場からすると、うちの家門と相性の良いレディと婚約したまえ! と言うほうが当たり前なのに、こう言うってことは、彼も僕と姉上が結婚するのを望んでいるのかもしれない。
◆
その後、まずは謝罪をと、姉上の部屋を訪ねた。
久しぶりに間近で見た姉上は、前にも増して可憐になっていた。
おそらく本人は自分が美しいという自覚がない。危なっかしい。
平民になって1人暮らし始めるなんて心配で仕方がない。
僕が謝ると、腕の中に飛び込んできて、涙ながらに喜んでくれた。
良かった。
嫌われていない……。
むしろ以前より、距離が近くなった気がする。
これだけブランクがあったのに。
僕を見て一瞬誰だかわからない、という顔をした彼女を見て、やはり距離を置いて正解だったと思った。
あれだけ仲睦まじかった姉弟の僕たちに空白期間ができた。
あとは、貴女の心を手に入れるだけ――。